俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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1章 魔法少女とは出逢わない

1章41 侵された憐み ①

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 目の前で橋の下へと落ちていく水無瀬 愛苗みなせ まなの姿をメロは茫然と見送った。


 しかしすぐにハッと我に返ると慌てて後を追う。


 今の水無瀬は魔法少女に変身をしていない。

 つまり普通の人間の女の子と変わらない。


 この橋の下の川の水深がわからないが、頭から落ちてはただで済むはずがない。


 背中の羽に力を入れてメロは迷わずに橋から飛び降りた。



 空中に身を躍らせるとすぐに下に目を向ける。


 すると水飛沫が描く白い線が下流に向けて伸びていた。


 宙に弾けた飛沫は重力に従い水面に落ちていく。それに比例して川の上の白線も短くなっていきやがて見えなくなる。


「――ぃゃぁあああああーーーーっ!」


 そして先程の橋の上でのシーンの焼き増しのように今度はこちらへと猛スピードで近づいてきた。


「マナっ!」


 水面の上で靴がバタバタと動き、どうも水の上を走っているようだ。

 何とも奇怪な光景ではあるが、そんなことよりもメロはパートナーの無事に顔を輝かせた。


「マナっ! 変身して逃れ――」

「――ぅきゃぁあああぁぁぁーーっ!」


 依然囚われたままの水無瀬に指示を送るがその声は届かず、彼女はピュンっと音をたてながらメロの目の前を通過して、そのまま水飛沫をあげて上流の方へと走って行った。


 そしてまた同じように悲鳴がフェードアウトしていき、一瞬消えてからフェードインしてくる。


 いまいち危険性があるのかないのか判断が難しい状況だが、このままでよしとするわけにもいかない。

 どうするべきかとメロは逡巡する。


 そうして間誤ついている内に水無瀬が――正確には水無瀬が履いている靴が、一際高く跳び上がった。


 川の上方に架かる橋よりも高く跳び上がり、これも靴がやっているのだろうが水無瀬の身体を体操選手の様に回して捻らせる。

 そうして回転をしながら川へと落下してくる。

 もしも着地に失敗すればかなり危険だ。


「マ、マナァーーーっ!」


 どうにか助け出そうとメロは水無瀬の落下地点との間へ飛び出す。


 しかし、それよりも早く、水無瀬がちょうど橋を通過するタイミングで橋の上から何者かが素早く飛び出した。


 新たに現れた黒い影と水無瀬が交差する。


 二つの線がすれ違うと水無瀬の足にハマっていた靴が消えた。


 しかし、無理矢理させられていた錐揉み回転のような動きはなくなったものの、水無瀬の身体は重力と慣性に従いそのまま落下を続けている。


 突然の事態の変異に自失しかけたメロはハッとすると全速力を出して水無瀬を摑まえに飛ぶ。


「こなくそぉーーーッス!」


 間一髪。

 水面に叩きつけられる前に水無瀬に取りつくことに成功した。


 しかし――


「ニャッ⁉ ニャッ……⁉ ふぬぉぉーーッス!」


 小柄な女子高生一人といえど、それよりももっと小さなネコさんボディでは咄嗟に水無瀬の体重と高所からの落下エネルギーを殺しきることは敵わず、諸共に川面に突っ込んだ。


「あっぷ、あっぷッス……っ!」

「ぶくぶくぶくぶく……」


 だが、勢いはほとんど削ぐことは出来ていたようで、即座に傷を負ったり気を失うようなことにはならなかった。


「ぶはっ」とメロが水面から顔を出して喘ぐと、横には水の中に顔を突っこんで泡を漏らす水無瀬の姿があった。

 無茶な軌道を強いられ続けてきた彼女はまだ目を回したままのようだ。


「マナっ!」


 救助猫は慌てて水に潜り彼女の救出に向かう。

 水の中から水無瀬の顏を持ちあげてどうにか彼女の呼吸を確保しようとするが――


「ぶくぶくぶくぶく……」


――陸空には対応しているネコ妖精も水中活動はサポート外のようで、即座に溺れた。


 しかし、水無瀬の顏の下でメロが口から盛大に吹き出した泡がぶくぶくと顏に当たったことで彼女は覚醒した。


「――ベロびゃ……っ、ゴポォっ⁉」


 我に返った瞬間の自身とパートナーの置かれている状況に驚き水を飲んでしまう。

 咽て息を吐き出しながらも咄嗟に水中のメロを抱きしめて立ち上がる。

 すると太ももの半ばより上は完全に水面の上に出た。


「けほっ、けほっ……、うえぇぇ、飲んじゃったぁ……っ」

「あ、フツーに足つくんスね」

「けほっ……、うん、メロちゃんだいじょうぶ?」

「ダイジョーブッス! マナありがとうッス」

「うん、私もありがとう。助けてくれようとして溺れちゃったんだよね?」

「へへっ、ジブンネコさんだから泳げなかったんスけど、忘れてたッス」


 互いの無事を喜び合いながら水無瀬はもっと浅い場所を探して移動する。


 バチャバチャと水を鳴らしてやがて膝が完全に外気に晒される場所まで来るとへたり込んでお尻を水に浸しホッと息を吐く。


「ふわぁ……、びっくりしたぁ……」

「びしょびしょッス」


 水無瀬の腕から出て水上に浮かびメロはブルルっと毛皮から水を飛ばす。


「うん、私も。パンツまでびしょびしょだよぉ」

「えっ? それはどっちの意味で?」

「えっ? どっちって川のお水で濡れちゃっ――あっ!」


 コテンと首を傾げながら当たり前のことを答えようとした水無瀬は言葉の途中でハッとなった。

 その様子にエロ妖精のメロは目敏く目を光らせる。


「むっ! どうしたんッスか! 生理がこないんっすか⁉」

「え? それはこないだ終わったけど……」

「けど……っ⁉」


 どこか言い辛そうな表情で、ふとももの間に手を入れてもじもじする愛苗ちゃんの様子に、これはワンチャンあるのではとメロは息を荒くする。

 何のワンチャンなのかは彼女以外にはわからない。


「あ、あのね……」


 愛苗ちゃんはお目めをキョロキョロしながらメロの耳元に口を寄せて、お手てで隠しながらコショコショと話す。吐息に擽られメロのネコさんイヤーがピクピクっと震えた。


「……えっ? ちょっと漏らしちゃったかもしんない?」

「う、うん……、ごめんなさい……」

「なぁに、気にするこたぁないッスよ。ジブンたちなんて基本野ションッスから」

「で、でも私ネコさんじゃないし、お母さんに怒られちゃう……」

「そんなわけないッス。いいッスかマナ? おもらしは汚点じゃないッス。美点ッス」

「えぇっ⁉ そ、そうなの……?」

「うむッス。謝るようなことじゃないッス。むしろホメて貰えるッス」

「で、でも……、私もう高校生だし……」

「いーや! むしろそれがいい、だからこそいいっ! そう言ってくれる紳士な殿方はきっといっぱいいるはずッス!」

「そ、そうだったんだぁ……」


 今まで知ることのなかったこの世の真理に触れて愛苗ちゃんは茫然としそうになるが、すぐにハッとする。


「あっ! そういえば――」

「――むっ⁉ どうしたんっすか? 生理がこないんッスか⁉」

「それは先週……、じゃなくって! あのね? さっき誰かが助けてくれた気がしたのっ」

「あぁ、それッスか」

「メロちゃん見てた?」

「いや、よく見てなかったッスけど、このタイミングとこのパターンはどうせ少年ッスよ」

「弥堂くん?」

「うむッス。最近こんなんばっかッスからね。どうせ今に『何してんだお前ら』って――」

「――何してんだオマエら」


 したり顔でメロが説明をしていると彼女の言うとおりの言葉が挿しこまれ、『ほぉれ見たことか』とドヤ顔を声のした方に向ける。


 しかし、そこに居たのは無表情顏の男子高校生ではなく、黒の全身タイツにフルフェイスヘルメットを被ったようなシルエットの悪の幹部だった。

 いつもは人をおちょくった様に弧を描いている、そのヘルメットに似た頭部に貼り付けられた三日月型の両目は、限りなく直線に近く細められていた。


「ボラフさん……?」


 小さくその名を口遊むと水無瀬はハッとし、川に浸けたお尻を持ち上げバシャッと水を散らかしながら立ち上がった。


「こんにちは、ボラフさんっ」


 ていねいにごあいさつをしてペコリと頭を下げる。


「…………」


 そしてまたハッとなるとスカートの前をバッと抑えて慌てて元通り川面に尻を漬けた。


 いつもなら人のよさげな笑みを浮かべて挨拶を返してくれるボラフが無言だったのだが、他のことに気を取られていた水無瀬は気が付かなかった。

 しかし、メロは警戒心たっぷりにボラフを睨みつけており、小さく喉を唸らせた。


「……変身しねえのか?」

「えっ?」


 そのメロを一瞥してから視線を逸らし呟くように口にしたボラフの言葉に、いまいち自分が何者なのかという自覚の薄い水無瀬は不思議そうに首を傾げる。


「――魔法少女に変身して戦わなくていいのかって聞いてんだ。ゴミクズーだぜ、こいつは」


 そういって手に持った物をよく見えるように持ち上げてみせる。

 彼が指にひっかけて持っているのはよく見れば先程まで大暴れしていた革靴だった。

 靴の中から細い髪の毛が蔦のように伸びてうねうねと蠢いている。


 その髪の毛の動きを数秒観察してからようやく水無瀬は覚醒する。


「あっ、そうだった!」


 慌ててまた立ち上がり胸元のペンダントを握る。


 しかし、変身をするための魔法の呪文を口にするよりも早く、ボラフの持つ革靴から髪が伸び水無瀬の手首に巻き付き彼女の行動を阻害する。


「ひゃっ⁉」

「マナっ!」


 驚いた水無瀬の悲鳴に反応してメロが髪の毛に飛び掛かろうとするが、それよりも先にボラフが靴を持っていない方の腕をビュンっと振り下ろした。


「えっ……?」


 水無瀬が戸惑いの声を漏らすと川面にパラパラと髪の毛が落ちる。


 もちろん水無瀬のものではなく、彼女の手に巻き付いていたゴミクズーのものだが、川にごっそりと浮いたそれに生理的な嫌悪感が湧き、プツプツと肌が粟立つ。


 振り下ろしたボラフの腕は鎌に変形している。


「ボ、ボラフさん、ありがとうござ――」

「――勝手なマネしてんじゃあねえよ」

「えっ?」


 礼を述べようとした水無瀬の言葉は苛立ちの濃い声に途中で切られる。


 自分が言われたのかと水無瀬は目を見開くが、彼女には一切反応せずボラフは手に持った革靴を振り上げて、そして水面に向けて投げ落とした。


 ゴパァっと音と波を立てて一瞬川に穴が空く。

 それが閉じられる直前、ボラフはその穴に足を突き入れ水底に革靴を踏みつけるように蹴りを入れた。


「クズが勝手に動くんじゃあねえよっ! このクズがっ! クズがっ! クズが……っ!」


 罵声に合わせて何度も靴を踏みつける。


 いつも口も態度もいいとは言えない彼だったが、それでも見たことのないような振舞いをするその様相に水無瀬は驚き、固まった。

 メロが敵意をこめて睨みつける。


「ボラフ……っ!」

「悪ぃな、メロゥ……。だが、しょせんオレたちゃこんなモンだ……っ!」


 フッフッと興奮したように息を切らしながら、メロの方へは目を向けずに吐き捨てるように言う。


「……ウエに言われりゃあ従うしかねぇ……っ! ウエってのは強ぇヤツだっ……!」


 川底の靴を踏み躙りながら続ける。


「強ぇヤツは弱ぇヤツを踏みにじり……っ! 弱ぇヤツはその靴を舐めてご機嫌とるしかねえ……っ! オレたちゃそうやって生きてくしかねえしっ、オレたちゃそういう風に出来てる……っ! それがルールだ! そうだろっ……⁉」

「…………っ!」


 水無瀬には彼が何を言っているのか少しも理解出来ない。

 しかし彼女のパートナーは違うようで、苦い表情で歯を噛み締め言葉を失った。


 ボラフはどこからか白い硝子玉のようなものを取り出すとそれを川面に叩きつける。

 それは水面に当たると沈まずに粉々に割れて破片を撒き散らした。


 その破片が溶けるように周囲に消えると、その瞬間『世界』に膜がかかるように周囲が塗り替わる。


「……結界だけは貼っとかねえとマズイからな」


 言い訳のように漏らしてからボラフはもう一度息を吐き出すと、気を取り直しその目を鋭くした。


「――変身しろ、ステラ・フィオーレ」


 呆然と立ち尽くすだけの水無瀬へ告げる。


 その語調の強い言葉は命令ではなく――


「もう一度言うぜ。変身をしろ。戦いの時間だぜ」


――宣戦布告だ。


 言葉を重ねても動く様子のない水無瀬に盛大に舌打ちをし、彼女の反応を待たずにボラフは先に動いた。


 川の中へ腕を突っ込む。


 殴りつけるように強く。


 水飛沫を撒き散らしながら川の中から腕を引っこ抜くと右手には再び革靴が。

 鎌になっていた左手を元に戻すと、そちらには液体の入った試験管があった。


 試験管の栓を歯で噛み引っこ抜き、ベッと川に吐き捨てた。


 そしてボラフはその試験管の内容液を靴の中へと注ぎ込む。


 一体何をしているのか、全く見当もつかないまま水無瀬は一連の行動をただ目に映す。


 すると、靴から伸びて垂れていた黒髪がまるで苦しんでいるように畝って藻掻き始める。


 ボラフはそれを放り投げた。


 その靴は川の水面に着地すると、三つ編みを作るように絡み合いながら束になった髪を川の中へと突き刺した。


 まるでポンプが水を吸い上げるように所々がボコっと膨らむ。


 どうやら本当に水を汲み上げているようで靴の中から際限なく水が溢れ出るようになった。


 水無瀬やメロが何もしないまま、何も出来ないままその様子をただ見ていると、その溢れだす水がなにかカタチを作り出す。


 靴の中から足が生えるように上へと伸びていき、やがて腰部と胴体を形成するとそこから二本の腕のようなモノが生えてきた。

 最後に首が伸びてそのさらに上に風船のように丸く水が膨らむとそれは頭のようになった。


 膨らんだ二つの胸、縊れた腰、その姿はまるでニンゲンの女の裸だ。


 その裸身を隠すように全身に黒髪が巻き付いていく。


 一瞬だけボラフのように全身真っ黒になると、それらは色が変わり水を覆う肌となった。

 さらにその上から黒髪が巻き付き、今度はは衣服へと変貌した。


「――っ⁉」


 水無瀬は息を呑む。


 あまりの異形に竦んだわけではない。


 その姿があまりに普段から見慣れたものと似ていたために余計に異常に感じられたからだ。


 黒い革靴。

 左足は紺色のハイソックスで右足には白いルーズソックス。

 グレーの膝丈のプリーツスカートに上半身はスカーフのない白と紺のセーラー服を着て、その上にはブレザーを羽織っている。


 酷い着合わせだが、その一つ一つは水無瀬が普段の生活の中で何度も見た覚えのあるものばかりだ。


 特にブレザーは水無瀬と同じ美景台学園の制服と同じものだった。

 恐らくセーラー服は美景女子高校の制服で、スカートは県立美景高校の制服だ。


 頭部から垂れる長い黒髪はひどくうねって乱れ、顔を隠して見えない。だが、その分余計にその姿は自分と同じ人間にしか見えなかった。


 そのことに水無瀬は激しく動揺する。


「――どうした? こっちはもう準備万端だぜ? さっさと変身しろよ」


 ボラフに言われ、思い出したかのように水無瀬は震える手をペンダントに遣る。


「シ、シードリング・ザ・スターレット、フル――」


 その時――


 動きを見せた水無瀬へと女子高生の姿をしたゴミクズーが顔を向けた。


 特段動体視力が優れているわけでもない水無瀬の目にやたらとゆっくりと、そしてはっきりとソレが映る。


 顔を上げたことで乱れた前髪がはらりと動き、束がわかれ、その隙間からギョロリと目玉が覗いた。


「ヒッ――⁉」


 その眼球と目が合い、一瞬で怯え竦んだ水無瀬は呪文を失い腰が抜ける。


 パチャンっと音と飛沫をたてて尻もちをついた。


 その水無瀬を血走った眼球が追う。


 ただ目が合っただけで恐怖したわけではない。


 本来その眼球を覆っているはずの瞼がない。


 さらにその周囲の――どころか顔の皮膚のほとんどは焼け爛れていた。


 時間の経った火傷跡ではない。


 こうしている今もジュクジュクと泡立っては時折泡が弾けるように血液を漏らす。


 そのグロテスクな面相に水無瀬は瞬時に戦意を喪失してしまったのだ。



「どうした? やらねえのか?」

「……ぃやっ……、いやぁ……っ」

「チッ」


 もう一度ボラフが問うも、水無瀬は自失の呻きを漏らすばかりだ。


「まぁ、その方がもしかしたら楽に死ねるかもな……」


 ボラフは苛立ち舌打ちをするが、すぐに諦めたように嘆息をした。


「じゃあ、そのまんま楽になっちまいなぁっ! やれっ! 『アイヴィ=ミザリィ』っ!」


 ボラフの命を受けゴミクズーは答えるように絶叫をあげる。

 その金切り音はまるで女の悲鳴のようだった。


 ゴミクズーは川の上を走り出す。


 ガニ股で雑に足を動かし、バチャバチャと乱暴な音を立てて迫りくる。


「マナっ! 変身をっ!」


 メロが慌てて声をかけるが水無瀬は震えるだけで動かない。


 動けない。


 悲惨なものを目にしたこともあるが、それに加えて彼女は、これまでなんだかんだと仲良く接してきて勝手に友達のように思っていたボラフの敵然とした態度にもショックを受けていた。


 だが、これが魔法少女と悪の幹部の本来あるべき関係である。


 今までなんとなくほのぼのとしたまま魔法少女として戦ってこられていた彼女の戦闘経験のなさや甘さが、ここにきて完全に露呈してしまった。


「――マナっ! 逃げてっ!」


 そのことを正確に理解しているパートナーのメロは水無瀬とゴミクズーとの間に立ち、水無瀬を守るために異形の女子高生へと向かっていった。


 しかし、蜷局を巻いて伸びた髪をゴミクズーが鞭のように一度振ると、メロはあっさりと弾き飛ばされ川面に叩きつけられる。


 大した障害にもならず、ゴミクズーは勢いそのまま水無瀬へと飛び掛かった。


 恐怖に目を見開きながら、自分に影を被せながら迫りくるモノを前に水無瀬は何もできない。


 対応策を何も思いつけないまま、或いは考えもしないまま、ゴミクズーがすぐ近く、自分も手を伸ばせばもう触れられる距離まで近づいた時、水無瀬は目を強く瞑ろうとする。


 しかし、瞼を閉じる直前、自身にかかる影が大きく濃くなったように感じた。



 その瞬間――



――もはや目前だったゴミクズーの姿がかき消え、ドパンっと大きな音が立つ。



 それと同時に水柱と呼べるほどに大きく水飛沫があがった。


「――えっ……?」


 広範囲に撒き散った水滴が雨のように川に落ちてくる。


 夕陽に照らされるそれらがオレンジ色の光を乱反射させた。


 その光の中、自身の目の前に映るのはこれまた見慣れた学校制服。


 ただし今度は女生徒のものではなく、美景台学園の男子の制服のズボンだ。



 そのズボンに包まれた足が一度川底の女の頭を踏みにじってから動く。


 膝を曲げて後ろに踵を引き、そして一切の容赦なく爪先を異形の女子高生の腹へと突き入れた。


 水袋を叩いたような鈍い音を立てて、華奢な体躯が水切りをする石のように水面を跳ねる。


 何が何だかわからない。


 やはり事態に全くといっていいほど思考が追いついていない水無瀬だったが、自分が助けられたことだけは理解できた。


 そして、それをしてくれたのが誰なのかも、何故か直感的に理解していた。



「――何してんだお前ら」


 頭上から聴こえたその平坦で低い声音は彼女が浮かべた想像を肯定するものだった。


「――弥堂くんっ!」


 いつもと変わらない無貌の瞳がつまらなさそうに自分を見下ろしている。

 普段と変わらない。

 学園生活でも、こんな異常事態でも。


 その揺らぎのない低湿無温の瞳に水無瀬は安心感を得た。


 水無瀬 愛苗みなせ まなの絶体絶命の危機に上空より現れたのは、彼女のクラスメイトで風紀委員の弥堂 優輝びとう ゆうきだった。
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