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両親を奪われた夜のこと
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エミーユの両親はグレン帝国の生まれだった。貴族の三男の父親は、宮廷バイオリニストで、母親は宮廷の下女で妖人だった。
二人は出会い、恋に落ちた。身分差を超えて結婚したが、グレン国内で、妖人狩りが始まった。二人はエルラント王国に逃げ落ちた。
港町に住み着いた二人は平穏に過ごした。
父親は教会の楽隊員として働き、母親は手作りの菓子を売って、家を構えることもできた。
そして、エミーユも生まれた。慎ましやかにも愛情に満ちた幸福な生活だった。
それはある日、突然に破られた。グレン軍のエルラント侵攻によってである。
エミーユが12歳のときのことだった。
エミーユにはその夜のことをはっきりと思い出せる。
夕暮れ、南の丘が一面黒いものに覆われたかと思うと、瞬く間に兵団が町へ乗り込んできた。
家の戸口は片っ端から開けられて、ずかずかと兵士が入ってきた。住人の叫び声に、兵士の怒号。
異変に気付いた父親は、母親とエミーユに地下に入るように指示した。
地下に降りれば真上で物音がした。おそらく父親が家具を動かして地下の入り口を隠したのだ。
地下では母親が血相を変えて戸棚の中身を出した。そして、エミーユを戸棚に押し込んだ。
母親は「物音が聞こえなくなるまで出てきてはいけません」と怖い顔で言った。
そのあと、忘れられない微笑をエミーユに向けた。
――エミーユ、愛しているわ、またあとでね。
それから、怒声に、物がぶつかる音に空気を切る音、いろんな暴力的な音が聞こえた。そして、それらは地下に降りてきた。
エミーユは歯を食いしばって目を閉じ、耳を抑えていた。長く暗い夜があった。
めんどりの鳴く声で気がついた。辺りはしんとしていた。戸棚から出ると、陽光が細く差し込んでいた。
地上への出口を開けると、錆のような匂いが鼻を突いた。
梯子を上れば、父親の――かろうじてその衣服で父親だと認識できる父親の体が横たわっていた。
エミーユは声も出せなかった。
――父さん………。
ガクリと膝を突く。
――母さんは?
跳ね起きて、家じゅうを探し回る。
家の中は荒れている。棚は倒され、カーテンは引き裂かれている。
テーブルの上には、茶色い液体が注がれたティーカップがあり、その中にブランデーが注がれ、脇に空の瓶が倒れていた。
――誰が、母さんの大事なティーカップで、父さんの大事なブランデーを飲んだの……?
ティーカップは父親が母親に買ったもので、母親は花柄模様のそのティーカップを眺めては嬉しそうにしていた。ブランデーは父親の演奏を気に入った商会主から贈られたもので、父親は得意そうにしていた。
その大切なものが、どうしてそんな乱雑に扱われているのか、エミーユには不思議だった。
荒れた家の中をくまなく探したが、母親の姿は見つからなかった。
外に出ると、ところどころで煙が上がっていた。
隣人の靴屋の店主と目が合った。店主の後ろから店主の孫娘が出てきた。エミーユの幼馴染だ。
エミーユを見ると、エミーユに駆け寄って、わっと泣き出した。
――お兄ちゃんが連れて行かれちゃったの。
エミーユは何も発することができなかった。
店主が言った。
――あいつらは薬を嗅がせて、妖人の反応があったものを連れて行った。この子の兄はまだ15歳だったのに。きみのところは無事かい?
エミーユは喉から絞り出すような声を出した。
――父さんが殺されて、母さんがいなくなった。ぼ、ぼくだけ、助かった……、母さんが戸棚の中から出てくるなって言って……。
母親は声一つ上げずに連れていかれた。もしも声を上げていれば、エミーユは戸棚から飛び出していただろう。
母親はそれを避けるために必死で声を抑えていたのだ。
(またあとでね、そう言ったのに……)
エミーユから涙があふれ出た。
店主は同情の目を向けた。
――第二性は遺伝の影響を受ける。きみも妖人かもしれない。この町もグレンの支配になった。いつ再び妖人狩りが起きるとも限らない。北に逃げなさい。私もこの娘を北方の親戚のところに預けるつもりだ。
靴屋の店主はそう言いながら、自分のポケットから取り出した紙幣をエミーユのポケットに詰め込んだ。
――何もしてあげられなくてごめんよ。
それから、エミーユは、手近にあったものを鞄に詰め込んで、北に向かう馬車に乗った。乗り合い馬車を何度も乗り換えて北に向かった。
ノルラントとの国境を越えたところで降り立った。よそ者に町の人々は冷たかったが、ときおり親切な人が助けてくれた。
町はずれの丘を登った草原に放置された小屋を見つけた。そこに住み着き、そのうち、畑を耕すことを覚えた。
何とか生きのびてきた。
妖人であることを悟られぬように、人から距離を取って、生きてきた。
そんな生活に現れたのがマリウスだった。
マリウスはエミーユの人生に現れた温かい存在だ。
しかし、あの夜の記憶がある限り、マリウスを受け入れることなど、エミーユには到底できないことだった。
二人は出会い、恋に落ちた。身分差を超えて結婚したが、グレン国内で、妖人狩りが始まった。二人はエルラント王国に逃げ落ちた。
港町に住み着いた二人は平穏に過ごした。
父親は教会の楽隊員として働き、母親は手作りの菓子を売って、家を構えることもできた。
そして、エミーユも生まれた。慎ましやかにも愛情に満ちた幸福な生活だった。
それはある日、突然に破られた。グレン軍のエルラント侵攻によってである。
エミーユが12歳のときのことだった。
エミーユにはその夜のことをはっきりと思い出せる。
夕暮れ、南の丘が一面黒いものに覆われたかと思うと、瞬く間に兵団が町へ乗り込んできた。
家の戸口は片っ端から開けられて、ずかずかと兵士が入ってきた。住人の叫び声に、兵士の怒号。
異変に気付いた父親は、母親とエミーユに地下に入るように指示した。
地下に降りれば真上で物音がした。おそらく父親が家具を動かして地下の入り口を隠したのだ。
地下では母親が血相を変えて戸棚の中身を出した。そして、エミーユを戸棚に押し込んだ。
母親は「物音が聞こえなくなるまで出てきてはいけません」と怖い顔で言った。
そのあと、忘れられない微笑をエミーユに向けた。
――エミーユ、愛しているわ、またあとでね。
それから、怒声に、物がぶつかる音に空気を切る音、いろんな暴力的な音が聞こえた。そして、それらは地下に降りてきた。
エミーユは歯を食いしばって目を閉じ、耳を抑えていた。長く暗い夜があった。
めんどりの鳴く声で気がついた。辺りはしんとしていた。戸棚から出ると、陽光が細く差し込んでいた。
地上への出口を開けると、錆のような匂いが鼻を突いた。
梯子を上れば、父親の――かろうじてその衣服で父親だと認識できる父親の体が横たわっていた。
エミーユは声も出せなかった。
――父さん………。
ガクリと膝を突く。
――母さんは?
跳ね起きて、家じゅうを探し回る。
家の中は荒れている。棚は倒され、カーテンは引き裂かれている。
テーブルの上には、茶色い液体が注がれたティーカップがあり、その中にブランデーが注がれ、脇に空の瓶が倒れていた。
――誰が、母さんの大事なティーカップで、父さんの大事なブランデーを飲んだの……?
ティーカップは父親が母親に買ったもので、母親は花柄模様のそのティーカップを眺めては嬉しそうにしていた。ブランデーは父親の演奏を気に入った商会主から贈られたもので、父親は得意そうにしていた。
その大切なものが、どうしてそんな乱雑に扱われているのか、エミーユには不思議だった。
荒れた家の中をくまなく探したが、母親の姿は見つからなかった。
外に出ると、ところどころで煙が上がっていた。
隣人の靴屋の店主と目が合った。店主の後ろから店主の孫娘が出てきた。エミーユの幼馴染だ。
エミーユを見ると、エミーユに駆け寄って、わっと泣き出した。
――お兄ちゃんが連れて行かれちゃったの。
エミーユは何も発することができなかった。
店主が言った。
――あいつらは薬を嗅がせて、妖人の反応があったものを連れて行った。この子の兄はまだ15歳だったのに。きみのところは無事かい?
エミーユは喉から絞り出すような声を出した。
――父さんが殺されて、母さんがいなくなった。ぼ、ぼくだけ、助かった……、母さんが戸棚の中から出てくるなって言って……。
母親は声一つ上げずに連れていかれた。もしも声を上げていれば、エミーユは戸棚から飛び出していただろう。
母親はそれを避けるために必死で声を抑えていたのだ。
(またあとでね、そう言ったのに……)
エミーユから涙があふれ出た。
店主は同情の目を向けた。
――第二性は遺伝の影響を受ける。きみも妖人かもしれない。この町もグレンの支配になった。いつ再び妖人狩りが起きるとも限らない。北に逃げなさい。私もこの娘を北方の親戚のところに預けるつもりだ。
靴屋の店主はそう言いながら、自分のポケットから取り出した紙幣をエミーユのポケットに詰め込んだ。
――何もしてあげられなくてごめんよ。
それから、エミーユは、手近にあったものを鞄に詰め込んで、北に向かう馬車に乗った。乗り合い馬車を何度も乗り換えて北に向かった。
ノルラントとの国境を越えたところで降り立った。よそ者に町の人々は冷たかったが、ときおり親切な人が助けてくれた。
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何とか生きのびてきた。
妖人であることを悟られぬように、人から距離を取って、生きてきた。
そんな生活に現れたのがマリウスだった。
マリウスはエミーユの人生に現れた温かい存在だ。
しかし、あの夜の記憶がある限り、マリウスを受け入れることなど、エミーユには到底できないことだった。
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