色褪せない幸福を

三冬月マヨ

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後日譚

ぽかぽかの流れ星

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 ゆい様をお迎えして一月ひとつきが過ぎました。
 新たな年を迎えるに辺り、毎年書いていました新年の御挨拶は寂しい物になってしまいましたが、それも今年だけ、いえ、去年だけですね。
 
「ああ、今日はお星様が綺麗ですね」

 お風呂上がりに、僕は縁側で夜空を見上げながら、そう呟きました。
 二つ並べた座布団の左側に、僕は湯呑みを手にして正座をしています。湯呑みの中身は、温かな生姜湯です。ぽかぽかとした身体が、更にぽかぽかとしています。もう一つの座布団に座る方は居ませんが、お酒を注いだ盃がその脇に添えられています。

「昨日までは曇っていましたからね。そのせいでしょうか? 今日はやけに…あ、流れ星」

「ナガレボシ?」

 ええ、ここに居るのは僕一人ではありません。
 正座をした、僕の太腿の合間に小さな黒い塊…あやかしの結様がいらっしゃいます。
 常に僕が語り掛けている所為なのか、結様は僕の言葉に反応を返して下さる様になりました。

「はい。お空に浮かぶお星様が落ちる事を、流れ星と言うのですよ」

 その様な結様の変化に微笑ましく思いながら、星空を見上げながら語りましたら、腿の上で結様がびくりと、その小さなお身体を揺らしました。

「オチル!? アタルトイタイ!?」

 細く鋭い赤い目を大きく見開いて、結様が聞き返して来ます。
 えぇと…流れ星…隕石に当たる確率はどのぐらいでしたでしょうか…?
 以前に、倫太郎りんたろう様が仰っていた気がするのですが、うぅん、思い出せませんね。

「当たった事は無いですが…そうですね、とても痛いと思いますよ」

 恐らくは痛み等を感じる間もなく…とは思いますが、結様を怖がらせてはいけませんね。
 ましてや、それを願った事があるだなんて、口が裂けても言えません。

「………」

 怖がらせてしまったのでしょうか? 腿の上に居ました結様が、もぞもぞと身体を燻らせます。

「…結様?」

 腿からお腹へ、お腹から胸元へ、更には肩へと結様は登りまして、僕の頭の上に落ち付きました。

「オレ、ガンジョウ。ユキオ、イタクナイ」

 そこで、ふんっと大きく息を吐いた後に、結様はそう仰いました。

「…結樣…」

 何れ程に結樣が御丈夫でありましても、隕石の質量に敵う物ではありません。
 そう告げるのは簡単です。
 ですが、僕はそうしませんでした。

「ふふ…ありがとうございます、結様」

 僕の身を案じて下さる、そのお心遣いが嬉しくて。
 また、何故か泣きたくもなりまして。
 ついっと、顔を上げて星空を眺めましたら、また一つお星様が流れるのが見えました。
 一晩に二度も流れ星を見るだなんて、不思議な事もあるのですね?

「トドカナイ」

 思わず首を傾げましたら、残念そうな結様のお声が聞こえました。
 視界の端に、黒く細長い腕が見えます。
 ああ、結様は油断は毛虫の様なお姿ですが、お食事の時には背中から腕が生えるのです。不思議ですよね。

「ずっと、ずっと遠い処にありますからね」

 ずっとずっと遠く、ずっとずっと高い処に。
 僕は、そっと右手を動かして、温もりのない座布団に触れます。
 以前は…去年の春までは、ここに温かく力強い温もりがありましたが、今はありません。
 こちらに居ない事が、どうしても寂しくなってしまいますが、仕方の無い事なのです。
 ふっと目を細めて、軽く瞬きをしてから、僕はまた星空へと目を向けます。
 この時期に星空を眺めますのは、中々に身体に堪えますが、冬の凛とした空気の中にある星空は、それはそれはとても綺麗なのです。
 
「あ」

 また一つお星様が流れました。

「今日は流れ星が多いですね?」

 もしかしましたら、今日は、流星群が見られる日なのでしょうか?

「そうです。せっかくですから、お願いしましょうか」

 生姜湯の入りました湯呑みをことりと脇に置いてから、僕は両手を合わせて指を絡めます。

「オネガイ?」

「ええ。流れ星が消える前に三回、お願いしたい事を心の中で言うのです。そうしましたら、それが叶うと言われているのですよ。あ、ほら」

 頭の上に居ます結様に、そう説明しています間にまた、お星様が流れて行きます。
 僕は慌てて目を閉じてお願いします。
 心優しい結様が、どうか幸せで健やかであります様に、と。
 こんな、弱い僕の元へと来て下さったお方です。
 僕のお話しを飽きもせずに聞いて下さる、お優しい方なのです。お掃除のお手伝いもして下さいます。僕が作った物を、美味しいと余す事無くお召し上がりになられて、お代わりまでして下さるのです。結樣と過ごす日々が、本当に楽しく、また、幸せなのです。
 ですから、どうか。
 結様が末永く幸せで、健やかであります様に。
 ぱちりと目を開けましたら、流れ星はもう消えていましたが、きっと、叶うと思います。

「ナニ、オネガイシタ?」

「結様が幸せで健やかであります様に、ですよ」

 言葉にして、僕は気付きました。
 お願い事は口にしてはいけなかった様な?
 まあ、口にしてしまった物は仕方がありません。また、次の流れ星にお願いしましょうね。

「ユキオハ?」

 脇に置いていた湯呑みに手を伸ばしましたら、結様がそう訊ねて来ました。

「え?」

「ユキオノ、オネガイハ?」

 僕のお願いは、先程口にした通りなのですが?

「ソレ、オレヘノ、オネガイ」

 …ああ。

「僕自身のお願いでしたら、もう叶っていますから良いのですよ」

「ソウカ…」

「ええ」

 そうです。
 沢山の、抱え切れない程の幸せを僕は戴きました。これ以上がある訳でも無く、また、今以上を願うのは強欲と云う物でしょう。
 僕は、そっと胸に手をあてます。
 ぽかぽかとした想いが、ここにはあります。
 一度は忘れてしまいそうになった想いですが、ぽかぽかと在り続けています。
 それは、瑞樹みずき様や優士ゆうじ樣、他にも沢山の方々が僕を気に掛けて助けて下さったからですし、こうして結様が居て下さるからです。
 それに気付かせて下さり、また感じる事が出来ますので、本当に、僕はそれで十分なのです。

「ン。オレモオネガイスル」

「はい」

 また一つ流れ星が見えました。
 結樣も、同じ物を見たのでしょう。
 僕はお返事をして、また目を閉じます。
 先程と同じ事をお願いしても大丈夫なのでしょうか? と思いましたが、きっと大丈夫ですよね。

「………?」

 気の所為でしょうか?
 不意に、僕の右側が暖かくなった気がしました。
 そっと目を開けば、盃に注いであるお酒が小さな波紋を広げています。
 …? 風でしょうか? いえ、今夜は風もなく、穏やかな夜です。ですから、たまには星空でも眺めましょうかと、僕と結樣は、こうして居るのです。
 ゆらゆらと揺れますそれは、まるで盃を傾けて喉を潤している様にも見えます。
 
「………」

 そっと指先を座布団へとあてましたら、不思議と指先が暖かくなった気がしました。

 ………旦那様…?
 
 勿論、お姿は見えません。
 ですが、何故かそこに旦那様がいらっしゃる様な気がしました。

『全く呆れた奴だ。こんな寒い日に星見なぞ。風邪を引いたらどうする』

 その様なお声が聞こえた気がしました。
 苦笑しながらも、お優しいお声で肩を竦めて。
 それでも、その細く鋭い眼差しは優しく温かくて…。

「…だ…」

「ユキオ、オナカヘッタ」

 旦那様とお呼びしようとした処で、頭上に居ます結様がそう仰って来ました。

「あ…」

 その時、一瞬ですが風が吹きました。
 この時期では有り得ない程の暖かな風が。
 ふわりと僕の鼻先を掠めて行きました。

 …ああ…。
 そこに、いらっしゃったのですね…。

 座布団にあてた指先が震えます。
 指先は、冷たい訳では無く、不思議と暖かくて。
 胸にありますぽかぽかとした想いが、溢れ出てしまいそうです。

「ユキオ!」

「あ、ああ、はい、只今」

 結樣に急かされまして、湯呑みと盃を手に、僕は腰を浮かせます。
 
「…ありがとうございます」

 鼻先に温もりを感じながら、僕は目を細めて、くぼみの無い座布団に視線を落として、小さく呟きました。

「ン?」

「ふふ…何でもないですよ」

 僕の呟きに、頭の上で結様が身動ぎます。
 きっと、今の奇跡は、結様がお願いして下さったからなのだと思いましたから。
 ですから、ありがとうございます、と。
 僕の為に、お願いして下さって、ありがとうございます。
 ぽかぽかとした想いは、これからも消えずに、ずっとずっと、在り続けるのでしょう。
 そうであります様にと、僕は満天の星空へとお願いしました。
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