旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ

文字の大きさ
44 / 45

おにぎりの日

しおりを挟む
「お帰りなさいませ、旦那様」

 勤務が終わって帰宅をすれば、雪緒ゆきおがそう言って茶の間で迎えてくれた。
 何時も玄関まで出て来てくれるのに、今日は出て来ないから何処か具合が悪いのか、はたまた何か怒らせる様な事を仕出かしたのかと、危惧しながら明かりの灯る茶の間の障子戸を開ければ、卓袱台を前に、笑顔の雪緒が両腕を広げて待っていた。

「あ、ああ、ただいま」

 …具合が悪い様には見えないし、怒っている様にも見えないな?
 まあ、取り敢えず、安心はした。

「お疲れ様です。何に致しますか?」

 ほっと内心で胸を撫で下ろした俺に、雪緒は笑顔のままで訊ねて来る。

「あ~…いや…これは、何の祭りだ?」

 祭りと言って良いのかは解らんが、卓袱台の上には、板海苔やら大葉やら焼いた鮭やら沢庵やら昆布の佃煮やら、その他諸々が小皿に乗せられて並べてあり、雪緒が座る座布団の横には、お櫃が置いてあった。

「今日は、おにぎりの日なのです」

 相も変わらず、雪緒の返答は俺の斜め上処ではない、遥か上を行く。

「…は?」

 そんな事は解り切っていた筈なのに、思わず呆けた声を出してしまった俺に、雪緒は右手で拳を作って、己の胸を叩いて見せた。

「ですから、僕はおにぎり屋さんになります。お召し上がりになりたい具材を選んで下さい」

「…成程…?」

 そんな日があったのかと、新たな発見に目を瞬かせつつ、誰の入れ知恵かと思わなくもないが、雪緒が楽しそうな様子だから口には出さないでおいた。

「…そうだな…鮭と沢庵を頼む。手を洗って来るから、握っておいてくれ」

「はい、承りました」

 ◇

 手を洗って戻って来たら、豚汁と味噌焼き握りが置いてあった。

「ん? 豚汁は良いが、これは頼んだ物とは違うぞ?」

「そちらは、お通しになります。お寿司屋さんと同じく、目の前で握ってお出ししますね」

 座布団に腰を下ろし、軽く顎先を撫でながら言えば、雪緒は当然の様に答えた。

「…そうか」

 誰に入れ知恵されたのか解ったぞ。
 お通しなんぞ、未だ酒が呑めない雪緒が知る物か。

「…あの狸め」

 頭に浮かぶのは、人をからかって遊ぶのが生き甲斐の男だ。

「ふぇ?」

 ぼそりと呟いた俺に、雪緒が軽く首を傾げた。

「ああ、いや、何でもない。有り難く戴こう」

「はい」

 大葉に包まれた味噌焼き握りを手に取れば、それは未だほんのりと温かかった。
 軽く口に含めば、雪緒は満足した様に頷き、お櫃の蓋を開け、しゃもじで飯を掬い、掌へと乗せる。そして菜箸を使い、具材をその中心へと置いた。

 …そう云えば…と、ふと気付く。

 雪緒がこうして飯を握る姿を見るのは、いつ以来だ? と。

「…旦那様?」

 ふ…と、口元を綻ばせた俺に、握り飯を差し出しながら、雪緒が不思議そうな声を出した。

「…ああ、いや、ありがとう」

 雪緒が握った飯を幾度となく食って来たが、こうして握る姿を見るのは、あの日以来だ。あの、月の無い夜の、あの日ぶり…。
 癪に障るが、相楽さがらに感謝せねばなるまいな。
 だが、本人に礼を伝えれば、調子に乗る事が目に見えているので、言わないでおく。
 懐かしい思いと、あの頃とは違う思いを胸に、俺は握り飯を頬張った。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

雪解けを待つ森で ―スヴェル森の鎮魂歌(レクイエム)―

なの
BL
百年に一度、森の魔物へ生贄を捧げる村。 その年の供物に選ばれたのは、誰にも必要とされなかった孤児のアシェルだった。 死を覚悟して踏み入れた森の奥で、彼は古の守護者である獣人・ヴァルと出会う。 かつて人に裏切られ、心を閉ざしたヴァル。 そして、孤独だったアシェル。 凍てつく森での暮らしは、二人の運命を少しずつ溶かしていく。 だが、古い呪いは再び動き出し、燃え盛る炎が森と二人を飲み込もうとしていた。 生贄の少年と孤独な獣が紡ぐ、絶望の果てにある再生と愛のファンタジー

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

猫カフェの溺愛契約〜獣人の甘い約束〜

なの
BL
人見知りの悠月――ゆづきにとって、叔父が営む保護猫カフェ「ニャンコの隠れ家」だけが心の居場所だった。 そんな悠月には昔から猫の言葉がわかる――という特殊な能力があった。 しかし経営難で閉店の危機に……
愛する猫たちとの別れが迫る中、運命を変える男が現れた。 猫のような美しい瞳を持つ謎の客・玲音――れお。 
彼が差し出したのは「店を救う代わりに、お前と契約したい」という甘い誘惑。 契約のはずが、いつしか年の差を超えた溺愛に包まれて――
甘々すぎる生活に、だんだんと心が溶けていく悠月。 だけど玲音には秘密があった。
満月の夜に現れる獣の姿。猫たちだけが知る彼の正体、そして命をかけた契約の真実 「君を守るためなら、俺は何でもする」 これは愛なのか契約だけなのか……
すべてを賭けた禁断の恋の行方は? 猫たちが見守る小さなカフェで紡がれる、奇跡のハッピーエンド。

完結·氷の宰相の寝かしつけ係に任命されました

BL
幼い頃から心に穴が空いたような虚無感があった亮。 その穴を埋めた子を探しながら、寂しさから逃げるようにボイス配信をする日々。 そんなある日、亮は突然異世界に召喚された。 その目的は―――――― 異世界召喚された青年が美貌の宰相の寝かしつけをする話 ※小説家になろうにも掲載中

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

隣国のΩに婚約破棄をされたので、お望み通り侵略して差し上げよう。

下井理佐
BL
救いなし。序盤で受けが死にます。 文章がおかしな所があったので修正しました。 大国の第一王子・αのジスランは、小国の王子・Ωのルシエルと幼い頃から許嫁の関係だった。 ただの政略結婚の相手であるとルシエルに興味を持たないジスランであったが、婚約発表の社交界前夜、ルシエルから婚約破棄するから受け入れてほしいと言われる。 理由を聞くジスランであったが、ルシエルはただ、 「必ず僕の国を滅ぼして」 それだけ言い、去っていった。 社交界当日、ルシエルは約束通り婚約破棄を皆の前で宣言する。

【完結】マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜

明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。 その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。 ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。 しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。 そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。 婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと? シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。 ※小説家になろうにも掲載しております。

処理中です...