最強はそうして最弱になった

空見 大

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最強と最弱

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 誰にも負けない最強の男、いわくその生涯にたった一度の敗北もなく全ての勝負事において勝利を収めし者。
 その膝は土の味を知らず、その背中は敗北の重みを知らず、その頭は他者の挫折だけを知る。
 世界で最も有名な人物でありながら世界で最も無神経に晒される男。噂だけが一人歩きしいつしか人かどうかも怪しくなったそんな男は、たった今私の目の前にいた。

「約束を果たしに来たよ、随分とまぁ遠くまで連れ去られたもんだね」

 一体こうなったのは誰のせいだと、そう言い返せれば楽だったのかも知れない。
 ただいまの私にとってはそんな言葉でもなぜか心が空く思いだった。
 願わくば一発殴らせてくれれば更に胸は空くだろうが。

 /

 この世界の生物は産まれ持って一定確率で才能を持つ。
 それは何かが上手くいくとか何かが得意だとかそんなものではなく、他人にできないことができるという才能だ。
 私の場合は『治癒』、それが他の人間にはない自分だけの才能だった。
 自分か他人の中にある力を使う事で体についた傷や病気などを癒す、たったそれだけの才能である。
 才能は遺伝せず、家柄や血脈に関係なくまるで神が適当に決めたかのようにある日突然その人に現れその人生を大き狂わせるのだ。

神呪かんの! 神呪はおるか!!」

 ドタバタと音を立てながら大声で名前を叫びこちらへとやってきたのは神呪とよばれた女性の父である。
 和服を着込み普段ならばどっしりと構えていることが多い父がそんな態度を示す事に驚きを感じながら、神呪は襖を開けて中へと入ってくる父に対して冷たく言葉を返す。

「お父様、あれほど部屋に入るときには一言申してから入ってきてくださいと言っていましたのに。一体どうなされたのですか?」
「五月蝿い黙って話を聞けっ! お前の見合いがようやく正式に決まったぞ!! しかも相手はあの最強と名高いお方だぞ! 見合いは明日の正午だ! 身を清めておけよ!」

 神呪の言葉に対して父は吐き捨てるようにそう言うと、ガハガハと品のない笑い声をあげてまた信じられないくらい大きな足音を立てながら何処かへと消えていく。
 神呪はそんな父の姿を見て一瞬大きく息を吸うと、吸った息よりも多くの息を吐き出しながら己の心が鎮まるのを待つ。
 神呪は家が嫌いだった。
 家族が嫌いなわけではない、母のことは尊敬しているし父の事はあんなのでも一応家族としての信頼がある。
 だが家は嫌いだった。
 家族は血のつながった大切な相手だ、だが家はただの入れ物でしかない。
 だがいつしかその入れ物は家族よりも優先されるものへと変わっていき、そうして父は家族よりも先に家を優先するようになってしまった。
 父も昔は家に反発をしていたのだろうか、そうして気が付かぬ間に家族ではなく家に愛情を持つようになってしまったのだろうか。
 そんな事を考えても結局のところ無駄でしかなく、神呪は鏡を見直す。

「最強か……そんな男がわざわざ私に?」

 父が口にした最強の男という言葉を思い返し、神呪は自分に問いかけるようにして鏡にそう言葉を投げかけた。
 父が口にしていた最強、それは誰もが知る人物である。
 いわく生涯無敗の男、いわく全知全能の男、数百年の年月を生きこの世界の全てを牛耳る男だという。
 物語の中にすらいやしない、世界が産んだ特異点。
 そんな男が片田舎の国の家の娘に求婚をする? はっきり言って論外だ狐につままれていると言われた方がいくらか神秘性がある。
 父が騙されているのではないか、そうも考えたがあれほど調子の良さそうな父を見る限りおそらくは本当の最強なのだろう。
 顔も知らず名前も知らず、けれどもはや結婚は決まったその最強。
 それを思いながら神呪は小さく鏡に向かってもう一つの言葉をこぼす。

「この家を壊してくれたらいいのに」

 それは神呪の心からの言葉である。
 一度口から漏れ出た言葉はもはや取り返しなどつくはずもない。
 だが神呪はその落とした言葉を拾おうともせず、化粧を終えるとその場を後にする。
 残ったのは部屋の中を移す鏡だけ、静かな部屋には少し異質な空気が漂っていた。

 そうして次の日のこと、家の中は荒れに荒れていた。
 どうやら『最強』との見合いがある事を父は母に言っていなかったらしいのだ。
 神呪が告げ口をした訳ではなく、朝食の場でぽつりと父が言葉を溢しそれを知らなかった母が追求。
 しまいには家中を巻き込んでの大喧嘩にまで発展していたのだ。
 上へ下への大騒ぎ、そんななかでふと玄関の方から声が聞こえてくるではないか。
 不躾で無遠慮で軽薄そうな、信頼出来なさそうということだけは分かるそんな声に家の中が一瞬だけ静かになると、召使いの一人がここぞとばかりに駆け出していく。
 喧嘩をしている父と母に挟まれていて限界だったのだろう、客人を迎えにいく召使いの姿は救世主を見つけた者のそれであった。

「とりあえずお前はこの部屋で待っておれ! いまから私は神呪と共に話をつけてくる!」
「待ちなさいアナタ!」

 喧嘩する両親、飛び交う怒号。
 そんなものに飽きてきた神呪は父に連れられるまま応接室へと向かう。
 敷き詰められたばかりの畳に屋敷の中でも最もお金をかけた調度品の数々、そして今日の為にと秘蔵の和服を出されそれに身を飾らせた神呪。
 家の外の人物を迎え入れるのにはこれ以上ないほどのおもてなしだ。
 襖を少し開け、頭を下げたまま神呪は客人に対して言葉を投げる。

「失礼致します」頭は未だに床に付したまま、視線は上げる事なく神呪は続く父の言葉を待つ。
「失礼する。神王家当主神王帝冠しんおうえいかん、こちらは娘の神呪陽かんのあきら。本日はお日柄も良く安曇縁あづみのえにし様におかれましてはご機嫌麗しゅう」

 いつになく真面目な父の声と共に、最強の名前とやらはどうにも女らしい名前のようだなんて事を考えながら神呪は父の許可が出るまでただ頭を下げて待つ。

「これはこれはご丁寧にどうも。客人として招かれた身でなんですが、どうぞお座りください」
「では失礼して。神呪」
「はいお父様」

 自分の家なのに席に座るのにすら相手の許可がいる。
 全くもって家という存在に嫌気がさしながら、そんな状況の中で神呪は縁の事を注意深く観察する。
 耳の辺りで切り揃えられた黒い髪、黒い眼鏡をかけており目線は追えないがどうやら吊り目であるらしいということくらいは分かった。
 口元には隠すようにして布が巻かれており、表情はほとんど読み取れないと言ってもいい。
 服装は同じような、だが神呪が着ている和服よりもさらに数段は良いものだろう和服。
 この家で一番いい服を見に纏っている事を知っている神呪は、やはり最強と呼ばれるだけあって良い者は来ているのだなと服の値踏みを終える。
 それから目線が移ったのは手だ、男らしい大きな手にはこれと言った傷は見当たらず、まるで力仕事を知らないかのように綺麗な手であった。

「この度は縁談の場を設けていただきありがとうございます。まさか神王家の方とこうした場を作れるとは思っても居ませんでした」
「いえいえ、こちらこそ安曇様のお話はよく聞いております。娘を預けるならば是非とも安曇様にと昔から思っておったのです」

 顔も分からず名前も知ったばかり、声は相変わらず胡散臭さを感じる。
 何故自分が? 何のために? 考える事はいくつかあるが最強などと呼ばれている人間の気持ちなど到底理解できそうにもない。

「そうでしたか、それは光栄です」
「娘は都一番の美女として名高い! いままで何度も何度も婚姻の申し込みがありましたが、今日この日こそが娘の晴れ舞台だったと痛感しております」

 神呪は確かにその美貌を都中に響かせているほどの美女である。
 黒の長髪に吊り目、肌はきめ細かく肉付きは和服で見えない物の健康的な肉体である事は確実であった。
 通りを歩けば男も女も変わらずに振り向くほどの美女であるが、神呪に婚姻を申し込んできた男というのはそれほど多くない。
 それは神呪のが関係しているのだが、目の前の男がそれを知らないはずもなく不気味さを神呪が感じるには十分な要因だ。

「では気が早いですが祝いの酒でもどうでしょうか?」
「よろしいのですか? では少し頂きましょうか」
「気遣いなど不要です! 我等はもはや家族、今夜は無礼講で楽しく暮らそうではありませんか!」

 だが本人の意思など関係なく話は決定してしまった。
 いまこの時をもって神呪は目の前の男の夫となったのである。
 顔も名前も知らぬ不気味な男、せめていまから酒を飲むから顔がわかる事が唯一の救いか。
 いつかはこうなると考えていたからこそショックはない。

「そうですね。楽しみです」

 父の隣から席を変え、縁の隣に座り直して神呪は笑みを貼り付けながらそう言葉を吐き捨てる。
 眼鏡の奥にあるだろう瞳から冷たいものを感じながら、神呪は笑顔を顔に貼り付け続けた。
 これは家の為だ、家族のためだと己に言い聞かせて。

 /

 時刻は夜。
 神呪は己の布団の中で目を覚ました。
 どうせ結婚したのだからと同じ部屋に通されたはずの縁の姿はどこにもなく、さすがに初日に手を出すような人間ではなかったらしいと安堵しながらも注意深く神呪は付近を目で探る。
 縁の姿はどこにもなく、部屋の中どころか廊下にも誰もいる気配はなかった。
 先程まで縁が寝ていただろう布団の中にと手を差し伸べてみれば、まだ体温が残っている程度には暖かくそこまで遠くに行っているとは考えられない。

「一体どこにいったのよ…」

 寝巻きを整え襖を開けて廊下を歩いて見てみるものの、人のいる気配というのは感じられない。
 家の中を軽く周り、トイレや浴室を含めてどこにもいない事を確認した神呪は離れの蔵に足を向けた。
 そこは父や母から立ち入りを禁止されている場所で、神呪も普段は絶対に立ち寄らない場所であった。
 ただなんとなく、そこしかもう探すところがなかったからいる訳はないと思いつつそこに向かって足を伸ばすと、普段は固く締められていた蔵の扉がほんの少し開いていた。

「まさか……居ないわよね…」

 ごくりと唾を飲み込みながら、ゆっくりと神呪は扉を開ける。
 そこにあったのは地下へと続く階段、一度たりとも目にすることのなかった階段はあまりにも冷たく長い。
 暗い空間に足音を響かせながら壁を頼りにして少しずつ神呪が下へ下へと降りていくと、ほんのりと温かい何かが顔につく。
 少し粘性の水に近いそれ、光のない場所では何も見えそうになく神呪はたまらず小さな火をつける。

「なっ──」

 そこにあったのは大きな血溜まりだった。
 それも一人や二人といった人間のものではない、数十人以上はいたであろう大量の血液と共にまだ匂いの出ていない死体が山として隅に積まれている。
 そんな死体の山のそばにいたのは昼に見たあの男、神呪が探していた縁であった。
 死体の中にあって最も生気というものが感じられず、血みどろの姿からはおよそ人らしさというものもあってないようなものである。
 そんな血の中でただの一滴すら血を浴びていない彼は死体に背中を預けながら神呪に言葉を投げかける。

「彼女を殺そうとするのはやめた方がいい、人質の方がまだ助かる可能性がある」

 部屋の中に響く声で縁がそう口にすると、神呪の身体は絡めとられるようにして捕まってしまっていた。
 ピクリとも体を動かすことができず、腰に添えられた刃物からは切ることに対しての躊躇いの無さが感じられた。

「生きてることに気がついてやがったか」
「俺の能力の効果がまだ消えてないからな」

 体を起こしながら手を向けた縁はその場から動かず手を着物の中へと入れると、目を閉じて背後を向いた。
 まるで攻撃される事など恐れていないかのような姿勢、だがそんな姿勢を取っても自らを捕まえる男が手出しできないほどの強さを先程縁が見せたのだろうと神呪は肌で感じ取る。
 一歩前に出れば得られるだろう確実な死、それは神呪の体にすら感じられた。

「勝負をしよう。俺は彼女を助けてかつお前を殺せば勝ち、お前はこの場からソレを手に入れて逃げ切れば勝ち。ハンデとしてお前が動き出すまで手はポケットに入れたまま、背後を向いた状態で目を瞑ろう。ただし彼女に手を出そうとした瞬間殺す」
「……良いだろう」

 縁が指差したソレとは壁にかけられた十二の道具のどれか、もしくはその全てだろうか。
 あまりにも舐めていると捉えても問題はなさそうな縁の条件に対し、男はこれ幸いとばかりにそれを承諾すると神呪を手放す。
 傷をつければ死、囮や身代わりにすらならないのなら神呪は邪魔でしかないのだろう。

「開始のカウントダウンをしてあげよう。3…2…1…」

 0と呟くよりもほんの一瞬早く駆け出した男は神呪が認識できる速度など簡単超えて壁に立てかけられたソレを手にし、そのまま階段へと足をかける。
 神呪がそのことに気がついたのは2段目へと男が足をかけ始めたところ、だが縁が何かをするような素振りはない。

「逃げられるっ!!」
「まぁ良いから」

 何を守ってくれていたのかは知らないが、それを取られてしまっては大変なことになるのではないか。
 たかだか壁にかけられた何年も使われていないだろう物のために数十人が死んだのだ、それ以上の価値を持つ何かである事など語るまでもない。
 だが縁は何もする様子はなく、神呪は考えるよりも先にその男の跡を追いかける。
 逃がすわけにはいかない、逃せば家族に迷惑がかかる。
 それだけは何としても防がなければいけないのだ。
 火事場の馬鹿力とばかりに普段では使えないほどの圧倒的な瞬発力を見せた神呪は、なんとか男の足を掴むことに成功した。

「──離せ小娘がっ!!」
「絶対に離さないわよっ! とっととソレ置いて帰りなっ!!」
「この神具の価値もわからない馬鹿が──」

 腕を振り上げほんの一瞬神呪に対して攻撃の意図を示した男の体は、その腕先から徐々に切り刻まられるようにして落ちてくる。
 ぽとぼとと質量を伴って落ちてくるソレは全てが人の体であったものだ。

「は?」

 そうしてその切断は続いていき、男が疑問の声を上げたころには既に男は生命活動が困難なほどに体を切り刻まれてその場に瓦解した。
 菅野が握りしめていた男の足は気がつけば小さな肉片になっており、ぐしゅりとした間食と音が神呪の吐き気を誘う。
 何が起きたのか全く理解が追いつかず、神呪は背後にいる縁へと目線を向けた。

「ああ、だから言ったのに。手を出したら殺すって」

 どう考えても縁は一歩も手を動かしていない。
 ソレどころか背後を向いたままピクリとさえ動いていないのだ。
 だが事実男は死んだ、圧倒的な実力の前に無力にも死んでいった。
 これが最強、これがこの世界の頂点。
 ほんの少しの可能性すらもなくまるで児戯のように人の命を弄ぶ。
 そこに生や死という倫理観は存在しない、むしろソレを持つこと自体が悪であるかのような。
 そんな彼の姿に神呪は何とも言えない嫌悪感を抱いたのだった。
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