最果ての地を知る人よ

空見 大

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一章:1000年後の世界

始まりの波

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その日、海上に存在するありとあらゆる生物と魔鉱炭が相乗りしている物体が沈没する。
船体のサイズがたとえどれほど大きくとも小さくとも、渦が、嵐が、高波が、巨大な海洋生物が、風がまふで子供がおもちゃを壊してしまうほどの暴力的な方法で破壊されてしまった。
この事件を語る上で奇跡をあげるのであれば、この日漁に出ていた人間がその様な事態に合いながらも誰一人として死ぬ事はなかったという事だろうか。
偶然にしては同時に起こりすぎているとは思うものの、その原因に心当たりのない物達は今日のことをたまの偶然だとして処理するだろう。
だが古い話を知っているものや、伝統を受け継いでいる漁村、壊滅的な被害と共に尋常ではない魔鉱炭が陸に打ち上げられた港町の町長達は事態を大きく受け止めていた。
海王が目覚めたことに気付いたものが智慧あるもの達の中で一体何人いたことだろう。
その数は確かではないが、確実に言える事は智慧あるもの達が手に入れた蒸気機関という設備はもはや使用が不可能になり数百年単位で海運の世界は後退することとなった。

「これで終わりましたわ。さすが無限の魔力を持つ勇者ですの、私の補助があるとはいえ海でここまでのことができるなんて」
「お褒めに預かり光栄だよ……それでさっきから気になってたんだけどその子は?」

海上でいままさに起きているだろう被害に目を瞑りヘクターが疑問を呈したのは、椅子に座るエヴィニス海王の膝の上にちょこんと座っている少女だ。
綺麗なライトブルーの髪に吸い込まれる様なエメラルドグリーンの大きな瞳、髪留めだろう貝殻は宝石のようにキラキラと光っており、まるで意志を持ったかの様にふわふわと動いている髪はエヴィニスの頬を愛おしそうに撫でている。
小さい頃のエヴィニスをもし見ることができるのであればきっとこんな姿だろう、そう思いながらヘクターがかけた言葉に対してエヴィニスは胸を張って答えた。

「私の娘ですの」
「娘ですの!」

同じように胸を張って答えるエヴィニスと娘だったが、母親とは違いまだ幼い娘では胸よりお腹の方が出ているように見える。
混乱する頭の中でどうでもいいことを考える余裕だけはあるのだなと自虐的な考えを持ちつつも、ヘクターは続いて疑問を投げるのだった。

「えっと、さっきまでは居なかったよね。そういう種族の子なのかな? 目に見えなくなれるとか」
「私は海王様の分身ですの! 海王様2号ですの!」
「えっと……状況が理解できないんだけど」
「その子は魔力によって形作られた二人目の私ですの。記憶情報から身体情報まで全て私と同じで、触覚からなにから全てリンクしていますのよ」
「ですの!」

エヴィニスの言葉通り髪の毛の先一本まで目の前で完全に同じように動かす二人を見て、ヘクターはとりあえず無理やりではあるが状況を理解した。
少なくともエヴィニスが封印されるよりも前に彼女の周りにいた側近というのはいま現在誰一人としておらず、そのためこれから彼女は多忙を極めることになるだろう。
せめて分身体を生み出してその子に遊ばせてあげたいというエヴィニスの感覚は一応ヘクターとしても理解できない事はない。

「えっと、分かってるつもりだけどなんでこの子を?」
「いまの海の現状を鑑みれば私はここから動けませんの。
ですからその子に外の世界をあなたと一緒に回ってもらって、貴方と仲良くして貰おうという作戦ですの。
強力なライバルも登場してうかうかしていられませんし」

チラリとエヴィニスが目線を向けるのはエスペルの方だ。
確かにヘクターはいままで誰一人としてパーティーを組むことがなかったので、そういった点では既にエスペルはかなり進んだ関係とも言えるだろう。
とうのヘクターにそんな意識がなくともエヴィニスは警戒するべきであると考えており、その膝の上に座る娘もあっかんべーと舌を出してエスペルに威嚇している。
いまさら少女が一人増えたところでヘクターにかかる負担などたかが知れているので、問題は娘の意思がどうなのかという点であるが……

「約束は約束、だから受け入れるけど……君はそれでいいの?」
「私はお父様を愛していますから、何も問題はありませんの。それに私の身体はお父様の魔力によって構成されていますの、ですからお父様から定期的に魔力をいただけなければ消えてなくなりますわ。
ちなみに私が消えても本体が死なない限りもう一度私を生み出す事は可能ですけれど、それは海王3号というのが適切な存在で、正確には私ではないんですの」

自分の魔力によって生み出された存在、そう言われてしまうとなんとも言えない感覚だ。
当然のように父と呼ばれていることに関してはもはや何も言うまいとヘクターは決めていた、無視すればそれはそれで認知したと言われそうな気がしてならないが触れてしまったことで削られる精神を考慮してのことだ。
懇切丁寧に自分の命は貴方に依存しており、貴方の善意で私を生かすことも殺すこともできると言われて仕舞えばヘクターはその性格上たとえ目の前の少女がどのような存在であったとしても見捨てることができなかっただろう。
ましてや自分に向かって懐いてくれている可愛らしい少女ともなれば余計だ。

「僕がやった手法と同じ手法か。賢いね海王様」
「自慢ではないですけれど魔王との知恵比べで負けた事はありませんの」
「ですの!」
「とりあえず王国の端、貴方の村まで送れば良いんですのね? それなら転移魔法陣を用意しますわ。しばしお待ちくださいまし」

にっこりと笑みを浮かべながら話している女性二人を前にして自分が会話に入るべきでないと判断したヘクターは、部屋の隅で壁に埋もれている近海の主を掘り起こす作業に従事し始める。
そうしてから十分ほどだろうか、ときおり話し声が聞こえるのを耳にしながら作業しているとエヴィニスから声がかかった。

「転移魔法書き終わりましたわよ!」
「ありがとうエヴィニス」
「このくらいどうという事はないですのよ」

転移先が自分の知っている場所とそうでない場所では、その難易度に大きな差が出る。
もちろん難しいのは後者、知らない場所ではまず座標を求めることから始まるので相当面倒な作業を要求されるのだ。
そんな面倒なことを文句を言わずにやってくれたエヴィニスに感謝の言葉を述べていると、いつのまにか小さいエヴィニスが腰に抱きついてきていた。
ヘクターが一体なんだと視線を下ろして見てみれば、何か言いたいことがあるようだ。

「お母様、お父様浮気してた」
「ばっ!? 何をいきなり!?」
「あらあらエヴィニス、男の人というのは移ろうものですのよ。正妻としての余裕をもって行動しなさい」
「こんな小さい子供を正妻にする気なんてこれっポチもないけどね!? あと誰と浮気を俺がしたっていうの!」
「別に私を愛せとは言っていませんの。さっきの条件に出しても良かったんですのよ?」

考えられる可能性としてはヘクターが先程まで甲斐甲斐しく世話をしていた近海の主か。
小さな子供からしてみれば恋愛対象を想像するときに男女の隔たりというものなどは考えず、ただ親密そうにしているというところが大きなパーソンになっている事は間違いがない。
問題はその後に出てきたエヴィニスからの言葉であり、条件としてそれが出されていた場合は自分がどうしていたのだろうと一瞬ヘクターは思考が止まった。

「冗談ですの。あまり嫌な顔をなされては本気で凹みますわよ? 
魔王を倒して自由になった貴方はこの世界を誰よりも楽しんで生きる権利がありますの。
ですから欲の出し方を覚えて行って欲しいんですのよ」
「気持ちは嬉しいよ。だけどこんな小さい子に手を出したら自由以前に倫理的に問題があるからやめておくよ」
「あら残念ですの。もしかして本体である私の方がよろしくって?」
「ノーコメントで」

さて、突然ではあるがなぜヘクターは海王を苦手としているのだろうか。
それは海王がヘクターに対して自分を求めるように、それとなくアピールをしてくるからである。
ヘクターは他人に求められることには慣れているが、他人に求めるような事は日頃からしていないので苦手としているのだ。
意図してそれを行ってきているのかどうかは分からないが、どちらにせよこうして自分をアピールしてくるエヴィニスの姿はヘクターから見ると羨ましく、それでいてありがたくもあるが引け目も感じてしまう。

「まぁまぁまぁ! 次ここにきた時は茶菓子を用意しておきますの。一緒に海で散歩いたしませんこと?」
「分かったよ! もう何でも良いから早く魔法起動して!」

まるで子供のようにして言葉を返したヘクターは、魔力だけ海王に渡すと魔法の起動をお願いする。
自分で魔力をこめて魔法を起動してもいいのだが、他人が作った魔法陣の中に魔力を込めるときは魔法陣の中に書かれた式を壊さないようにある程度慎重な動作を求められるのだ。
座標特定のところから始めている海王の魔法陣はそれこそヘクターが横から魔力を流せるようなものではなく、だからこそヘクターは羞恥の中にあっても強制的に魔法を発動させることができないでいた。

「そういえば最後に伝言を。ヘクター、私が目覚めたことで陸と空の王が動き始め、その影響で様々な王たちが目を覚ますようになりますの。
ひとまず陸と空の王から近いうちに接触がありますから、心して待つんですのよ」
「あの爺さんと婆さんを相手にしないといけないのか……」

ヘクターの頭の中に思い浮かぶのはボロボロになった自分と高笑いを上げながら楽しそうにする陸の女王と空の王。
いまとなってはよい思い出の一つとして数えられるが、当時は相当に厳しい思いをしたものである。

「仕方ありませんの。それと貴方」
「エスペルと、そう呼んでくれて構わないよ」
「あら、そうですの。でしたら先に貴方に助言をいたしますわ、ヘクターを止められるのは記憶を持つ貴方しかいない。期待していますわ」
「……なんのことか分からないけど、任せて」
「自信たっぷりなのはいいことですわ。それでは魔法を発動させます」

うっすらと光り始めた転移魔法陣の中に入り、ヘクターは千年ぶりの故郷のことを思い返す。
ヘクターの体感時間としては勇者として選ばれて魔王を倒すまでの10年程度の年月の感覚だが、実際に流れた時の速度はその100倍だ。
どうなっていても受け入れる覚悟はできているつもりだが、実際にその目で見た時の自分への負荷がどれほどなのかはエスペルにも分からない。
エヴィニスとの短い出会いを惜しむようにしてヘクターが手を振るうと、エヴィニスも嬉しそうな顔をしながら手を振るう。
そうしてまたたきの間にヘクターの姿はどこかへと消えてしまっていた。

「──愛していますのよヘクター」

一人残された塔の中でエヴィニスは誰に向けるでもなくポツリと言葉をこぼす。
本当であれば自分がついていきたかったが、いまの海の状況を考えれば海王としての勤めを自分が怠るわけにはいかない。
せめて分身を同行させる事で慰めとしたエヴィニスをよそに、近海の主は自分がそんな海王の恥ずかしい独り言を聞いている事に気がつかれないように全力で気配を殺すのだった。
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