ラジオの中の届かなかった想い

にまる いお

文字の大きさ
10 / 33

⑩ あの声に、もう一度

しおりを挟む
雨の翌日、放送室の窓からは、濡れた校庭がまだ少し光を反射しているのが見えた。
朝の空気はひんやりしていて、悠は3人がいる高校へと足を運んでいた。

みどりから継続的な指導を頼まれ、今日は朝から放送部の練習を見ることになっていたのだ。

その背後で、ノックの音。

「おはよう、悠くん」

入ってきたのは、放送部の顧問の葉月みどり。髪の先から雨の匂いがして、手には紙袋と小さな保温ポット。

「これ、朝ごはん代わりにどうかなって。作りすぎちゃって」

彼女は少し照れたように笑いながら、机の端にそれを置いた。
紙袋の中には、ラップに包まれた小さなおにぎりが二つと、ほんのり甘い卵焼き。

「え、あ……ありがとう。すごい、ちゃんとしてる」

「私、朝はちゃんと食べるの。放送部の朝練もあるし」

悠が嬉しそうに笑うと、みどりはその笑顔を見てホッとしたように目を細めた。

「それにさ……最近、ちょっと疲れてるでしょ?聴いてると、わかる」

悠が、顔を上げた。

「……"聴いてると"?」

「うん。声の調子が、いつもより少し硬い気がする」

「だから、今日は少しでも元気出たらいいなって」

言葉を重ねるわけでもなく、好意を押しつけるでもない。
ただ、相手の声の調子を感じ取り、そっと寄り添うみどりのやり方だった。

悠は、しばらく何かを考えるように沈黙した後、卵焼きをひとくち食べた。

「……うまい」

それだけで、みどりは少しだけ頬を染める。

「でしょ?私、味付け濃いめなの」

「いや、それがいい。なんか、ちゃんと目が覚めた気がする」

コンコン。

3人「おはようございまーす!」

つばさが「えーみどり先生といちゃいちゃしてるー!」とはしゃぐ横で、さちは「えっ」と小声で驚き、
すずりは一歩だけ遅れて、静かに足を止めた。

目の前の光景――
楽しげに笑い合う悠とみどり、机の上に置かれた紙袋と保温ポット、そして卵焼きの香り。
どこか、二人だけの空気がそこにはあった。

すずりは何も言わなかった。
ただ、ほんのわずかにまつ毛が伏せられた。
そして、胸の奥が、少しだけきゅっとなるのを感じていた。

(……月島さん、そんなに嬉しそうな顔するんだ)

それは嫉妬なのか、寂しさなのか、自分でもよくわからない。
置いてけぼりにされたような、胸の奥をつままれるような感覚だった。

「いちゃいちゃって……してないから」

「えー?でも先生、顔赤いし~?」

「つばさ、そういうこと言うのやめなさい」

みどりが咳払いをしながらも、ちょっと笑って誤魔化す。
さちは気まずそうに目をそらして、すずりは無言のまま悠の持っていた卵焼きをちらりと見る。

「……それ、美味しい?」

「ん?ああ、めちゃくちゃうまいよ。みどりの手作り」

「……そっか」

すずりは、少し考えるような顔をしてから、鞄を机に置いた。

「今日は練習、午前中だけだっけ?」

「うん。午後は放送室が使えないから、午前で切り上げようって」

みどりが言うと、さちが明るく手を挙げた。

「じゃあ、午前集中でいこうよ!私、昨日ちょっと台本書き直してきたんだ!」

つばさ「え、マジ?さち、はやいね!」

すずり「ちゃんと指導してね、月島さん」

悠「もちろん」



その後の練習では、悠が3人の朗読を丁寧に聞き、一人ひとりにアドバイスをした。つばさには「もう少し間を意識して」、さちには「感情をもっと声に乗せて」、すずりには「その調子でいいけれど、最後の部分をもう少し強く」。

みどりも横で見守りながら、時々補足を加える。悠の指導方法は、生徒たちの個性を引き出すのがとても上手だった。

悠は練習を見ている間だけは、不思議と夜の影を忘れられた。
けれど、心の奥ではまだ、どこか警戒が解けきらない自分もいる。

「よし、休憩にしようか」

悠が言うと、3人は満足そうに頷いた。

休憩時間に、みどりが古いアルバムを取り出した。
「今日はちょっと懐かしいものを持ってきたの。これよ」

そこには、今とは少し違う、制服姿の葉月みどりと、隣に立つ悠の姿が残っていた。

「わあ、先生と月島さん、高校生の時の写真!」つばさが目を輝かせる。

「高校の頃、私たちも放送部だったんだよ」
みどりがそう言った。

「……そうそう。みどりの原稿、めちゃくちゃ早口で読んでたよな」

「ひどい!でも確かにそうだった」みどりが苦笑する。

さちが興味深そうに写真を覗き込む。

「月島さんも高校時代から放送やってたんですね」

「うん。あの頃から、声で誰かに何かを伝えるのが好きだったんだ」

すずりが小さく呟く。

「昔から、素敵な声だったんですね」

その言葉に、みどりが振り返った。

「そうね。悠くんの声に、救われた子、きっといっぱいいたよ。私もそのひとりだった」

みどりは3人を見回してから、静かに続けた。

「顧問になってから、この子たちに本物の声を聞かせたいって思ったの。で、頭に浮かんだのは悠くんだった」

「だからお願いしたの。あなたの声で、この子たちに届けてほしいって思って」

3人は静かに聞いていたが、その目は輝いていた。

つばさが真剣な表情で言った。

「先生...ありがとうございます」

さちとすずりも小さく頷いた。

悠も、みどりの想いを受け取って、静かに微笑んだ。

そして、すずりの胸の奥にある小さなざわめきは、まだ自分でも名前をつけられずにいた。

悠は時計を見て立ち上がった。

「今日はこの辺りで終わりにしましょうか。次回もよろしくお願いします」

「こちらこそ。また来週もお願いします」

みどりが微笑む。3人の生徒たちも立ち上がって、お辞儀をした。

「月島さん、また来てくれるの?」つばさが目を輝かせる。

「もちろん。君たちのラ杯に向けた練習、最後まで付き合わせてもらいますよ」

「やったー!」つばさが飛び跳ねる。

「ありがとうございます」さちも嬉しそうに付け加えた。

すずりは少し遅れて、小さく頷いた。

「ありがとうございます」

その声は、他の二人とは少し違う響きを含んでいた。複雑な想いを抱えたまま、それでも感謝の気持ちは確かにそこにあった。

悠は3人を見回してから、優しく笑った。

「それじゃ、また来週。頑張って練習しておいてね」

校舎を出る悠を見送りながら、すずりはまだ胸の奥のざわめきと向き合っていた。

また来週も、月島さんが来る。それは嬉しいことのはずなのに、なぜかもやもやした気持ちも一緒についてくる。

あの温かい朝の時間。悠とみどりの自然な親密さ。そして、自分だけが感じている複雑な気持ち。

名前のつけられない感情を抱えたまま、すずりは日差しの差し込む校舎で静かに立ち尽くしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

離縁の雨が降りやめば

碧月あめり
キャラ文芸
龍の眷属である竜堂家に生まれた葵は、三つのときに美雲神社の一つ目の龍神様の契約花嫁になった。 これは、龍の眷属である竜堂家が行わなければいけない古くからの習わしで、花嫁が十六になるときに龍神との離縁が約束されている。 花嫁が十六歳の誕生日を迎えると、不思議なことに大量の雨が降る。それは龍神が花嫁を現世に戻すために降らせる離縁の雨だと言われていて、雨は三日三晩降り続いたのちに止む。 雨がやめば、離縁された花嫁は次の龍神の花嫁を産むために美雲神社を去らなければいけない。 だが、葵には龍神との離縁後も美雲神社に留まりたい理由があった。 幼い頃から兄のように慕ってきた御蔭という人の存在があるからだ。 白銀の髪に隻眼の御蔭は美しく、どこか不思議な雰囲気を纏っているが美雲神社の人間からは《見えない存在》として扱われている。 御蔭とともにいることを願っている葵だが、彼のほうは葵に無頓着のようだった。 葵が十六の誕生日を迎えた日。不思議な雨が降り始める。習わし通りであれば三日降り続いたあとやむ雨が、なぜか十日以上も降りやまず……。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

不遇な令嬢は次期組長の秘めたる溺愛に絡め取られる。

翼 うみ
恋愛
父の会社を立て直す交換条件のため、ほぼ家族に身売りされた形で関東最大級の極道・桜花組の次期組長に嫁入りしたジェシカ。しかし母を亡くして以降、義母と義妹に虐げられていたジェシカは実家を出られるなら、と前向きだった。夫となる和仁には「君を愛することはない」と冷たく突き放される。それでもジェシカは傷つくことはなく、自分にできることを探して楽しんでいた。 和仁には辛い過去がありそれ故に誰のことも愛さないと決めていたが、純真で健気なジェシカに段々と惹かれてゆき――。 政略結婚から始まる溺愛シンデレラストーリー。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...