石の王冠は誰のもの

阿山ナガレ

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第8話

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「申し訳ございません」

 その女性――ベイリー=カミングスはそう告げた。それを聞いたサーシャは、己の作成した明細書に不備があったのかと不安に駆られたが、それも次の言葉でまた別の感情へと塗り替えられた。

「――この特許、すでに申請済です」

 カミングス女史がさらに続けると、サーシャは驚き、思わず身を乗り出した。

「ええっ……!? そんなはずは……」

「残念ですが、既に同じ魔法が申請されておりました」

 その役人は申請書と明細書を返却し、淡々と言葉を告げた。サーシャの唇がわなわなと震えた。
 
 サーシャが初めてロッシュ商店に足を踏み入れてから一夜開けたこの日、サーシャとロッシュはワグナス区にある魔法技術特許庁の出願窓口を訪れていた。
 昨晩、サーシャは自宅に帰らなかった。ロッシュ商店の片隅で、夜を徹して特許出願申請書、並びに新型魔法オーブンの魔法式を書き出した明細書とを作成したのだ。そして、つい先ほど、それを窓口に提出したのである。
 その彼女の徹夜の成果たる申請書に対する返答が、カミングス女史によるその言葉だった。

 まさかの展開に驚きながらも、サーシャはあくまで食い下がった。

「そんな……! 画期的な魔法式なんですよ!? 同じ魔法があるはずがないです!!」

 サーシャも学生とはいえ、魔法研究者のはしくれである。相反する光属性と力属性を含む、四つもの属性魔法を合成した魔法式が新規に出願されたとあれば、魔法開発業界だけでなく、学界にも激震が走るような大事件だ。魔法開発者を志す彼女の耳に入らないはずがない。

「いやあ、やっぱ、あんなものは誰でも思いつくよねえ」

 サーシャの後ろで、ロッシュがへらへらと笑いながら言った。サーシャが彼を非難の目で睨みつける。そして、彼女はまた窓口で済ました表情を続けるカミングス女史に視線を移して、語気を強めた。

「ベイリー先輩! もう一度、明細書をよく読んでください!!」

 ファーストネームを呼ばれたベイリー=カミングスの表情が、途端に険しくなった。眉間にシワを寄せ、サーシャに顔を近づけて、小さいながらも怒りを込めた口調で囁いた。

「おい、先輩とか呼ぶなよ? 公私混同とか思われると、あたしのクビが危ういだろうが」

 ベイリーが凄むも、サーシャは一歩も引かない構えだ。互いに睨み合う二人を見て、ロッシュが首を傾げて質問した。

「知り合いなんですか?」

「大学のゼミの先輩なんですよ」

 サーシャが答える。その言葉通り、ベイリーはサーシャの所属するセントラル魔法大学の卒業生だ。大学卒業後、国家公務員として特許庁に入庁。現在はその出願窓口担当として職務に当たっている。
 彼女がサーシャと出会ったのは、魔法開発学のゼミでのこと。僅か十四歳で入学した天才少女サーシャベイン=クリストフの非凡な才能に驚かされたうちの一人である。
 ベイリーは大きくため息を吐いて、その黒髪を掻き上げた。

「よりにもよって、あんたが来るとはね……」

 そう口にして、恨めしそうな目でサーシャの顔を見つめる。
 彼女はサーシャが苦手だった。二人が同じゼミで過ごしたのは僅か一年間だけだったが、サーシャが絡む思い出には、どうにも良いものがないのだ。四つも年下でありながら、討論の講義で彼女にこてんぱんにやり込められたこともあった。サーシャが全く物怖じせずに教授たちの議論に絡んでいき、結果、夜通しその議論に付き合わされたこともあった。また卒業論文発表の場において、サーシャは誰よりも鋭い指摘を飛ばし、その結果、ベイリーは論文の実に二十ページ以上を書き直さなければならなくなったということもあった。
 そのように、優秀すぎる故に年少者としての謙虚さを欠くところが、ベイリーが最も気に入らないところである。――もちろん欠いてしかるべきほどの優秀さが彼女にはあるし、彼女自身は謙虚たろうと努力しているのは十分伝わるのだが、それがベイリーにとってはまた実に面白くないのだ。

「先輩、この魔法式は、昨日まで無かったものです! 私が言うんだから、間違いありません!!」

 サーシャは高らかに宣言し、一度返された明細書を再度突き返した。その言葉がまた癪に障ったのか、ベイリーはまた大きく息を吐き、「あー! もう!」と一声上げると、その明細書を乱暴に手に取った。

「じゃあ、特別! 特別に! もう一回だけ読んであげるけど、それでダメなら諦めなさいよ!」

 そして、彼女は十二ページにも渡る魔法式の明細書をパラパラと捲り、ざっと目を通すと、すぐさまそれを突き返して言った。

「……はい、読んだ! 真に!残念!ですが!先に申請されたものと、まーったく!同じ魔法です!!」

「大して読んでないじゃないですか!」

 サーシャが抗議の声を上げて立ち上がると、ベイリーもまた勢いよく立ち上がって叫んだ。

「読む必要が無いからだよ!」

「何で!?」

 サーシャもまた叫ぶ。陰険な空気が二人の間に広がると、不意に咳払いの音が響いた。ベイリーの背後に座っていた、彼女の上司によるものだ。それを聞いたベイリーが、ゆっくりと椅子に腰かけながら、自身を落ち着けるように静かな口調で理由を告げた。

「確かに、あんたの言う通りよ。こんな魔法、昨日まで見たこともなかったわ。……でも、一体どうしてなのか、私も全然分からないんだけど――」

 そして、明細書をサーシャに突き返すと、得意げな笑みを浮かべて口を開いた。

「この明細書とまーーーったく同じ魔法式が、あんた以外に七件も申請されたんだよ! 今日だけでね!」

「な、七件!?」

「七回も同じ明細書を見れば、もうほとんど覚えちゃってるの。つか、朝から同じ明細書を、しかもこんな複雑な魔法式を、七回も読まされる身にもなってみろっての!」

 その言葉に愕然とするサーシャ。一方でベイリーは、「ああ、あんたので八回目だけど」と付け足した。そして、確認を取るかのようにサーシャに語り掛けた。

「先願主義、知ってるわよね?」

 『先願主義』とは、先に出願した者に特許を与えるという制度であり、サン=トゥヴァ公国においてもこの制度を採用している。同じ発明であった場合、出願が早かった方に対して特許権が認められるということだ。つまりは、早い者勝ちということである。
 今回、新型オーブンの特許に関して言えば、ロッシュとサーシャは八番目の出願となり、どうあがいても特許権を得ることは不可能である。彼らは出遅れたのだ。
 サーシャがベイリーの問いに答えつつも、動揺を隠せない。

「そ、そりゃ、もちろん……。で、でも、七件!?? 今日だけで!???」

「あー、この場合、最初に申請された方の特許になりますので――」

 戸惑うサーシャをよそに、ベイリーは通常の“冷静なカミングス女史”モードへと戻った。淡々とした口調で、冷たく言い放つ。

「残念ですけど、諦めてください」

 それでもまだベイリーの言葉が信じられず、サーシャは呆然と宙を見つめて呟いた。

「ど、どうして……?」

「へえ、偶然ってあるもんだねえ」

 サーシャの後ろで、ロッシュがさらりと言う。

「偶然!? これが偶然だって言うんですか!?」

 サーシャが振り返り、またロッシュを睨みつけた。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。ロッシュはにこりと笑い、冗談めかして口を開いた。

「シンクロニシティってやつかねえ」

 シンクロニシティ――意味のある偶然の一致のことである。何かしらの原因で、ロッシュを含めた八人の人物が同じ時に同じ着想を得て、そして同じ日に出願した、という不思議な偶然が起こったのだと、彼はそう言いたいのだ。
 だが、そんな説明のつかない不可思議現象をあっさりと受け入れられるほど、サーシャは非科学的な人間ではない。

「そんなの……! 迷信ですよ!」

 ロッシュの言葉をその一言で片づけると、彼女は涙目のままでベイリーに詰め寄った。

「他に申請したのって、誰なんですか!?」

「言えないわよ。言ったら、守秘義務違反であたしがヤバいから、絶対言わないわ」

「今度、『ローマンズカフェ』で奢りますから!」

「堂々と買収しようとすんな! 後ろで課長が見てるんだから!!」

 ベイリーが顔をしかめ、右手で“しっしっ”と追い払う仕草をした。それでも必死に食らいつこうとするサーシャを、ロッシュが諫める。

「まあまあ、仕方ありませんよ。他に七人も同じこと考えてたんですから」

「で、でも……! それがまったく同じ日だなんて、絶対におかしいです!!」

 サーシャの声はいつしか涙声に変わっていた。目に浮かんだ涙は、やがて大粒となり、ゆっくりと彼女の頬へ流れ出る。涙を流し、今にも取り乱しそうな彼女の様子にベイリーは驚いたが、そこは彼女のために、あえて事務的に対応することとした。

「申し訳ありませんが、今回はお引き取りくださいませ。――はい、次の方どうぞー」

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