水しか出ない神具【コップ】を授かった僕は、不毛の領地で好きに生きる事にしました

長尾 隆生

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1巻

1-3

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『そこまで言うのなら仕方ありませんが、せめてお顔は上げて私の話を聞いてくださいますか?』
「はい」

 僕は真っ白な地面から女神様の顔へ視線を移動させる。

『私が伝えたいのは、あなたに与えた神具の本当の力についてです』
「本当の力? これはただ水が出るだけのコップではないのですか?」
『ええ、あなたが【コップ】と称しているその神具は、正式には【聖杯せいはい】と呼ばれていたものなのです』

 片手で握りしめたままのそれを僕は見つめた。
 ありきたりな陶器製コップにしか見えず、僕が自由に出し入れできることと、水を魔力の続く限り生み出せることを除けば、なんの変哲もないものである。
 ただ確かに【聖杯】と言われれば、取っ手もないこのコップはそう見えなくもないが。

『しかしその【聖杯】は、わけあって今は本来の力をほとんど失ってしまっているのです』

 女神様は語る。

『シアン。あなたは【聖杯】を使って、これからも人々を助け続けなさい。そうすれば失われた力は徐々に戻ってくるはずです』
「失われた力とは、どういったものなのでしょうか?」
『それは創造の……ああ、もう目覚めの時が来たようです。やはりあなたの従者は優秀な者が多い』

 ふらっ。
 突然僕の視界が揺れ、めまいに似た感覚を覚える。

「えっ一体何が……そんな、せめて【聖杯】の、このコップの力を教えてください」

 こんな中途半端なところで説明を打ち切られてはたまったものではない。
 めまいを我慢して立ち上がり、手に持ったコップを突き出して叫んだ。

「本当の力とは一体!」
『シアン、目覚めたら心の中でこう念じるのです。【スキルボード】と。さすればその力の一端がわかることでしょう』

 目の前の世界が揺らぎ、視界が白い光に満ちていく中、女神様の声だけが僕の耳に鮮明に届く。

『そして人々を幸福に導き、信頼を得るのです。それこそが【聖杯】の力のみなもとなのですから――』
「幸福に導き、信頼を得る……ですか」
『ええ、【聖杯】の力が少し戻ったのも、あなたが町の人たちから信頼を得たおかげなのです』

 僕の頭の中に、あの時一生懸命応援してくれていた人々の顔が浮かんでは消える。
 そしてバタラの……最後に見た、あの今にも泣きそうな顔を思い出した。

『もう時間がありません。あなたならきっと【聖杯】を正しく使ってくれる。そう信じています』

 その言葉を最後に僕の意識は真っ白に塗りつぶされ――

「坊ちゃん!」
「お目覚めになったぞ」

 気がつけば僕はベッドの上らしき場所に寝転がっており、心配そうにこちらをのぞき込む家臣たちの顔が目に入った。
 聞けばしばらくの間、僕は意識不明状態だったらしい。
 それどころか、少しの間心臓が止まっていたとも。
 僕が目覚めたことで慌ただしく家臣たちが走り回る中、頭の中に女神様のものと同じ声が響く。
 それは先ほど会話を交わした時とはまるで違う、機械的な口調ではあったが、はっきりと僕にこう告げた。

『条件を満たしました。【聖杯】の力が一部開放されます』


     ◇     ◇     ◇


 バタバタと周囲が慌ただしい中、僕は一人ベッドから上体を起こして考える。
 先ほどのは夢?
 それにしてはやけに鮮明だった。
 内容もはっきり覚えている。
 それに、目覚めたあとに頭の中に響いた声のことも。
 僕は女神様の言葉をもう一度心の中で反芻はんすうする。

『あなたは【聖杯】を使って、これからも人々を助け続けなさい。そうすれば失われた力は徐々に戻ってくるはずです』

 聖杯?
 これが?
 僕は右手にコップを出現させ、マジマジと見つめた。
 やはり何度見ても、ありきたりな陶器製のコップだ。
 とてもではないが【聖杯】という言葉から感じられる神々こうごうしさは一切ない。

「それに……女神様がおっしゃっていたスキルボードとはなんなのだろう」

 僕がコップを見つめながらそう呟いた瞬間だった。
 突然目の前に半透明の板が現れる。

「うわっ、なんだこれ」

 そこには数多くの『○』の形をした硬貨程度の大きさの図形が、ずらっと一面に並んでいた。
 そして一番左上の『○』の中には【水】という文字が入っており、白く輝いている。

「もしかして……これがスキルボードというものなのか?」

 僕は恐る恐るその板に手を伸ばす。
 半透明の板に僕の指先が触れた途端、ほわんとスキルボードが淡く光った。

「おおっ、さわれるのかこれ。でも感触はないな。ん?」

 ボードに触れたせいだろうか。
 先ほどまでは白く少し光っていた【水】の文字の光が消えて、灰色になっている。

「どういうことだ?」

 不思議に思いながら、その後もスキルボードを触り続けたが、触るたびに【水】の文字が明るくなったり暗くなったりする。
 女神様も使い方くらい教えてくれてもいいだろうに。
 僕は諦めてため息を一つつくと、いつものようにコップに口をつけ水を飲もうとしたのだが……

「あれっ、水が出ないぞ」

 いつもならコップを傾けて魔力を流すだけで水が出てくるはずなのに、なぜか出てこない。

「もしかして壊れた?」

 あれほど大量の水を出したのは初めてのことだったし、魔力切れで倒れたのも久しぶりである。
 そのせいでコップか、僕自身の何かが壊れてしまったのだろうか。

「いやいやいや、そんな話は聞いたことないぞ。神具が壊れるとか魔力が使えなくなるとか、ありえないって」

 では、どうして水は出なくなったのだろう。

「もしかして……これが関係している?」

 僕は未だ目の前に浮かんだままのスキルボードに目を向ける。
 試しにスキルボード上の【水】の文字をゆっくりと指で突いた。
 ほわん。
 スキルボードが一瞬淡く光ったかと思うと、ボード上の【水】の文字が白く輝きだす。

「さて、この状態でもう一度試してみるか」

 僕はスキルボードから目を離さないまま、ゆっくりとコップを口に近づけ魔力を送った。
 すると、先ほどは一滴の水も出なかったコップから水がいつものようにきだし、僕のかわいていた喉をうるおしていく。

「んぐっ。相変わらず美味くも不味くもないな。けど、これでわかったぞ」

 スキルボードを見つめながら、もう一度【水】の文字を触り暗転させる。
 そしてコップをひっくり返し魔力を送る……が、やはり水は出ない。

「つまり、スキルボードの文字が白い時には水が出て、灰色の時は出ないのか」

 今わかったのはそれだけだが、この機能は喜ばしい。
 これで、他の飲み物を入れて飲む時に誤って魔力を流してしまい、水で薄まるという事故が防げるようになるからだ。
 最近はかなり調整できるようになったが、それでも無意識に魔力を流してしまったせいで、熱々で濃い味のスープが生ぬるい薄味に変わってしまう体験を何度かしている。

「まぁ、貴族がお茶会や食事に使う食器としては無骨ぶこつなデザインだけど、こんな果ての地にまで飛ばされたんだ。今更気にすることでもないか」

 国から見放されたこの領地に、いちいち他の貴族がやってくるとは到底思えない。
 これからは貴族同士の付き合いなどほとんど考える必要はないと思うと、それはそれで寂しくもあるが、逆に堅苦しさもない。
 そんなことを考えながら、もう一度【水】の文字に触れて明転させ、コップ一杯分の水を飲み干した。

「坊ちゃま‼」

 そうして一息ついた時だった。
 開けっぱなしの扉から、執事のバトレルが現れ、ベッドの脇まで駆け寄ってきた。
 その後ろから大工のルゴス、兵士のロハゴスの筋肉コンビが少し窮屈そうに扉を通る。

「私、坊ちゃまがもう目覚めないのかと心臓が止まる思いでございました」
「バトレルは大げさだな。ただの魔力切れだから、しばらく休んだら問題な――」

 そう笑い飛ばそうとした時、三人の後ろから猛烈もうれつな殺気を感じて僕は言葉を詰まらせる。
 バトレルの肩越しに、眼鏡を掛けた気難しそうな女性が顔を覗かせ僕をにらんでいたのだ。
 その視線は暑い砂漠の地すらも凍らせるほど冷たく、背筋が震える。

「シアン様」
「は、はいっ。何かな、エンティア先生」

 旅の途中、専属教師のエンティア先生によってたくさんの知識が詰め込まれたおかげで、僕の脳みそはパンク寸前にまでなったのを思い出す。

「私の記憶が確かならば、一年ほど前にも館で同じようなことがありましたよね」
「あー。あったような、なかったような」
「あ・り・ま・し・た・よ・ね?」

 エンティア先生の眼光が鋭くなる。

「はい、ありました」
「ええ、私が偶然庭で倒れていたシアン様を見つけたわけですが。あの時、私は確かに注意しましたよね」
「あの時はほら、魔力切れで頭がぼーっとしていたからよく覚えてないんだ」

 そう言って頭をかいてごまかそうとしたが、許してくれるエンティア先生ではなかった。

「ではもう一度伝えておきますから、二度と、一生、忘れないでください」

 エンティア先生はバトレルを押しのけ、僕の顔を鋭い目つきで睨みながら続ける。

「魔力切れは最悪、命に関わります。ですので、もう二度と魔力切れを起こさないように注意してください」

 当時、まだ姉上の家庭教師であったエンティア先生にそうさとされたのは、今でも覚えている。だから、それ以降は魔力切れギリギリで寸止めするようにしていた。
 彼女の言う通り僕は本当に死ぬところだったに違いない。
 そういえば初めて女神様に会って【神託】を受けたのも、あの魔力切れの時だったっけ。
 もしかしたら、死にひんした時に女神様には会えるのだろうか。
 もう一度会って【聖杯】のことを詳しく聞きたい。
 だが命をしてまで試す気にはさすがになれない。
 僕はエンティア先生に「これからは注意するよ。もう絶対に無茶はしないから」と謝ったあと、心配して駆けつけてくれた家臣たちにも謝罪する。

「着任初日に領主が死にかけるとか、領民たちに示しがつかないしな」
「その、領民の皆様のことなのですが」

 バトレルが僕の言葉を聞いて、思い出したかのように口を開く。

「実は坊ちゃまが担ぎ込まれてからずっと、かなりの数の領民が館の前に集まっておりまして」

 もしかして赴任早々に暴動でも起きたのか?
 領主としては年若すぎる上に、僕がいきなりオアシスの真ん中でぶっ倒れたのを見て不安になったのかもしれない。
 ここは一つ領主として元気な姿を見せて、領民たちを安心させねばなるまい。

「わかった。就任の挨拶がてら、領民たちに顔を見せに行くよ」

 魔力切れで倒れたが、今の僕の体は死にかけていたとは思えないほど快調である。
 すっかり体調も元に戻っていることを伝えると、バトレルは心配そうな表情のまま頷いた。

「それがよろしいかと思われます。領民の皆様もずっと坊ちゃまのことを心配しておられましたので。しかし、体調は本当にもうよろしいのですか?」
「ああ、バトレルも知っているだろ? 魔力切れで倒れた時は、数時間休めば普通に動けるようになるってことを」

 僕はひょいっとベッドから降り、バトレルに指示を出す。

「とりあえず、実家から持ってきた領主らしい服一式と、落ち着くためにお茶を一杯くれないかな?」
「わかりました、今すぐ正装をご用意いたします……お前たちは坊ちゃまに危険のないように外で準備を整えておきなさい」

 バトレルは周りに指示を出しながら、エンティア先生たちを引き連れて部屋を出ていった。
 残ったのは、今回の領地についてきた中でたった一人のメイドであるラファムだけとなる。
 彼女は静かに僕に一礼すると、いつの間に持ってきたのか、愛用のカートの上にティーセットを広げ、お茶の用意を始めた。
 彼女のメイドとしての能力は恐ろしく高い。
 たった一人で僕の身の回りの世話を全てこなし、更にまるで未来を読んでいるかのように、僕が指示を出さずとも先回りして準備を終えていることもしばしばある。
 しかし、いつ見ても彼女の動きは謎すぎる。
 先ほどまで彼女の愛用のカートもティーセットも、この部屋にはなかったはずなのだ。
 姉上がこういったことを気味悪がって、彼女を追い出したがっていたんだっけか。
 そして僕が追放される時に、これ幸いと押し付けたと。
 ラファムが手際よくお茶の準備をしていくのを眺めながら、ふと思い立つ。

「ラファム、ちょっといいかな?」
「はい、シアン坊ちゃま。なんでございましょう」
「ちょっと試したいことがあってさ。今日は僕のコップにお茶を注いでくれないかな?」
「その神具にですか?」
「ああ」
「わかりました。ちょうど今らし終わったところですので、コップを差し出してくださいませ」

 ラファムはそう言い、お茶の入ったティーポットを持ってこちらに歩み寄る。
 僕はその間にスキルボードの【水】を暗転させて、水が出ないようにしてからコップをラファムに差し出した。
 こぽこぽこぽ。
 薄いべにがかったお茶。これは彼女が僕のために特別にブレンドしてくれた紅茶だ。
 ティーポットから注がれる紅茶の香りが、湯気と共に室内に広がってゆく。
 それと同時。
 ぽーん。
 近くからそんな音が聞こえてきた。
 なんだろうかと思ったが、確認するより先にラファムが紅茶を注ぎ終え一歩下がる。

「ありがとう、ラファム」

 礼を告げると、彼女は一礼してカートのもとへ戻り、僕の方に向き直ってその場に控える。
 たぶん、バトレルあたりに僕の様子を見ているようにとでも言われているのだろう。

「さて、このコップで水以外を飲むのは随分久しぶりだけど……どうかな?」

 コップを授かってすぐの頃、同じようにこのコップで何度か飲み物を飲もうとした時のことを思い出す。
 まだ調整がきかず、何度も水で薄めてしまった過去。
 練習を重ねてなんとか水を出さずに飲めるようになったが、コップ一杯の飲み物を飲むためにかなりの精神力を必要とするのでは割に合わない。

「じゃあいただこうか」

 僕はそう呟いて、コップから紅茶を一口飲んでみる。
 ……うん、ラファムが用意してくれるティーカップで飲むのと、なんら変わらない味だ。

「ラファムのれてくれる紅茶はいつも最高だよ」
「ありがとうございます」

 僕はゆっくりと熱い紅茶を飲みながら、ふと目線を先ほど操作したスキルボードに向ける。

「ブフーッ‼」
「坊ちゃま、どういたしましたか?」
「い、いやなんでもない。あまりに美味おいしくて、つい慌てて飲んで気管に入っちゃったんだよ」

 ゲホッ、ゲホッとわざとらしくき込む真似をする僕。

「今くものを用意いたしますわ」
「慌てなくていいからね。どうせすぐ着替えるんだし」

 そう答えながらも、視線はスキルボードから動かせなかった。
 なぜなら――

「紅茶って……さっきまでなかったよな」

 先ほど操作した【水】という文字の下にある複数の『〇』の図形。
 その中の一つに、さっきまでは確実になかったはずの【紅茶】という文字が追加されているのだ。

「これってまさか、コップに紅茶を入れたからか? だとすると、もしかしてこのコップ……いや【聖杯】の力って」

 自分の考えを確認すべく、スキルボードの【紅茶】の文字に手を伸ばして明転させ、そしてもう一度コップの中身を口にする。
 ごくごくごくごく。
 かなりの勢いで飲んでみるが、紅茶がなくなる様子は一切ない。コップから、水の代わりに紅茶が出ているのだ。

「ぷはぁ、これは凄い。大発見だ!」
「ぼ、坊ちゃま。どうしたのですか突然。熱い紅茶をそんな勢いで飲んでは、やけどしますよ」
「いや、大丈夫だ」

 僕はコップの中を見つめながら答える。
 味は、確かに先ほど飲んだばかりのものと変わらなかった。
 だが、コップから出た紅茶は常温だったのである。

「温度までは引き継がないのか。そういえば水も常温で出てくるな」
「坊ちゃま? 本当に大丈夫ですか? 独り言が多いですが、倒れ込んだ時に頭を打たれたのではないですか?」

 ラファムが何か失礼なことを言っている気がするが、今はそんなことを気にしていられない。
 これは本当に大発見だ。
 女神様から授かったコップ。
 いや、【聖杯】の本当の力は水を出す能力ではなく、中に入れた物質と同じものを魔力の続く限り無限に生み出す能力なのではなかろうか。
 まだまだ研究は必要だが、そのためには色々な物質をコップに入れて試してみなければ。
 僕の心の中に、試したい様々な事柄が湧いてきては消えていく。
 バトレルが領主としての正装を届けに来るまで、僕は考えるのをやめられなかったのだった。


     ◇     ◇     ◇


「坊ちゃま。服の支度したく調ととのいました」
「ありがとう、バトレル」

 とりあえず僕は考察を一旦やめて、手の中からコップを消す。
 同時に、目の前に浮かんでいたスキルボードも消えた。
 そういえばスキルボードを表示している間、家臣は誰も気にしていなかったな。
 もしかして、僕にしか見えていないのだろうか。
 それともただ単に、みんな見て見ぬ振りを?
 さすがにそれはないだろうけれど、頃合を見て一度聞いてみるか。
 考え事をしているうちに、ラファムが足音も立てずにバトレルの方へ移動する。

「では私がお手伝いさせていただきますね」

 彼女はバトレルが差し出した正装を素早く受け取ると、ベッドの脇に佇んでいる僕の服を一瞬で脱がし、あっという間に着替えさせた。
 早業はやわざとかそういうレベルを遙かに超えたその妙技みょうぎに、僕は驚きを隠せない。
 一方、先ほどまで着ていた紅茶まみれの寝間着ねまきは、いつの間にか用意された洗濯かごの中に軽くたたまれて仕舞われている。
 あまりの手際に、驚きを通り越しちょっとあきれてしまう。

「助かるよ、ラファム」
「これが私の仕事ですから」

 仕事と言い切られると、少し寂しい気持ちになるのはなぜだろう。
 いや、別に僕はラファムのことを女性として好きだとか、そういうことではないのだが。

「坊ちゃま。準備ができましたら玄関へ。一応私たちが護衛につきますが、十分ご注意なさってくださいませ」

 バトレルの言葉に意識を引き戻され、僕は頷いて答える。

「ああ」
「興奮した民草たみくさとは動物の大群のようなもので、押しとどめようとしても止められませぬ故」
「そんなに凄いの?」

 僕は途端に家の外に出るのが怖くなった。

「悪意があるわけではなさそうでしたが、人は集団になると、しばしば理性が働かなくなるものでして。まあ、外で待つ民たちはやや興奮状態ではあるものの、大きな問題はないと思われます」
「ふむ」

 急に襲われる可能性は低いが、油断せずに注意はしろということか。
 だったらまずは、その興奮をしずめなければなるまいな。

「それと、万が一のために料理長のポーヴァルにも護衛をお願いしました」
「ポーヴァルに? なぜ?」
「この館で一番『刃物の扱いが上手い』のが彼ですから」
「怖いこと言うなよ」

 確かに彼の包丁さばきがとんでもなく凄いのは知っている。
 ポーヴァルは偏食すぎる兄上に、栄養バランスに関して苦言を述べたせいで閑職かんしょくに追いやられたが、その能力は折り紙付きだ。
 しかし、あの技が人を斬ることに使われるのは見たくない。

「と、とりあえずポーヴァルには別のことを頼みたいんだけど、いいかな?」
「別のこと――坊ちゃまを守るより大切なことでございますか?」

 バトレルの目が真剣すぎる。
 生まれた頃からずっと僕の専属執事をやってくれているせいだろうか、時々忠誠心というか、愛情が重く感じることもある。

「ああ、僕にいい考えがあるんだ」
「それはどのような?」

 バトレルの顔に少し緊張が走った。
 わかっている。
 僕が「いい考えがある」と言いだすと、いつも碌なことにならないって思っているんだろ?
 しかし今回は大丈夫だ。
 僕には女神様からいただいた【聖杯】がある。
 だけど、【聖杯】の力を発揮するためには準備が必要だ。
 僕はバトレルの目を見返しながら、意識して優しい笑みを浮かべた。

「とりあえずルゴスとポーヴァルを玄関に呼んでくれ。僕もすぐ行く」
「ルゴスもですか? 確かに彼の怪力なら暴徒を抑えることも可能でしょうが」
「いや、その発想から離れようよ。ルゴスには急いで作ってもらいたいものがあるんだ」
「左様でございましたか、それでは急ぎ二人を呼んでまいります」

 一礼してから二人を呼びに行くバトレルの背中を見送って、僕はもう一度室内を振り返る。

「あとラファム」
「はい、いかがなさいましたか、坊ちゃま」
「君にもお願いしたいことがあるんだ。一緒についてきてもらえないか」
「はい」

 彼女が頷くのを確認してから、僕は玄関へ歩きだした。
 今からするのは、領民に僕の体が回復したことを知らせ、同時に僕の能力――というか神具の力を示すためのセレモニーのようなものだ。
 領民たちの興奮も治めることができる……はずだ。

「さぁ、少し予定は狂ってしまったが、急いで準備して領民たちに挨拶するぞ」


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