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プロローグ

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「キャー! ひったくり! 誰か止めて!」


最初に聞こえてきたのはそんな悲鳴だった。

振り返ると俺の目に入ったのはその悲鳴を上げた人物と思われる中年のおばさんと、その人の前を走る原付の男。

その男の手には不釣り合いな女性物の鞄が握られていて、「ああ、こいつがひったくりなんだな」となんとなく頭の中で理解していた。

こういう時、普段から不足の事態に準備していないと体が動かないって聞いたことがあるけどこの日の俺は違った。

走り去ろうとする原付の男の前に両手を広げて立ち塞がる俺。

今にして思えば轢かれてもおかしくない相当危険な行為だけど、この時はなぜかそうするのが正解だと思ったんだ。


「おわっ!」

突然立ち塞がった俺に驚いて体勢を崩して原付から転がり落ちる男。ヘルメットと黒いマスクで顔はよく見えなかったけどこいつも中々歳のいったおじさんだったと思う。


男が倒れた時にそのまま取り押さえることができれば警察から感謝状をもらえるような美談にできたんだけろうけど流石にそこまでは咄嗟に体は動いてくれなかった。


倒れて痛がる男を見ながら俺はただ棒立ちをしていただけである。


「痛つっ……くぅ……クソガキがぁっ」


涙目で立ち上がりながらも男は俺を睨んだ。

そして懐に手を入れて取り出したのは……ナイフだった。


「邪魔すんじゃねぇよ、ガキがっ!」

と男はナイフを振り上げてこっちに向かってくる。

銀色に光るナイフを見て俺は完全に固まっていたし、向かってくる相手を倒せるような護身術の覚えもない。


もしかしたら、この時男は本当に刺すつもりなんてなかったのかもしれない。

だって、ひったくりと殺人なんて罪を重ねたらよくわからないけど相当な罪状になるだろう。

本当はナイフを出して俺をビビらせて早々に逃げ去るつもりだったのかも。

それか、男も相当焦っていて反射的にナイフを取り出してしまっただけか。


まぁ、とにかく男の本当の思惑はわからないけど結果としてナイフは俺の腹に刺さった。

あまり具体的に言うとグロくなるし、俺も怖くて思い出したくないから言わないけどとにかくまぁ、すごい量の血が出ていた。

かなり痛くて、なんとなく体の中で心臓が脈打つのがわかって、心臓が脈打つたびにナイフの刺さった腹部から大量に血が流れていくのもわかった。


俺を刺した男は明らかに怯えていて、逃げるわけでもなくその場であたふたとしていた。


意識が朦朧として、目を開けてるのも辛くなってきて、眠くなるようなそんな感覚の中で俺はなぜか男の乗ってた原付の方を見ていた。


多分、もし男が逃げた時のために原付のナンバープレートを覚えようとしたんだと思う。


でも、どうにも限界が近づいてきて俺は意識を手放した。


次に目を覚ました時には俺はベッドの上にいた。

最初は病院に運ばれたんだと思った。
でもすぐに違うと気づく。

なぜならそこはあたり一面が真っ白な部屋で、ポツンとベッドが置いてあるだけ。

そこに眠らされていた俺以外には誰もいない。

それに、お腹の傷も消えていた。


「なにここ……天国かな?」


不可解な状況だったけど、死んだのならそれでもいいかと妙に納得できた。

ここが天国なら家族に会えるかもしれないし、とにかく俺は最後には人助けをして命を落としたことになるわけだから、両親もきっと褒めてくれるだろう。


そんなわけで、俺はしばらく白い部屋の中で誰か来るのを待ち続けた。


ここが病院にしろ、天国にしろ待っていれば誰か来るだろうと思ったのだ。

なにせここには扉はないし、というよりも見渡す限りが真っ白な場所で室内なのかどうかも怪しい。

誰かを探して動き回るより、静かに待っていた方が良さそうだったのだ。

そして、俺の思惑通りにしばらく待っているとある人物がやって来たのだった。
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