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しおりを挟む放心状態になったひなたを風呂から連れ出した。ポタポタとバスマットに水滴が落ちて染みを作る。しばらく様子を見ていたが、そばに置いてあるタオルで身体を拭くような素振りをするでもなくただただボーッと赤い顔で惚けている。
「チッ」
このままだと日が暮れてしまいそうだ。タオルを引っ掴んで濡れた体を拭くことにした。そもそも俺はノロマな奴が大嫌いだし、おまけにこいつがこの調子では俺の時間がもったいない。
さっきまであんなに熱かったひなたの身体は冷えかけていて、それが無性に腹が立つ。
「あ…ご、ごめんなさい。自分でやります」
ようやくこちらに意識が戻ってきたのか、何も身につけていない小さな体を震えさせてこちらを恐怖で滲んだ目で見上げてくる。
「黙って大人しくしてろ」
震えながらタオルに伸ばされた小さな手は無視してそのまま拭き進める。ここまでやったらもう俺がやった方が早い。
最後に肩に付いている髪から垂れてきた水を拭き取る。よし、これでいいだろう。
「髪乾かして着替えたら向こうに来い」
それだけ言うと脱衣所を後にする。背中越しにはい、と呟く消えそうな声が聞こえた。
リビングに戻るとテーブルの上で携帯が震えていた。応答ボタンをスワイプして耳に当てる。
「なんだ?」
『あ、いま出てこれる?部屋の前にいるんだけど、渡したい物あるんだよね~』
「…わかった」
ドアを開けると相変わらずヘラリと笑っている奴がいた。
「はい、これ」
ショルダーバッグをポンと渡される。なんだこれは、俺のものでもないし初めて見る。
「ひなたちゃんの荷物だよ~これないと困っちゃうでしょ」
「…あ?」
「え、だから累のじゃなくてひなたちゃんのやつだよ。ああ、お前の部屋にいる女の子の名前ひなたちゃんっていうんだよ」
「…知ってる。名前、なんでお前が知ってんだ」
苛々する。俺以外の男の口からあいつの名前が出ることも、こいつ___夏樹が知ってることも。
「なんでってそりゃ調べたからだけど」
「…何勝手に動くな」
夏樹はこれでいて仕事はできる。部下の中でも有能なやつだ。調べたってことはあいつに関する大体の情報は大方掴めているだろう。俺は下の名前しか知らないのに、こいつは名字も住所も全部知ってるはずだ。
どす黒い感情が湧き上がってきて、手の中のバッグの紐を握りしめる拳に力が入る。
「こわっ、ちょっとそんな怖い目つきで睨まないでよね。お前に関わる人間はいつも調べてるでしょ!?おまけに部屋にも連れ込んでるみたいだしさぁ~
もう、ごめんって!はいこっちは資料」
自分の眉間にグッと皺が寄るのがわかる。夏樹はおお怖っ、肩を竦めると白い封筒をポンと渡してきたので中身にサッと目を通す。
「すっごく真面目そうな子だよね。なーんであの店にいたのか気になったから店長にも話聞いたんだけどさ~
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部屋に戻り冷めてしまったリゾットを温め直してダイニングテーブルに運んだところで部屋の入り口からカタリと物音がした。
見ると用意させた服に身を包んだひなたがこちらの様子を怖々と伺っている。小動物が肉食動物に喰われないかとビクビクしているようで苛立ちを覚える。
「突っ立ってないで早く来い」
ビクッと肩を震わせたあと、すぐにこちらに歩いてくる。テーブルに着いたあと、お前も座れと目の前のリゾットの入っている皿が置いてある席を見やるとおずおずしながらも席についた。ひなたはテーブルを挟んで向かい合わせになりどこを向けばいいのか分からないといった様子で視線を彷徨わせた後己の膝を見るように俯いてしまった。
「先ほどはその、のぼせてしまったみたいでご迷惑をかけてすみませんでした。それと、服もありがとうございます」
「ああ」
「…」
用意させた服はシンプルなワンピースだった。目の前で縮こまっているひなたを眺める。対して服装にこだわりがあるわけではないが、俺の周りをよく彷徨いているやたら化粧の濃い女が着ているような派手でゴテゴテした露出が激しいようなのはこいつには似合わない。うん、やはりシンプルなものにして正解だった。これは悪くないな。
しばらくそうしていたが、いよいよ無言に耐えかねたのか意を決したようにひなたは顔を上げると
「それであの、これは…」
とリゾットを見ながらちらりとこちらの様子を伺ってくる。
「食べろ」
「…。はい」
おずおずと少量を匙で掬うと小さな口の中にパクリと飲み込まれていった。瞬間、緊張でガチガチに引きつった表情が少しだけ緩んだ。
「…おいしい」
ポソリと小さな呟きが聞こえた。一口、また一口と皿の中のものがひなたの小さな体に収まっていく。
誰かに料理を振る舞うことは滅多にない。感想を言われることも当然なかったが、案外悪い心地はしないものらしい。
「ご馳走様でした」
すっかり空っぽになった皿を見ると満足感を感じる。手を合わせて頭を下げている姿がリスのようで、思わず頭を撫でてやりたくなるような衝動を覚える。やはり俺はおかしくなってしまっているのかもしれない。ただの女1人の為にここまでするなんて俺らしくない。
という考えが一瞬頭をよぎるもののそんなことはどうでもいいかと考えを放棄する。
一通り食べ終えたところで先程届けられた荷物をテーブルの上に乗せる。
「お前のだ」
「そ、うですね…その、ありがとうございます」
「お前の物なんだ、別に礼を言われる筋合いはない」
ひなたは恐る恐ると言った様子で手を伸ばし、中身を確認している。スマホを操作し始めたと思ったら急に青ざめてしまった。
「あ…どうしよう…」
画面をスクロールしながらどうしよう、どうしようと呟いている。
「何がだ」
「ひっ、いえ、なんでもありません。すみません」
強く睨んだつもりはなかったが、先ほどまでおろおろとしていたくせにすっかり小さくなってこちらの様子を伺っている。
それを横目に見つつパサリと音を立てて封筒を一つ、ひなたの前に置いた。
「あの、こ、これは…?」
「やる」
「え、と…」
得体の知れないものをやると言われてどうしたものかと困っている様子は見ていて面白い。恐る恐る中身を覗き込んで、バサリとすぐにテーブルの上に戻してしまった。
「…!こ、れ」
「口止め料だ」
中にはざっと100万程入っている。
ひなたは金と俺の顔を交互に見やってから、意を決したように涙目になりながら真っ直ぐにこちらを見た。
「い、いりません!この件に関しては誰にも言いません!ただ解放してくださればそれだけで十分です!だから、もう許してくださいっ」
「…。足りないのか?」
「は、い?」
「お前は金が必要だと聞いた。あの店にいたのもその為だろう?」
「…あ、のなんでそれを…」
「それくらいすぐにわかることだ。あの店は俺のものだからな」
そう言うとひなたは目をまん丸に見開いて驚いたように俺を見つめてきた。小動物みたいだななどというどうでも良いことが頭を横切る。
もう一度もっと金がいるのかと問うと首を横にふるふると振って否定した。
「それになかなか楽しめたからな、それ相応の対価は用意するのが道理だ。だからそれはとっておけ」
それでもなお封筒を受け取らない。
「なんだ?まだ遊び足りないと言うなら付き合ってやってもいいぞ。お前と俺の相性は最高だからな」
身を乗り出し手を伸ばしてひなたの髪を一房手に取る。大袈裟なくらい小さな方がびくりと震え、身体も顔も強張らせる。指の間をひなたの髪がサラサラと滑り落ちていく音が聞こえる。
テーブルの上に置かれた封筒をカバンの中に滑り込ませると身を引いた。
「この話はこれで終わりだ」
ひなたがこくりと一つ頷いたことによって決着がついた。
「そしたら、その、もう帰ってもいいですか?」
「ああ、そうだな」
あっさり肯定するとひなたはあからさまに安心したようでほっ、と息を吐き出した。
「車で送ろう」
「い、いいえ!結構です。本当に、自分で帰れますのでお構いなく」
一転して慌て出したひなたに目を細めて言外に従え、と視線を投げると
「…。よろしくお願いします」
すぐに決着がついた。
車内にあるのは沈黙だけ。隣をちらりと見ればひなたは緊張しているのか拳をギュッと握りしめて口をキュッと結び不安げに揺れる瞳で前を見ている。俺は目線を前に戻し普段通ることのない道を進んでいく。
金に困っていている女が手っ取り早く稼げる仕事と聞いて浮かぶのは夜の仕事。実際先日の店はそういう店だった。あの日は料理や酒を厨房から席に運んでいただけだったようだが、それでもこいつが色を含んだ目線に晒せれるのも、あまつさえ触れられるなんて事は許せない。そんな理由で無理矢理金を押し付けた自分はやはりどこかおかしいのかもしれない。
現にこのまま家に返してそれでこいつとの関係を終わりにするつもりなど毛頭ないのだから笑ってしまう。散々抱き潰された割にあっさり解放されることに疑問をもっていないであろうひなたは酷く滑稽だ。
車を走らせながら次に打つ手を考える。俺をこんな有様にした責任はとってもらはなければな。
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