お隣さんは小豆洗い

礼三

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狐の通り雨

 庄太郎は仕事帰り、体力作りのために走ることにしている。電車やバスを利用しても構わないのだが、職業柄、身体が鈍っていては困るからだ。
 野川の川沿いを走っていると細かな雨が降り出した。通り雨だろう、庄太郎はスウェットのフードを被る。
 桜に誘われて川べりを歩いている人たちはにわか雨に少し慌てていたが、小雨がぱらつく程度なので、そのまま桜鑑賞を続けている。
 庄太郎も足を止めて、桜を見上げた。
 狐の嫁入りのようだ。木々の間から紺碧の空に浮かぶ滲んだ上弦の月。

『綺麗だ』
 
 まだ淡い色の桜がぼんぼりの灯りに浮かびあがる。雨の雰囲気を醸し出し幻想的な風景に庄太郎は感嘆した。
 開花したばかりで、すぐに散ることはないだろうが、雨に流されて水面へ落ちる白い花びらは月影とともに細波に揺れている。何とも儚く切ない。

『都心は満開かもしれないな』

 同じ東京とはいえ、ヒートアイランド現象の影響か、ここら辺りは開花時期が違う。数日、遅れて桜前線がやって来るのだ。

『2、3日で…。いや、明日ぐらいには…』

 日中の麗らかな日差しが桜の開花を促し、すぐに見頃になるだろうと庄太郎は予測した。
 親子が庄太郎の横を通り過ぎていく。

「つめたいっ!ママなんで雨がふっているの?お空にお月さまが見えるのに!」

 肩へ掛けていたストールを外して、母親と思しき女性は幼子へそれを巻きつける。

「あぁ、狐さんがお嫁に行っているのかもしれないね。そんな日は狐が雨を降らせて、惑わすらしいよ」

「きつねさんが?ボク、見てみたい!」

 母親は曖昧な記憶を探りながら話す。

「見てはいけないんだって、悪いことが起こるとか何とか…。風邪をひいてはいけないし、帰ろうか?」

「えぇ!」

 口を尖らせた子供は不服そうに声をあげたが、母親は強制送還とばかりに子供を抱きあげ家路を急いだ。
 庄太郎は親子の背中を見送る。思わず、笑みをこぼす。

『可愛らしい会話だったな』

 庄太郎は再び足を進めた。しばらく、軽快に疾走していると人通りがまばらになり、そのうち人の気配を感じなくなった。

 シャンシャン、リーン、リーン…。

 何処からともなく鈴音が耳を突く。

 シャンシャン、リーン、リーン…。

「ははっ、ははははっ」

「ふふふふっ」

 白装束を着た童たちが高い笑い声を響かせて庄太郎の脇を駆けていく。
 干渉しない方がお互いにとって無難なのだが、庄太郎はつい歩調を緩めた。
 足音も立てずに白無垢姿の花嫁が近づいてくる。綿帽子で顔半分が隠れており、目元は見えなかったが、真っ赤な紅をつけた唇の口角が僅かにあがった。
 紋付袴の男性が彼女の足元を提灯で照らしながら先導している。

『珍しく、質素だなぁ。いつもならもっと行列が続くのに…』

 花嫁は庄太郎へ静かにお辞儀をした。その一連の動作は嫋やかで美しい。

 シャンシャン、リーン、リーン。
 
 庄太郎は会釈を返して無言のまま立ち去った。

『何か、良いことがあるかもしれないな』
 
 狐の嫁入りと出会うことは不吉と捉えられがちだが、狐の振る舞いといって幸福をもたらしてくれる伝承も多々残る。
 庄太郎は子供の頃から何度も遭遇しているが、今のところ不幸に見舞われたことはなかった。
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