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緋い記憶

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 無表情な顔は相変わらずだったが、何かを見てるかのようにそのまま動かなかった。

「知ってる? あの世へ逝くみちっていうのは、この世の道と変わらないんだ。――ああ、でも。アスファルトじゃなかったな」

 気を取り直したように顔を彬へと戻した隆哉が、再びのんびりと話し始める。

「ちょっとした田舎道って感じかな。いつの間にか俺達は、そこを二人で歩いていたんだ。どこへ向かっているのかなんて、お互いに知らない。でもどっちに向かえばいいのかは、不思議と判るんだ。

どのくらい歩いたかな、ある地蔵の前を通った時。あいつは突然、ハッとしたように足を止めて俺の腕に絡めていた手をほどいた。驚く俺を引っ張って、元の路を戻って行く。そしたら、通って来た筈の路がなくなってて、その先は崖になってしまってたんだ。不思議に思って隣に立つあいつを見ると、何故だか泣いてる。今まで、俺の前でも泣いた事なんてなかったのに……。

ボロボロ大粒の涙を流して、底の見えないその崖の下を見つめているんだ。俺が『どうしたんだ?』って声をかけても、あいつは俺の背中に縋りつくようにして泣き続ける。さすがにね、不安になったよ。あいつは普段、縋って泣くようなか弱い女じゃなかったから。

――でも次の瞬間、もっと信じられない事が起こった。あいつは俺を、崖の下に突き落としたんだ。俺は必死で崖のふちに掴まったよ。信じられない思いで。それでもあいつは、懸命に俺の手を剥がそうとしてる。凄い形相で、『時間がない、時間がない』って叫びながら。とうとう片手だけでしがみつく俺に、あいつの両手が添えられた。そして容赦なく、躊躇いもなく、俺の手を引き剥がしたんだ。

でもその時、一瞬だけ俺は、あいつの手を握る事が出来たよ。すぐに剥がされてしまったけどね。最後に見たあいつの顔は、何故だか笑ってた。涙に濡れながら……。俺にはその時の、あいつの真意が今でも判らない。訊く事も、出来なかったから。

――そして次に気が付いた時、俺は病院のベッドの上にいたんだ。……俺だけが」
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