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Season1 セオリー・S・マクダウェルの理不尽な理論
#017 理不尽な講義 Talent or effort
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8月15日、潜入捜査2日目。
「……暁、ちゃんと見ていてくれていますの?」
『ああ、向かいの建物の屋上からちゃんと見ている。何かあれば誰かが駆け付けられるように準備しある。安心してそこで学校を見学してくれ』
「レーツェル。学校のシステムの掌握は?」
『完了したよっ! 映像は逐次バックアップを取っているから、もし消されても大丈夫っ!』
小型イヤホンの向こうにいる暁へとレーツェル、セオリーは小声で語りかける。
相も変わらず暁とレーツェルの口調は互いに感情の起伏が正反対。
本日のセオリーはクラス3-Aの生物学の退屈な授業見学を終え、校内見学をさせて貰っていた。
「乍而先生ですか? とてもいい先生ですよ? あの美形ですから女の子から人気あります」
且又乍而について生徒に聞き込みをしていたところ、どの生徒も男女問わず人気で凄くいい数学教師という評価だった。
「男の子とはゲームの話で盛り上がっていますよ。たしかCelestialClanChronicleとかいう……」
且又は落ちこぼれの生徒に対して親身になって接し、彼が接した生徒は例外なく成績が向上したという。
教師陣からも学園総体の成績を底上げしてくれる信頼に足る人物であるという凡そ肯定的な印象で占められていた。
「時々今自分が何をやっているのか分からなくなりますわね」
消火栓の横で壁にもたれかかりセオリーは天井を仰ぐ。
「……ねぇ、暁? 聞けば聞くほど良い先生という話しか聞かないのですけれど、私達先入観を抱いているという可能性があるのではなくて?」
『ああ、確かにその可能性もゼロじゃない。これはそれを調べるためでもあるんだ。それはアンタも分かっているだろう? 嫌なのは分かっているつもりだ。我慢してくれ」
例外なく成績が向上するという点に関して言えば、『レトロウィルスベクター』を使用して大脳新脂質や海馬の活性化を行えば可能だ。
恐らく良いアドバイスと悪いアドバイスの区別が付かず、もしくは良いアドバイスだと巧みな話術で信じ込ませているという悪い想像するだけならセオリーにも容易に出来る。
(子供の脳は親や年長者の言う事を何でも信じる傾向にある。それは自然の中で身の危険を経験で学習するよりも、危険について経験則が予め入っている子供の脳の方が生存には有利だったからですわ。ですが――)
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という鉄血宰相の言葉の悪い面が出ている。
子供の脳の脆弱性を利用され、水面下で心のウイルスというべき広がりを見せているのかもしれない。
例えそうだったとすれば、問題なのはどういう症状が出ているのかだが、セオリーは多少の見当は付いているがまだ確証を得らない。
(下種の勘繰りかもしれませんわね……)
一人一人問診するわけにもいかず、セオリーは蟀谷を抑えている不意に声を掛けられる。
「どうされましたか?」
且又であった。銀髪青眼の優男、無機質なその白い肌で作ったような笑顔を浮かべている。
その気味の悪さにセオリーは公演中にも感じた寒気がこみ上げてくる。
まるで自分の遺伝子が『この男は危険』と訴えかけるような、例えるなら生理的、本能的と言うよりもずっと根源的な嫌悪感。
セオリーはそれを噛み締めるかのようにぐっと堪え、平静を取り繕う。
「すこし眩暈がしただけですわ。大丈夫です。お気遣い頂いてありがとうございます」
「セオリー・S・マクダウェル博士ですよね? 昨日の講演大変勉強になりました」
「ありがとう。そう言っていただけて嬉しいですわ」
「僕は3年A組の担任、且又乍而。よろしかったらこれから昼食でもご一緒に如何でしょうか? 実は僕は博士からもう少しお話を伺って見たいと思いまして」
(虫唾が走りますわ)
「えっと、何か?」
調査の上では願っても無い申し出だ。且又乍而がここで何をしているか詳しく分かるだろう。
もの凄く気乗りしないが――
『そのまま彼女に付いて、探れ』
と、暁が耳元で淡々と囁くので、仕方がない。
(どうせでしたら、『愛』を囁いて欲しいですのに……)
「やはり、気分が優れないようでしたら、また別の機会に……」
「いええ、構いませんわよ」
「そうですか、ありがとうございます」
銀髪の男、且又に食堂へとセオリーは案内される。
セオリーは食堂と聞かれると、天井からシャンデリアがぶら下がるファンタジックなイギリスの大学の慣れ親しんだ食堂を思い出す。
しかし私立霜綾学園の食堂はバリエーションに富んでパステルカラーの装飾が施されていてセオリーにはとても新鮮だった。
且又が居なければ、そう感じることが出来ただろう。
且又のせいですっかり食欲を失ったセオリーは、飲み物だけにして固形物は入れなかった。だがそれは正解だったかもしれない。
手元にある味のしない紅茶がその証拠だ。
一刻も早く彼から離れたい気持ちで一杯なセオリーは自分から語り掛ける。
「それで且又先生が聞きたいことって何かしら?」
優雅に紅茶の香りを楽しんでいた且又の表情は眉一つ変えない。
(本当に気持ち悪いですわね……)
且又は静かにティーカップを置いて口を開いた。
「博士は遺伝子が人間の運命を決定づけると思いでしょうか?」
「いいえ、思いませんわ。遺伝子が見るのはちょっと先の未来。自然淘汰の中で優位な形質を見るだけです」
セオリーは肩を竦める。
「先見の明があるのは人の脳の方ですわ。もしかして昨日の講演そういう風に聞こえたかしら?」
「そうではないのですが、良かったです。僕の認識が間違いではなくて……」
且又は作ったような安堵の表情を浮かべて、更に話を続ける。
「でも博士? 現状日本はGADSの遺伝子の適性により職業を選ぶ。これによって不幸になる人間は少なくなったでしょう」
GADSの最終目標は最大多数の最大幸福の実現だ。且又の言う通り挫折などのストレスを日本人は追う事が非常に少なくなった。
「ですが適性が無いというだけで本当に自分がやりたいこと、好きなことを諦めなければならいという、この社会の実情はどう思いますか?」
流石は多感な時期の生徒を抱えると、『得意なこと』と『好きなこと』の間で葛藤する生徒が出てくると、且又は笑って見せる。
生まれた時から好きなことばかりやっていたセオリーはそんなこと一度も悩みはしなかったが、理解できない悩みではない。
「僕はGADSの適性診断に捕らわれず、子供達には自分の可能性を信じて欲しいと思っているんですよ。DNAのスイッチは人間の努力次第で変えられるでしょう?」
「ええ、そうですわね。遺伝子の発現は大きく見て周囲の環境が影響します」
肥満が良い例だ。例えば寒冷地においては脂肪の蓄積が生存に有利に働く。そういった形質は子供へと遺伝して生存率を高めるように出来ている。
「確かに貴方が思っている通り、はっきり言ってGADSによる社会は人為淘汰の何物でもありませんわ。悪く言えば豚の品種改良」
セオリーはティーカップを置く。
「GADSはその人為淘汰によって社会へ盲目的に従う人間を品種改良によって生み出そうとしているにすぎません」
冷徹な功利主義の賜物であるGADSの恩恵を、功利主義を嫌う人間が甘んじて受け入れているのだ。セオリーはこれほど滑稽な話はないと思っていた。
さらに悲惨なのは自分達が遺伝子を支配し、利用していると思っていて利己的な遺伝子の片棒を担がされているという実態。
「私が興味のある人は何かを求めて努力する少数派、そして遺伝子の意志を覆すチャンスを伺うものです。貴方の遺伝子の利己性に抗う姿勢は悪くないと思いますわ」
実に不本意で、彼の人間性はどうであれ、セオリーはその姿勢だけは好感を覚える。
「私が最も軽蔑するのは何も考えず、無難に気楽な生涯を追い求める俗物――ですが本当に最も嫌う人間は悪意をもって全てを利用しようとする者ですわ」
そのセオリーの言葉に反応したのか、少しだけ且又の表情が歪んだ。
「……暁、ちゃんと見ていてくれていますの?」
『ああ、向かいの建物の屋上からちゃんと見ている。何かあれば誰かが駆け付けられるように準備しある。安心してそこで学校を見学してくれ』
「レーツェル。学校のシステムの掌握は?」
『完了したよっ! 映像は逐次バックアップを取っているから、もし消されても大丈夫っ!』
小型イヤホンの向こうにいる暁へとレーツェル、セオリーは小声で語りかける。
相も変わらず暁とレーツェルの口調は互いに感情の起伏が正反対。
本日のセオリーはクラス3-Aの生物学の退屈な授業見学を終え、校内見学をさせて貰っていた。
「乍而先生ですか? とてもいい先生ですよ? あの美形ですから女の子から人気あります」
且又乍而について生徒に聞き込みをしていたところ、どの生徒も男女問わず人気で凄くいい数学教師という評価だった。
「男の子とはゲームの話で盛り上がっていますよ。たしかCelestialClanChronicleとかいう……」
且又は落ちこぼれの生徒に対して親身になって接し、彼が接した生徒は例外なく成績が向上したという。
教師陣からも学園総体の成績を底上げしてくれる信頼に足る人物であるという凡そ肯定的な印象で占められていた。
「時々今自分が何をやっているのか分からなくなりますわね」
消火栓の横で壁にもたれかかりセオリーは天井を仰ぐ。
「……ねぇ、暁? 聞けば聞くほど良い先生という話しか聞かないのですけれど、私達先入観を抱いているという可能性があるのではなくて?」
『ああ、確かにその可能性もゼロじゃない。これはそれを調べるためでもあるんだ。それはアンタも分かっているだろう? 嫌なのは分かっているつもりだ。我慢してくれ」
例外なく成績が向上するという点に関して言えば、『レトロウィルスベクター』を使用して大脳新脂質や海馬の活性化を行えば可能だ。
恐らく良いアドバイスと悪いアドバイスの区別が付かず、もしくは良いアドバイスだと巧みな話術で信じ込ませているという悪い想像するだけならセオリーにも容易に出来る。
(子供の脳は親や年長者の言う事を何でも信じる傾向にある。それは自然の中で身の危険を経験で学習するよりも、危険について経験則が予め入っている子供の脳の方が生存には有利だったからですわ。ですが――)
『愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ』という鉄血宰相の言葉の悪い面が出ている。
子供の脳の脆弱性を利用され、水面下で心のウイルスというべき広がりを見せているのかもしれない。
例えそうだったとすれば、問題なのはどういう症状が出ているのかだが、セオリーは多少の見当は付いているがまだ確証を得らない。
(下種の勘繰りかもしれませんわね……)
一人一人問診するわけにもいかず、セオリーは蟀谷を抑えている不意に声を掛けられる。
「どうされましたか?」
且又であった。銀髪青眼の優男、無機質なその白い肌で作ったような笑顔を浮かべている。
その気味の悪さにセオリーは公演中にも感じた寒気がこみ上げてくる。
まるで自分の遺伝子が『この男は危険』と訴えかけるような、例えるなら生理的、本能的と言うよりもずっと根源的な嫌悪感。
セオリーはそれを噛み締めるかのようにぐっと堪え、平静を取り繕う。
「すこし眩暈がしただけですわ。大丈夫です。お気遣い頂いてありがとうございます」
「セオリー・S・マクダウェル博士ですよね? 昨日の講演大変勉強になりました」
「ありがとう。そう言っていただけて嬉しいですわ」
「僕は3年A組の担任、且又乍而。よろしかったらこれから昼食でもご一緒に如何でしょうか? 実は僕は博士からもう少しお話を伺って見たいと思いまして」
(虫唾が走りますわ)
「えっと、何か?」
調査の上では願っても無い申し出だ。且又乍而がここで何をしているか詳しく分かるだろう。
もの凄く気乗りしないが――
『そのまま彼女に付いて、探れ』
と、暁が耳元で淡々と囁くので、仕方がない。
(どうせでしたら、『愛』を囁いて欲しいですのに……)
「やはり、気分が優れないようでしたら、また別の機会に……」
「いええ、構いませんわよ」
「そうですか、ありがとうございます」
銀髪の男、且又に食堂へとセオリーは案内される。
セオリーは食堂と聞かれると、天井からシャンデリアがぶら下がるファンタジックなイギリスの大学の慣れ親しんだ食堂を思い出す。
しかし私立霜綾学園の食堂はバリエーションに富んでパステルカラーの装飾が施されていてセオリーにはとても新鮮だった。
且又が居なければ、そう感じることが出来ただろう。
且又のせいですっかり食欲を失ったセオリーは、飲み物だけにして固形物は入れなかった。だがそれは正解だったかもしれない。
手元にある味のしない紅茶がその証拠だ。
一刻も早く彼から離れたい気持ちで一杯なセオリーは自分から語り掛ける。
「それで且又先生が聞きたいことって何かしら?」
優雅に紅茶の香りを楽しんでいた且又の表情は眉一つ変えない。
(本当に気持ち悪いですわね……)
且又は静かにティーカップを置いて口を開いた。
「博士は遺伝子が人間の運命を決定づけると思いでしょうか?」
「いいえ、思いませんわ。遺伝子が見るのはちょっと先の未来。自然淘汰の中で優位な形質を見るだけです」
セオリーは肩を竦める。
「先見の明があるのは人の脳の方ですわ。もしかして昨日の講演そういう風に聞こえたかしら?」
「そうではないのですが、良かったです。僕の認識が間違いではなくて……」
且又は作ったような安堵の表情を浮かべて、更に話を続ける。
「でも博士? 現状日本はGADSの遺伝子の適性により職業を選ぶ。これによって不幸になる人間は少なくなったでしょう」
GADSの最終目標は最大多数の最大幸福の実現だ。且又の言う通り挫折などのストレスを日本人は追う事が非常に少なくなった。
「ですが適性が無いというだけで本当に自分がやりたいこと、好きなことを諦めなければならいという、この社会の実情はどう思いますか?」
流石は多感な時期の生徒を抱えると、『得意なこと』と『好きなこと』の間で葛藤する生徒が出てくると、且又は笑って見せる。
生まれた時から好きなことばかりやっていたセオリーはそんなこと一度も悩みはしなかったが、理解できない悩みではない。
「僕はGADSの適性診断に捕らわれず、子供達には自分の可能性を信じて欲しいと思っているんですよ。DNAのスイッチは人間の努力次第で変えられるでしょう?」
「ええ、そうですわね。遺伝子の発現は大きく見て周囲の環境が影響します」
肥満が良い例だ。例えば寒冷地においては脂肪の蓄積が生存に有利に働く。そういった形質は子供へと遺伝して生存率を高めるように出来ている。
「確かに貴方が思っている通り、はっきり言ってGADSによる社会は人為淘汰の何物でもありませんわ。悪く言えば豚の品種改良」
セオリーはティーカップを置く。
「GADSはその人為淘汰によって社会へ盲目的に従う人間を品種改良によって生み出そうとしているにすぎません」
冷徹な功利主義の賜物であるGADSの恩恵を、功利主義を嫌う人間が甘んじて受け入れているのだ。セオリーはこれほど滑稽な話はないと思っていた。
さらに悲惨なのは自分達が遺伝子を支配し、利用していると思っていて利己的な遺伝子の片棒を担がされているという実態。
「私が興味のある人は何かを求めて努力する少数派、そして遺伝子の意志を覆すチャンスを伺うものです。貴方の遺伝子の利己性に抗う姿勢は悪くないと思いますわ」
実に不本意で、彼の人間性はどうであれ、セオリーはその姿勢だけは好感を覚える。
「私が最も軽蔑するのは何も考えず、無難に気楽な生涯を追い求める俗物――ですが本当に最も嫌う人間は悪意をもって全てを利用しようとする者ですわ」
そのセオリーの言葉に反応したのか、少しだけ且又の表情が歪んだ。
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