寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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募るもの

【二】寝癖

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「…こうなるのを望んでいた訳ではないですからね?」

 辺りに誰も居なくなった処で、津山がぼそっと呟いた。

「…そうだったら、とっくに蹴り飛ばしているから安心しろ」

 むすりとしたままで、さも当然と云う様に高梨は答えた。
 それは果たして安心して良い物なのかと思いながら、津山は掛けていた眼鏡を外して片手で目頭を押さえ、やわやわと揉み込む。

「…何処かの熊さんと違って、私はかなりか弱いので、蹴りは勘弁して下さい」

 わざとらしい泣き言を言う津山をさらりと無視して、高梨は声を低くして問う。

「…で、どうだ?」

 結果として津山が望んだ様な事が起こったのだ。
 あの日と違い、瑞樹みずきは嘔吐に苦しむ事は無かったが、我慢していたのかも知れない。それは、瑞樹にしか解らない事であるが。

「…そうですねぇ…。怪我をしたのがあなたでしたら、合法的にその身体に触れられる事が出来たのに、残念です。ああ、でも、まだ身体の出来ていない楠君も良いですが。彼の橘君以外には興味が無いと云う、粗塩な瞳はとても気持ちが良い物ですね。彼の無愛想さは、あなたに通じる物がありますし、将来が楽しみです」

 普段は眼鏡で隠されている、その涼やかな目を細め、口角を少しだけ上げて津山は笑んで見せた。

「…おい…」

 津山の言葉に、高梨は片手で額を押さえた。
 自分が今聞いたのは、そんな事では無いと。
 先程無視した泣き言の仕返しのつもりなのだろうが、この流れでそれを口にするのか。
 まあ、その上で敢えてそう云う事を言うのが、津山と云う男なのだが。
 本当に厄介な性分をしていると、高梨は思ったし、それは眼鏡全員に言える事なのかも知れないと、今は離れた地にいる眼鏡の悪友を頭に思い描きながら思った。
 たった二人の眼鏡のせいで、高梨は全世界の眼鏡を敵に回したかも知れない。

「…まあ、楠君には橘君が居ますからね。私は二人の応援に回りますよ。…橘君は…今回の事で心的外傷が悪化しない事を祈るのみですかね…。…楠君も…変に気に病まなければ良いのですが…」

「…そうか…」

 そっと目を伏せて眼鏡を掛け直す津山に、高梨はただ静かに頷いた。
 互いしか見えていない、互いしか存在しない様な二人だ。そのどちらかに何かがあれば、残った一人は儚く脆く崩れてしまうだろうと、高梨は思っていた。今回の事で、もしかしたら瑞樹はもう立つ事が出来ないのでは無いかと高梨は危ぶんだが、津山の意見はそうではないらしい。"応援"と津山は口にした。だから、津山はこのまま瑞樹を放り出す様な事はしないのだろう。後は、瑞樹と優士ゆうじ次第か。去り際の虚ろな瑞樹を見るからに、辞めたいと口にしてもおかしくはないが、果たして。

「…それにしても…」

「何だ?」

 鞄を手に取り、足を踏み出した津山の隣に高梨が並ぶ。

「杜川一族は、皆、ああなのですか? 杜川君の弟君も?」

「……………………………頚椎捻挫にならなくて良かったと思え…」

 空いている方の手で項を揉みながら呟く津山に、高梨は諦めろと言う様に、それだけを口にした。
 津山をおんぶしたままであやかしに一撃を加えるとは、せいとの付き合いが長い高梨とて、想像はしていなかったのだ。津山を放り出せとまでは言わないが、他に手段は無かったのかと思う。
 そんな星の養父である杜川が、雪緒ゆきお月兎つきとを預け、新月の中を飄々と飛び回っている事を高梨が知るのは、ほんの少しの先。そして、雪緒がみくに爆弾を投げた事を知るのも、もう少し先の話だ。

 ◇

 ………泣き声が聞こえる。
 ただ、ひたすらに己の名を呼び、泣く瑞樹の声が。

 …ああ…情けないな…。

 大丈夫だと抱き締めてやりたいのに、身体が重くて動かない。瞼も重くて、ぴくりとも動かない。言葉を出そうにも、喉がひりついていて声が出せない。
 妖に傷を負わされた事より、瑞樹に泣かれる方が痛い。

 何故、どうして。

 瑞樹ばかりが辛い思いをしなければならない?
 何故、神は皆に平等に痛みを与えない?

(…すまない…)

 …僕のせいで瑞樹の傷が更に深くなったら…。
 …僕は…何と瑞樹に謝れば良いのだろう…。
 …また瑞樹が心を閉ざしてしまったら…。 
 …また…泣きも笑いも怒りもしなくなったら…。
 …………僕は………………。

(…それでも…)

 もしも、時間を戻す事が出来たとしても、優士ゆうじは同じ行動を取っただろう。
 少年の一番近くに居たのは、優士だ。 
 手を伸ばせば、十分に届く範囲内だった。
 妖を狩るだけでは無い。
 戦えない者を守り、危険から遠ざける。
 それが、朱雀の仕事なのだから。
 だから、優士は朱雀として当たり前の事をしただけだ。
 それに。
 あの無謀だが、勇気ある少年に傷を負わせたく無かった。あの少年が、自分達と…あの日、星に助けられた自分達と…重なって見えてしまった。きっと、これはただの自己満足に過ぎない。少年の目の前で傷を負った優士を、少年はどう思っただろうか? 瑞樹の様に、心に傷を負わなければ良いがと思うのは、これもまた身勝手な事なのか。だが、そんな事を思うよりも先に、身体は動いてしまったのだ。

(…寒い…な…)

 流石に九月の半ばも過ぎ、終わりが見えて来た夜ともなれば、吹く風も冷たさを含んでいる。
 それに身体を震わせ様とした時、指先が温かい何かに包まれた。

(…瑞樹の手だ…)

 目を開けて確認が出来れば良いが、生憎とそれは叶わない。
 だが、それは瑞樹の手で間違いないと優士は確信していた。

(…そう云えば…今朝も寝癖があったな…)

 ピョンと一房だけ跳ねていた寝癖を、優士が丁寧に櫛で梳かして直したのだが、もしかしたら時間の経過と共に、また跳ねているのかも知れない。
 そう思ったらおかしくて、優士は心の中で笑った。

(…動ける様になったら…確認しないと…)

 確認して跳ねていたら、寝る前にしっかりと髪を梳かしてから眠れと言おうと優士は思った。

(…寝癖…直すのは…僕だけ…)

 取り敢えず、今は身体が望むままに休息を取る事が必要だと。瑞樹に何かを言うにしても、身体に力が入らない今では無理だと、優士は身体が求めるままに、意識を眠りの中へと落として行った。
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