上 下
12 / 72

12.ただの俺

しおりを挟む
 熱海といえば温泉だ。そして、温泉といえば癒し。食事は、役作りであまり食べることはできないけれど……。
 個室付きの露天風呂を堪能した後、ヒナキは1人広縁でのんびりとCDを聴いていた。持参したポータブルプレイヤーに、ヘッドホン。音源は、もちろんURANOSだ。
 2ndアルバム「RERISE」。この中には、一世を風靡したデビュー曲「ARISE」の他に、ライブの定番「World's Code」、恋愛を歌ったバラード「Your Song」などが収録されている。
 サブスクライブの音源よりも、CDの方が好きだ。ヒナキは目を閉じて、「Your Song」に聴き入った。
 JUNの甘い歌声。普段のハードな曲に比べればずっと柔らかく、透き通った声。彼の音楽はいつだって繊細で、それでいてダイナミックなのだ。
「あなたの名前を……呼ぶ……」
 小さな声で口ずさむ。JUNの声に重ねて歌うだけで、まるで彼がそばにいるような気がした。
 間奏に入り、ギターソロが始まる。その途端、ヘッドホンの外からノックをする音が聞こえた。
「はい?」
 ハッと目を開けて、立ち上がる。相良だろうか。そう思って玄関へ向かう。しかし、開いた扉の先にいたのは、予想外の人物だった。
「JUNくん」
「突然すみません」
 ヒナキは慌ててヘッドホンを外し、JUNを中に入れた。廊下を見渡してから、戸を閉める。一般の旅館である以上、この並びの部屋には関係者しか泊まっていないとはいえ、人目につくリスクは充分あるのだ。
「どうしたの?」
「あの……相談したいことがあって。ヒナキさんくらいしか、話せる人がいないから」
 JUNは撮影の時と同じく、浮かない顔をしていた。そうか。ミスを気にしていたわけではなく、悩み事があったのか。気が付かなかった……。
 ヒナキは振り向いて、改めてJUNの姿を見た。今の彼は、旅館の浴衣を着て、髪を下ろしている。
——めっちゃレアだ。なんか色っぽい……じゃなくて!
 困っている後輩を放っておくわけにはいかない。ヒナキは彼を広縁の椅子へ座らせると、向かい側に自分も座った。座敷よりは、隣の部屋に声が聞こえづらいだろう。
「相談ってのは?」
「はい……ちょっと変な話なんですけど」
「うん」
「あと数ヶ月で死ぬとしたら……どうするのが正解だと思いますか?」
「え?」
 思わず聞き返す。JUNは、至って真剣な表情をしていた。冗談を言っている様子はない。
「あ、その……そう、アオイの話だと思ってもらったら。彼、もうすぐ死ぬじゃないですか。脚本上は」
「ああ……うん」
「最初から長く生きられないって分かってたのに、それでも好きな人に告白して、付き合って、最後は宣告通りに死に別れるのって……どうなのかなって」
「どうってのは?」
「本人はそれで幸せだったのか……それと、カガリの気持ちを考えたらどうなのかって。アオイの自己満足でカガリは一生引きずるし……でも、カガリはカガリでアオイのことが好きだったから、死ぬまでに結ばれなかったらそれはそれで辛かっただろうし。何が正解だったんだろうと思うんです」
「なるほどね……」
 それは難しい問題だ。ヒナキは思わず目をくるりと回し、考え込んだ。そんな重い話をされるとは思っていなかった。とはいえ、彼は今火野カガリを演じる役者なのだ。ストーリーについて考察する上で、どうしてもこの問題には行き当たってしまうだろう。
「時間がないと分かっていても、好きな人と結ばれるべきでしょうか?」
 そう言ったJUNの両眼は、少しだけ潤んでいるように見えた。あるいは、この部屋の照明がそう見せるのだろうか。ヒナキはすっかり目を奪われて、瞬きさえ忘れていた。そのキラキラ光るブラウンを見つめたまま、徐ろに口を開く。
「僕は……もし、自分が死ぬと分かっていても……アオイと同じようにするかもしれない」
「どうして?」
「どんな状況であれ、もし好きな人が自分を求めてくれるなら、応えたい。それに僕は……終わりがわかっているんだとしても、死ぬ時に後悔しない方を選びたいんだ」
 JUNの目が僅かに瞠かれる。こんな答えでよかったのだろうか。しかし、これはヒナキの本心だ。いつ訪れるとも分からない人生の終わりという瞬間に、後悔はしたくない。そう思って、今も役者の仕事をしているのだから。
「そう……なんですね」
 しばらくの沈黙の後、JUNは再び口を開いた。さっきよりは、幾分穏やかな面持ちになっている。彼がそっと両手を握り締めた動作を、ヒナキは見逃さなかった。
「ヒナキさんって……本当に目が綺麗ですよね」
 JUNは突然そう言った。何を言われたのか分からなかった。しかし、彼は確かにヒナキの目をじっと見つめている。
「見るたびに色が違う。どうして……? 撮影の時は、海みたいに透き通った青色だったのに。今は、柔らかいグレーだ」
 JUNはヒナキの目を通して、どこか遠いところを見つめているようだった。一体何を考えているのだろう。わからないけれど、緊張して、自然と鼓動が速くなってしまう。
「ヒナキさんが涙を流しているの……演技だと分かっていても、辛かったんです。変、ですよね」
 JUNはそう言って苦笑した。それは、先ほどのカガリと同じように悲しげな色を浮かべていた。
「別に変じゃないよ」
 ヒナキは咄嗟に答えたが、直後に唇を噛んだ。続きの、うまい言葉が見つからない。
「なんていうか……そう言われるとちょっと恥ずかしいけど……でも、人が泣いているのを見て胸が痛むのは、JUNくんが優しいからだよ」
「そう思いますか?」
「うん」
 その答えに、JUNはあまり納得がいっていないようだった。彼が優しい人間であることは間違いないのに。ヒナキは首を傾げる。
「俺はね、ヒナキさん。絶対すぐに終わりが来るって分かっているなら、好きだって告白をできない気がするんです。好意を抱いているだけなら、その人を巻き込まずに済むから。もし、万が一相手に求められたんだとしても……応えられないです。俺じゃその人を幸せにできないって、分かってるから」
 JUNは立ち上がり、窓の外を見た。白い肌を、月明かりがほんのり照らす。神秘的だ。
「でも……ヒナキさんの話を聞けて安心しました。例え世界が終わる前日でも、後悔しない方を選ぶ人生も悪くないなって、思います」
「……うん」
「すみません。困らせちゃいましたね。今のはURANOSのJUNじゃなくて、ただの俺としての言葉です」
 JUNはヒナキの元へ歩み寄ると、そっと跪いた。それから、ヒナキの手を取って視線を合わせる。突然のことで、ヒナキは何も身動きが取れなかった。
「ヒナキさん。これからは、URANOSのJUNじゃなくて……倉科潤として仲良くしてくれませんか。あなたがJUNのファンでいてくれるのは非常に嬉しいんですが……JUNはステージの上にしかいませんから。こうして、ただの俺とも話をしてほしいんです」
「ただの……潤くん?」
 JUNの——倉科潤の口元に笑みが浮かぶ。潤はゆっくりと頷くと、ヒナキの手を両手で包んだ。
「よかったら呼び捨ててください。俺なんて、まだまだひよっこなんですから」
「うん……わかったよ、潤」
「ありがとうございます」
 潤は、ヒナキの手の甲をゆっくりと撫でた。それから、静かに離れていく。名残惜しいと思ってしまうのは、相手がURANOSのJUNだからだろうか。ヒナキは触れられた手を確かめるように握りながら、立ち上がった潤を見上げた。
「そろそろお暇します。いきなりお邪魔してすみませんでした」
「いや、いいんだよ。いつでも来てよ」
「はい」
 潤はぺこりとお辞儀をすると、まっすぐ部屋の玄関へ向かった。ヒナキは慌てて後を追って、戸を開けようとする潤の腕を掴んだ。
「あ、あのね! この間のFC限定ライブ……見たよ。配信だけど。感動した」
「え……」
「それじゃ、気をつけてね。おやすみ」
 潤はしばらく目を丸くしていたが、やがてふっと笑みを浮かべると会釈をした。
「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」
 戸が閉まった後も、ヒナキは彼の遠ざかっていく足音にじっと耳を澄ませていた。







しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

女装魔法使いと嘘を探す旅

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:78pt お気に入り:8

年下の夫は自分のことが嫌いらしい。

BL / 完結 24h.ポイント:667pt お気に入り:218

女装転移者と巻き込まれバツイチの日記。

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:191pt お気に入り:24

女装人間

現代文学 / 連載中 24h.ポイント:227pt お気に入り:12

海のギャングになんか負けない!〜シャチとサメ〜

BL / 連載中 24h.ポイント:860pt お気に入り:4

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:22,353pt お気に入り:1,378

顔の良い灰勿くんに着てほしい服があるの

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:198pt お気に入り:0

やり直せるなら、貴方達とは関わらない。

BL / 連載中 24h.ポイント:5,206pt お気に入り:2,717

処理中です...