デザイアゼロ/ラストプレイヤー

加賀美うつせ

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第五章【割れた瞳の世界】

第78話 またいつか

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 洋館に戻った巫雨蘭は壬晴をベッドに寝かせ、彼の肉体を蝕む『穢れ』の具合を確かめていた。

 不完全ではあるが一時的にフィニスと同化を果たした影響は計り知れない。ほぼ全身に『穢れ』が到達している。『封印制度』の抑止力が働いても尚、これは致命的であった。

 明日香が早めにフィニスの暴走を止めていなければ、あの時点で既に取り返しのつかないことになっていただろう。

「みぃちゃん……」

 壬晴は苦痛に呻いていた。

 全身を襲う激痛は凄まじいものだろう。

「……私は、あなたを守るって決めた」

 巫雨蘭の手の中にフレームがある。全体が黒一色に統一され、中央に時計模様が刻まれたフレーム。『時間操作クロック・アルター』という名称を持つブラックランクのフレーム。

 使ってはいけない禁断のフレームだ。黒いフレームはゲーム世界でも伝説的な存在。それは使用者に破滅をもたらす。持っていても意味のないものだろう。

「私の中の時間をあなたにあげる。この肉体を蝕む悪意から、あなたを救うために……」

 巫雨蘭は壬晴の胸元に『時間操作クロック・アルター』のフレームを置いた。

 そして、彼女は両手をそれに重ねて生命力を注ぎ込んだ。フィニスやマリスの力を体内に持つ者はフレームの加護を現実世界でも受けるとある。

 壬晴は知らず内に『封印制度』に守られてきた。だが、その枷は壬晴の力に依存するもの。彼の生命力がなければ維持は出来ない。生きる気力がなかった彼ではその枷も長くは続かなかった。

「(それでも私は、このひとを……)」

 巫雨蘭はフレームの力を解放した。

 代価を払わなければならないその結晶板の力に、巫雨蘭は己の中の『時間』を犠牲にした。つまりは寿命。『時間操作』で時の流れを巻き戻し『穢れ』を無力化させる。

 それが今の壬晴を救う唯一の手段だった。

「…………うっ」

 禁断のフレームは己の時間を犠牲にする。

 巫雨蘭は心臓の痛みに喘ぎながらも生命力を注ぎ、壬晴から『穢れ』を取り払い続けた。

 それは丸一日を要する治療だった。

 巫雨蘭は不眠不休で壬晴に寄り添い、彼の顔色に明るみが戻るまで耐え続けた。

 二十四時間以上経過して、また夜中を迎える。そうして治療を終えた頃には巫雨蘭の肉体は『時間操作』の影響で成長を遂げていた。

「…………」

 犠牲にした寿命は半分、肉体の成長は四年を経過。

 背丈が三センチ程伸び、髪の毛の長さも変わった。年齢的には十七歳といったところか、大人びた美しい女性の風貌に巫雨蘭は成長した。

「あなたと同じ目線に立てるのは……少し嬉しいと思う。私の中の時間も惜しくなかった。あなたのためなら私は何だってできるから」

 巫雨蘭はフレームを壬晴から離すと、そっと彼の頬を撫でた。

「でも、私はやっぱりあなたの傍にいてはダメかもしれない……これは実らないものだから。私は、どう足掻いても人間にはなれない。こんなバケモノの細胞を宿したものが、愛されるはずがない……」

 巫雨蘭は涙を流していた。

 初めから理解していた。この恋は実らないものだと。人間と自分のようなバケモノでは成立し得ない。

「……またいつか、なんてないかもしれない。みぃちゃんはもう私がいなくても大丈夫。仲間もたくさんできたってわかった。きっと、幸せに生きていけるから……」

 巫雨蘭は壬晴の額に顔を寄せてそう願いを囁いた。

「…………」

 壬晴から貰った白百合の髪飾り、これだけはどうしても手離せない。

 置いておこうとしても言葉に出来ない気持ちがそれを拒んだ。

 巫雨蘭は部屋に置いてあったトランクケースに必要なものを詰めると部屋を出た。

「さよなら……」

 その去り際に一度だけ壬晴を見た彼女は、胸に宿る切ない痛みに、別れを惜しむようゆっくりと扉を閉めた。

 ◇

 ——真夏にしては涼しい日だった。

 聴こえてくるのは風鈴の音色と蝉の鳴き声。

 穏やかな風がそよいでいた。

 安らぎの昼下がり、壬晴は心地良い眠りの中にいた。

「……ミハル」

 誰かが自分を呼んでいる。

「……ミハル、起きて」

 その声に壬晴はゆっくりと瞼を開けた。

「マヒル……?」

「おはよう。随分長く寝てたね」

 にっこりと眼を細めて彼女は笑った。

 眼が覚めて最初に映ったのは真昼の姿だった。

 艶やかな黒髪と幼さが残る綺麗な顔立ち、彼女は彼女の好きな桜色の着物を着ていた。

 稽古に疲れた壬晴は屋敷の縁側で彼女の膝元で寝ていたらしい。いつのことだったか、彼女に外出許可が出た日の思い出だ。

「ここは……?」

「一之瀬家だよ。ミハル、疲れて眠っちゃってたみたい」

 壬晴は彼女の膝元から離れ、周りを見回した。

 懐かしい景色だった。一之瀬家にいた頃の風景そのまま。

 よく此処で真昼と二人きりでいた。

「……なんだか長い夢を見ていた気がするんだ」

 壬晴は今までのことを振り返り、それが長い夢の話のように思った。

「夢……?」

 真昼は不思議そうに小首を傾げた。

「……うん、悪い夢だったと思う。マヒルがいなくなってしまう夢だから」

「…………」

「でも、やっぱり夢だったんだよ。いま、こうしてキミと一緒にいるから。あれは僕が見た悪い夢なんだ。マヒルがいなくなるなんて、そんなことあるはずないのにね」

 壬晴は少しだけ悲しそうに笑った。

「……ミハル」

 真昼が何か言いたそうに壬晴の名前を呼んだ。

 壬晴は彼女の呼びかけから顔を背ける。

「ずっと怖かった……キミを失った世界なんて……そんなの本当に悪い夢だから。はやく眼を覚ましたかった……」

「ミハル……聞いて」

 真昼はまた壬晴に呼びかけた。

「でも、マヒルの顔を見たら安心したよ。やっぱり、こっちが……」

「ミハル、お願い聞いて……」

「聞きたくない!!」

 壬晴は声を大にして彼女の言葉を遮った。

 真昼が言おうとすることが何かわかっていた。

 だから聞きたくないのだ。

 彼女が本当はもういない真実から眼を背けたかった。

「聞きたくないよ。そんなこと……」

 真昼は震える壬晴の背中に優しく手を置くと囁くように告げた。

「……ごめんね。これはね、現実じゃないの。私があのフレームに僅かに残しておいた思念をミハルに見せているだけ……」

「…………」

 壬晴は拳を強く握り締めていた。

 彼の体は弱々しく震えていた。

「たくさん謝らないといけない。勝手にいなくなってごめんね。あなたをまたひとりにさせてしまった……」

「……そんな」

「私が間違えたの。世間知らずのバカだったから。利用されてることに気付かず、ひとの気持ちを知ることが出来なかった」

「……違う、マヒルは……」

 真昼は壬晴の体を抱き締めて語りかける。

「あなたは悲しみや憎しみに呑み込まれないで。ミハルはそんな風にならないでほしいよ」

 壬晴は顔を上げて真昼を見た。

 真昼は悲しみを隠すように無理な作り笑いを浮かべていた。

 彼女も本当なら生きていたかったはずだ。

 別れたくなんかなかっただろう。

「僕はキミに何もしてやれなかった。もう充分に救われていたはずなのにまだキミに救いを求めてしまっていた。あの時、あの教会でキミが差し出してくれた手を拒んでいれば……マヒルがあんなことに巻き込まれずに済んだのに……!」

 真昼はゆっくりとかぶりを振る。

「ううん、後悔なんてしてないよ。あなたに出逢えたから」

「マヒル……」

「それにね。悪いことばかりじゃなかったよ。ただ、死を待つよりも希望を持てた。あの世界で私は走ったり、広い世界を見て回ることができた。今まで出来なかったことが体験できた。それはね、本当に嬉しいことだったんだ」

「…………」

「広い海、賑やかな街並み、綺麗な景色、色んな所に行ったよ。すべてが新鮮でワクワクした。いつかミハルと行ってみたいな、って思えるところもたくさん見つけたんだ。病気が治ったらね、連れて行ってあげたかったな」

 その出来事を懐かしむように、真昼は楽しそうに語る。

「つらいことばかりじゃなかったよ。良かったこともある。結果がどうであれ私は後悔なんてしてない。だって、これは私の生き様なんだから。私が決めて勝手に進んだ道。決めたのはぜんぶ私なんだから」

 真昼は得意気に笑う。

「だからね、自分を責めないでね」

 声の調子を落として真昼は壬晴の耳元で呟いた。

「……キミを失って、悲しかった。生きていることを願っていた」

「うん」

「できれば、ここにいたいと思うけど……きっとマヒルは許さないんだろうな」

「もちろん許さないよ。そんなことしたら怒るからね。めちゃくちゃ怒るからね。お尻蹴飛ばしてでも追い出してやるんだから!」

「はは、やっぱり帰らないとダメか……」

「だって、あなたを待ってるひとがいるよ。すぐに追いかけてあげないと」

 真昼はそう言って、アブソーバフレームを差し出した。

 壬晴は彼女から差し出されたそれを受け取ると不思議そうに真昼の顔を見た。

「眼が覚めたら、あの子をすぐに追いかけて。私が導いてあげる」

「あの子……?」

「うん、すごくいい子だよ。ああいう子は手離したらダメ。すぐに追いかけて抱き締めてあげなよ」

 誰のことを話しているのかはわかった。

「彼女のこと傷付けてしまった。マヒルはどうしたらいいと思う?」

「そんなの簡単だよ。たくさん謝って許してもらおうよ。そうすれば、またやり直せるからね」

 真昼は満面の笑みを浮かべ、励ますように壬晴の背中を強く叩いた。

「だから、大丈夫だよ」

 彼女は縁側から壬晴を立たせると庭園の方に向かわせた。

 小さな光の塊が宙に浮いている。現世に戻るための道だ。これに触れれば壬晴はまたあの世界で生きていくことになる。

「……マヒル」

 帰り際、壬晴は振り向いて真昼を見た。

「なぁに……?」

 真昼は壬晴の背中に額を押し付けていた。

 別れを惜しむように、だけど向こう側に送ってやらないといけないジレンマの苦しみから真昼は壬晴の背中の衣服を握り締めていた。

 背中越しでも壬晴は彼女の感情が伝わっていた。此処で本当に最後の別れとなると。だけど別れを告げないとならない。

 でも、いつか夢が叶うなら真昼ともう一度。

 だから彼女にはこの言葉を贈る。

「また、いつか……」

 壬晴がそう言うと真昼も笑って応える。

「うん。またいつかね」

 そうして真昼は壬晴の背中を押して光の方へと進ませた。

 いつか、また会える日を夢見て。
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