Calling

樫野 珠代

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秘書編

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決別の言葉が自分自身にも深く重く圧し掛かる。
改めて自分がいかに恭介を想っているのかを痛感した。
出来ることなら1秒でも早くこの狭い空間から逃げ出したい。
だけどそれなりの速度が出ている車から飛び出すことなんてできないし。
何よりも私ももう一人ではない。
お腹に・・・そうよ、この子を守るためにも頑張らなくちゃ。
そこでふと朱里の脳裏に新たな問題が浮上した。
それは恭介が待っていた場所だ。
そこは産婦人科からそんなに離れていない場所で、容易に病院が見える位置だった。
そこから出てきた人間は見えていたはず。
つまり・・・そこから出てきた私のことも見ていたはず。
だって私が病院から出てきてすぐだったもの、彼が目の前にいたのは。
ということは・・・ううん、そうじゃない。
あの場所で待っていたという時点で彼は全てを知っていたということじゃない?
でなければあんな場所にいるはずないもの。
知っていて、私に会いにきたということ?
何のために?
朱里の心がざわめく。
彼はさっき俺達のこれからを話し合おうと言った。
それが私の考えてるようなことじゃなく、もしかして別の意味なんじゃない?
考えられることが一つある。
彼の目的が私自身ではなく、私のお腹の子のこと。
彼が何らかの形でこの子のことを知って、そして考えた末に出した結論が今日ここに来たことだとしたら?
駄目だ、悪いことしか浮かばない。
この子を奪われる、そんな考えしか。
自然と朱里は自分の体を抱きしめていた。
ふいに隣りからため息が聞こえた。
朱里はどくんと心臓が飛び跳ねた。
そして、
「君は何もわかってない。俺の想いも周りの状況も。」
静かだった車内に恭介の低い声が響いた。
暗く重い気分だった朱里はその声でようやく我に返った。
何もわかってないって・・・?
わかってるわよ、わかってるから私はこの答えを出した。
それなのに、何もわかってないって言い切るのはないんじゃない?
朱里は沸々と怒りが込み上げてきた。
「十分すぎるくらいわかってるわ。だから私は二階堂を辞めたの。」
「へぇ、俺の気持ちを無視して?周りの人間に害を及ぼしてるのに?それでもわかってると?」
恭介の言い方に朱里の怒りが一気に爆発した。
「わかってないのはどっちよ!私はずっと考えて、悩んで、そして別れを選んだのよ!その方があなたや会社の為だって、そう思ったから!だから・・・。」
「それがわかってないって言ってるんだ。」
「え・・・。」
恭介に言葉を遮られ、朱里は戸惑う。
「俺のため?会社のため?違うだろ。君は楽な方に逃げただけだ。」
「な・・・。」
恭介の発言に朱里は言葉を失った。
「じゃあ聞くけど、俺のためって何?何が俺のためになってるんだ?君がいなくなることで俺にどんなプラスがある?言ってみろよ。」
「そ、それは・・・私なんかよりもあなたにはもっと相応しい人が・・・。」
「俺に相応しい?君も会長と同じ考えなのか?世間体を考えることや会社のための政略結婚が俺の幸せだと君は言いたいのか?」
「そ、そうじゃない!そうじゃなくて・・・私には何もないから・・・。二階堂とつり合う身分でもないし、実家と言っても私は養女で元は両親さえいない。あなたを高められるお金も力もない。何もないの。そんな人間があなたの隣りに居ちゃいけないのよ。それだけで笑い者になるわ。私にはそれが耐えられない。私のせいであなたが笑い者になるなんて・・・だから・・・」
「だから?俺が笑い者になるのが嫌だという理由で別れるっていうのか?」
「そ、そうよ。」
すると恭介は両手でハンドルをドンっと叩きつけた。
「そんなことで納得できるわけないだろ!君はどうなんだ?君の気持ちは?俺を好きだって言ったあの言葉はもう過去なのか?それとも最初からあれは嘘だったのか?」
「ちがう!嘘なんかじゃない!でも好きだけじゃどうすることもできないことだってあるのよ!あなたは二階堂のトップにいる人間なの。その人相手に私個人の感情を押しつけるなんて出来ない。」
「どうして気持ちを抑えようとするんだ。俺はそんなこと、望んじゃいない。言っただろ、もっと俺に頼れって。我儘だって言ってくれても全然いいんだ。なぜ君は俺に何も話さない?」
「私だって好きで抑えてるわけじゃない!言いたくても言えないんじゃない!秘書をしてたからあなたがどんなに忙しい人か知ってるわ。それにあなたは多くの社員の人生を背負ってるのよ。ただでさえ大きな負担を抱えてるのに、言えるわけないでしょ?!」
「それでも言ってくれよ!俺にだって自分の時間だってあるし、君を守る余力だってある。君が一人で悩んで苦しんでることの方が俺にはよっぽど堪える。今回のことにしてもそうだ。俺はそんなに頼りないか?俺じゃ君を幸せにできないのか?」
「やめて!もういや!聞きたくない!私は決めたの!もう戻れないの!」
「朱里!」
「なぜ会いに来たの!?会いたくなんかなかった!あなたの顔なんて・・・・っ・・・。」
会えばこうなることがわかっていた。
穏やかな生活が一瞬にして乱されることなんて容易に想像がついていた。
だから会いたくなかったのに・・・・。
堪えていたものが一気に溢れ、それが涙となって頬を伝う。
手で拭っても留まることを知らないかのように次々と膝に落ちていく。
「・・・君は卑怯だ。俺が君の涙に弱いことを知ってるくせに・・・泣くな。わかったから・・・。」
恭介は運転しながら上着からハンカチを取り出し、朱里に差し出した。
「本当は無理やりにでも連れて帰るつもりだった。でも・・・・・・もういい。君の人生だ。楽に生きろ。」
突き放された気がした。
隣りを見るととても冷たい表情の彼がいた。
その表情を見て、ああ本当に終りなんだと思った。
朱里は胸が締め付けられた。
「っ・・・。」
何か言いたかった。
ううん、本当は胸に飛び込んでしまいたかった。
何も考えず、自分の気持ちのまま行動することが出来たらどんなに幸せだろう。
でも出来ない。
痛い。
心と体がバラバラになりそうで、痛くて苦しい。
「そろそろ着くぞ。」
恭介の声が朱里を現実へと連れ戻す。
朱里が窓の外を見ると、見慣れた場所であることに気づく。
あと少し行けば、涼のマンション。
彼はそこまで知っていたのだ。
その事実がさらに追い討ちをかける。
車が徐々に減速し、とうとうマンションの前に止まった。
最後に何を言えば良いのか。
朱里はシートベルトを外しながら考えたが、結局、言葉が見つからない。
そして、
「・・・じゃ。」
そう言って車から降りた。
すると助手席の窓を開け、
「待て。これ、上月から君に渡してくれって頼まれたものだ。」
そう言って恭介が朱里に小さな箱を差し出した。
朱里はそれを見つめ、ゆっくりと手を伸ばすと恭介がその手をつかんだ。
「俺は・・・・・・君と・・・愛した人とだったらどんな事でも乗り越えられると信じてたよ。でもそれは俺の勘違いだったみたいだ。俺の愛した人は努力家でどんなに困難なことでも最善を尽くす人だったから。何も試そうともせずに自己完結するような人じゃなかった。どうやら俺の愛した人はもう消えてしまったらしい。」
「き・・・。」
彼の名前を呼ぼうとした。
しかしそれよりも前に彼がそれをシャットアウトするように箱を朱里に持たせると、視線を前に向けた。
「仕事に戻る時間だ。それじゃあ元気で、風立さん。」
そう言って恭介の車はエンジン音を高らかに鳴らし、その場から去って行った。
車が見えなくなるまで朱里はずっと見続けていた。



 

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