たとえ性別が変わっても

てと

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 ──最初は、“女装”をしているのではないかと思った。
 たとえば、カツラをかぶって胸パッドをつけて女性服を着たらどうだろう。俺のような野郎ならともかく、玲利の場合は見た目がほぼ女の子になるはずだ。声も高くして発すれば、もう見分けなどつかないレベルだろう。
 だから真っ先に、その可能性を考えたのだ。女子生徒としての外見を演じているのだと。

 だが──そうだとすると、おかしいことがあった。
 周りの反応である。ほかのクラスメイトたちは、玲利の姿を気にも留めていないようだった。まるで、その姿でいることがごく自然であるかのように。いつも目にしている玲利そのものであるかのように。
 彼が“男”であったことなど──誰も知らないように見えた。

「…………」

 先生の話す声が聞こえる。が、俺の耳にはまったく入っていなかった。残念ながら、今日の授業はすべて記憶に残ることはないだろう。
 頬杖をつきながら、俺はちらりと玲利の席を見遣った。彼──いや、彼女はノートをしっかりと取って、まじめに授業を受けているようだった。その様子からは、困ったり戸惑ったりしているような雰囲気が感じられない。

『あとで……昼休みで、説明……するね?』

 大混乱する俺に玲利がそう伝えたことを考えると、少なくとも彼女自身も“変化”については自覚があるらしい。ただ俺の記憶がおかしくなった、というわけではないことはいちおう保証されたことになる。
 異変を認識しているのは、今のところ俺と玲利の二人だけなのだろうか。
 だとしたら、どういう理由でこんな不可思議な現象が起きたのだろうか。
 考えても──答えなど出そうになかった。

「──じゃあ、今日はここまでにしましょうか」

 日本史の授業の終わりを告げる声が響く。これで午前の四教科はすべて終わった。つまり──ようやく、昼休みというわけである。

 俺は大きくため息をついた。
 ほかのクラスメイトにとっては、今日も変わらない日常の光景なのだろう。
 だとしたら──俺もそれを演じなければ、奇異の目で見られてしまうかもしれない。

 俺は教科書やノートを片付けると、すぐに立ち上がって──玲利の席まで赴いた。

「……よう」

 声をかけると、彼女は少し驚いたような表情を浮かべた。これほど早くやってくるとは思ってもいなかったらしい。
 俺はその顔を眺めたが、やはり玲利は玲利だった。髪が長くなっているし、胸も出ているが、顔立ちはほとんど変わっていないように見える。もともとが女性的な容姿だったので、女になってもあまり大差がなかった。

「──昼飯、買いにいこうぜ」
「……あ……うん」

 玲利はこくりと頷くと、財布を持って立ち上がった。
 俺が歩きだすと、彼女もその後ろをついてくる。廊下に出てから少しして、俺はちらりと後方に目を向けたが──玲利はやたら控えめで不慣れそうな歩き方をしていた。

「……どうした? 体調でも悪いのか?」
「そ、そういうわけじゃ……ないけど」

 俺が怪訝そうにしていると、彼女はどこか恥ずかしそうに、視線を斜め下に向けて言った。

「その……スカートが、慣れなくて」
「……あー」

 なるほど。
 もし自分がスカートをはいたら、と考えると納得だった。ズボンと感触が違いすぎて、人前で歩くのに妙な抵抗感があるのも頷ける。今の玲利が女であろうと、その感性や経験は男のもののままのようだ。
 俺は歩くスピードを緩めて、玲利と肩を並べた。隣り合うと先日との違いにも気づく。どうやら少しだけ背も低くなっているようだった。

 一夜にして肉体が変化するとは、どういう気分なのだろうか。
 本人から話してもらいたい事柄は山ほどあったが、とりあえずは──昼食の用意が優先か。

 昨日よりも早く購買所に着いたので、買い物で困ることはなかった。数分とかからず、俺たちは食べ物と飲み物を確保する。あとは、いつもなら教室に戻って食事をするだけだが──

「──こっち、行こうぜ」
「……え?」

 帰路の途中、俺は親指で階段のさらに上を指し示した。クラスの教室は二階なので、なぜ三階を提案したのか玲利にとってはわからなかったのだろう。

「──ひとがいない場所のほうが、いいだろ?」
「……ぁ、そっか。そうだね」

 その言葉で、彼女も理解が及んだらしい。
 昨今は少子化が社会の問題となっているが、その影響で生徒数が減っているのは言わずもがな。昔よりもクラスの数が減ったことにより、この学校にはけっこう空き教室が存在していた。
 が、まったく使われていないわけでもなく、生徒たちは休み時間の溜まり場や、放課後の部活動の場所として利用していたりした。わりと自由で便利な多目的室というわけである。

 三階を見て回った俺たちは、いちばん奥の教室が無人であることを確認した。半分物置のようになっている空き教室で、奥には机と椅子が積まれていた。この見栄えの悪さなら、さすがにほかの誰かがやってくる可能性も低いだろう。

「──で、だ」

 俺は手近にあった椅子に座ると、玲利に目を向けた。その瞬間、彼女の表情に緊張のようなものが浮かぶ。……なんだか尋問しているような気分になってしまう。

「座ろうぜ」
「……うん」

 前の席を指差すと、玲利はおずおずと頷いて、椅子を後ろに向けて座った。机を挟んで、正面から対峙する形である。こうして間近で向き合うと──なぜか、妙な気恥ずかしさが少し湧いた。
 体の距離はいつもと変わらないはずだが、相手が“女”というだけで心理的なプレッシャーが生まれるのだろうか。

 その柔らかそうなセミロングの髪と、ブレザー越しでもはっきりわかる胸の膨らみ、そして以前と変わらぬ華奢な姿かたちと、可愛らしい顔つき。美少女と呼ぶことに誰もが同意するであろう女の子だった。
 それが親友であると理解していても──さすがに、完全に普段どおり接するのは難しいのかもしれない。

「……えっと」

 玲利は少し困り気味の顔色で、おずおずと口を開いた。
 説明する、と言ったのは彼女だが、いざその場面になると話の切り出し方がわからないのだろう。うまい言葉が見つからなさそうな様子なので、俺は自分のほうから問題に迫ることにした。

「──昨日、電話くれたよな」
「……うん」
「あれは──その体の異変が起きたから、でいいんだよな?」

 玲利はやや上目遣いで、肯定するように控えめに頷いた。その挙動は、やたら女性らしい愛嬌がある。……もとから時折の振る舞いが男性的ではなかったが、体が変わった今は余計にそのしぐさが目立った。

「突然のことだったから……思わず、電話かけちゃった。ごめんね、あんな時間に」
「いや、いいさ。誰だって、んな超常現象に見舞われたら誰かと連絡を取りたくなる」

 もし俺が、たとえば朝起きて女になっていたりしたらどうだろうか。たぶん最初は夢なんじゃないかと、頬をつねったりするだろう。そして覚めない現実だと知った時、きっと誰かに相談をしたくなるはずだ。
 ……という想像を働かせたところで、いや待てよ、と俺は思いなおした。

 そもそも、昨夜の玲利はそこまで混乱していただろうか。肉体が不慮の怪異に襲われたというわりには──どうにも、声にネガティブな感情がなかったように思えた。というか……むしろ、喜びさえにじんでいるような語調だった気がする。
 まるで、“願い”が叶ったことを嬉しがるような。
 ……俺の私見に過ぎないが。

「──家族は?」

 無責任な思考を振り払いつつ、俺は彼女に尋ねた。
 どうやっても朝は家族と顔を合わせるだろうし、何か変わったところがあれば気づくはずだが……。
 そう思ったのだが、玲利は困惑したように首を振った。

「何も言ってこなかった」
「……何も?」
「そう、何も。ボクに変化が起きたなんて、思ってもなかったみたい」
「はあ……そりゃ……」

 考えが追いつかない俺に対して、玲利はさらに情報を口にする。

「あと、女子の制服を着てるからわかると思うけど……“持ち物”もぜんぶ変わっていた。クローゼットのズボンは、スカートになっていたし──」
「下着も、か」
「ぅ……うん」

 玲利は小声で頷くと、少し恥ずかしそうに自分の胸を抱いた。腕に圧迫された膨らみが、形を崩して服に浮き出る。
 その女性らしい部分がやけに目立つのは──たぶん、華奢な体型でアンダーバストが小さいわりに、トップバストが大きいからだろう。カップサイズには詳しくないので目算はできないが、見た感じでは明らかに巨乳の部類だった。
 ……などと、親友の胸を分析している場合ではない。

「──つまるところ」

 俺は思い出したように昼食のパンを手に取りながら、肩をすくめて言った。

「現在だけでなく、過去の事実さえ改変されている……ってことか」

 あるいは──じつは現実のほうが正しくて、玲利が男だった過去など夢に過ぎなかったのではないか。……胡蝶の夢のような話だ。どちらが“あるべき現実”なのか、今の時点では判断を下すことは無理だった。
 俺たちは食事をしながら、あれこれと語りあってみたが──この超常現象をまともに理解することなどできるわけもなく。今の状況をとりあえず受け入れることしか、残念ながら方法がなさそうだった。

 ──昼食が一段落ついたところで、俺はため息のような呼吸をしてから玲利に尋ねた。

「これから、お前はどうする?」
「どう……って?」
「あー、その……あれだ。体が変わったから、学校での過ごし方を変えたりするか──って話」

 玲利はよくわからなさそうに眉をひそめて、すぐに答えを口にする。

「べつに、とくに変えなくても……いい、かな?」
「以前と同じように、俺と一緒にメシを食うか?」
「う、うん。……ぁ……もしかして……冬也くんは嫌だったり──」
「いや、俺は気にしないが」

 要らぬ心配をしていそうだったので、きっぱりとそう伝える。俺自身に関しては、玲利が女であろうと仲良くしたいという気持ちがあるので、そこは問題ではなかった
 ……というか。問題なのは、当人同士の好き嫌い云々ではなく。

「俺は気にしないんだが……周囲から“そう”見られることが、玲利は嫌じゃないか、という話だ」
「……そう見られる?」

 きょとん、とした表情を浮かべたのも束の間だった。ようやく理解したのか、彼女は「ぁ……」と小さく声を漏らし、徐々に頬を赤くしていった。

 ──男子と女子が毎日のように一緒にいたら、周りはどう思うだろうか。常識的に考えれば、その二人は“そういう関係”なのだと見なされるに違いない。
 まあ……こうして今も二人っきりでいる時点で、今さらな感じもあるが。
 いちおう、その点についての意見だけ確認しておこうと思ったのだ。

「…………」

 よっぽど恥ずかしさがあるのか。
 玲利は俯きがちに、目線は横へ逸らして、どこか吐息には湿っぽさを含んでいて──
 まるで告白前の緊張に胸を高鳴らせているかのような、そんなしぐさだった。

「ぃ……」

 だが、口に出すことを決心したのか。
 胸の奥から、自分の気持ちを絞り出すかのように。
 玲利は小さな声で、おずおずと言葉を紡いだ。

「……いや、なんかじゃ……ない、よ……?」

 …………。
 その反応は、さすがにこっちまで小恥ずかしくなるんだが。

「……そうか。じゃ、これからもよろしくな」

 俺は努めて平静を装いながら、穏やかな声色で言った。あえて玲利の態度に言及しないほうが、この場ではいいだろう。茶化したら彼女が羞恥で死にかねない。

「う、うん、よろしく」

 玲利は真っ赤な顔で、ほほ笑んで頷いた。その初々しい態度は、まるで恋する乙女のようだ。昨日まで男だったとは思えない、可憐でいじらしい少女がそこにいた。

 ──前々から、振る舞いがあまり男らしくないと思っていたが。
 今や肉体が美少女のものになったせいで、その素振そぶりと相まって女性的な魅力に満ちあふれていた。
 おそらく世の大半の男は、その可愛らしさに見惚れてしまうくらいに。

 どこか他人事のように、そんな考えを巡らせつつ。
 俺はふと、思ってしまった。

 ──はたして、俺はどう感じているのだろうか。
 今の玲利に対して、女性となった彼女に、俺が抱いている感情は。

 それを探ることは──少しだけ、もの恐ろしさがあって。
 答えは、すぐに出せそうになかった。
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