魔戒戦艦天照

松井康治

文字の大きさ
上 下
13 / 15

第十三回 従軍記者 前原洋介の記事

しおりを挟む
 本年7月26日に生起した「鹿児島湾口海戦」は鹿児島侵攻を目的とした庖国艦隊とそれを唯一察知した我が国の魔戒戦艦天照との戦いで、圧倒的な戦力差にもかかわらず、天照がほぼ一方的に勝利した、戦史まれに見る奇跡と言っても良いだろう。

 庖国側は戦艦1隻、巡洋艦3隻,駆逐艦11隻、輸送船16隻、揚陸艦1隻が沈没、死者4万人を超える大敗北となった。庖国は保有する水上戦力の大半を失った事にもなる。方や天照は負傷者を出したものの死者無しだった。

 これだけの差が出たのは奇跡的ではあるが、やはり天照艦長杉坂大佐の採った奇策が見事にはまった事による所が大きい。奇策と書いたがあれ以外打てる手があったかというと筆者は想像すら付かない。

 従軍記者として天照に乗り込んでいた筆者は、庖国艦隊に突撃する前に杉坂大佐が艦内に放送した言葉を聞いて皆が死を覚悟していたことを知っている。杉坂大佐の作戦と彼らの祖国に殉ずる強靱な精神と日々の鍛錬があったればこその奇跡的な勝利と言って良いと思う。

 一方で庖国艦隊襲来に備え、屋久島南方に展開していた第一艦隊は、戦闘に何ら関与すること無く危機にさらされた鹿児島と天照を見捨てて佐世保に帰投した。司令官粟方中将の行動は世論のみならず、軍内部からも非難された。庖国艦隊よりも遥かに優勢な戦力であったにもかかわらず何故そのような行動をとったのかは不明である。

 粟方中将はその後、北海道函館基地司令に転任した。事実上の左遷と思われる。

 追記すると同様に出撃していた第二艦隊はさらに遥か南方、沖縄沖に展開していたため、間に合わなかったとされる。

 政府の対応も批判された。庖国から宣戦布告文書を受け取ったにもかかわらず、徳山内閣が軍に対して国防作戦を発令した頃には既に天照が庖国艦隊と交戦中だった。だがこれは庖国大使が外務省に渡した宣戦布告文書の内容があまりに曖昧だったため、その解釈と判断に遅れてしまったためだとも言われている。

 杉坂大佐は天照が戦没し、戦闘詳報を失ってしまう可能性を考慮して、戦闘の様子を平文で外部に発信させていた。それを軍のみならず新聞社、ラジオ局なども受信し、新聞社は号外を、ラジオ局はそれを全国に放送し、それはやがて全世界に伝えられた。

 侵略目標だった鹿児島市内ではかなり前から港湾の倉庫会社を庖国工作員が乗っ取り、数ヶ月分の武器弾薬などの軍需物資を密輸、備蓄していた。さらに庖国は鹿児島市内に移民を大量に送り込み、植民地化への布石を置いていた。その移民達も戦力とするために武器を供給していた。実に準備に時間をかけた侵略作戦だったことがうかがえる。

 その情報を察知した鹿児島県警と特別高等警察、陸軍国分駐屯地の部隊等の共同作戦でそれらを制圧。機密書類を発見し、一部ではあるが庖国の鹿児島侵略作戦の実体が明らかになった。
 その後の調査の結果、移民と称する多くが密入国者、不法滞在者である事が判明、取り調べの後移民として鹿児島にいた庖国人ほとんどが強制送還されることになる見通しだが、既に生活基盤が鹿児島に移っている者も少なからずいて、また革新派と称する弁護士や活動家たちが異を唱えており、多少の混乱を招くことになりそうである。
  明らかな更衣兵であり、戦時国際法の重大な違反行為で死刑に処するべきであるが、我が国のこの対応は甘いと言うべきか人道的と言うべきか、いずれにせよ禍根は残りそうである。

 七月二十八日に庖国は沈没する民間船の向こうに天照が見える写真を発表し「艦隊は移民団を乗せた船団を護衛していただけで、天照は移民を大虐殺した」と大々的に非難する声明を出した。
 だが間もなくしてその写真は2年前に沈没事故を起こした民間貨客船‘大連15号’事故時の写真に、公開されている天照の写真を乱暴に合成した物だということが発覚。戦闘中に天照から撮影された庖国輸送船や魔獣等の写真、動画が公表されるに到り、国際世論は皇国を支持、庖国を非難する色に染まっていった。庖国は捏造だと主張したが、耳を貸す国は殆ど無かった。

 庖国が大敗し、戦力が減少したことを受けて、北方の研、西方の養の両国が庖との国境地帯に軍を集結させているとの情報があり、この情報を受けて、皇国では在留邦人の救出作戦を立案中との事である。政治上、庖国とは戦争状態であり速やかな邦人救出が望まれる。

 天照は現在横須賀にて入渠中である。戦闘による損傷の修理、補修のみならず、改装などもあるためやや長めの入渠になる予定とのことで、乗組員達は交代で久し振りの長期休暇となった。

 杉坂大佐も休暇で帰郷し、故郷に錦を飾ることとなりそうである。

 なお、此度の天照の功績を称え、杉坂大佐を始め天照乗組員達に勲章が授与される見通しである。その暁には杉坂大佐や副艦長の井上中佐に優先的にインタヴューをさせてもらう約束を取り付けてあり、近いうちにその記事をお伝えすることをお約束してこの記事を締めたいと思う。

 正輝十八年八月十二日 連合通信 前原洋介
しおりを挟む

処理中です...