【完結】愛を刻んで

さか様

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社会人編

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とある夜

夕飯を片づけたあと、2人はソファに並んで座っていた。

テレビはつけっぱなしで、優真の視線はどこか上の空。

「……どうした?」

隣にいた蓮が肩を軽く揺らす。

優真は唇を噛み、少し間を置いてから小さく言った。

「今日、ちょっとした書類の入力……間違えちゃって。先輩がすぐ直してくれたんですけど……」

「……うん」

「自分が足引っ張ってるんじゃないかって……
まだ入って数か月なのに、こんな調子で大丈夫かなって思ってしまって」

ぽつぽつと落とす声は、心の奥で温め続けていた不安そのものだった。

すると蓮は、ふっと吹き出した。

「ははっ」

「え……っな、なんで笑うんですか」

「いや、俺なんかデビューしたてのころ、撮影で立ち位置間違えて、カメラに背中向けて止まってたからな」

「……えぇぇ?!そ、そんなことあります!?」

優真は驚いて目を丸くする。

蓮はさらに肩を揺らして続けた。

「あとさ。海外のスタッフに“Wow, just wow.”って言われたことがあってな。
褒められたと思って“サンキュー”って返したわ。わかんないって!」

「……ふふっ、ちょ、ちょっと!それ、褒められてないですよね!?」

堪えきれず笑った優真の目尻に、にじむものが光った。

(……蓮さんでも、そんなこと……)

笑い声が少し落ち着いたころ、蓮は優真の手をそっと取った。今度は真剣な顔で。

「だから大丈夫。優真は気にしすぎないで。
ちゃんとできるようになる。俺が保証する」

「……蓮さん……」

優真は震える指で、蓮の手をぎゅっと握り返した。
胸の奥の重さが、すっと軽くなる。

テレビの光だけが部屋を照らした。

2人はそのままソファに身を預け、移り変わる映像を眺めていた。

肩が触れ合う距離が自然で、安心できる。

「……こうやって蓮さんが隣にいてくれるだけで、落ち着くんです」

優真のつぶやきに、蓮は優しく頭を撫でる。

「俺も、こんな気持ち知らなかったから」

言葉を交わすより、寄り添う体温のほうが心を癒した。

やがて、優真が小さく顔を上げる。
ためらいながらも、そっと唇を寄せた。

「……ん」

触れるだけのキスは、少し震えていて、でも確かに愛情を宿していた。

蓮も応えるように腕を回し、強く抱き寄せる。

そのまま2人は静かな夜に溶け込んでいった。

目の前の不安も、未来の嵐も。
こうして隣で支え合えるなら、きっと乗り越えられる気がした。

――

それから数日後

蓮は夕方から撮影があり、出掛ける準備をしていた。

玄関に立つ前に、優真の手を掴んで不意に抱き寄せる。

「夜、遅くなるけど、」

「はい、」

短い会話のはずだった。

しかし、交わしたキスの深さは足りず、優真はそのままソファに押し倒される。

「…まだ時間あるから、したい」

「ん、蓮さん…」

どちらからともなく、2人は息を乱して重なり合った。

――

優真はぐったりとソファに沈みながら、熱に満たされた身体を抱きしめられる。

「じゃあ、行ってくる」

「……行ってらっしゃい」

名残惜しそうに見送り、蓮の背中が玄関のドアの向こうに消える。

その余韻は、夜になってもまだ優真の肌に残っていた。

首筋にはくっきりと所有の跡。
ボタンをとめかけたままのシャツに、なんとか履いた下着。

恋人と暮らす家に溶け込んだ、無防備な姿だった。

――

ソファでテレビをつけっぱなしにしながら、優真はうとうとと蓮の帰宅を待っていた。

やがて眠気に負けて、カーテン越しの街の灯りを背に眠り込む。

ふと、玄関の方で音がした。

(……あ、蓮さん帰ってきたんだ)

寝ぼけた頭でそう思い込み、カメラも確認せずに玄関へ向かう。
そして愛された余韻をまとったままの姿で、無造作にドアを開けた。

そこに立っていたのは蓮ではなかった。
見知らぬ中年の男と、中年の女。

「……どちら様、ですか」
(オートロック…チャイム出てないのに、こんな時間にどうやって…?)
 
震える声で問いかけるが、女は値踏みするように視線を這わせ、鼻で笑った。

「まぁ……これが蓮の相手?…はしたない」

その一言で、優真の足はすくんだ。

(蓮さんを、知ってる…?)

今まで向けられたことのない、侮辱と軽蔑を露骨に重ねた視線。
嫌な過去があったとはいえ、優真は自分が周囲の人に恵まれていたことを思い知った。

「はは、俺は好みだけどな。こういうの」

そう言うと女の横にいた男は片手で優真の腕を掴み、もう片方の手をはだけたシャツの中に滑り込ませた。

「?!…や、やめ……っ」

優真の喉が詰まり、声にならない。

女はその様子を見て、冷笑を浮かべたまま男に言葉を投げる。

「ほら、やっぱり。きっとこの子、“あの子の弱み”なのよ」

「なっ、」
(何言って…あの子…?まさかこの人、蓮さんの…)

必死に声を振り絞ろうとしたが、言葉は続かなかった。
じわじわと恐怖が胸を浸し、絶望に変わっていく。

「あの…」

情けなく震える声しか出ない。
必死に抗おうとするのに、足はすくんで力が入らなかった。

母は腕を組み、優真を見下ろしながら笑う。

「だいたいがわざわざ来たのに、いないなんて冷たい子、」

(…この人、やっぱり蓮さんの母親、なんだ…)

『昔からろくな親じゃない』
前に自分の家族のことを話したときそう吐き捨てた蓮の言葉を思い出した。

「なぁ、そいつ帰ってくるまで俺はこの子と遊んでていいの?」

男の息が優真の首筋にかかり、吐き気が込み上げた。

その瞬間、ドアが開き蓮が姿を表した。
ドサ、とカバンが床に落ちる。

「……は?」

目に飛び込んできた光景に、蓮は言葉を失った。
数秒の沈黙のあと、低い声が玄関に響く。

「……なぁ、離せよ」

氷のような声音に、男の手がわずかに緩む。
けれど母が慌てて取り繕うように前に出た。

「蓮……! 本当によかった、会えて。
誤解しないでちょうだいね? 
…生活が苦しくてお金を借りたくて、そしたらこの子が出てきてね、」

「……」

なおも母親は続けた。

「…ほら、あんた最近はテレビや雑誌に引っ張りだこじゃない。
お金に困ってるはずがないでしょ? 
ちょっとでいいの。……として助けてくれてもいいじゃない」

笑っているはずの口元は、目の奥の打算を隠しきれていない。

「…で?って誰?」

鋭く遮られた。

母親も男も一瞬凍り付く。
蓮はゆっくりと歩みを進め、優真と男の間に割って入った。

「お前は?か?
俺は、優真の手を離せって言ったけど、」

男の腕を掴み、力で振り解く。

優真は解放されると同時に膝から崩れ落ち、玄関の床に手をついた。

(……突然来て、お金のこと…)

震える視界と、冷たい現実。

「これ以上居座るなら警察呼ぶから。…嫌なら帰れよ、で、俺の優真に二度と近づくな」

蓮のただならぬ空気に、母親と男は何か言いたげな目のまま去るしかなかった。

突然襲いかかった嵐は、優真の心をかき乱していった。

――

母親と男を追い返した部屋には、重い沈黙が残っていた。

ソファに腰を下ろした優真は、背筋をきゅっと伸ばしたまま動かない。

いつもなら隣に座る蓮に体を預けるのに、今は自分の膝に視線を落とし、両手を固く組んでいた。

「……優真、」

隣に座る蓮が、ゆっくり名前を呼ぶ。

その声に反応するように、優真は小さく顔を上げた。
目は赤く潤んでいるが、涙は落ちていない。

「……蓮さんのお母さん、
…頭ではわかってたんです。世の中には色んな人がいるって、だからおれ、いままで誰にも打ち明けなかったんですけど、」

絞り出すような声。

「でも……今日、あんなふうに……言われて、見られて。おれも油断してましたけど…
あぁ、自分は“理解されない側”なんだって、突きつけられた感じがあって、」

ぽつり、ぽつり。

一言ごとに胸の奥から重い石を取り出すような言葉だった。

「嫌な思い出があったイギリスでさえ、…周りは、いい人たちばかりで。日本に来てからは毎日自分を隠さなくてもいいんだって。
だから……自分のことも、蓮さんのことも、打ち明ければ、みんなにわかってもらえるんだって……どこかで、思い込んでたんです…」

声が震え、唇を噛む。

「……でも、そんなはずないですよね…。
おれ、ぬるま湯に浸かってただけで……現実を、ちゃんとわかってなくて、」

言葉の最後はかすれて消えた。

優真は目を閉じて小さく息を吐き、組んだ手を額につけた。

蓮は静かに耳を傾けて、固く組んだ優真の手を自分の手で包んだ。
温かな掌、優真の指を優しくほどいていく。

「……胸糞悪いけど、ああいう人も、いる」

短く、しかし確かに届く声。

「残念ながらあいつから生まれたけど、俺は…違う」

蓮の瞳はまっすぐに優真を射抜く。

「俺はいつでも、優真の隣にいる。
誰が何を言おうと、それは変わらない。
ずっと一緒に居る、ずっと守りたい…今日は守りきれなかった、本当にごめん…」

許しを乞う蓮の痛々しい瞳が優真を見つめた。

そして、優真の腕に残った赤い痕に気づくと、蓮は迷わずそこへ唇を落とした。

それは「ここにいる」という証のようだった。

優真の喉から、かすかな吐息がもれる。
そのまま頭を蓮の肩に預け、言葉を紡いだ。

「……蓮さん、
お母さんのことは多分、誰も悪くなくて。
でも前におれ、蓮さんに肉親ですよって軽々しく言っちゃったのが…申し訳なくて、」

その声は、わずかに掠れていたが、どこか安堵の色を帯びていた。

「そんなのいい、」

蓮はそれ以上は何も言わず、優真の肩を抱き寄せた。

その温もりに包まれるうち、優真の呼吸は少しずつ落ち着き、瞼が重くなっていく。

「体とか、その…大丈夫?
俺にできること、させてほしい…」

「大丈夫です、ありがとうございます。
…恋人ですって、はっきり言えばよかった」

後悔を滲ませながらシーツに横たわった優真は、蓮の大きな手に自分の頬をすり寄せた。

その温もりに包まれたまま、小さく息を吐き、安心したように瞼を閉じた。

蓮は髪を撫でながら、瞳を閉じる。

夜のざわめきはすでに消え、そこに残ったのは、互いの体温と静かな鼓動だけだった。

どんな嵐がきても、どんな闇の中でも、この温もりを壊さず守りたい。

そう心に刻みながら、蓮もまた深い眠りに沈んでいった。

――

数日後

仕事を終えてマンションに戻った優真は、エントランスで管理人に呼び止められた。

「元木様ですね?
ご入居中のお部屋について、セキュリティ強化のご説明を…」

差し出された資料には、オートロックシステムの更新や監視カメラの増設、エレベーター利用時の二重認証などが細かく記されている。

「え……これって、」

優真が目を瞬かせると、管理人は微笑んだ。

「ご同居の須磨様からご依頼を受けておりまして。
すでに作業は順次始まっています」

胸の奥に、じんわり熱が広がる。

(……あの夜のこと、蓮さん…)

部屋に戻ると、ちょうど帰宅した蓮がジャケットを脱いでいた。

「…蓮さん、ただいま。
…セキュリティの件、聞きました。…ありがとうございます」

蓮は一瞬驚いた顔をしたあと、ふっと笑う。

「おかえり。
…これくらい当たり前だよ。優真が安心して暮らせないなら意味ないし。
それに、謝るのは俺の方。あいつら、わざわざ興信所で調べてここに入ってくるなんて、思ってなくて」

その言葉に胸が熱くなり、優真はうつむきながら小さく呟いた。

「……そんな…ほんと、蓮さんがいてくれてよかったです」

蓮は黙って近寄り、優真の頭をくしゃりと撫でた。
いつもの蓮の姿に優真の胸の不安はすっと溶けていった。
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