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序章
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「ようこそ、大使殿。ごきげんよう」
「これは女王陛下、ご機嫌麗しゅう存じます」
相手の声は明らかに上擦って、わずかにだが震えてさえいた。
ああ、きっとまただわ――クレメンティーナは微笑みながらも、心の中でため息をつく。
「本日はお目通りがかない、誠に恐悦至極でございます」
ここはヴィチェランテ王国王宮、謁見の間――。
きらびやかな金の玉座の前に立ち、深々と頭を下げている初老の男は、北方の島国ギリアンドの大使だ。その国土はそれほど広くないものの、海洋貿易で栄え、クレメンティーナが治めるヴィチェランテとは古くから交流がある。
「どうぞお楽になさって」
「は、はい、女王陛下」
大使はようやく上体を起こしたが、その顔は強ばり、視線も定まっていない。
輝くプラチナブランドで潤んだ菫色の瞳を持つクレメンティ―ナは、幼いころから国一番の美少女と称えられ、まともに目を合わせられない男性も数多くいた。
二十四歳になった今は女らしさと女王らしい威厳も備わり、その傾向はますます強くなっている。特に今日はギリアンドの国旗の色と同じ大人びた紫のドレスを選んだから、さらに近寄りがたく感じられるのかもしれない。
とはいえ、今の場合は容姿の問題とは思えなかった。ふだんの彼は陽気で、いたって社交的な人なのだから。
「実は、こうしてまかりこしましたのは……」
大使は不自然にまばたきを繰り返し、おどおどと口ごもる。できることならこの先は言わずに済ませたいと全力で願っているみたいに。
(……やっぱりね)
その様子から、彼が何のために参内してきたのか察しがついた。周囲に控えている重臣たちも、おそらく同様だろう。
「じ、女王陛下、誠に恐れながら――」
「ところで大使殿、ライオネル殿下はお元気ですか?」
クレメンティ―ナはあえて相手を遮り、にこやかに問いかけた。
こうなったら、早く決着をつけた方がいい。口にしたのは二ヶ月後に夫となる婚約者、ギリアンドの第三王子の名前だ。そう、彼女にとっては九人目の。
「へ、へ、陛下っ!」
とたんに、大使の顔からサッと血の気が引いた。
「その、あの、ライオネル殿下でございますが――」
「何かございましたの?」
「あ、いや、はい。実は先日、散策中に落馬されまして……あいにく打ちどころが悪かったらしく、なかなか床上げもできないご様子でありまして……ですから、その、陛下とのご婚儀の件でございますが……」
「日延べということでしょうな」
ひどく歯切れの悪い大使を遮ったのは、クレメンティ―ナのすぐ横に立つ宰相、ディ・ジョルダノだった。
「大使殿、ご安心ください。さっそくこのディ・ジョルダノが怪我によく効く膏薬を手配いたします。もちろん婚礼は殿下がすっかりお元気になられるまでお待ちいたしましょう」
髪こそ半白だが、ディ・ジョルダノは血色もよく、当惑しきっているギリアンドの大使よりずっと若々しく見える。
先代の女王のころから宰相を務め、臣下の中でも最も有能な男だ。彼が口火を切ったことで、辺りが急にざわつき始めた。
ところが今度はクレメンティ―ナが、その彼を遮った。
「いいえ、ディ・ジョルダノ。大使殿は別なお考えをお持ちのようよ。今日こうしてお見えになったのは、この縁談をお断りになるためなのでしょう?」
瞬間、謁見室は水を打ったように静まり返った。当のギリアンドの大使はもちろん、宰相さえもが黙りこくっている。
否定の声は上がらなかった。
つまりヴィチェランテ王国の女王は九番目の婚約者を失って、王配も跡継ぎもいないまま、一年後には二十五歳になるのだ。
「大使殿、わたくしの勘違いでなければ、どうぞ今後のことはこのディ・ジョルダノとご相談ください。そしてライオネル殿下には心からお見舞いを申し上げます。一日も早いご回復をお祈りしておりますわ」
クレメンティ―ナが腰を浮かせると、他の一同も慌てて立ち上がった。
さすがに、もうこの場にはいたくなかった。
それに自分がいなくても、ディ・ジョルダノがうまく話をつけてくれるだろう。もちろん後でお小言をたっぷり頂戴するだろうし、いよいよ非常事態に追い込まれてしまったけれど。
(やれやれ。女官長や侍女のマチルダにも絶対お目玉をくらうわ)
クレメンティ―ナはため息をつき、衣擦れの音を立てながら玉座の奥にある扉から控えの間へと向かった。
「これは女王陛下、ご機嫌麗しゅう存じます」
相手の声は明らかに上擦って、わずかにだが震えてさえいた。
ああ、きっとまただわ――クレメンティーナは微笑みながらも、心の中でため息をつく。
「本日はお目通りがかない、誠に恐悦至極でございます」
ここはヴィチェランテ王国王宮、謁見の間――。
きらびやかな金の玉座の前に立ち、深々と頭を下げている初老の男は、北方の島国ギリアンドの大使だ。その国土はそれほど広くないものの、海洋貿易で栄え、クレメンティーナが治めるヴィチェランテとは古くから交流がある。
「どうぞお楽になさって」
「は、はい、女王陛下」
大使はようやく上体を起こしたが、その顔は強ばり、視線も定まっていない。
輝くプラチナブランドで潤んだ菫色の瞳を持つクレメンティ―ナは、幼いころから国一番の美少女と称えられ、まともに目を合わせられない男性も数多くいた。
二十四歳になった今は女らしさと女王らしい威厳も備わり、その傾向はますます強くなっている。特に今日はギリアンドの国旗の色と同じ大人びた紫のドレスを選んだから、さらに近寄りがたく感じられるのかもしれない。
とはいえ、今の場合は容姿の問題とは思えなかった。ふだんの彼は陽気で、いたって社交的な人なのだから。
「実は、こうしてまかりこしましたのは……」
大使は不自然にまばたきを繰り返し、おどおどと口ごもる。できることならこの先は言わずに済ませたいと全力で願っているみたいに。
(……やっぱりね)
その様子から、彼が何のために参内してきたのか察しがついた。周囲に控えている重臣たちも、おそらく同様だろう。
「じ、女王陛下、誠に恐れながら――」
「ところで大使殿、ライオネル殿下はお元気ですか?」
クレメンティ―ナはあえて相手を遮り、にこやかに問いかけた。
こうなったら、早く決着をつけた方がいい。口にしたのは二ヶ月後に夫となる婚約者、ギリアンドの第三王子の名前だ。そう、彼女にとっては九人目の。
「へ、へ、陛下っ!」
とたんに、大使の顔からサッと血の気が引いた。
「その、あの、ライオネル殿下でございますが――」
「何かございましたの?」
「あ、いや、はい。実は先日、散策中に落馬されまして……あいにく打ちどころが悪かったらしく、なかなか床上げもできないご様子でありまして……ですから、その、陛下とのご婚儀の件でございますが……」
「日延べということでしょうな」
ひどく歯切れの悪い大使を遮ったのは、クレメンティ―ナのすぐ横に立つ宰相、ディ・ジョルダノだった。
「大使殿、ご安心ください。さっそくこのディ・ジョルダノが怪我によく効く膏薬を手配いたします。もちろん婚礼は殿下がすっかりお元気になられるまでお待ちいたしましょう」
髪こそ半白だが、ディ・ジョルダノは血色もよく、当惑しきっているギリアンドの大使よりずっと若々しく見える。
先代の女王のころから宰相を務め、臣下の中でも最も有能な男だ。彼が口火を切ったことで、辺りが急にざわつき始めた。
ところが今度はクレメンティ―ナが、その彼を遮った。
「いいえ、ディ・ジョルダノ。大使殿は別なお考えをお持ちのようよ。今日こうしてお見えになったのは、この縁談をお断りになるためなのでしょう?」
瞬間、謁見室は水を打ったように静まり返った。当のギリアンドの大使はもちろん、宰相さえもが黙りこくっている。
否定の声は上がらなかった。
つまりヴィチェランテ王国の女王は九番目の婚約者を失って、王配も跡継ぎもいないまま、一年後には二十五歳になるのだ。
「大使殿、わたくしの勘違いでなければ、どうぞ今後のことはこのディ・ジョルダノとご相談ください。そしてライオネル殿下には心からお見舞いを申し上げます。一日も早いご回復をお祈りしておりますわ」
クレメンティ―ナが腰を浮かせると、他の一同も慌てて立ち上がった。
さすがに、もうこの場にはいたくなかった。
それに自分がいなくても、ディ・ジョルダノがうまく話をつけてくれるだろう。もちろん後でお小言をたっぷり頂戴するだろうし、いよいよ非常事態に追い込まれてしまったけれど。
(やれやれ。女官長や侍女のマチルダにも絶対お目玉をくらうわ)
クレメンティ―ナはため息をつき、衣擦れの音を立てながら玉座の奥にある扉から控えの間へと向かった。
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