塀の向こうで、君を想う

ぱんだちゃん

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第1章:檻の中の再会

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午後の陽が傾きかけた頃、佐藤千夏は白い制服の袖をまくりながら、重たい扉の前に立っていた。

須崎刑務所の女性刑務官として働き始めて十年。日々の業務は厳しく、規律は厳格で、情に流されるような甘さは一切許されなかった。彼女はその環境に慣れ、誰よりも冷静に職務をこなしていた。だが、その日だけは、胸の奥がざわついていた。

「配属替えです。D棟の第三監房の担当に入ってもらいます。」

上司の短い指示に、千夏は静かにうなずいた。手元の資料に目を落とすと、そこに記載されていた名前に、心臓が止まりそうになった。

高橋健太郎(36)

──嘘、でしょ?

その名前を見た瞬間、彼女の脳裏に高校時代の記憶が一気に蘇った。

放課後の校舎、図書室で交わした小さな会話。体育祭で見せた笑顔。雨の降る日、貸した傘を受け取る彼の照れた顔。彼女が初めて「好きだ」と思った人だった。だが、当時の千夏は自分の気持ちをうまく表現できず、彼もまた同じだったのか、ふたりは結局、友達のまま卒業していった。

その後、彼は地元から姿を消したと風の噂で聞いていた。そして今、彼は──受刑者となって、ここにいる。

「何をしたっていうの…?」

資料には「傷害致死」「懲役八年」とあった。彼がそんなことをするなんて、信じられなかった。いや、信じたくなかった。

呼吸を整え、千夏はD棟の重い鉄扉を押し開けた。

監房の中は薄暗く、重苦しい空気が漂っていた。鈍い金属音とともに、収容者たちの目が一斉に彼女に向けられる。だが、その中に、彼の姿を見つけた瞬間、時が止まった。

健太郎は、かつての高校生の面影を残しつつも、どこかやつれた顔で、壁にもたれて座っていた。彼の瞳はどこか遠くを見つめ、何も映していないようだった。

千夏は意を決して彼の前に立ち、名簿を確認するふりをしながら声をかけた。

「高橋健太郎──で、間違いないですか?」

健太郎はゆっくりと顔を上げた。目が合った瞬間、千夏は確信した。やはり、彼だった。

「……あんた、誰だ?」

彼の言葉は冷たかった。だが、確かに彼の声だった。記憶の中で何度も再生された声。

「私、佐藤千夏。高校、同じだったよね。」

その言葉に、健太郎の目がわずかに揺れた。

「……佐藤?」

「うん。3年のとき、同じクラスだった。」

しばしの沈黙。健太郎はゆっくりと立ち上がり、鉄格子越しに彼女を見つめた。その瞳には、驚きと戸惑い、そして微かに懐かしさが宿っていた。

「……なんで、ここに?」

「刑務官として、配属されたの。」

再び、重い沈黙が流れる。だが、その沈黙の中に、過去と現在が交錯していた。

健太郎はふっと笑った。乾いた、諦めきったような笑いだった。

「皮肉だな。あの頃、何も言えなかったあんたが、今になって俺の前に現れるなんてな。」

千夏の胸が締めつけられる。あの頃、勇気を出せなかったことを、今でも後悔していた。だが、今こそ──その後悔を取り返すチャンスなのかもしれない。

「……健太郎、本当に人を殺したの?」

その質問に、彼は黙ったままだった。表情からは何も読み取れない。だが、彼の沈黙は否定にも肯定にも聞こえなかった。

「私は、あなたがそんなことをする人だとは思えない。」

「思うだけじゃ、どうにもならないんだよ。ここにいるってことは、そういうことだ。」

「それでも……私は、信じたい。」

健太郎の瞳に、一瞬だけ光が宿った。だがすぐにその光は消え、彼はそっぽを向いた。

「勝手にしろ。」

それが、彼なりの拒絶の言葉だったのかもしれない。だが千夏は引かなかった。彼が冤罪だという確信が、なぜか心の奥にあった。理屈ではなかった。ただ、彼の目が嘘をついていないと、そう感じた。

その日、千夏は職務としての冷静さを装いながらも、心の奥では嵐のように動揺していた。かつて想いを寄せた人が、犯罪者として目の前に現れる。それがどれほどの衝撃か、自分でもうまく処理できていなかった。

だが、彼を知っているのは、自分だ。彼がどんな人間だったか、誰よりも近くで見てきた。冤罪だと信じる理由は、過去の想いだけではなかった。

もし、本当に冤罪なら──自分が助けたい。

そしてもう一度、彼と向き合いたい。

その日から、千夏の中で何かが変わり始めた。
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