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第一章 旅立ち

#19 自問自答

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 リュシファーの自室――。

 部屋の中にはリュシファーが、先程の雨に濡れた髪の毛をそのままにして立ち尽くしていた。
 リュシファーの立つ位置から少し先に、まだ新しめの絨毯の濡れ染みがある。リュシファーはその一点を見つめたまま、ただそこに立っていた――。


『――今の……何?』


「……はぁ…………」
 リュシファーは、何度となく溜め息を吐きながら自問自答を繰り返す。

 
 今から三十分程前、東塔塔上でうっかり呟いた一言を、ミグに聞かれてしまったリュシファーは、ミグを部屋に連れて来た――。絨毯の濡れ染みはミグのものだ。

 搭上でミグに服を掴まれて、振り返った時、まるでそこにレティシアが立っているかのように錯覚した程、ミグとレティシアはさすがは双子――恐ろしい程によく似ていた。
 既にミグから投げられていた言葉にも、さぁぁと血の気が引いていたが、そのレティシアと同じ顔を見た時、逃げられないと知りながらも、この現実から逃げたくなった。
 しかし――。

 ――逃げ場はない。

 そう告げられているように、ミグの瞳はリュシファーにまっすぐに向けられていた。動揺も恐怖も言い訳を思考しようとしていることも、全て見透かされているようだった。

 ――誤魔化そうとしても、無駄だから。

 ミグは、僅かな表情の変化を見逃さずに捕らえそうな程、まっすぐな視線で、リュシファーを射抜くように見ていた。

 ――話してくれるまで、離さないから。

 ミグは無言のまま、ただ真実の言葉を待っていた。
 決定的なひと言を呟いてしまっている以上、誤魔化しは効かない事など、もうとっくにわかっている。
 リュシファーは深く溜め息を吐いて、困ったような表情を浮かべた。話すより他ないのである――。
 二人とも雨に濡れ続けたまま話をしては、さすがに風邪でも引きそうだったので、ミグを部屋に連れて来た。

 そして、全て白状した――。

 ただ、全てを話すと言って自室にミグを招く途中、リュシファーはあることを思い付いた。
 仮に全て白状したとしても、ミグのその記憶を消すことができる方法を――。それは、『喪失草』という記憶を失わせる薬草をミグに飲ませるというものだ。飲めば、前後三十分程の間の記憶が失われる。
 紅茶の茶葉の中にこれを混ぜたとしても、苦味もクセもない喪失草は、全くミグに気付かれることはないだろう。
 部屋に人を招いたらお茶くらいは出すものだし、雨に濡れて冷えた体を温めるという意味でも、何の疑いもなくお茶を口にするだろうという事も考えると、ミグに出すお茶に混ぜるのが最適な手段だった。
 この喪失草は、記憶を失わせる以外の副作用などもなく、体内に残留する成分もない。つまり、この記憶の消去行為自体がバレることはまずないと断言できたが、もしこれがバレれば罪となる行為である事も、リュシファーは勿論わかっていた。罪の意識を抱えて生きる覚悟はできていた。
 しかし、これでミグは聞いたことを綺麗さっぱり忘れてくれるのなら――そう思い、リュシファーはミグに喪失草を混ぜた紅茶を出したのだが…………。

(……く、くそ! 何故、ひと口も口を付けない……!)

『――そ……んな……⁉︎ 全然――知らなかっ……お、俺。頭追いつかないみたい。――っちょっと、マジで頭こんがらがってるから、少しひとりで頭整理してから……発言する。ごめん。リュシファー、また話そ』
『あ、ミ……ミグ……っ』

 さっさとそう言って部屋を去っていったミグは、リュシファーの画策を見事に回避した――。カップを手に持ちもしなかったのである。
 一応、話す前にこれはずっと機密事項として内密に進められて来た話を偶然聞いてしまって知っただけだから、レティシアには勿論、誰にも話すなと前置きして話してはいる。しかし、ミグが“少しひとりで”考えた後、どう出るのかは正直わからない。
 ミグの行動は読めない所があるし、それに頭がいい。
 
「はぁ……くっそ……」

 リュシファーは、ミグが去った後で魔法でそのお茶を蒸発させて、ちゃんと証拠隠滅は図ったものの。計画が失敗に終わり、話したことを後悔していた。しかし、記憶の消去に成功していたとしたら、リュシファーは罪の意識に苛まれていたが、そうならなかったことに安堵もしていた。
 
(まさか、飲まないとは……誤算だった。もしかして、何か勘付かれていた……か? 知っていた……それとも、ただの運か? そして、やはりこの事実を知らなかったから、かなり驚いていたな……。頭が追いつかないよな……皆そうだ。知っている人物はごく少数……)


 以前から、第一王子エルトがご公務でダムルニクス公国へと、頻繁に足を運ばれていたのは知っていた――。
 そして今回の夏季休暇でのダムルニクス公国滞在期間中に訪れるレティシア達の誕生日を、あちらで祝う計画の裏で、婚約発表という本命の重大イベントの綿密なやり取りをも、進めて来たに違いない。
 エルト殿下はきっと、ずっと前から全てご承知だっただろう。
 思い返してみると、酔ったエルトが意味深なことを言っていた事があった――。

『――はぁ……王女になど生まれなければな……』
『え……? 突然どうしたんですか?』
『……いや。最初から全く好きでも何でもない男女が、家に決められたからという理由で結婚し、たとえきっかけはそうであっても……恋人同士のようにお互いに好きになれたというケースは、どのくらいあると思う……?』
『……こればっかりは相手次第……でしょうし、言ってみれば運のようなものですかね……』
『運……か……。そうだな……運よくそんな相手なら問題ないだろうが……。そうじゃなかったとしても、どうにもならん現実から逃げる事もできない。そうして、幸せになどならず……哀しく寂しく虚しい日々を生きた女性のことを、俺はよく知っている……』
 リュシファーは、すぐに前王妃ソフィア――エルトの母親の話をしていることに気付いたが、知っていると言うわけにはいかない。
『えと、王女になど生まれなければ――って、さっき言ってましたけど、も……もしかして……?』
『ふふ……いいや。レティシアもいつか……そんな幸せと不幸の賭け事みたいなものをせねばならんと思うと、可哀想で……。勿論、互いに好きになって、幸せになってくれればいいが、もし、その時が来て……レティシアが嫌と言うなら、一緒に謝って父上に抗議してやってもいいくらいだ……。そして、それでも駄目なら……その時は、リュシファーお前、レティシアを攫ってはくれないだろうか』
『は……はぁ⁉︎ 飲み過ぎて酔ってるんですか? 何サラッと人を反逆者に仕立てようとしてるんですか』
『……はぁ……そうだよな……。しかしな……お前が城に来たばかりの頃、レティシアがお前に出された宿題がわからないと、俺のとこに来て……教えてやったんだが……。その時にお前の事を聞いたんだ。新しい教育係はどうだと……』
『……はぁ……それで? 大体の予想はついてますが……姫様は何と?』
『いや、珍しく褒めていたぞ。怒ると怖いし、宿題多いし、性格サイアクで……めちゃくちゃムカつく奴だとか――』
『……そ、それのどこが褒めていると? 全く……予想通りひどい言われようですね。明日、姫様のだけ宿題増やしてやろうか……』
『あぁ、違う。誤解だ。そう“言いながら”だ。……お前、初日からレティシアの事、救ってやったんだって……?』
『しょ、初日――ってまさか……! あ、あの話をお聞きに?』
『まあな。事故のこと、お前も災難だったな……だが、運良くじいも遅れて部屋に来たし、足を痛めてしまったのをお前が部屋まで連れて行ってくれたと……。じいにも、全て黙っていてやったらしいじゃないか。だからレティシアも、そのおかげで事なきを得たというその話を、“頼んでいないのに”とか“ムカつく”という言葉を付けながらも、話した後、最終的にこう言った。“何だかんだ……優しいいい人だとは思う。そう思うからこそ、ムカつくのだ”と話していた』
『え……えーと……。そ、それ、本当に褒めてるんですか……結局、ムカつかれているような……』
『ははは。お前はまだレティシアの事を、何もわかってはおらんな……レティシアなりに褒めているとも。そうそう。それから……何より顔が超絶イケメンすぎて、カッコいいから、ちょっとムカつく時もあるけど、まー許してあげてるとも言っていた』
『……ぷっ……はは。何という上から目線のムカつく評価を……で、何か俺から脅迫されたとか、言ってませんでしたか?』
『は? きょ、脅迫? し、したのか?』
『……いえ、勉強するのは当然の事ですから、どうってことはないんですが、その遅刻の事実やら衝突事故の事を、このまま黙っていて欲しかったら、ちゃんと勉強してくれるようにお願いしました。それを大袈裟に姫様が脅迫と話しても、おかしくはないと……』
『……ぷっ……だから珍しく宿題をちゃんとやろうと、俺の所に来たのか……。しかし、それは言っていなかった。ま、それはレティシアが悪いからな。このまま俺も聞かなかったことにしよう。はは。まあいい……とにかく、見つからないよう、遠くに逃げてくれ。エンブレミア兵からも、お前なら逃げ切れるだろう? 金がいるなら言えばすぐに送るしな――』
『――え……その話まだ続けるんですか……。お断りします。ほら、飲み過ぎですよ』
『……そうか、お前になら任せても良いと思ったんだがな……』
『……え?』
『あーいや、はっはっは……自分で言ってて笑えて来てしまった。友を反逆者や逃亡者などにしようとするなどと……私も自己中心的な。いや、忘れてくれ。ほら、飲め。リュシファーも何か吐け。愚痴でも何でも聞くぞー今夜は飲むぞ~』
 ――当然、それ以上はお止めしてそろそろと部屋を失礼させていただいたが、その政略結婚の話はの話だと思っていた。

 エンブレミア城に来てからというもの、時々こうしてエルトに酒に誘われることがあったが、思い返してもみればそれは全てダムルニクス公国から帰国した日だったことにも、先程気が付いた。
 この件に関しては、エルト殿下自身も思う所があるのだろう。
 しかし国家間の事に、実際は口出し出来ない無力さに苦しんでいたのだろうか――。

 リュシファーは、時刻を見た。
 十八時一分。夕食前にはまだ少し時間がある。
 リュシファーは、一応、第一王子エルトの部屋を訪れ、話を聞きに行った。当然、盟約の事を知った事実を明かすつもりはないが、エルトの顔色を伺ってみたり、明日の予定について、どんな国なのか、王子はどのような人柄なのかなど、リュシファーなりに情報を得ておくことにしたのである。
 ――――…………

 そして、部屋に戻り、ベッドの上に横になって、色々と考えていたリュシファーは、気付けば眠ってしまっていた――。
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