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花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜
ー転機ー
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豪華な皇城の謁見の間に、十名ほどの風嘉からの使節団が到着していた。彼等が控える赤い絨毯の両側には、花胤の政治を担う高官達がズラリと並んで控えている。そしてその絨毯の先には数段の階段があり、その最上段の玉座には使者を見下ろす形で花胤帝 黒鵡の姿があった。
「…遠路はるばるご苦労であった」
重々しい口調で黒鵡帝が口を開く。
それに対し、使節団も高官達も一斉にザッとより深く頭を下げ、黒鵡帝に対して最上級の礼を取った。それに手を挙げて答えると、黒鵡帝は使節団の者達に対し、頭を上げるよう促す。
それを受けて使節団の一人が、促されるままに言を継いだ。
「…偉大なる花胤帝に拝謁する機会を頂けました事、誠に光栄に存じます。私はこの使節団の長を務めます、伯 須嬰と申します。この度は巷でも評判の『花胤の陰陽』のお一人を、我が国の皇后に…とのお話、誠に恐悦至極に存じます。くれぐれも花胤帝によろしくお伝えするよう、我が君より書状を預かってきております。どうぞお受け取りを…」
そう言って伯と名乗った男より差し出された書簡を黒鵡帝の側近の一人が受け取り、恭しく黒鵡帝へと献上する。それを無言で受け取ると、黒鵡帝はその場の人々の視線の集まる中、パラリとその書簡を広げ目を通した。
「…なるほど。風嘉帝は今回の縁談を快くお受けくださるというのだな?」
そう尋ねた黒鵡帝の言葉に、オオッというどよめきが高官達の間から沸き起こる。
おそらく断られる事はないとは思っていたが、それでも実際にこうして風嘉側からの正式な返答を得た事で、花胤側もようやく一安心する。それに対し、風嘉側の代表 伯は恭しく頭を下げながらこう答えた。
「はい。在位三年にして、我が主君は未だ一人の妃もお迎えになっておられません。陛下もご存知の通り、三年前のあの未曾有の大乱で我が国の内政は壊滅的な状態に陥りました。我が主君は一日も早く国土を回復させるべく、日々のすべての時間を国政に費やされておられます。鴻夏皇女には、ぜひそんな主君の支えと癒しになって頂きたく…よろしくお願い申し上げます」
「…うむ。まだ年若く未熟な娘だが、ぜひよろしく頼む」
「ははっ、御意のままに…」
ザッと再びその場に居る者全員が、黒鵡帝に向かって頭を下げる。
それを合図としたかのように、黒鵡帝は朗々とした声で部下へこう告げた。
「誰か。鴻夏と凛鵜をこれへ」
その声と共に、キィッと謁見の間の扉が大きく開く。自然と集まった人々の視線の中、シャランという簪の涼やかな音色と共に目にも艶やかな男女の一対が登場した。
言うまでもなく『花胤の陰陽』と名高い、鴻夏と凛鵜の二人である。
姉の鴻夏皇女の手を取り、堂々と父皇帝の元へと誘導する凛鵜皇子。噂に違わぬ二人の完璧な美貌に、風嘉の使節団も花胤の高官らも思わず息を呑んで見守った。
その中をまるで天女の如く、夢のように美しい二人が歩いて行く。自然と道を開けた風嘉の使節団の人々の側を通り抜け、二人は父皇帝の前まで辿り着くと、ふわりと袖を翻し優雅で完璧な礼を見せた。
「…お呼びでしょうか」
涼やかで美しい声で、二人は父皇帝を見つめ返す。我が子ながらあまりにも人間離れしたその美しい容姿に、さすがの黒鵡帝も暫し見惚れた。
「鴻夏よ、其方に命ずる。これより三日の後に風嘉帝に嫁げ」
「…心得ましてございます」
「凛鵜よ、其方の姉の婚姻だ。其方が送迎の長として鴻夏を国境まで送り届けろ」
「…拝命、承りました」
恭しく二人が勅命を受けると、黒鵡帝は椅子から立ち上がり高らかに宣言した。
「皆の者よ、宴の用意をせよ。風嘉帝と第五皇女 鴻夏との婚姻がここに決まった。この婚姻により風嘉と我が花胤は、今後より一層良い関係を築く事になるだろう」
わぁっと一気に周囲が盛り上がる。
その中で鴻夏はチラリと風嘉の使節団へと目をやった。彼等もまた大役を果たし、各々ホッとした表情を浮かべていたが、その中に一人、他人事のように涼やかな表情で控える者が居た。
昨夜突然 鴻夏の前に現れ、この婚姻に関わる取引を持ちかけてきた『湟 牽蓮』と名乗った男である。
相変わらず何を考えているのかわからない男ではあったが、鴻夏のもの言いたげな視線に気付くと彼は穏やかに微笑んだ。
それを受けて、今度は鴻夏の方が逆に困ったように視線を外す。その外した視線の先には弟の凛鵜の顔があった。
いつもなら目が合うと、優しい笑顔で答えてくれる凛鵜だが、今日はどうした事か自分を見つめたまま動かない。そのまるで別人のような真摯な眼差しに、鴻夏は暫し戸惑った。
「凛鵜…?」
小首を傾げて鴻夏が尋ねる。途端にハッと我に返った凛鵜は、すぐにその視線を落とすといつもの笑顔でこう答えた。
「…何でもないよ」
「そう…?」
他の者の目もあるため、それ以上は何も聞けなかったが、何か違和感を感じた鴻夏はそのまま弟を見つめ続けた。
その視線を感じながらも、凛鵜はわざと自らの視線を他へと外す。
すると視線を外した先に風嘉の使節団が居て、凛鵜もまた鴻夏と同じく、その中に居る湟 牽蓮と目が合ってしまった。
再びニッコリと男が微笑む。
ところが対する凛鵜はというと、キッと相手をひと睨みすると、盛大にプイッとそっぽを向いてしまった。
それを受けて、男はくすりと笑う。
『やれやれ、姉弟 揃そろって何とも可愛らしい事だ』と心の中で思いながら、男は澄ました顔でその場をやり過ごした。
そして宴の準備が整うまでの間、控えの間で暫し待つよう退出を促された風嘉の一行と共に、何事もなかったかのようにその場を後にしたのである。
美しい音楽に贅を尽くした豪華な料理。
所狭しと盛り付けられた珍しい果物に、浴びるほど大量の高価なお酒。
広間の中央では、美しい舞姫達がヒラヒラと舞まって、場に華を添えながら人々の目を楽しませている。
今 花胤の皇城では、風嘉の使節団をもてなす為の華やかな宴が催されていた。
しかしそれらのすべてを凌駕して、人々の視線を惹き付けて止まないのは、滅多に公の場に姿を現さない事で有名な『花胤の陰陽』こと、鴻夏と凛鵜の二人であった。
今宵はさすがに鴻夏自身の婚姻を祝う宴とあって、普段はこういった場に姿を現さない二人も珍しく揃って参加している。
そしてその完璧なまでの美貌を眺めながら、人々は憧れの溜め息をつき、二人を褒め讃えるのであった。
「いや、まさに奇跡の美貌ですな…。お二人共、嫁いで来られた頃の翡雀皇后に生き写しではないか」
「鴻夏皇女はまるで天女のようにお美しい。そして凛鵜皇子も、いや男性であるのが惜しまれるほどお美しい…」
「…まさに完璧な一対ですな。あのお二人の横に並ぶのは、相当の勇気がいるわい」
家臣達からそういう感嘆の声が上がるが、当の二人にとってはどうでもいい話だ。
さすがに不細工だとは思っていないが、生まれた時からこの顔なのだ。正直自分達の容姿にそれほど興味があるわけではない。
ましてや鴻夏にしてみれば、この年齢になってもまったく男だと疑われもしない事を有り難いと思う反面、多少の不満がないわけでもない。とはいえ、双子の弟の凛鵜ですら、女性と見紛うばかりの美形なのだ。
女装をし、薄く化粧まで施している自分などは、正直女にしか見えなくてもしょうがないのかもしれない。
そう思いつつ、ふと視線を泳がせるとたまたま目に入っただけなのに、次々と人々が頬を赤らめ感嘆の吐息を漏もらす。それを見ながら『この顔のどこがそんなにいいのやら…』と鴻夏は心の中で毒づいた。
確かに母も弟も一般の人々に比べると、その容姿は人間離れしていて美し過ぎる。
だが美しいという事が、必ずしもいい事ばかりをもたらすわけではない。
実際に自分達 母子もこの容姿のせいで、血の繋がりのある、異母兄弟達や叔父達にすらずっと色目を使われてきた。
さすがに皇后である母に手を出す勇気はなかったようだが、自分や凛鵜はよくそういう対象として、何度も無理矢理 物陰に連れ込まれそうになったものだ。
その事もあって、自分達は徐々に離宮から出なくなっていったのだが、十歳を過ぎると、皇太子候補の一人でもある凛鵜は一人で皇立学院へと通わざるを得なくなった。
…その頃からだったと思う。凛鵜が時おり陰のある表情を見せるようになったのは…。
『あの人なら何か知ってるかな…?』
ふと鴻夏はそう思った。
三年前まで皇立学院の教授として、凛鵜と親しく付き合っていたというあの男。
自分や母を気遣い、凛鵜は決して学院内での事を口にしなかったが、あの当時 皇立学院にはまだ沢山の異母兄弟達が通っていた。彼等が凛鵜に対し、何の手出しもしなかったとはどうしても思えない。
そう考えたところで、唐突に鴻夏の目の前に飲み物の杯が現れた。
びっくりして慌てて振り返ると、すぐ後ろに双子の弟の凛鵜が控えている。
「何か悩み事?」
「…凛鵜…!」
まるで恋人同士のように自然に寄り添う二人に、女官達からはキャアという微かな声が漏れたが、鴻夏はさして気にする様子もなく、目の前に差し出された杯に手を伸ばした。
「元気ないね?」
凛鵜の方もさして気にした様子もなく、いつものように優しい笑顔を見せる。
そして片方の杯を鴻夏に渡すと、凛鵜はもう一方のほうに口を付けた。
「…貴方と母上を置いて行かなければならないのが心配で…」
ポツリと鴻夏がそう呟くと、凛鵜は困ったように微笑みながらこう答える。
「僕と母上は大丈夫だよ。むしろ大変なのは鴻夏の方でしょう?」
そっと囁く凛鵜は、相変わらず優しい。
小さい時から彼はいつも穏やかで優しく、そして誰よりも賢かった。
そんな凛鵜の優秀さは周囲の誰もが認めるところで、鴻夏の身内の欲目というわけではなく、皇立学院内でも神童との呼び声が高かったと聞いている。おそらく生来の病弱ささえなければ、父皇帝もとっくに彼を皇太子として指名していた事だろう。
それほど凛鵜は立派な皇子だった。
しかしそんな病弱で優しい弟を置いて、自分は三日後には風嘉に嫁がなくてはならない。
その事がひどく不安で哀しかった。
そしてどうしようもない事とわかっていても、生まれてからただの一度も離れた事のない片割れと、これからは別の場所で生きていかなければいけない事が信じられなかった。
そんな時だった。二人の前に厄介な人物が現れたのは…。
「…おやおや、我が異母妹殿と異母弟殿は、相変わらず仲睦まじい事ですな」
「魏溱異母兄上!」
ハッと二人の間に緊張が走る。今 二人の目の前に現れたのは、年の頃は二十代後半といったところの厳つい雰囲気の男だった。
骨張った四角い顔に団子のようにずんぐりとした鼻、頰にはそばかすが散り、正直女性的な顔立ちの二人とは違い、お世辞にも美男とは言い難い顔立ちの男である。
しかもその身体はやたらとガッチリとしていて、いかにも男らしい体躯であった。
彼は庶子ながらも黒鵡帝の第二皇子として、数年前から花胤皇軍の将軍職を任されていたが、そのあまりに我儘な横暴ぶりに、部下達からはひどく敬遠されていた。
しかも酒と女癖が非常に悪く、こういった場ではいつも揉め事引きを起こして父皇帝を悩ませている。そんな厄介な異母兄が、よりによってこの場で二人に絡んできた。
しかも現時点ですでに酔っているらしく、その息は早くも強い酒気を帯び、頰もうっすらと上気している。
正直厄介な人物に目をつけられてしまったと、二人は顔を見合わせて焦ったが、相手はそんな二人の気も知らず、半ば強引にその場に割り込み、実に好色そうな目で二人を眺め回した。
「まずはおめでとうと言うべきかな、鴻夏?風嘉帝の皇后とは、小娘が大した出世じゃないか?」
「…ありがとうございます、異母兄上」
早くも絡む気満々の異母兄に、どう退散願おうかと考えていたところ、いきなり鴻夏はその左手を掴まれ、強引にその腕の中に引きずり込まれる。
「あ…異母兄上!?」
「鴻夏っ!」
焦る凛鵜の声が後ろで響いたが、相手は構わず鴻夏を後ろから抱きすくめると、その顎を掴み、無理矢理自分の方を向かせた。
間近に酒臭い息がかかり、思わず鴻夏は顔をしかめる。
「ふん、『花胤の陰陽』だか何だか知らんが、どうせそのお綺麗な顔で風嘉帝を誘惑するよう言いつけられたんだろう?お前より十五も年上のジジイに、その綺麗な脚を開いて媚を売るわけだ?我が異母妹ながら実に淫売な事よ」
ザワッと周囲にどよめきが沸き起こった。
言われた鴻夏の頰も怒りで朱が走ったが、そもそも風嘉からの使節団も参加しているこの宴で、この皇子はいきなり何を言い出すのかと誰もが焦った。
だがなまじ身分が高いだけに、周囲の誰もそれを指摘できない。一応身分上は対等の立場にある凛鵜が、必死に鴻夏を救出しようと異母兄を説得したが、酔っ払っている男はまったく耳を貸そうとしない。
このままではまずいと、秘密裏に皇帝に知らせるべく従者数名が玉座の方へと走ったが、その報告が黒鵡帝に届くより先に、静かな声がその場を制した。
「…なるほど?確かに鴻夏皇女ほどの美女ともなれば、我が風嘉帝も心奪われ、夢中になられるやもしれませんな」
「誰だ?」
その場に居た者達が、一斉に声のした方を振り返る。そこに居たのは、先ほど花胤帝に挨拶の言葉を述べた風嘉の使節団の長、伯 須嬰であった。
彼は魏溱に対し、あくまでも丁寧に礼を取ると、続けてこう言い放つ。
「申し遅れました。私は風嘉使節団の一人、伯 須嬰と申します」
「…ふん、風嘉の高官か。高官ごときが俺に意見するのか?」
「とんでもございません。まさしく皇子の仰る通りと思った次第にございます」
ニッコリとあくまでも穏やかに答えながら、その目がふいに危険な光を帯びる。
その次に発せられた容赦のない言葉に、さすがの魏溱も無言で唸った。
「…ちなみに我が風嘉帝は、十四の歳より国境線を守り、巷では『戦場の鬼神』の異名を取る稀代の戦上手。今後は鴻夏皇女のお声掛け一つで、どのように動かれるかはわかりませぬな」
「…貴様、たかだか高官の分際で花胤の皇子である俺を脅すのか…っ!」
真っ赤になって唸る魏溱に、伯と名乗った男はさらに言葉を続ける。
「とんでもございません。ただ私はともかく、未来の風嘉皇后への無礼は我が君への無礼に等しいと我等は捉えます。これ以上 鴻夏皇女に対し、そのように無体な行いを続けるようなら、そういう事もあり得るという事を肝にお命じください」
ギラリと殺気すら感じさせる視線で、伯は魏溱を見据え続けた。その無言の圧力に、ついに魏溱が鴻夏を解放する。
「鴻夏…っ!」
慌てて鴻夏を抱き止める凛鵜に目を遣り、チッと鋭く舌打ちすると、魏溱は今にも殺さんばかりの勢いで伯を睨みつけた。
それを真っ向から受け止めながらも、伯は無言の迫力でそれを受け流す。
一瞬即発の雰囲気の中、ようやくそこに報せを受けた黒鵡帝が駆けつけ、事態は急速に終わりを告げた。
「魏溱…!お前と言う奴は…」
「父上、この男を罰して下さい!この男はたかだか他国の高官の分際でありながら、皇子であるこの私を脅したのです!」
まるで子供のように駄々を捏ねる魏溱に、黒鵡帝が激昂する。
「黙れ!謝罪をすべきはお前の方だ、魏溱。今すぐ使者殿にお詫びをせよ。これ以上の客人への非礼は、儂への非礼に等しいと心得るのだ!」
「ち…父上…」
「さぁ、魏溱。使者殿にお詫びを」
強く黒鵡帝に窘められ、さすがの魏溱もこれ以上は不利と悟ったのか、モゴモゴと何やら謝罪めいた事を口にすると、慌ててその場を後にした。それを目の端で確認しながら、やっと二人はホッとする。
おそらくそれを見ていたのだろう。
その時スッと鴻夏達の側に跪き、優しく声をかけてきた者が居た。言うまでもなく、先程 魏溱から鴻夏を庇ってくれた伯 須嬰である。
「…大丈夫ですか…?」
「伯将軍…」
ほぼ同時に、鴻夏と凛鵜が相手の名を呼ぶ。その段階になってようやく、鴻夏は自分を助けてくれた人物をまじまじと見つめ直した。
伯 須嬰。彼は風嘉の人間にしては珍しく、黒髪に濃い蒼の瞳、日に焼けた浅黒い肌を持つ筋骨逞しい美丈夫であった。
今回彼は風嘉の使節団の長としてこの場に来ていたため、文官とそう変わらない正装を着ていたが、本来の彼は現 風嘉帝の元で将軍職を務める武官中の武官だった。
しかも風嘉では剣を取らせたら当代随一との噂もある、有名な武将である。
その彼がまさか敵地で不興を買うかもしれない危険を冒してまで、自分を庇ってくれるとは思わなかった。その好意に驚きつつも、鴻夏は申し訳ない気持ちで一杯になる。
「…ありがとうございます、伯将軍。私は大丈夫です。それより異母兄が大変な失礼を…」
「…伯将軍、私からも御礼を言わせてください。姉を異母兄から救って下さって、ありがとうございました」
慌てて伯に向き直りつつ、鴻夏と凛鵜は心からの謝辞を述べる。それに対し、伯はニッコリと爽やかな笑顔を見せると何でもない事のようにこう答えた。
「いえ、御身にお怪我がなかったのなら、幸いでごさいます。私の事はどうぞお気になさらずに」
それに合わせて、黒鵡帝も改めて詫びの言葉を口にする。
「伯将軍、愚息が大変な失礼を致した…。また娘の事も気にかけていただいて、心より感謝する」
「とんでもございません、陛下。鴻夏皇女は我が主君の妃になられる御方…。臣下として皇女をお守りするのは当然の事です」
涼やかな表情でそう答える伯に、周りの女性達からキャアという黄色い声があがる。
腕っぷしが強く金も地位もあり、そして見た目も中身も男前…これはもうモテない方が難しいというものだ。
ところがふと気づくと、黒鵡帝は目の前にいる伯ではなく、その後ろに控える男の方に目を奪われていた。
何気なくその視線の先に目をやると、見覚えのある亜麻色の髪が目に入る。
「…そなた、湟 牽蓮か…?」
「はい。お久しぶりにございます、陛下」
跪き深々と頭を下げながら、男は静かに最上級の礼を取る。
父皇帝が湟 牽蓮の事を知っていたのには驚いたが、よくよく考えてみれば自分の皇子達も通わせていた皇立学院の教授の事を、彼が知らないはずがなかった。
だがそれより驚いたのは、普段はあまり感情を露にしない黒鵡帝が、皮肉げに口の端を歪め、静かな怒りを含んだ視線を男に向けながらこう言い放った事である。
「三年ぶりか…。匿ってやった恩も忘れ、許しも得ず勝手に故国に戻った男が、よくも今更 儂の前に顔を出せたものよ…」
「…その節は大変ご無礼を申し上げました。緊急の事態でありましたので、取り急ぎ書面のみでのご挨拶となりました事、長年心残りに思っておりました」
父皇帝の鋭い視線を気づかないはずもないだろうに、相変わらずこの男はしゃあしゃあと涼しい顔で受け流す。
公式の場であり、風嘉の正式な使者の一人として来ている自分に、花胤側が手出しが出来ない事を熟知しているからこその強気な態度だった。それを苦々しく思いながらも、黒鵡帝は静かに吐き捨てる。
「…まぁよい。今更言うても詮無き事よ。ただし次に儂の前におめおめとその面を晒そうものなら、その時こそはその命無きものと思うがよい」
決して脅しではない剣呑な視線を受けながらも、湟 牽蓮はまったく怯まない。
それどころか余裕でニッコリと微笑むと、実に優雅な仕草でこう答えた。
「…陛下の寛大な御心に感謝申し上げます」
「ふん、せいぜいその命大切にする事だ」
最後にそう言い置くと、黒鵡帝はもう用は済んだとばかりに踵を返した。
そしてたくさんの取り巻きを引き連れ皇帝が去った後、その場には鴻夏、凛鵜、伯 須嬰、湟 牽蓮の四名がとり残される。
一瞬シン…と気まずい雰囲気が流れたが、すぐに伯が自分の部下の方に向き直り、口調も荒く掴みかかった。
「牽蓮!貴様やはり花胤国に遺恨を残していたのだなっ⁉︎」
「あー…まぁ、そうなりますかねぇ」
あらぬ方へ視線を泳がせながら、牽蓮と呼ばれた男が口籠る。その襟元を掴んで揺さぶりながら、伯は怒りも露わにこう怒鳴った。
「『そうなりますかねぇ』じゃない!貴様、絶対何かやらかしたんだろう⁉︎そうでなければ、花胤帝に『次はない』なんて台詞をもらうわけがないだろうがっ!」
「そう言われても…」
あくまでものほほんと返答する牽蓮に、伯の怒りと苛立ちは頂点に達する。
その様子を呆気にとられて見ていた鴻夏に対し、凛鵜はふいに伯を制すると、珍しく牽蓮に対して助け舟を出した。
「…伯将軍。牽蓮殿に非はありませんよ。父上がお怒りなのは、それだけ牽蓮殿が優秀で、手放したくなかっただけの話です」
「凛鵜皇子…しかし…」
「私自身も未だに残念に思っておりますよ。それだけ牽蓮殿の戦術・戦略論は素晴らしかった。許されるものなら、また教えを請いたいものです」
ニッコリと滅多にお目にかかれないような美人に艶やかに微笑まれ、さすがの伯も頰に朱を走らせる。
それを横目に見ながら、凛鵜はチラリと牽蓮に対し人の悪そうな目線を送った。
それを受けて、何となくこれでまた貸し一つと言われている気がするな…と思いながら、牽蓮は敢えてそれに気づかない振りをする。
今ひとつ納得いかない様子だったが、さすがに他国の皇子にそう言われては、伯も引き下がらざるを得なかった。渋々掴んでいた襟元から手を離すと、やれやれといった体で牽蓮は少し乱れた自らの衣服を正す。
その様子を不思議な面持ちで眺めながら、鴻夏は隣に立つ凛鵜に視線を戻した。
「凛鵜…この方…」
「…ああ、鴻夏は会うのが初めてだったね?彼は湟 牽蓮殿。三年前まで我が花胤の皇立学院で、戦略・戦術論の講師をされていた教授だよ」
実は会うのは初めてではないのだが、そう紹介されてはどう答えたものかと迷ってしまう。しかし戸惑いながらも相手に視線を移すと、牽蓮は人差し指を口唇に当てながらニッコリと微笑んだ。そしてその後スッと優雅に跪くと、鴻夏の手を取り挨拶をする。
「…お初にお目にかかります、鴻夏皇女。私はこの度、貴女様をお迎えするため遣わされた風嘉使節団の一員で、湟 牽蓮と申します。どうぞ、お見知り置きを」
昨夜聞いたのとまったく同じ台詞だった。
思わず既視感に捕らわれ、鴻夏は何も言えずに相手を見返す。
まるで昨夜の出来事の方が夢だったのではないかと感じたが、あれが夢ではなかった事は牽蓮の瞳が雄弁に物語っていた。
彼の薄い翠の瞳が妖しく輝く。
「…あ、その…こちらこそどうぞよろしくお願い致します…」
何とかそう答えると、牽蓮はニッコリと満足げに微笑んだ。
すでに夜明けの方が近いと思われる深夜、風嘉の使節団にあてがわれた客室の一つに、二人の男が揃っていた。
先ほどようやく歓迎の宴から解放されたばかりの伯 須嬰と湟 牽蓮である。
ここは使節団の長である伯にあてがわれた部屋だったが、その伯の呼び出しを受けた牽蓮が今 仕方なく部屋を訪ねて来ていた。
すでに自国から連れてきた密偵達に周囲を探らせ、盗聴や襲撃の危険がないよう細心の注意を払っていたが、それでもまだ伯は一向に警戒の念を緩めない。
剣を片手にまだウロウロと自室の探索を続ける伯に、すでに長椅子の上で勝手に寛いでいた牽蓮が、呆れたように口を開いた。
「…とりあえずもう落ち着いて座ったらどうなんです、須嬰?怪しい物はもう始末済みなんでしょう?」
「何を言ってるんですか。いくら部下からすでに確認済みの報告を受けたとはいえ、自分で再確認するのは当たり前の事でしょう?」
生真面目にそう答える伯に、はいはいと面倒くさそうに対応すると、牽蓮はあくびをしながらこう呟く。
「まだかかるんなら、もう自室に戻ってもいいかな?早く寝たいんだけど…」
「待ってください、あとここだけ…よし、異常なし!」
そう満足げに呟くと、ようやく伯が部屋の中央に戻ってくる。
そしてドカッと改めて牽蓮の前の椅子に座ると、キッと目の前の男を睨みつけた。
「…なんで私が貴方を呼び出したか、すでに理由はわかってらっしゃいますよね?」
「んー…まぁ大体は…」
「大体はじゃないでしょう⁉︎そもそも貴方、なに一人で勝手にこんなとこまで来ちゃってるんですか?しかも今朝いきなり現れて、自分も使節団に加えろとか…無茶ぶりが過ぎますよ!」
喧喧轟々とまるで小姑のように文句を垂れる伯を、まぁまぁと牽蓮が宥める。
実は花胤側には内緒なのだが、牽蓮は今回の使節団には居ないはずの人物だった。
ところが今朝になって、ひょっこり伯の前へと現れた牽蓮は、半ば強引に使節団の一員としての参加を要求してきたのだ。
挙句に先ほどの黒鵡帝との曰くありげなやり取り…。伯としては難しい外交中に、やたらと身内であるはずのこの男に足を引っ張られ、頭と胃が痛い事この上ない。
しかし相手はそれをわかっているのかいないのか、相変わらずのんびりとした様子でこう答える。
「うーん、まぁでも結局大事には至らなかったし?須嬰の花胤での株も大幅に上がったみたいだし、結果としてはそう悪くもなかったんじゃないかな?」
「そういう問題じゃありません!そもそもここは風嘉国内ですらないんですよ?貴方、なに勝手に他国にまで足伸ばしちゃってるんですかっ!」
怒りも露わに襟元を掴んでそう詰め寄ると、牽蓮の方は両手を上げて無抵抗の意思を示しながら、のんびりと答える。
「んー…それは美人に呼び出されたんで、仕方なく?」
「はぁああ⁉︎」
呆れと怒りで思わず叫ぶと、慌てて牽蓮が伯の口を抑えた。
「シッ!さすがに声が大きいよ、須嬰」
「…!誰のせいですか、誰の!」
「うーん…一応私のせいになるのかな?」
「一応ではなく、間違いなく貴方のせいですよっ!」
フンッと鼻息も荒く伯がそう答えると、心外だと言わんばかりに牽蓮が答える。
「それはさすがに君の被害妄想じゃないかな?私は特に何もしてないぞ」
「ほほぉ、何もしていない?それなら何故本来なら自国にいらっしゃるはずの貴方が、ちゃっかり使節団の一員に加わって、しかも花胤帝に目の敵にされる事態になるんでしょうねぇ?」
「あー…それは、その…」
途端にあらぬ方へと視線を泳がせた牽蓮に、伯はビシッと人差し指を突き付けると毅然とした態度でこう言い放った。
「よろしいですか?勝手に来ちゃったものはしょうがないので、今更どうこうは申しません。ですが今回の使節団の長はあくまでも私です!貴方の思惑は存じませんが、例え何があろうと、この旅の間はきっちり私の指示に従って頂きますよ?」
「…あー…はいはい。わかりました」
渋々といった体で、牽蓮は溜め息交じりにそう答えた。
「…遠路はるばるご苦労であった」
重々しい口調で黒鵡帝が口を開く。
それに対し、使節団も高官達も一斉にザッとより深く頭を下げ、黒鵡帝に対して最上級の礼を取った。それに手を挙げて答えると、黒鵡帝は使節団の者達に対し、頭を上げるよう促す。
それを受けて使節団の一人が、促されるままに言を継いだ。
「…偉大なる花胤帝に拝謁する機会を頂けました事、誠に光栄に存じます。私はこの使節団の長を務めます、伯 須嬰と申します。この度は巷でも評判の『花胤の陰陽』のお一人を、我が国の皇后に…とのお話、誠に恐悦至極に存じます。くれぐれも花胤帝によろしくお伝えするよう、我が君より書状を預かってきております。どうぞお受け取りを…」
そう言って伯と名乗った男より差し出された書簡を黒鵡帝の側近の一人が受け取り、恭しく黒鵡帝へと献上する。それを無言で受け取ると、黒鵡帝はその場の人々の視線の集まる中、パラリとその書簡を広げ目を通した。
「…なるほど。風嘉帝は今回の縁談を快くお受けくださるというのだな?」
そう尋ねた黒鵡帝の言葉に、オオッというどよめきが高官達の間から沸き起こる。
おそらく断られる事はないとは思っていたが、それでも実際にこうして風嘉側からの正式な返答を得た事で、花胤側もようやく一安心する。それに対し、風嘉側の代表 伯は恭しく頭を下げながらこう答えた。
「はい。在位三年にして、我が主君は未だ一人の妃もお迎えになっておられません。陛下もご存知の通り、三年前のあの未曾有の大乱で我が国の内政は壊滅的な状態に陥りました。我が主君は一日も早く国土を回復させるべく、日々のすべての時間を国政に費やされておられます。鴻夏皇女には、ぜひそんな主君の支えと癒しになって頂きたく…よろしくお願い申し上げます」
「…うむ。まだ年若く未熟な娘だが、ぜひよろしく頼む」
「ははっ、御意のままに…」
ザッと再びその場に居る者全員が、黒鵡帝に向かって頭を下げる。
それを合図としたかのように、黒鵡帝は朗々とした声で部下へこう告げた。
「誰か。鴻夏と凛鵜をこれへ」
その声と共に、キィッと謁見の間の扉が大きく開く。自然と集まった人々の視線の中、シャランという簪の涼やかな音色と共に目にも艶やかな男女の一対が登場した。
言うまでもなく『花胤の陰陽』と名高い、鴻夏と凛鵜の二人である。
姉の鴻夏皇女の手を取り、堂々と父皇帝の元へと誘導する凛鵜皇子。噂に違わぬ二人の完璧な美貌に、風嘉の使節団も花胤の高官らも思わず息を呑んで見守った。
その中をまるで天女の如く、夢のように美しい二人が歩いて行く。自然と道を開けた風嘉の使節団の人々の側を通り抜け、二人は父皇帝の前まで辿り着くと、ふわりと袖を翻し優雅で完璧な礼を見せた。
「…お呼びでしょうか」
涼やかで美しい声で、二人は父皇帝を見つめ返す。我が子ながらあまりにも人間離れしたその美しい容姿に、さすがの黒鵡帝も暫し見惚れた。
「鴻夏よ、其方に命ずる。これより三日の後に風嘉帝に嫁げ」
「…心得ましてございます」
「凛鵜よ、其方の姉の婚姻だ。其方が送迎の長として鴻夏を国境まで送り届けろ」
「…拝命、承りました」
恭しく二人が勅命を受けると、黒鵡帝は椅子から立ち上がり高らかに宣言した。
「皆の者よ、宴の用意をせよ。風嘉帝と第五皇女 鴻夏との婚姻がここに決まった。この婚姻により風嘉と我が花胤は、今後より一層良い関係を築く事になるだろう」
わぁっと一気に周囲が盛り上がる。
その中で鴻夏はチラリと風嘉の使節団へと目をやった。彼等もまた大役を果たし、各々ホッとした表情を浮かべていたが、その中に一人、他人事のように涼やかな表情で控える者が居た。
昨夜突然 鴻夏の前に現れ、この婚姻に関わる取引を持ちかけてきた『湟 牽蓮』と名乗った男である。
相変わらず何を考えているのかわからない男ではあったが、鴻夏のもの言いたげな視線に気付くと彼は穏やかに微笑んだ。
それを受けて、今度は鴻夏の方が逆に困ったように視線を外す。その外した視線の先には弟の凛鵜の顔があった。
いつもなら目が合うと、優しい笑顔で答えてくれる凛鵜だが、今日はどうした事か自分を見つめたまま動かない。そのまるで別人のような真摯な眼差しに、鴻夏は暫し戸惑った。
「凛鵜…?」
小首を傾げて鴻夏が尋ねる。途端にハッと我に返った凛鵜は、すぐにその視線を落とすといつもの笑顔でこう答えた。
「…何でもないよ」
「そう…?」
他の者の目もあるため、それ以上は何も聞けなかったが、何か違和感を感じた鴻夏はそのまま弟を見つめ続けた。
その視線を感じながらも、凛鵜はわざと自らの視線を他へと外す。
すると視線を外した先に風嘉の使節団が居て、凛鵜もまた鴻夏と同じく、その中に居る湟 牽蓮と目が合ってしまった。
再びニッコリと男が微笑む。
ところが対する凛鵜はというと、キッと相手をひと睨みすると、盛大にプイッとそっぽを向いてしまった。
それを受けて、男はくすりと笑う。
『やれやれ、姉弟 揃そろって何とも可愛らしい事だ』と心の中で思いながら、男は澄ました顔でその場をやり過ごした。
そして宴の準備が整うまでの間、控えの間で暫し待つよう退出を促された風嘉の一行と共に、何事もなかったかのようにその場を後にしたのである。
美しい音楽に贅を尽くした豪華な料理。
所狭しと盛り付けられた珍しい果物に、浴びるほど大量の高価なお酒。
広間の中央では、美しい舞姫達がヒラヒラと舞まって、場に華を添えながら人々の目を楽しませている。
今 花胤の皇城では、風嘉の使節団をもてなす為の華やかな宴が催されていた。
しかしそれらのすべてを凌駕して、人々の視線を惹き付けて止まないのは、滅多に公の場に姿を現さない事で有名な『花胤の陰陽』こと、鴻夏と凛鵜の二人であった。
今宵はさすがに鴻夏自身の婚姻を祝う宴とあって、普段はこういった場に姿を現さない二人も珍しく揃って参加している。
そしてその完璧なまでの美貌を眺めながら、人々は憧れの溜め息をつき、二人を褒め讃えるのであった。
「いや、まさに奇跡の美貌ですな…。お二人共、嫁いで来られた頃の翡雀皇后に生き写しではないか」
「鴻夏皇女はまるで天女のようにお美しい。そして凛鵜皇子も、いや男性であるのが惜しまれるほどお美しい…」
「…まさに完璧な一対ですな。あのお二人の横に並ぶのは、相当の勇気がいるわい」
家臣達からそういう感嘆の声が上がるが、当の二人にとってはどうでもいい話だ。
さすがに不細工だとは思っていないが、生まれた時からこの顔なのだ。正直自分達の容姿にそれほど興味があるわけではない。
ましてや鴻夏にしてみれば、この年齢になってもまったく男だと疑われもしない事を有り難いと思う反面、多少の不満がないわけでもない。とはいえ、双子の弟の凛鵜ですら、女性と見紛うばかりの美形なのだ。
女装をし、薄く化粧まで施している自分などは、正直女にしか見えなくてもしょうがないのかもしれない。
そう思いつつ、ふと視線を泳がせるとたまたま目に入っただけなのに、次々と人々が頬を赤らめ感嘆の吐息を漏もらす。それを見ながら『この顔のどこがそんなにいいのやら…』と鴻夏は心の中で毒づいた。
確かに母も弟も一般の人々に比べると、その容姿は人間離れしていて美し過ぎる。
だが美しいという事が、必ずしもいい事ばかりをもたらすわけではない。
実際に自分達 母子もこの容姿のせいで、血の繋がりのある、異母兄弟達や叔父達にすらずっと色目を使われてきた。
さすがに皇后である母に手を出す勇気はなかったようだが、自分や凛鵜はよくそういう対象として、何度も無理矢理 物陰に連れ込まれそうになったものだ。
その事もあって、自分達は徐々に離宮から出なくなっていったのだが、十歳を過ぎると、皇太子候補の一人でもある凛鵜は一人で皇立学院へと通わざるを得なくなった。
…その頃からだったと思う。凛鵜が時おり陰のある表情を見せるようになったのは…。
『あの人なら何か知ってるかな…?』
ふと鴻夏はそう思った。
三年前まで皇立学院の教授として、凛鵜と親しく付き合っていたというあの男。
自分や母を気遣い、凛鵜は決して学院内での事を口にしなかったが、あの当時 皇立学院にはまだ沢山の異母兄弟達が通っていた。彼等が凛鵜に対し、何の手出しもしなかったとはどうしても思えない。
そう考えたところで、唐突に鴻夏の目の前に飲み物の杯が現れた。
びっくりして慌てて振り返ると、すぐ後ろに双子の弟の凛鵜が控えている。
「何か悩み事?」
「…凛鵜…!」
まるで恋人同士のように自然に寄り添う二人に、女官達からはキャアという微かな声が漏れたが、鴻夏はさして気にする様子もなく、目の前に差し出された杯に手を伸ばした。
「元気ないね?」
凛鵜の方もさして気にした様子もなく、いつものように優しい笑顔を見せる。
そして片方の杯を鴻夏に渡すと、凛鵜はもう一方のほうに口を付けた。
「…貴方と母上を置いて行かなければならないのが心配で…」
ポツリと鴻夏がそう呟くと、凛鵜は困ったように微笑みながらこう答える。
「僕と母上は大丈夫だよ。むしろ大変なのは鴻夏の方でしょう?」
そっと囁く凛鵜は、相変わらず優しい。
小さい時から彼はいつも穏やかで優しく、そして誰よりも賢かった。
そんな凛鵜の優秀さは周囲の誰もが認めるところで、鴻夏の身内の欲目というわけではなく、皇立学院内でも神童との呼び声が高かったと聞いている。おそらく生来の病弱ささえなければ、父皇帝もとっくに彼を皇太子として指名していた事だろう。
それほど凛鵜は立派な皇子だった。
しかしそんな病弱で優しい弟を置いて、自分は三日後には風嘉に嫁がなくてはならない。
その事がひどく不安で哀しかった。
そしてどうしようもない事とわかっていても、生まれてからただの一度も離れた事のない片割れと、これからは別の場所で生きていかなければいけない事が信じられなかった。
そんな時だった。二人の前に厄介な人物が現れたのは…。
「…おやおや、我が異母妹殿と異母弟殿は、相変わらず仲睦まじい事ですな」
「魏溱異母兄上!」
ハッと二人の間に緊張が走る。今 二人の目の前に現れたのは、年の頃は二十代後半といったところの厳つい雰囲気の男だった。
骨張った四角い顔に団子のようにずんぐりとした鼻、頰にはそばかすが散り、正直女性的な顔立ちの二人とは違い、お世辞にも美男とは言い難い顔立ちの男である。
しかもその身体はやたらとガッチリとしていて、いかにも男らしい体躯であった。
彼は庶子ながらも黒鵡帝の第二皇子として、数年前から花胤皇軍の将軍職を任されていたが、そのあまりに我儘な横暴ぶりに、部下達からはひどく敬遠されていた。
しかも酒と女癖が非常に悪く、こういった場ではいつも揉め事引きを起こして父皇帝を悩ませている。そんな厄介な異母兄が、よりによってこの場で二人に絡んできた。
しかも現時点ですでに酔っているらしく、その息は早くも強い酒気を帯び、頰もうっすらと上気している。
正直厄介な人物に目をつけられてしまったと、二人は顔を見合わせて焦ったが、相手はそんな二人の気も知らず、半ば強引にその場に割り込み、実に好色そうな目で二人を眺め回した。
「まずはおめでとうと言うべきかな、鴻夏?風嘉帝の皇后とは、小娘が大した出世じゃないか?」
「…ありがとうございます、異母兄上」
早くも絡む気満々の異母兄に、どう退散願おうかと考えていたところ、いきなり鴻夏はその左手を掴まれ、強引にその腕の中に引きずり込まれる。
「あ…異母兄上!?」
「鴻夏っ!」
焦る凛鵜の声が後ろで響いたが、相手は構わず鴻夏を後ろから抱きすくめると、その顎を掴み、無理矢理自分の方を向かせた。
間近に酒臭い息がかかり、思わず鴻夏は顔をしかめる。
「ふん、『花胤の陰陽』だか何だか知らんが、どうせそのお綺麗な顔で風嘉帝を誘惑するよう言いつけられたんだろう?お前より十五も年上のジジイに、その綺麗な脚を開いて媚を売るわけだ?我が異母妹ながら実に淫売な事よ」
ザワッと周囲にどよめきが沸き起こった。
言われた鴻夏の頰も怒りで朱が走ったが、そもそも風嘉からの使節団も参加しているこの宴で、この皇子はいきなり何を言い出すのかと誰もが焦った。
だがなまじ身分が高いだけに、周囲の誰もそれを指摘できない。一応身分上は対等の立場にある凛鵜が、必死に鴻夏を救出しようと異母兄を説得したが、酔っ払っている男はまったく耳を貸そうとしない。
このままではまずいと、秘密裏に皇帝に知らせるべく従者数名が玉座の方へと走ったが、その報告が黒鵡帝に届くより先に、静かな声がその場を制した。
「…なるほど?確かに鴻夏皇女ほどの美女ともなれば、我が風嘉帝も心奪われ、夢中になられるやもしれませんな」
「誰だ?」
その場に居た者達が、一斉に声のした方を振り返る。そこに居たのは、先ほど花胤帝に挨拶の言葉を述べた風嘉の使節団の長、伯 須嬰であった。
彼は魏溱に対し、あくまでも丁寧に礼を取ると、続けてこう言い放つ。
「申し遅れました。私は風嘉使節団の一人、伯 須嬰と申します」
「…ふん、風嘉の高官か。高官ごときが俺に意見するのか?」
「とんでもございません。まさしく皇子の仰る通りと思った次第にございます」
ニッコリとあくまでも穏やかに答えながら、その目がふいに危険な光を帯びる。
その次に発せられた容赦のない言葉に、さすがの魏溱も無言で唸った。
「…ちなみに我が風嘉帝は、十四の歳より国境線を守り、巷では『戦場の鬼神』の異名を取る稀代の戦上手。今後は鴻夏皇女のお声掛け一つで、どのように動かれるかはわかりませぬな」
「…貴様、たかだか高官の分際で花胤の皇子である俺を脅すのか…っ!」
真っ赤になって唸る魏溱に、伯と名乗った男はさらに言葉を続ける。
「とんでもございません。ただ私はともかく、未来の風嘉皇后への無礼は我が君への無礼に等しいと我等は捉えます。これ以上 鴻夏皇女に対し、そのように無体な行いを続けるようなら、そういう事もあり得るという事を肝にお命じください」
ギラリと殺気すら感じさせる視線で、伯は魏溱を見据え続けた。その無言の圧力に、ついに魏溱が鴻夏を解放する。
「鴻夏…っ!」
慌てて鴻夏を抱き止める凛鵜に目を遣り、チッと鋭く舌打ちすると、魏溱は今にも殺さんばかりの勢いで伯を睨みつけた。
それを真っ向から受け止めながらも、伯は無言の迫力でそれを受け流す。
一瞬即発の雰囲気の中、ようやくそこに報せを受けた黒鵡帝が駆けつけ、事態は急速に終わりを告げた。
「魏溱…!お前と言う奴は…」
「父上、この男を罰して下さい!この男はたかだか他国の高官の分際でありながら、皇子であるこの私を脅したのです!」
まるで子供のように駄々を捏ねる魏溱に、黒鵡帝が激昂する。
「黙れ!謝罪をすべきはお前の方だ、魏溱。今すぐ使者殿にお詫びをせよ。これ以上の客人への非礼は、儂への非礼に等しいと心得るのだ!」
「ち…父上…」
「さぁ、魏溱。使者殿にお詫びを」
強く黒鵡帝に窘められ、さすがの魏溱もこれ以上は不利と悟ったのか、モゴモゴと何やら謝罪めいた事を口にすると、慌ててその場を後にした。それを目の端で確認しながら、やっと二人はホッとする。
おそらくそれを見ていたのだろう。
その時スッと鴻夏達の側に跪き、優しく声をかけてきた者が居た。言うまでもなく、先程 魏溱から鴻夏を庇ってくれた伯 須嬰である。
「…大丈夫ですか…?」
「伯将軍…」
ほぼ同時に、鴻夏と凛鵜が相手の名を呼ぶ。その段階になってようやく、鴻夏は自分を助けてくれた人物をまじまじと見つめ直した。
伯 須嬰。彼は風嘉の人間にしては珍しく、黒髪に濃い蒼の瞳、日に焼けた浅黒い肌を持つ筋骨逞しい美丈夫であった。
今回彼は風嘉の使節団の長としてこの場に来ていたため、文官とそう変わらない正装を着ていたが、本来の彼は現 風嘉帝の元で将軍職を務める武官中の武官だった。
しかも風嘉では剣を取らせたら当代随一との噂もある、有名な武将である。
その彼がまさか敵地で不興を買うかもしれない危険を冒してまで、自分を庇ってくれるとは思わなかった。その好意に驚きつつも、鴻夏は申し訳ない気持ちで一杯になる。
「…ありがとうございます、伯将軍。私は大丈夫です。それより異母兄が大変な失礼を…」
「…伯将軍、私からも御礼を言わせてください。姉を異母兄から救って下さって、ありがとうございました」
慌てて伯に向き直りつつ、鴻夏と凛鵜は心からの謝辞を述べる。それに対し、伯はニッコリと爽やかな笑顔を見せると何でもない事のようにこう答えた。
「いえ、御身にお怪我がなかったのなら、幸いでごさいます。私の事はどうぞお気になさらずに」
それに合わせて、黒鵡帝も改めて詫びの言葉を口にする。
「伯将軍、愚息が大変な失礼を致した…。また娘の事も気にかけていただいて、心より感謝する」
「とんでもございません、陛下。鴻夏皇女は我が主君の妃になられる御方…。臣下として皇女をお守りするのは当然の事です」
涼やかな表情でそう答える伯に、周りの女性達からキャアという黄色い声があがる。
腕っぷしが強く金も地位もあり、そして見た目も中身も男前…これはもうモテない方が難しいというものだ。
ところがふと気づくと、黒鵡帝は目の前にいる伯ではなく、その後ろに控える男の方に目を奪われていた。
何気なくその視線の先に目をやると、見覚えのある亜麻色の髪が目に入る。
「…そなた、湟 牽蓮か…?」
「はい。お久しぶりにございます、陛下」
跪き深々と頭を下げながら、男は静かに最上級の礼を取る。
父皇帝が湟 牽蓮の事を知っていたのには驚いたが、よくよく考えてみれば自分の皇子達も通わせていた皇立学院の教授の事を、彼が知らないはずがなかった。
だがそれより驚いたのは、普段はあまり感情を露にしない黒鵡帝が、皮肉げに口の端を歪め、静かな怒りを含んだ視線を男に向けながらこう言い放った事である。
「三年ぶりか…。匿ってやった恩も忘れ、許しも得ず勝手に故国に戻った男が、よくも今更 儂の前に顔を出せたものよ…」
「…その節は大変ご無礼を申し上げました。緊急の事態でありましたので、取り急ぎ書面のみでのご挨拶となりました事、長年心残りに思っておりました」
父皇帝の鋭い視線を気づかないはずもないだろうに、相変わらずこの男はしゃあしゃあと涼しい顔で受け流す。
公式の場であり、風嘉の正式な使者の一人として来ている自分に、花胤側が手出しが出来ない事を熟知しているからこその強気な態度だった。それを苦々しく思いながらも、黒鵡帝は静かに吐き捨てる。
「…まぁよい。今更言うても詮無き事よ。ただし次に儂の前におめおめとその面を晒そうものなら、その時こそはその命無きものと思うがよい」
決して脅しではない剣呑な視線を受けながらも、湟 牽蓮はまったく怯まない。
それどころか余裕でニッコリと微笑むと、実に優雅な仕草でこう答えた。
「…陛下の寛大な御心に感謝申し上げます」
「ふん、せいぜいその命大切にする事だ」
最後にそう言い置くと、黒鵡帝はもう用は済んだとばかりに踵を返した。
そしてたくさんの取り巻きを引き連れ皇帝が去った後、その場には鴻夏、凛鵜、伯 須嬰、湟 牽蓮の四名がとり残される。
一瞬シン…と気まずい雰囲気が流れたが、すぐに伯が自分の部下の方に向き直り、口調も荒く掴みかかった。
「牽蓮!貴様やはり花胤国に遺恨を残していたのだなっ⁉︎」
「あー…まぁ、そうなりますかねぇ」
あらぬ方へ視線を泳がせながら、牽蓮と呼ばれた男が口籠る。その襟元を掴んで揺さぶりながら、伯は怒りも露わにこう怒鳴った。
「『そうなりますかねぇ』じゃない!貴様、絶対何かやらかしたんだろう⁉︎そうでなければ、花胤帝に『次はない』なんて台詞をもらうわけがないだろうがっ!」
「そう言われても…」
あくまでものほほんと返答する牽蓮に、伯の怒りと苛立ちは頂点に達する。
その様子を呆気にとられて見ていた鴻夏に対し、凛鵜はふいに伯を制すると、珍しく牽蓮に対して助け舟を出した。
「…伯将軍。牽蓮殿に非はありませんよ。父上がお怒りなのは、それだけ牽蓮殿が優秀で、手放したくなかっただけの話です」
「凛鵜皇子…しかし…」
「私自身も未だに残念に思っておりますよ。それだけ牽蓮殿の戦術・戦略論は素晴らしかった。許されるものなら、また教えを請いたいものです」
ニッコリと滅多にお目にかかれないような美人に艶やかに微笑まれ、さすがの伯も頰に朱を走らせる。
それを横目に見ながら、凛鵜はチラリと牽蓮に対し人の悪そうな目線を送った。
それを受けて、何となくこれでまた貸し一つと言われている気がするな…と思いながら、牽蓮は敢えてそれに気づかない振りをする。
今ひとつ納得いかない様子だったが、さすがに他国の皇子にそう言われては、伯も引き下がらざるを得なかった。渋々掴んでいた襟元から手を離すと、やれやれといった体で牽蓮は少し乱れた自らの衣服を正す。
その様子を不思議な面持ちで眺めながら、鴻夏は隣に立つ凛鵜に視線を戻した。
「凛鵜…この方…」
「…ああ、鴻夏は会うのが初めてだったね?彼は湟 牽蓮殿。三年前まで我が花胤の皇立学院で、戦略・戦術論の講師をされていた教授だよ」
実は会うのは初めてではないのだが、そう紹介されてはどう答えたものかと迷ってしまう。しかし戸惑いながらも相手に視線を移すと、牽蓮は人差し指を口唇に当てながらニッコリと微笑んだ。そしてその後スッと優雅に跪くと、鴻夏の手を取り挨拶をする。
「…お初にお目にかかります、鴻夏皇女。私はこの度、貴女様をお迎えするため遣わされた風嘉使節団の一員で、湟 牽蓮と申します。どうぞ、お見知り置きを」
昨夜聞いたのとまったく同じ台詞だった。
思わず既視感に捕らわれ、鴻夏は何も言えずに相手を見返す。
まるで昨夜の出来事の方が夢だったのではないかと感じたが、あれが夢ではなかった事は牽蓮の瞳が雄弁に物語っていた。
彼の薄い翠の瞳が妖しく輝く。
「…あ、その…こちらこそどうぞよろしくお願い致します…」
何とかそう答えると、牽蓮はニッコリと満足げに微笑んだ。
すでに夜明けの方が近いと思われる深夜、風嘉の使節団にあてがわれた客室の一つに、二人の男が揃っていた。
先ほどようやく歓迎の宴から解放されたばかりの伯 須嬰と湟 牽蓮である。
ここは使節団の長である伯にあてがわれた部屋だったが、その伯の呼び出しを受けた牽蓮が今 仕方なく部屋を訪ねて来ていた。
すでに自国から連れてきた密偵達に周囲を探らせ、盗聴や襲撃の危険がないよう細心の注意を払っていたが、それでもまだ伯は一向に警戒の念を緩めない。
剣を片手にまだウロウロと自室の探索を続ける伯に、すでに長椅子の上で勝手に寛いでいた牽蓮が、呆れたように口を開いた。
「…とりあえずもう落ち着いて座ったらどうなんです、須嬰?怪しい物はもう始末済みなんでしょう?」
「何を言ってるんですか。いくら部下からすでに確認済みの報告を受けたとはいえ、自分で再確認するのは当たり前の事でしょう?」
生真面目にそう答える伯に、はいはいと面倒くさそうに対応すると、牽蓮はあくびをしながらこう呟く。
「まだかかるんなら、もう自室に戻ってもいいかな?早く寝たいんだけど…」
「待ってください、あとここだけ…よし、異常なし!」
そう満足げに呟くと、ようやく伯が部屋の中央に戻ってくる。
そしてドカッと改めて牽蓮の前の椅子に座ると、キッと目の前の男を睨みつけた。
「…なんで私が貴方を呼び出したか、すでに理由はわかってらっしゃいますよね?」
「んー…まぁ大体は…」
「大体はじゃないでしょう⁉︎そもそも貴方、なに一人で勝手にこんなとこまで来ちゃってるんですか?しかも今朝いきなり現れて、自分も使節団に加えろとか…無茶ぶりが過ぎますよ!」
喧喧轟々とまるで小姑のように文句を垂れる伯を、まぁまぁと牽蓮が宥める。
実は花胤側には内緒なのだが、牽蓮は今回の使節団には居ないはずの人物だった。
ところが今朝になって、ひょっこり伯の前へと現れた牽蓮は、半ば強引に使節団の一員としての参加を要求してきたのだ。
挙句に先ほどの黒鵡帝との曰くありげなやり取り…。伯としては難しい外交中に、やたらと身内であるはずのこの男に足を引っ張られ、頭と胃が痛い事この上ない。
しかし相手はそれをわかっているのかいないのか、相変わらずのんびりとした様子でこう答える。
「うーん、まぁでも結局大事には至らなかったし?須嬰の花胤での株も大幅に上がったみたいだし、結果としてはそう悪くもなかったんじゃないかな?」
「そういう問題じゃありません!そもそもここは風嘉国内ですらないんですよ?貴方、なに勝手に他国にまで足伸ばしちゃってるんですかっ!」
怒りも露わに襟元を掴んでそう詰め寄ると、牽蓮の方は両手を上げて無抵抗の意思を示しながら、のんびりと答える。
「んー…それは美人に呼び出されたんで、仕方なく?」
「はぁああ⁉︎」
呆れと怒りで思わず叫ぶと、慌てて牽蓮が伯の口を抑えた。
「シッ!さすがに声が大きいよ、須嬰」
「…!誰のせいですか、誰の!」
「うーん…一応私のせいになるのかな?」
「一応ではなく、間違いなく貴方のせいですよっ!」
フンッと鼻息も荒く伯がそう答えると、心外だと言わんばかりに牽蓮が答える。
「それはさすがに君の被害妄想じゃないかな?私は特に何もしてないぞ」
「ほほぉ、何もしていない?それなら何故本来なら自国にいらっしゃるはずの貴方が、ちゃっかり使節団の一員に加わって、しかも花胤帝に目の敵にされる事態になるんでしょうねぇ?」
「あー…それは、その…」
途端にあらぬ方へと視線を泳がせた牽蓮に、伯はビシッと人差し指を突き付けると毅然とした態度でこう言い放った。
「よろしいですか?勝手に来ちゃったものはしょうがないので、今更どうこうは申しません。ですが今回の使節団の長はあくまでも私です!貴方の思惑は存じませんが、例え何があろうと、この旅の間はきっちり私の指示に従って頂きますよ?」
「…あー…はいはい。わかりました」
渋々といった体で、牽蓮は溜め息交じりにそう答えた。
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