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読まなければよかった小説
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その小説は、逆説が多く、難解なパラドックスに満ちている。
頽廃的で、危険な言い方をすることも多くあまりにも蠱惑的で、
いっぺんに読むことができなかった。心なしか甘松香のような芳香すら、
その本から漂っている気がして、そんなところにも魅了された。
こりゃあ、禁書だな、と密かに思っている。
人生の秘密が惜しみもなく晒されているからだ。
舞台は19世紀の英国。
彼は、ヴィクトリア朝の最中に生きた作家である。
奇抜な格好が好きで、目を引くような優雅さがあり、
透徹した観察眼とウィットに富んだ物言いをして周囲を騒がせた。
言動、価値観、心の機微を捉える鋭さ、どれもが卓越しており、
貴族のような人々からしたら、パーティーにも、
邸宅にも呼びたくなるのは、まさにこういう人なのだろうと思う。
よくパリでは、見た目がどんなに美しい人でもまったくモテない
なんて話を聞く。おかしい、そんなはずはと思ってわけを
聞くと、話が面白くないからだと。
魅力とはまさしく、洒落た会話、楽しませる会話。
それでいうと、ここに出てくる語り手は、まさに最高の人物である。
逆説をたぶんに含んだ快楽哲学ではあるが、
どれだけの人を虜にしたか、わからないほど、
退屈とはあまりにかけ離れている。
誰もが心の奥底では意識していたであろう人間の本質を、
惜しみもなく暴いてくる直球さには、共感せざるを得ないのだ。
たとえば、
「思想の価値は、それを表現する人物の誠実さとは
なんのつながりもない、むしろ、人物が誠実さを欠けば欠くほど、
思想の知性度は純粋となる。というのも、その場合、思想が、
個人の願望、欲求、偏見といったもので彩られる心配がないからだ」とか、
「実際にだれも自分というものを正しく理解してはいない。
ましてや、他人を理解するのはなお難しい」とか、
「人間にもっとも強く君臨する情念は、
人間がその素性に関して、自己欺瞞を行っている情念にほかならない」とか、
「情念の奇妙にして冷酷な論理、そして感情に彩られた理性の姿を
目に留め、情念と理性の出会う地点と分離する地点、調和する地点と
衝突する地点を知ること。そこにはこの上ない喜びがある」
なんかは、かなり鋭い視点だと思う。
哲学的なところでフロイトやバシュラールなどの影響を
受けているのだろうか。こういった理論は鋭いだけで道連れにしてくるわけでは
ないので、まだいいとして、問題はもっと足を引っ張ってくるような、
頽廃と快楽と破滅に誘うような、危険な持論が多いことにあった。
そして、それがあまりにも魅力的で、私はもうずいぶん長いこと影響されてしまって、
未だに抜け出せていないこと。
これは良くない、と思いつつもどうも頭から離れずにいる。
しかも、ずるいのは彼はしばしば、"芳香"を使ってくる。
人間の五感のうち、感情や記憶と何よりも密接なのが
嗅覚であることを科学的に知っている彼は、影響を及ぼしたい相手が
いる時に、香りを使い分けるのである。かつて、古代エジプトの王で王女でもあった
クレオパトラや、中国の四大奇書のひとつである金瓶梅にも度々使われた手法である。
さらには、声が大変に美しいこと。聞きやすい低音・テノールの、リュートの音を思わせるような心地いい響きを持ち、ゆっくりとしたその語り口調は、説得力においてもさぞ効果を発揮したことだろう。
この本は、科学と情念とをものすごく絶妙な塩梅で取り扱い、それを巧みに言葉でもって落とし込んでいる。たとえそれが、爆論でも詭弁でも、聞く者を納得せしめるだけの魅力があった。美や、若さ、快楽という人間が負けやすい欲望を刺激して煽り、主人公は自分自身の行為によってさらに取り憑かれたように、香り、宝石、刺繍と次々と興味の対象を乗り換えていくのである。
こうした、移り気はよく理解できる。熱しやすく冷めやすい人間の性とも言えるだろう。それへの興味というのは、言ってしまえば、それが持ち合わせている魅力や効果に惹かれたにすぎず、だからこそ、そこを味わってしまえばそれへの興味は途端に損なわれ、その結果あっさりと捨て去ることが可能となる。
そして、興味の喪失は、新たな興味の誕生を意味する。これこそが快楽主義者たらしめるものだ。ファッションに、音楽に、絵を描くこと。今まで自分が嵌ってきたもの、そして、飽きて離れていったことの数々が思い出された。
これらの対象物へのあこがれに共通して見られるのは、感覚の重視。
音楽は聴覚を、宝石は視覚を、刺繍や法衣は視覚や触覚を刺激する。
感覚を研ぎ澄ませて、刻々と変化する瞬間の人生を捉えようとする姿勢が
快楽主義の根底をなしているのだ。
そして、この語り手は響きの良い声で言う。
「美の探究こそ人生の秘密だ」
しばらく影響されているが、この小説を読んでから実はもう3年も経っている。
頽廃的で、危険な言い方をすることも多くあまりにも蠱惑的で、
いっぺんに読むことができなかった。心なしか甘松香のような芳香すら、
その本から漂っている気がして、そんなところにも魅了された。
こりゃあ、禁書だな、と密かに思っている。
人生の秘密が惜しみもなく晒されているからだ。
舞台は19世紀の英国。
彼は、ヴィクトリア朝の最中に生きた作家である。
奇抜な格好が好きで、目を引くような優雅さがあり、
透徹した観察眼とウィットに富んだ物言いをして周囲を騒がせた。
言動、価値観、心の機微を捉える鋭さ、どれもが卓越しており、
貴族のような人々からしたら、パーティーにも、
邸宅にも呼びたくなるのは、まさにこういう人なのだろうと思う。
よくパリでは、見た目がどんなに美しい人でもまったくモテない
なんて話を聞く。おかしい、そんなはずはと思ってわけを
聞くと、話が面白くないからだと。
魅力とはまさしく、洒落た会話、楽しませる会話。
それでいうと、ここに出てくる語り手は、まさに最高の人物である。
逆説をたぶんに含んだ快楽哲学ではあるが、
どれだけの人を虜にしたか、わからないほど、
退屈とはあまりにかけ離れている。
誰もが心の奥底では意識していたであろう人間の本質を、
惜しみもなく暴いてくる直球さには、共感せざるを得ないのだ。
たとえば、
「思想の価値は、それを表現する人物の誠実さとは
なんのつながりもない、むしろ、人物が誠実さを欠けば欠くほど、
思想の知性度は純粋となる。というのも、その場合、思想が、
個人の願望、欲求、偏見といったもので彩られる心配がないからだ」とか、
「実際にだれも自分というものを正しく理解してはいない。
ましてや、他人を理解するのはなお難しい」とか、
「人間にもっとも強く君臨する情念は、
人間がその素性に関して、自己欺瞞を行っている情念にほかならない」とか、
「情念の奇妙にして冷酷な論理、そして感情に彩られた理性の姿を
目に留め、情念と理性の出会う地点と分離する地点、調和する地点と
衝突する地点を知ること。そこにはこの上ない喜びがある」
なんかは、かなり鋭い視点だと思う。
哲学的なところでフロイトやバシュラールなどの影響を
受けているのだろうか。こういった理論は鋭いだけで道連れにしてくるわけでは
ないので、まだいいとして、問題はもっと足を引っ張ってくるような、
頽廃と快楽と破滅に誘うような、危険な持論が多いことにあった。
そして、それがあまりにも魅力的で、私はもうずいぶん長いこと影響されてしまって、
未だに抜け出せていないこと。
これは良くない、と思いつつもどうも頭から離れずにいる。
しかも、ずるいのは彼はしばしば、"芳香"を使ってくる。
人間の五感のうち、感情や記憶と何よりも密接なのが
嗅覚であることを科学的に知っている彼は、影響を及ぼしたい相手が
いる時に、香りを使い分けるのである。かつて、古代エジプトの王で王女でもあった
クレオパトラや、中国の四大奇書のひとつである金瓶梅にも度々使われた手法である。
さらには、声が大変に美しいこと。聞きやすい低音・テノールの、リュートの音を思わせるような心地いい響きを持ち、ゆっくりとしたその語り口調は、説得力においてもさぞ効果を発揮したことだろう。
この本は、科学と情念とをものすごく絶妙な塩梅で取り扱い、それを巧みに言葉でもって落とし込んでいる。たとえそれが、爆論でも詭弁でも、聞く者を納得せしめるだけの魅力があった。美や、若さ、快楽という人間が負けやすい欲望を刺激して煽り、主人公は自分自身の行為によってさらに取り憑かれたように、香り、宝石、刺繍と次々と興味の対象を乗り換えていくのである。
こうした、移り気はよく理解できる。熱しやすく冷めやすい人間の性とも言えるだろう。それへの興味というのは、言ってしまえば、それが持ち合わせている魅力や効果に惹かれたにすぎず、だからこそ、そこを味わってしまえばそれへの興味は途端に損なわれ、その結果あっさりと捨て去ることが可能となる。
そして、興味の喪失は、新たな興味の誕生を意味する。これこそが快楽主義者たらしめるものだ。ファッションに、音楽に、絵を描くこと。今まで自分が嵌ってきたもの、そして、飽きて離れていったことの数々が思い出された。
これらの対象物へのあこがれに共通して見られるのは、感覚の重視。
音楽は聴覚を、宝石は視覚を、刺繍や法衣は視覚や触覚を刺激する。
感覚を研ぎ澄ませて、刻々と変化する瞬間の人生を捉えようとする姿勢が
快楽主義の根底をなしているのだ。
そして、この語り手は響きの良い声で言う。
「美の探究こそ人生の秘密だ」
しばらく影響されているが、この小説を読んでから実はもう3年も経っている。
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