【完結】蒼天を掴む

さか様

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命の行方

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ニュースは大々的に報じられた。

「石橋梓さん、監禁され衰弱。警察に保護」
「かつての五輪選手、衝撃の転落」

テレビに映るのは、かつて空を翔けるように跳んだ梓の映像。

だが今、その本人は――施設の白い壁の中。

梓はベッドに腰かけ、職員に支えられながらうわ言のように繰り返していた。

「……赤ちゃん……ここにいるんだ……」

痩せた手は自分の下腹を撫でる。

「奏だって……楽しみにしてる……赤ちゃん……」

職員は困った顔で頷いた。

「そうね。大事にしなきゃね」

梓の妄想に寄り添うことが、せめてもの救いになると信じて。

その瞳は虚ろなのに、どこか幸せそうに柔らかく笑う。

――もう誰も、かつて世界に羽ばたいたアスリートをそこに見ることはなかった。

一方、鉄格子の中の奏。
夜ごと壁に背を預け、低く語りかけていた。

「梓……赤ちゃんは、俺に似たかな。お前に似たかな。
 どっちでもいい。俺たちの子なんだ。……逃げられるわけない」

指で鉄格子をなぞりながら、独白は呪文のように続く。

「お前が『赤ちゃん』って言うたび、俺は安心するんだ。
ちゃんと覚えてるよ。俺たちがひとつだった日々を」

――その夜。

梓は夢を見ていた。

ライトに照らされた競技場。助走、跳躍、宙を舞う自分。
観客席には笑う奏。手を伸ばし、呼んでいる。

(……また跳べる……)

目が覚めたとき、月明かりが窓を照らしていた。

胸の奥に残る熱は、かつての歓声のように梓を突き動かす。

「……奏、会いに行くよ……」

痺れる足を引きずりながら、夜の施設を抜け、屋上へ。
風が頬を撫で、月が白く輝いていた。

助走は軽やかに、踏み切った身体は宙をしなやかに舞う。
その指先は青空を掴もうと伸び、太陽さえ抱き寄せられるようだった。

――学生時代の梓。
世界に羽ばたく未来を背負った跳躍。
光に包まれ、歓声を浴びながら笑っていた。

そして、今。

夜の屋上。
月明かりに濡れたコンクリートの上で、痩せた梓は深く息を吸った。
伸びた前髪が風に揺れ、汗ばむ手が震える。

「……奏…赤ちゃんと、行くね、」

掠れた声が夜に溶ける。

足首の違和感は残っていたが、それでも構わなかった。
助走の幻を脳裏に描き、ひとつ、またひとつと歩を進める。

踏み切り――宙へ。

その瞬間、全てが無音になった。
胸を広げ、腕を大きく伸ばす。
指先は月を掴もうと伸び、白い光を抱き寄せるように宙を舞う。

(……跳べてる……また、俺……)

次の瞬間、体は夜空を裂き、急速に落ちていった。
歓声の代わりに吹き荒れる風。
拍手の代わりに、耳を切る静寂。

梓は目を閉じ、最後まで月を抱こうと両腕を広げた。

翌朝、冷たいアスファルトに崩れ落ちた梓の悲報をニュースが伝える。

「元陸上選手・監禁事件被害者の石橋梓さん、施設屋上から転落死。自殺の可能性」

画面には若き日の跳躍の写真と、無惨な見出し。

――鉄格子の中でそれを見た奏は、声を殺して笑った。

「見てたよ、梓。
やっぱり綺麗だったね。
次は……俺のところに、戻ってくるかな?」

月を抱き寄せて墜ちた梓と、檻の中で狂喜する奏。

ふたりの終わりは、かつての始まりの綺麗な思い出とともに結ばれていた。

【完】
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