寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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幼馴染み

【十四】心傷※

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 たちばな瑞樹みずき。十年前の夏、あの日蝕の日に、目の前で自分を庇う母親をあやかしに喰われる。
 その八年後、新月の日にせいに助けられ、その姿に憧れ、幼馴染みのくすのき優士ゆうじと共に朱雀を目指す。

 瑞樹の経歴を思い出しながら、動機としてはありふれた物だと高梨は思った。
 そこまでの過程はどうあれ、それは自分と重なる物があった。
 高梨も妖に親を殺され、また、憧れとなる人も居たのだ。

 先日の巡回の時に瑞樹と優士は妖に遭遇した。
 二人共落ち着いた物だったと、天野からは報告を受けている。
 だが、それは、あの妖が屠る物では無かったからだ。
 実際に己が糧の対象として見られた時、瑞樹はどう動くのか。
 まだ、たった八歳の子供が負った心の傷は如何程の物だったのか。それには個人差と云う物もあるだろう。誰もが同じ経験をしたとして、誰もが同じ感情を抱く訳では無い。親子の仲はどうだったのか、それによっても変わるだろう。

 瑞樹と優士が入隊したその日、星が珍しく真面目な顔で高梨に話があると言って来た。誰にも聞かれたくない話だと。それぞれの隊に割り当てられた部屋の隊長室で、天野と共に星の話を聞いた。
 それは、二年前の新月の日の話だった。あの日、星は逃げ遅れた二人の少年を妖から救助していた。その二人の少年が、瑞樹と優士だったと星は語った。
 そして、こう言ったのだ。

『あいつら、危ないぞ』

 と。
 高梨と天野は僅かに眉を動かした。星が、こう云う事を口にするのは、本当に珍しいからだ。だが、だからこそ、その言葉を軽く流す事は出来ない。

『あいつら、逃げ遅れたんじゃない。妖が来るのを待ってた』

 星は当時の事を思い出しながら、話を続ける。
 新月であり、激しい雷雨の日でもあった。
 雷に盛大なトラウマを持つ星は、顔は平静を装いながらも、心の中でギャンギャン泣きながら、町の中を駆けていた。
 そんな中で、ふと嫌な匂いが鼻に付いた。雨でそれは流されて消えてしまう匂いだったが、星の鼻は確実にその匂いを捉えていた。

 ――――血の匂いだ。

 誰かが妖に襲われている。
 その匂いのする方へと星は駆け出した。その脚は早い。雨で地面が泥濘んで走り難いと思うのだが、そんな物は、その足取りからは感じられない。
 星が単独での行動を許されているのは、他の誰よりも、身体能力が高く、視覚に優れ、嗅覚に優れ、聴覚に優れているからだ。星が本気で駆ければ、誰も追い付く事は出来ない。他の者が、足手まといにしかならないから、星は単独で行動するのだ。

 町の外れにある雑木林の中に、その二人は居た。
 新月の夜なのに、何故か二人の少年がそこに居たのだ。一人は地面に蹲り、一人はその少年を庇う様に前に立ち、手にした木刀を構えて妖と対峙していた。
 その妖は、猿を大きくした様な妖だった。背中は曲がっているが、凡そニメーター程の背丈はあるだろうか。
 蹲る少年に目をやれば、青白い顔をして、げっ、げっと胃の中の物を吐き出していた。どれぐらい吐いていたのかは解らないが、その口からはもう胃液しか出ていない様だったが。雨のせいなのか、吐き出す苦しさからなのかは解らないが、その顔はぐしょぐしょに濡れていた。その少年の脇にも木刀が転がっている。

 ―――…血の匂いは…。

 無言で走りながら、星は蹲る少年の前に立ち、肩で息をしながら、必死に妖を睨み付ける少年に目を向ける。その少年の左腕、着物の袖が破けていて、そこから三本の爪跡と血が流れているのが見えた。
 バカだけど、死ななかっただけ偉い。と思いながら、駆ける脚を止めず、星は腰にある刀を鞘から抜いた。
 殺気を放てば、妖が慌てた様に星を振り返って来たが、遅い。星は軽く跳躍して、妖が己を庇う為に上げた右腕を斬り付けた。
 対峙していた少年は、星の登場に安堵した表情を見せ、妖の注意が星に向いた事を確信した後、蹲る少年の背中を擦り出し、宥め始めた。
 やがて落ち着いたのか、そこから二人は星と妖の遣り取りを真剣な表情で見始めた。それは、まるで戦い方を学ぼうとしている様な、そんな表情だった。
 今が、こんな天気で無ければ、星は『何考えてんだ!』と、二人を怒鳴っていただろうが、生憎の雷雨だ。口を開けば、情けない悲鳴しか出て来ない。もうずっと、目の端からは涙も流れているし、鼻水だって垂れている。早く帰りたい。早く雷雨に去って欲しい。星の頭には、ただそれしかなかった。
 妖の赤いまなこを貫けば、妖の身体は砂の城が崩れる様に、サラサラとその形を崩して行った。激しい雨が、その塵を流して行く。妖が居た場所には、もう何も残っては居なかった。
 星は刀を鞘に収め、ただこちらを見詰めたまま動かない二人の元へと歩いて行く。そして、まだ地面に落ちていた木刀を拾い、怪我をしている少年が持つ木刀を奪い、その二本を重ねて両腕を広げて、両端を持った後、その中心を目指して、勢い良く右膝を振り上げた。バキッと云う音を立てて、それらは真っ二つに折れた。少年二人の目が、驚きに見開かれて行く。
 星はそんな二人を『もうこんな事はするな』と云う思いを込めて睨み付け、怪我をした少年の左腕をわざと乱暴に掴んでみせた。怪我をした少年は思い切り顔を歪め、庇われていた少年が批難めいた目を星に向けたが、星は付いて来いと言う様に顎をしゃくり、少年の腕から手を離して歩き出す。
 少年の腕の傷は、思っていたよりも深くは無く、流れていた血も、ほぼほぼ止まっていた。
 そして、その町の避難場所となっている、集会所へと行けば、設置したテントの下で燃える篝火に囲まれた建物の中から、二人の親だと思われる大人が三人駆け寄って来た。男二人に、女が一人だ。三人はしきりに星に礼を言い、頭を下げて来たが、星の頭の中には『早くおいらを一人きりにさせてくれ』しか、ない。色々と言いたい事がある。あるが、まだ雷雨は鳴り止まない。星は無表情で三人の大人達と、その前でうなだれる少年二人に『気にするな、礼はいらない』とばかりに片手を上げて、それ以上何も言わない様に制して、その場からゆったりと退けば、すぐさま救護の者がタオルや毛布を持って走り寄って来た。

『ご苦労だったな、星。後は夜明けまで待機だ』

 と、高梨に肩を叩かれた星は、ぶわっと目を見開いたかと思うと、無言でそこから走り出した。
 それを見送りながら、高梨はやれやれと、被っていた隊帽を取り、頭を掻いて苦笑した。
 星が向かったのは隊員達が乗って来た、専用車の幌が掛かった荷台だ。そこに星は滑り込む様にして乗り込み、そこに重ねられている毛布の中に身体を潜り込ませて、両手でそれぞれの耳を押さえた後『ひいぃん、ひぃん、親父殿~!』と、泣き出した。
 それは、百年の恋も冷めると云う姿その物だ。
 雷雨が去るまで、星は毛布の山の中で泣き続けたのだった。
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