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第一章 旅立ち

#21 こんな嵐の夜に

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 翌零時頃のこと――。
 いよいよ雨風が強く吹き荒れ酷くなって来た頃、エンブレミア王国では、第二王子ミグ、第一王女レティシア失踪の事実が国王陛下に報告された。案の定、目付け役リュシファーは責任を問われ、国王の怒号を浴びることとなった。
『――目付け役のお前が何をしておった!』
『も、申し訳御座いません……!』
 一語一句、予測した通りの怒号に、リュシファーはただただ深々と頭を下げた。
 当然、二人の失踪原因となり得る国家の機密事項を、絶対に漏らしてはいけない相手に流出してしまった事実など、とても今の国王の前で口にする事などできる筈はなく黙っていた。
『……いや、良い。……あいつらは一体何を考えているのか。全く、子供というのは気苦労が絶えんな。……こほん。とにかく、これが誰にも予測できなかったことだという事くらい、私にもわかっている。謝罪などよりも、一刻も早く二人の捜索に当たるように。あと――』
 国王は、捜索を秘密裏に行うよう念を押すと、捜索兵およびリュシファーに二人の捜索を命じたのだった。
 外部に漏れてはマズイのだろう。特に、ダムルニクス公国に――。
 捜索部隊として編成された兵達が揃うのにも時間を要したため、結局、実際に捜索兵およびリュシファーが城外へと出発することができたのは、翌一時頃になっていた。
 しかしこの翌一時頃――、雨風が一層エンブレミア王国周辺に猛威を奮っている時間帯であった。捜索は、城下町だけで中断せざるを得ず、捜索兵もリュシファーも町の外には出られず、酒場や宿屋で燻るしかない状況下にあった。
 飲み過ぎない程度に酒を飲みながら、兵達は二人の行方を案じて話し始めた。
「はぁ……見つかりませんね。天気は最悪だし、御二人とも一体どちらへ……」
「はぁ~あ。俺、非番だったのに……。早く見つけて、とっとと帰りたかったんですがね」
「非番の所、悪かったな。明日、公国に御出立される御予定だった事もあって、今回ばかりは非番の者も呼べと陛下がな……。しかし、もう明日の公国行きには間に合わないだろう……」
「兵士長~仕方ない事くらい承知してますよ。まったく……ウチの王子と姫妖精ちゃん達には困ったもんだな……」
「町にいないんですから、確実に町の外でしょうね……。ま、こんな嵐の中じゃ、僕達と同じく先に進む事ができないと思いますから、きっと雨風が凌げる所で休まれていますよ」
「んーそうかな……? もし抜けた事がバレたら、こうして捜索兵が放たれる事なんて、御二人ともお分りの筈だ。俺らに追い付かれないよう、先を進まれているかも……」
「ま、まさか……。夜は魔物も増えるし、この雨風では視界も悪い。そんな中を進まれるのは危険だと――いや、確かに王子なら……あり得るかも……。この嵐を好都合と考えても、おかしくないかもしれませんよね……」
「――それな。王子は魔法にも秀でていらっしゃるから、危険も回避できそうだしな。しかし、そうなると心配なのは姫だ。魔法はダメ、剣術も……確か、指導自体が中途半端に止めさせられたんだったよな。それも、ほんの護身術程度の段階で……その程度じゃあなぁ」
「う~ん。直接手合わせをしてないから、正直、姫様の腕前は知らないが……。もしお相手する機会があっても、暗黙の了解で、俺達は手加減して差し上げなくちゃなんないわけだ。だが、そうやって手加減なんてしてくれやしない魔物相手に、姫がお怪我でもされたら……」
「「「…………」」」
 兵達は皆、陛下の怒号が聴こえてくるようで、ぎこちなく微笑み合って、一人が言った。
「――俺達はその時、町の外にすら出ていなかった……」
「うわ……や、やめろよ。だ、大丈夫だって。ちゃんと、王子が守ってくれてるさ」
「つーかよぉ、一つ大事な事、忘れてるぜ?」
「大事なこと~?」
「そうだ。今日、この雨風でさみーけど、姫、大丈夫かって事だ」
「「「……あ」」」
「そ……そうだ……! あの御方は、お身体もあまり丈夫では……確かすぐ熱出してたよな? それも高熱」
「――あぁ姫……もう何だってこんな嵐の夜にっ。せめて晴れてる日に失踪してくれよ……」
「「「はぁ……」」」
 やはりレティシアが心配なので、やはり町の外に出ると言い出した兵を、兵士長テヴァンが引き留める。
「――こら、落ち着け。姫なら大丈夫だ。この嵐の中、単独行動は許さん」
「す……すみません。つい……」
 兵士長テヴァンの冷静且つ厳しい口調のひと言に、兵達は思わず沈黙し、酒場を出て行こうとした兵も席に戻る。
 兵達は、兵士長テヴァンが『姫なら大丈夫だ』と、きっぱりと言い切った事にも驚いていた。
 その後、皆それぞれその根拠を考えてみたが、どこにも大丈夫な要素はない。兵達は、皆ぎこちない笑みが浮かび、互いにチラチラと視線を交わしては首を傾げていると、一人の兵士がその沈黙を打ち破った。
「……は、半年以上前ですけど、姫が“道連れワーム”の毒に侵されたと、騒ぎになった事あったじゃないですか。その時、城を抜け出して、たったおひとりで森に魔物退治へと行かれた事が明らかになりましたよね? 改めて考えると、おひとりで行って帰城して来られたのですから、姫の剣の腕前について、そんなに心配する程でもないのでは……? とはいえ、お身体の事については僕も心配ですが……」
「……ふむ。それは一理あるな。剣術の指導を中断されてしまってから、姫の腕前を知っているのは……多分王子だけだろうな。武道大会なんかも、陛下が姫の参加はお許しにならなかったしなぁ。当日、とても不服そうに貴賓席に座っておられたよな……。しかし、森へ行って帰って来たのはいいが、さすがに目的の魔物は退治していないだろう? 途中で引き返して来たんだとは思うけどな……。これは王子にも言えるが、実戦については、御二人とも圧倒的に経験不足なのは確かだから、領地の外に出られると心配になっちゃうよな……。姫なんて、あの時死ぬかと……」
「お、俺も……」
「……道連れワーム――アイツの正式な名前、ギ――なんだったっけ? ギガント……あれ? なんか異名の方が有名だから、名前忘れちまったな」
「ギ、ギーモズガルドワームですよぉ」
「あぁ、それ。そのギーモズなんとか――いや、もう道連れワームでいいか。雑魚のくせに長ったらしい名前だ。とにかく、アイツの毒は……侵されても、毒が全身に回り切るまでは、確実に非活性――。しばらく体内に留まり、とある時点で突然、活性化を開始した後は……じわじわと痛ぶるように、死へと陥れていくという特殊な毒だ。俺ら兵達は全員、『対・道連れワーム毒用の解毒剤』を所持しているから、万が一の時にも心配は要らないが……。姫はそんな必須アイテムも、何も持たずに森へ……。それから、アイツは死ぬ間際に、全身からその厄介な毒針を出現させるから、遠距離攻撃で倒せというのが鉄則――。こんな事、もはや常識だったのに、姫は近距離攻撃で倒すなんて。はぁ……無茶苦茶だ」
「し……仕方ないですよ。姫は道連れワームの存在すら、御存じではなかった。知らなかったなら、あのトゲトゲに刺さったか掠ったかしてしまったとしても、それが毒針である事も理解できないですから」
「そ、そうだけどよぉ。言ってくだされば、こっそり内緒で弓兵と魔法兵と僕が御供してやったのにな~。これだから世間知らずのお姫様は……」
「こ、こらこら、聞き捨てならん台詞が聞こえたが……はぁ……そうする前に姫をお止めしろ。しかし、結局、毒が活性化したのに生存した者の情報を、誰かが入手したおかげで助かって、本当に何よりだったな……」
「本当に良かったですよ。単純に解毒剤の量を増やし、手足を揉んで血流を促進させたりしただけだったんですよね。ただ毒と解毒剤とのせめぎ合いじゃないが、どちらにしても姫は相当苦しむことになるし、耐えられずに息絶えるかもしれないとも言われ、カンタンな話ではないと医者は言ったらしいけどな……。過剰に解毒しようとするから、解毒された後もひどい倦怠感に襲われ、しばらく御静養も必要になったし……助かったのは良いけど、やっぱこえーよ。道連れワーム……」
「そうだな……。あの時、陛下が城の皆の気持ちを察してくださって、面会時間が設けられたから、姫の部屋の前に行列ができてたよな。皆、姫の無事な姿見たら次々と泣くもんだから、姫のお見舞いに行ったつもりが、姫に慰めて貰いに行ったみたいになってしまったんだよなぁ……。はぁ……今思うと、姫、絶対まだ平気じゃないのに……気遣わせたよな」
「……め、面会初日の話ですか? それ」
「あ、あぁ。そうだ」
「……えと、僕、姫がちゃんと静養しているように、姫の部屋の前に見張りとして立つよう、陛下に命じられてたんですよね。面会初日の日は、まだお辛そうでしたからね……。休憩から戻ってくると、姫は疲れてしまったのか、しばらく眠っておられました」
「や、やっぱり……。つーか、姫の面会列の状況を調べに、面会時間前にも姫の部屋の前に、足を運んだりしてたけど……見張りなんて立たせてたか?」
「……あ……はは。じ、実は……姫に、その御挨拶をしたら、『ふーん? 父上も用心深いな……。いつも思うんだが、この部屋は、ミグの部屋と続き部屋になっている。別にお前の見張りを突破しようと思うわけではないが、部屋の中で見張った方が、確実ではないか?』と仰られまして……実は部屋の中に」
「ロッシェ、てめぇ……姫の部屋に……⁉︎」
 ロッシェと呼ばれた当時見張り兵だった兵は、兵の中ではまだ十代と若い兵である。
 陛下は何故、こんな見習い兵なんかにそんな美味しい――いや、重要な任務をと誰もが思ったことだろう。
 刺すような皆の視線に苦笑を浮かべながら、ロッシェは答える。
「ひ、姫が『私が許可する。まだ身体がしんどくて動けぬから、用事頼めたりできると、ありがたいしな……。あと、見張りなど暇ではないか。わ、私も退屈だしな。部屋の中にいろ』と仰ったので、それでも断ると……少し姫がしゅんとされまして……。はぁ……僕にはとても断れませんでした」
「く……くそ、わかるぞ……!」
「……いや、それでいい!」
「……う……羨ましい……!」
 兵達が口々に言う中、ロッシェはその兵達と共感した後、レティシアが目を覚ました後は、兵達から次々と渡された大量の解毒剤をどうするか、頭を悩ませていたことを明かす。
 面会に来た兵達はほぼ全員、レティシアに解毒剤を渡し、そして、こっそりと『今度、城をこっそり抜けてどちらかに行かれたいのであれば、内緒で御供して差し上げますので、おひとりで無茶をされないでください』という言葉をかけていたのである。
「「「……ちっ。皆、考える事は同じか」」」
「――結局、姫の思い付きで、その解毒剤でドミノ倒しを作って、姫と王子と遊びました」
「げ、解毒剤がそんな遊びに使われていたとは……」
「それはそうと、とにかく、実は……その後、姫がまたそんな所に行かないように、森の奥地に住むその魔物を倒して来るよう、陛下は数名の兵を編成されました。僕、そのメンバーにも選抜されて……。でも、その魔物はどこにもいなかった。……姫が倒したのか、誰かが倒したのかわかりませんが、とにかくいなかったんですよ。だからもしかしたら――」
「――い、いや……さすがに、姫がひとりで倒したとか、あり得ないだろ……女の子だぞ? それも、お姫様。そんなわけ――」
 非番で駆り出された兵士が、苦笑を浮かべながら口にした言葉に、兵士長テヴァンは溜め息を吐くとこう言った。

「――いや。俺は、姫が倒していてもおかしくないと思うぞ」

「へ、兵士長……?」
 皆の視線が兵士長テヴァンに集まる。正直、何言ってんだコイツくらいの視線だった――。兵士長テヴァンは、残り酒を飲み干すと、再び溜め息を吐いてから静かに話し始めた。
「はぁ~……お前達、さっき姫様は俺達が守ってやればいいなどと言っていたが、姫様を女の子として見くびらん事だ。確かに、授業で教えたのは護身術程度だ。しかし、それは俺のせいでそうなってしまっただけだ……今でも後悔している」
「ど、どういう事ですか?」
「……王子より、姫の方が目を見張るものがあった。姫は、金の卵のような逸材だと、俺は思った。陛下が姫の剣術の指導を中断させたのは、俺が……姫は物凄く筋が良いと、陛下にお話ししてしまったからだ。俺は陛下が、御喜びになられると思った。……だが、青褪めた顔をした陛下は、指導中断の指示を俺に下した……」
「な⁉︎ ひ……姫が……? な、何の……冗談です……?」
「冗談でこんな話をするとでも……? おそらく、それが王子の方に対する評価であったなら、陛下は喜ばれたのだろう。姫だったから、陛下は喜べなかったんだろう……」
「……う、嘘だろ……?」
「ま、まさか……。え、えと、具体的には姫はどんな感じで、そう見えたんですか?」
「……姫にも剣術の授業をしていた頃、全力でかかって来て貰い、悪い所を指摘して指導するつもりで、俺は姫にそう言った。しかし、その時、俺は完全に姫を侮っていた……。あの筋の良さと、勘の良さに驚かされたよ……。それに身軽さを武器に、一瞬で間合いに入って来られたかと思った次の瞬間には、もう姫に懐に入り込まれていて……。は、速い……! そう思って、思わず剣を握る手に力が入ったその時、姫は勝利を確信したのか、笑みを浮かべられた。それは、まるで“終わったな”とでも言われているようで、俺はひやりとしたんだ……」
「へ、兵士長が……ひやりと……?」
 兵士長テヴァンの意外なひと言に、皆、眉を顰めた。
「……あぁ。おまけに幼い姫は、多分、指導者は何があっても自分よりも強くて、必ず攻撃を避けてくれるものだと、お思いだった。つまり、本気で俺を斬るつもりで挑まれていたという事だ。だから、もし、あの時……俺がマズイと判断し、力の差で姫の剣を払い落としていなかったら…………。多分、俺は姫に傷を負わされていた……。そして事もあろうか、姫の剣を払い落とした後、俺はあんな子供相手に、思わず本気でその動きを止めるため、素早く姫の背後に回り、喉元すれすれに剣を当てがってしまってな……。喉元に剣など当てがわれた事などなかっただろう姫は、青褪めた顔をして息を呑んだ。じわっとその目には、涙が溢れ出ていた。……つい本気で自分の危機を脱しようとして、一気に肩を付けてしまった事を後悔した。姫を宥めようとしたが、姫は絶対にその涙を溢さずに……泣くのを我慢しておいでで……」
 レティシアのその姿は、誰もが想像できた。皆、レティシアが負けず嫌いである事も知っている。
 じいんと痺れたであろう右腕の痛みにも、これまで手加減されてきて、知らなかった実践のような気迫に対する恐怖にも、いつもは手加減されていた事に気付いた事にも、その悔しさにも……レティシアは泣きそうだったのだろう。
「え、うっわ……兵士長やりすぎですよ。子供相手に……」
「わ……わかってるよ。でも、ああでもしなきゃ、俺は斬られていた。しばらく、あの時の姫の勝利の笑みとともに、本当に斬られてしまう悪夢を何度か見た程だった。その日は、そこで授業を終わりにする事にして、一応、謝罪をして稽古場を去る事にしたんだが、姫様は……俺の前では最後まで泣かなかった。しかし、俺が稽古場のドアを閉めてすぐだったな……。姫は『うっ……うええん。怖かったぁぁ~うわぁーん』って、わんわん王子に泣きついたようだった。王子が慌てて慰めている声が聞こえていたからな……」
「……うわ~兵士長、サイテー。姫、泣~かした。大人気なぁ~い」
「くっ……む、昔の話だ。お、俺もそう反省したさ……。あぁぁ、姫様ごめんなさいと戻って謝りたい気分だったが、あれだけ俺に涙を見せないよう我慢されていた姫様の事を思うと、グッと堪えたさ……。そしてその足で、俺はすぐに陛下がこの姫様の秀でた剣術の才を、報告しに行ってしまった。剣術ってのは、どうしても接近戦になる。陛下は、姫様に危険な真似をさせたくなかった……だから幼い頃に、危険要素を省かれたのだ。……姫にいつか謝らなければならないと、ずっと思っている……なかなか機会がないがな」
 兵士長テヴァンの驚くべき話に、皆、思わず閉口してしまっていた。
「……陛下の意向には誰も逆らえんから、従うしかなかった」
「こっそり――つーかバレバレであったが、姫が訓練を盗み見しに来ていた頃、お前達に基礎的な訓練のメニューを、わかりやすく姫にわかるように見せたりしてやれと指示していたのも、姫に剣術を続けて欲しかったからだ。だから、おひとりで森の魔物を倒したとしても、俺はおかしくないと思う。はは……。昔話をしちまったな……とにかく、だからミグ様は魔法、レティシア様は剣術。二人は上手いこと協力して御無事でいることだろう……。それにしても、いつまで嵐が続くのか……ひどくなる一方だな……」
「兵士長…………。そうですねぇ……」
 少し離れた席で、黙って兵と兵士長達の会話を聞いていたリュシファーは、手にした酒に一口も口を付けていなかった。
 とても酒など飲む気分ではなかった。
 こうして、皆が捜索に駆り出されたのも、全て自分のせいなのだから――。
 グラスを手にしたまま、リュシファーは溜め息を吐いた。
(はぁ……ミグ様が付いているから無事だろうと思うが……見つけたら、本当に連れ戻すべきなのだろうかとすら、思っている自分もいる。いっそこのまま――)
「⁉︎」
 リュシファーは、そう思考しかけて初めてグラスの中の酒を口にした。
(はぁ……何考えてるんだ……俺は……)
 早く止んで欲しいような、止んで欲しくないような雨風は、強まるばかりであった。

  
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