デザイアゼロ/ラストプレイヤー

加賀美うつせ

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第一章【失われた世界】

第2話 櫻井明日香

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 結局のところ彼女は自室で保護した。備え付けのソファーを明け渡したせいで床で寝ることになり、おまけに公園から彼女をここまで背負って来たため疲労感もある。

 引越しの疲れが全く取れず眠れもしなかった。見知らぬ女の子を部屋に泊めたから尚更だ。彼女は寝息を立てて安心しきったようだったが、こちらはそれどころではない。色々と気持ちの整理がついていないままだ。

 早起きになったので近場のコンビニで朝食を買ってきた。主にパンと牛乳、ついでに新聞紙。欠伸を噛み締めながら新しい我が家の扉を開けると彼女はまだ寝ていた。

「片付けしないとな……」

 部屋中の段ボールの山を見て溜息を吐く。彼女を寝かすため用意した寝具の封しか切られていない。

 取り敢えず適当な箱を背もたれに座り込むと、買ってきたタマゴサンドを口にしながら彼女の様子を見守ることにした。

「ん……っ」
 
 もぞもぞと身を動かす音がしてハッと肩が上がる。女の子は薄らと眼を開け、視線を彷徨さまよわせていた。かけられた毛布を掴んで不思議そうにしている。それから彼女は寝惚けているのかソファーから立とうとして盛大に転げ落ちた。

「痛っ! え? 何、なになに? ここはどこッ?」

 やはり寝惚けているようである。

「あ、フレーム……えっ、あれ……? ない、どうして……?」

 何やら騒々しい。今度の彼女は自分の体をペタペタ触りながらやけに慌てた様子だった。

「フレーム……フレームは何処、アレがないと私……」

「フレームって、あのガラスの板のこと? それならここに……」

 彼女はびくりと肩を震わせた。いままで壬晴の存在に気付かなかったとでもいうのか。壬晴はテーブルに置いて預かっていた彼女の所持品を差し出した。

「…………ぅ」

 彼女は困ったように眉根を寄せ、恐るおそる手を伸ばす。その動作は緩慢で覚束ない。壬晴を警戒しているのだろうか。結局、壬晴からフレームを握らせることになった。

「近くの公園で意識を失ってたキミを見つけたんだ。そのフレーム、ずっと手離さず握っていた……大切なものだったんだね」

 彼女の視線がようやく壬晴に向く。そして改めて自分が何処にいるのかを確かめるよう周囲を見渡した。

 呆然と見開いた瞳からぽろぽろと涙の粒が落ちる。小さな嗚咽おえつが彼女から聞こえた。安心感と恐怖からの解放か、彼女は子供のように泣き出した。

「うぅ……怖かった……こわかったよぉ……ふぇええ」

 胸元でフレームを握り締めて彼女はわんわん泣く。

 そんな彼女の様子に戸惑いつつも、気の利いた台詞の一つも言えなかったので、壬晴は黙ってティシュケースを両手で持って正座していた。

 彼女の呟く言葉に頷き、手を伸ばせば紙を差し出す。ブビィ!と鼻をかむ彼女。使用済みを返され困惑する壬晴。結局、落ち着くまで少し時間がかかった。

「ゴメンね。いろいろ迷惑かけちゃって」

「いいよ。驚いたけど何ともなくてよかった」

 彼女は膝を抱えたまま、壬晴が買ってきたカレーパンをモソモソ食べている。

 ずっと彼女は申し訳なさそうに視線を落としていた。

 壬晴は台所で湯を沸かし、ココアを作る。落ち着かせるため何か温かいものを飲ませてあげたかった。出来上がったココアを受け取ると彼女は少し笑ってくれた。

「何があったのかはムリに話さなくていい。よっぽど怖い目に遭ったみたいだから。けど話せるなら相談に乗るし、協力も、するかな」

 お人好しにも程がある、と自分でも思った。

 彼女が厄介ごとに巻き込まれているのは明白だ。関われば面倒な目に遭う。なのにどうしてここまで優しくしてしまうのだろう。放っておけばよかったのに心がどうしてもそれを赦さなかった。やはり『あの子』と彼女の姿を自然と重ねてしまっているからか。

「……そんなのダメだよ。あなたを巻き込むなんてできない」

 彼女は視線をマグカップの底に落としながら言った。壬晴はこれ以上の詮索せんさくはしなかった。きっと、返って彼女を苦しませることになるだろうと。

 壬晴は何かを言いかけて言葉を呑み込んだ。沈黙が訪れるのを恐れたのか、すぐに彼女へ別の言葉をかける。

「……あのさ、今更だけどキミの名前訊いてもいいかな?」

「え……?」

「だって昨日から一緒にいるのに名前知らないなんて変だし」

 出逢って数時間も経つのに不思議と自己紹介していなかった。彼女は暗く落ち込んだ顔にほんのりと明るさを取り戻させた。

「うん。アスカ……私の名前はね、櫻井明日香っていうの」

「僕はミハル、一之瀬壬晴。呼び方は何でもいいよ」

 名前、そうだやはりこの子は違う。僕の勝手な期待と思い違いだ。

「じゃあ、ミハルって呼ぶね。私のことはアスカって呼んで。その方が仲良くなれそうだから。ところで何でこんなに段ボールだらけなの?」

「引っ越したばかりで荷解きがまだなんだ。実家の私物全部持って来ちゃったからね」

 段ボールの山をパンパンと叩きながら壬晴は言った。

「そういえば櫻井さん」

「アスカだよ」

「あ、はい。アスカは昨日家に帰らなかったけど親御さん心配してない?」

 呼び方を指摘された。壬晴は呼び方を訂正したうえで疑問を口にする。

「うーん、心配はしてないと思うけど、みんなはさみしがってるかな……」

「送っていくよ。ちょうどいい機会だからこの街を見て回りたい」

 彼女と一緒にいたいと思っていた。なぜかはわからない。初めて逢った子にここまでの感情を持つことの理由が今の自分には理解できなかった。
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