僕とピアノ姫のソナタ

麻倉とわ

文字の大きさ
6 / 32

    ②

しおりを挟む
 哲朗はベッド脇に置かれた冷蔵庫に歩み寄って、扉を開けた。取りあえず何か飲もうと思ったのだ。

「真山さん、喉かわいてませんか?」
「う、ううん。別に」

 ピアノにはりついている調の背中は痛々しいくらい硬い。

「じゃ、俺は飲ませてもらいます」

 哲朗は少し考えてから、冷蔵庫から缶入りの梅酒を取り出した。
 策を思いついたのは偶然だった。いつもなら迷わずビールを選ぶ。でも今は――。

「真山さん」

 哲朗は調の背後に近づくと、改めて名前を呼んだ。
 彼女が振り向くタイミングに合わせて梅酒を口に含み、細い顎を右手でしっかりと固定する。

「何、椎名く――」

 返事をしかけて半開きになっている、ふっくらした桜色の唇。
 哲朗は調にキスしながら、すかさずその口中に酒を流し込んだ。

 こくん、と白い喉が動いた。

 とたんに胸元に衝撃が走る。調に強く突き飛ばされたのだ。

「な、何? 今、何したの、椎名くん?」
「挨拶」
「あい……さつぅ?」

 たちまち白い頬が赤くなり、大きな目がトロンと潤んでいく。

「キ、キ、キスしたわね、い、今?」

 膝から力が抜けたらしく、調の体が前後に揺れる。

「キスでしょ? 今の、キスよね?」
「だから挨拶ですってば」

 哲朗は急いで彼女を支えた。あまりの反応の早さに、少しばかり動揺してしまう。

 もちろん口移しする量には十分気をつけたつもりだ。
 リラックスさせるためにアルコールを飲ませたのだが、くどき方を教えるのが目的なので、さっきみたいに酩酊されては話にならない。

「真山さん、しっかりしてください。俺のやり方を見せてほしいんでしょ?」
「あ……う、うん、そう……だけど」

 哲朗は調を抱えたまま、さらに梅酒をあおる。
 すでに前の店でもかなり飲んでいたが、酒の勢いがなければ自分もこの先に進めそうもないと思ったのだ。

 しかしその時、まったく予期せぬことが起きた。

「あの……椎名……くん」

 腕の中で、調が哲朗を見上げていた。メガネがずり落ちたために視界がぼやけるのか、必死に目を見開いている。

「あ、あり……がと」

 薄紅色に染まる頬、すがるような視線――調は可憐だった、思わず見とれてしまうくらいに。

「か、かわいいです、真山さん」

 意識するより先に言葉がこぼれ落ちていた。

 それに反応するように調の小さな耳が赤くなって、哲朗は思わず目を見開く。なんだか脈が急に速くなったような気がした。

「い、いや、だから、俺の場合はまず今の要領で、相手のいいところをほめます」
「ほめる?」

 哲朗は大きな黒縁メガネをそっと外してやり、調の体に手を回した。

「たとえば……真山さん、あなたの目はすごくきれいです。こうしていると吸い込まれそうです」

 ふしぎだった。

 歯が浮くようなセリフだったし、いつもはこんなこと言わない。だいたい調に対して下心などないはずなのに、言葉を重ねるたびに体温が上がっていく。
 しかも少しの迷いもなく思ったことが声になってしまうのだ。

「その唇にもそそられます。きれいなピンク色で、キスしたくなる」

 調は逃げなかった。本気で実践テクニックを学ぶつもりらしく、潤んだ瞳で哲朗をじっと見つめている。

「いいですか、真山さん。ここまで来たら、まずキスです。こんな感じで」

 哲朗はとまどいながら調の顎に手を添えた。

 もちろん改めてキスするつもりはなかった。あくまで今は、つつがなくゴールまで到達する過程を教えているのだから。

 それに調だって本当にキスなんかされたくないはずだ。

「安心してください。実際にはしませんから」

 ところが――。

「キ、キス……して、椎名くん」
「えっ?」
「もう一度、きちんとキスしてくれない? さっきの挨拶じゃ……あまりよくわからなかったから」
「えっ?」

 まだ、ちゃんとしたキスをしたことがないの――恥ずかしそうに告白する調を見た時、哲朗の中で何かが弾けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...