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第二章 かたおもい
第十七話 ある日、森の中。
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―――十年前、トゥーティス大陸、北の森。
「いやああああっ!!」
どうして私はこんな所にいるの?
こんな真っ暗な場所に来た覚えはない。
じゃあ、何故私はこんな森の中にいるの?
幾ら考えても答えは出ず、けれど今足を止めてしまえば私の命が消えてしまう事は解っていた。
皆は何処に行ったの?
どうして私は一人なの?
追って来ているのは一体何?
夜に光る目を持っていると言う事は肉食獣?
だとしたら、ウサギの私なんて敵う訳がない。
恐怖で必死に動かしていた足が震え出す。
駄目。
今ここで足を止めたら私は…。
解っていた。
ここで足を止めたら死んでしまうって事を。
「きゃっ!?」
木の根に足が引っかかった。
コロンコロンと体が前転する。
しまったと思った時には遅かった。
背後に迫る影。
「…グルル…」
重低音の唸り声。
怖くて、でも確認せずにもいられなくて。
振り返ったそこには、鋭い牙と赤い口内…。
「た、助けてぇっ!!」
誰もいないって解ってるのに、叫んでいた。
目をきつく閉じて、頭と【耳】を手で守る様にして身を縮ませた。
せめて一思いに齧らず丸のみしてくれることを祈る。だけど…。
…?
待てども待てども覚悟した衝撃が来ない。
どうして…?
恐る恐る目を開くと、私の目の前には茶色の壁。
体格差があり過ぎて解らない、けど…。
でも、恐らく私の目の前にいるのは、熊だ。
「……退きなさい。彼女が【琳五家】の令嬢と知っての狼藉ですか?」
「グルル…」
「…聞けないと言うのならば、僕の権限で拘束させて頂きますが、宜しいか?」
狼数体と熊一体。
本気で戦ったらいい勝負なのかもしれない。
けれど、目の前の熊は圧倒的な威圧感を放ち、狼達はその圧に尻尾と頭を垂れて行く。
「……キュゥ~ン…」
「…何故、この女性を狙うのかは知らないけれど、こんなか弱い女性を追い掛け回すのはいただけません。立ち去りなさい」
熊がそれを言い放つと、狼達はじりじりと後退し、距離がとれた段階で走って逃げて行った。
「…大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう…ですの」
熊は私を片手であっさりと持ちあげると、その大きな手で私を優しく撫でた。
「可愛い…」
「え?」
「僕の周りには【草色(くさいろ)】の【祝福】持ちはいないから尚更そう思ってしまうね」
「あ、あの…」
優しく撫でる熊の手とその暖かい言葉に私は何を言っていいのか解らなくて、口ごもってしまう。
「…そうだ。忘れていた。実は僕、君を追い掛けていたんだ」
「私を?」
「うん。はい、これ。落としたでしょう?」
熊が器用に爪の先に引っ掛けてるのは…私のイヤーカフ。走って逃げている間に落としたんだ。
「一つしか拾えてなかったから、両方とも落としていたら一つだけ戻って来ても迷惑かとも思ったんだけど」
言いながら熊は私の耳にそっと触れて優しく撫でた。
「もう一つは落としていなかったみたいだね。ホッとした」
「あ、ありがとうですの…。このイヤーカフは私のお気に入りですの」
うさぎの手では上手く付けられないから、そのイヤーカフを両手で受け取った。
「それ不思議な花の形してるね。見た事がない」
「これは、【桜】と言う花なんですの。私の暮らす里にしか咲かない花」
「へぇ…。君の白い毛並みにとっても似合う桃色の花なんだね」
珍しそうに眺めるその瞳は獰猛な熊とは違い柔らかい色をしていた。
「【桜】か。話には聞いたことがあるけど、実物を見たことなかった。ねぇ、君。もし良かったらその花のある場所に案内してくれない?」
「え?」
驚いて見上げてしまった。熊は駄目?と首を傾げる。
肉食獣を可愛いと思ったのは初めて。
あ、でも、案内は出来ても見せてあげる事は出来ないのだった。
「ごめんなさいですの。見せてあげたいのですが、今桜は咲いていないんですの」
「咲いていない?何故?」
「?、桜は春にしか咲かないんですの」
「あ、成程。そういうことですか。…なら、季節が春になったらまた君に会いに来ます。そうしたら案内してくれますか?」
「喜んでですのっ!」
ぴょんっと熊の手の上で飛ぶと、熊は少し驚いたように目を丸くしたけれど、また柔らかく瞳を細めた。
「約束ですよ?…それでは今日の所は君をご自宅へお送りするだけにしておきましょう」
熊は私をポンッと飛ばして四つん這いになった背中に乗せて歩き出す。
私は落ちない様にバランスを取りながらその大きな背中に縋りついた。
夜の真っ暗闇の中なのに。
夜行性でもない熊は迷いなく真っ直ぐ進んでいる。
なのに熊は急に足を止めた。
「……焦げ臭い…?」
「え?」
言われて私も鼻を動かすと、確かに何かが焼けてる匂いがする。
しかも、それは私の住む里の方から…。
嫌な予感が私と熊に過った。その所為か、熊は私にきちんと掴まる様に言うと駆け出した。
そうして焦って辿り着いた私の暮らす里は…。
「こんな…なんでですの…」
「こんな事って…」
愕然とした。こんな事が起こるなんて…。
「お父様っ、お母様っ!」
私は熊の上で全力で叫んで両親に呼びかけた。
「突発的な宴会は駄目だと再三申したはずですのっ!」
大きな火を囲み、我が里特産のもち米を臼と杵でついて、お雑煮にして、それをつまみに宴会をすると言う宴があるのだが…。
本来これは先祖代々月に一回、里で暮らす者への労いで伯爵家が主催する宴。だが何故か両親は週一で開催している。
「ば、バレたかっ!?」
「あなた、大変ですわっ。【白藤(しらふじ)】が家の中にいませんのっ!」
「な、なんだってぇっ!?」
…じゃあ目の前にいる私は誰ですの?
そもそも、お父様私を目の前にして「バレたかっ!?」と仰ってるではありませんか。
と突っ込みを入れたいのをぐっと堪えて、私は熊の上から飛び降りて両親の側へ走った。
「私、部屋で寝ている間に【野良(のら)】にやられたんですのっ。気付いたら森の中にいて、とてもとても怖かったんですの。必死で逃げたんですのっ!」
「なんと…」
「お父様が餅つきしてる間に、もしかしたら私死んでたかもしれないんですのっ!」
ダンダンと後ろ脚を叩きつけて訴える。
「彼が助けてくれなかったら、私【野狼(やろう)】に丸のみされてたのかもしれないんですのっ!」
私が前足でピッと熊の方を示すと、両親が熊の存在に気付いて二匹が震え出した。
ちょっと、熊が怖いのは解るけど助けてくれた恩人にその態度はっ。
「こ、皇帝陛下っ、何故、こちらにっ…」
両親どころか、その宴にいた里の皆も一斉に頭を下げて平伏す。
「……皇帝陛下…って」
そーっと背後を振り返ると、熊はふりふりと手を振った。
「気にしないで。僕は今お忍びで来ているんだ。それよりも、【野狼】が増えたみたいだね。近い内に兵を派遣しておくよ」
…否定し無い所か兵を派遣してくれると…本当に皇帝陛下のようだ。
だとしたら、私の態度は…。サーッと血の気が引いた。と、とにかく謝らなきゃ、ですの。
急いで平伏そうとしたけれど、何故か陛下の立派な熊の手で止められて、また持ちあげられた。
「無事で良かったね。今はこれで失礼するけれど、また会いに来るから」
「え…?」
「約束、しましたよね?」
言われて、【桜】の場所へ案内すると約束した事を思い出した。
「はいですの。是非、またいらしてくださいですの」
熊の大きな手に乗っている私はその大きな手に自分の手をポスっと重ねた。
「……ありがとう。それじゃあ、また」
長い耳に熊の鼻がちょんっとくっつけられる。驚いて顔を上げると、今度は鼻と鼻がくっつけられる。
呆然と受け入れてたら、熊の手からそっと降ろされて、熊はそのまま私達に背を向けて立ち去って行った。
「……色々と狡い殿方ですの…」
思わず触れあった鼻を両手で覆いながら呟いていた。
季節が過ぎて…春になった。
「白藤ー?白藤ー」
「はぁーい?お母様、呼びましたですのー?」
急いで自室から飛び出して、お母様のいる部屋まで向かう。
リビングでお父様とお団子を食べながらお茶を飲んでいる二人は私の姿に気付いて座る様に促した。
大人しく座って、お母様が用意してくれたお団子とお茶を貰う。
「今日の午後、皇帝陛下がお越しになる」
「成程ですの。………は?」
「白藤との約束を果たしに来る、と言っていたよ」
「…本当ですの?」
目の前に手紙が置かれた。そっと手に取って裏返すとしっかりと皇帝家の封蝋が。
「開けてもいいですの?」
二人がしっかりと頷くので、封筒の中から手紙を取り出して読むと。
【約束通り桜の花を見に行くよ。二人で一緒に行こう。その時は君の【副色(ふくいろ)】姿がみたいな】
要約するとそんな感じな事が書かれていた。
……【副色】姿…。里に生まれ育ち、ウサギの姿で過ごす事が当たり前になっていたから…思考が止まってしまう。
そもそもこのトゥーティス大陸は祝福の二重持ちが基本である。それを私達トゥーティスの民は【覆輪(ふくりん)】と表す。何故祝福ではなく【覆輪】と言うかというと一々第一の祝福がこれで第二の祝福がこれですと説明するのが面倒だから、何か一発で説明する方法がないかと昔の偉い人達が考えた結果、その時聖樹に咲いた花が二つの色をしていたから丁度良いと思い【覆輪】と名付けられたそうだ。
話を戻して祝福の二重持ちの私達は【獣型】と【人型】の二つの姿をとる事が出来る。自分の意志でどちらかに変化する事が出来るけれど、なれる獣の姿は生まれつき決まっている。私で例えるならば獣型は真っ白な垂れ耳のウサギ、人型になると女の子の姿になる。人によっては獣型で虎だったり鹿だったり、人型で女の子なのに男の子の成人の姿だったり、老婆が幼い女の子の姿だったりと人によりけりだ。
更にややこしいけれど、【獣型】の中には【草色(くさいろ)】と【肉色(にくいろ)】の二つに分かれる。これは草を主食にしている獣と肉を主食としている獣と大きく二つに分類されるからである。私の場合はウサギなので【草色】で、勿論家族も【草色】で、更に言うなら【草色】の人達は基本的に身を守る為に群れたがるので一つの里にいる事が多い。だから私達の里には様々な【草色】の人達がいる。
そして【獣型】とは反対に【人型】の事を【副色】と言い、これには大きく種別はないので人型の事を総じて【副色】と言う。祝福を返上して本来の姿を取り戻した人は、普通に【人】と呼ばれる。
と脳内で教科書の様に説明が流れて行ったけれど、我に返りもう一度読み返して、もう一度思考停止した。
「…お母様。私、副色姿で着られる服持ってたか覚えてないですの…」
「一応2着程もしもの時用に誂えたものがあるけれど…ちょっと待っていなさい。探してくるわ。小蜜(こみつ)、手伝って頂戴」
「畏まりました」
女中の小蜜と一緒にお母様はウサギ姿でぴょんぴょんと跳ねて行った。女中の小蜜はモルモットなので同じくらいの速度で駆けて行く。
「…お父様。皇帝陛下をどちらでお出迎えするんですの?我が家はウサギ仕様になってるですの。熊の皇帝陛下は入れませんですの」
「うむ…。一先ず里で一番の大きい宿を用意するつもりなんだが、…肉色の人達がこの里に来る事など殆どないからな。部屋数が足りるかどうか…」
「基本草色専用の里ですの。大型の草色の人もこの里を見ると大抵引き返して行くですの」
「そうなんだよなぁ…。だが皇帝陛下を追い返す訳にも行くまい。一先ず白藤は準備をしなさい」
「はいですの」
ウサギ仕様とは言えど、もしもの時の為に大きい部屋が無い訳ではない。…一つだけしかないけれど。
少なからず、その部屋は外へと繋がってもいるしお出迎えする分には申し分ない畳部屋だから問題ない…と思いたい。
「……取りあえず副色姿になるですの」
ポンッと変化の音を鳴らして、私は人型になった。
「…床が遠いのが久しぶり過ぎて落ち着かないですの…」
トストスと襖をノックする音が聞こえて、どうぞと返事を返す。
「白藤お嬢様。こちら装飾品で…うわぁっ!?」
「?、どうなさったんですの?」
くるっと振り返って、小蜜の兄である家来の幸徳(こうとく)を見ると、彼は何故か持って来た装飾品ごと外に出て行ってしまった。
「幸徳?」
「お、お嬢様っ。服、服を着て下さいっ」
「?、まだ持って来て貰ってないんですの」
「だ、だったらどうぞと答えないで下さいっ!こ、小蜜はっ!?」
「お母様と一緒に着物を取りに行ってますですの」
「あぁ、なるほど…じゃないっ。と、とにかく何か羽織るか草色に戻るかして下さいっ。お風邪を引かれますよっ」
「…確かに、ですの」
裸でいると風邪を引く。その通りだ。
…草色の姿でいる時は毛皮があるから裸でも問題ないから、つい草色の姿でいてしまう。
とは言え、元は人間。草色の姿でいる時も着れる着物もあるにはある。…ぬいぐるみの御着物みたいだけど。
「お嬢様っ、お待たせしましたっ」
小蜜が凄い速さで襖を開けて入って来た。
「ってお嬢様、何で裸ーっ!?」
「襦袢がなかったんですの」
「えーっ!?」
驚きながらもモルモットは駆け抜けて引き返して、数秒待たずに戻って来た。
「あるじゃないですかーっ!もうっ!いつも箪笥を開けて確認してくださいって言ってるのにーっ!」
「そう言えば言われてたですのっ!」
ハッと思い出す私。
でも、小蜜が持って来てくれるから、結局忘れるんだろうなぁ…。
「では、お着替えしましょうか。幸徳っ。そこに装飾置いてって」
「解った」
コトンと小物入れを置いて幸徳はトテテテッと走って行った。
その後、小蜜により私は素早く着せ替えられる。
「久しぶりに着物着ましたね~。お嬢様はレェスやフリルが似合いになられますから」
「この服、何かちょっと違うですの?」
何枚も着物を重ねて足などを見せたりしないのがトゥーティス大陸の着物なのに、これは他大陸で主流のドレスと言うモノに近い。
「これはワンピィスと言うモノらしいですよ。なんでもオーマ大陸の公爵家のご令嬢がトゥーティスの職人と一緒に開発したとか」
「じゃあこれは着物ワンピィスって事ですの?」
「んー、正式な名称は和風ワンピと言うらしいです」
「へぇ~」
今までドレスは着た事あったけれど、こんなのは始めてだ。普通は着物だし。合わせのレェスが可愛い。
「履物は?」
「ブゥツなるものを用意しております」
着慣れないもの、履き慣れないもの、聞き慣れないもの。慣れない物ばかりで、しかもこれからご立派な人が来られる。
「…落ち着かないですの…」
思わず呟いてしまった言葉に小蜜が苦笑した。多分同意してくれてるんだと思う。
「おリボンつけますよ~。お嬢様の真っ白くてふわふわした髪に似合う真っ赤なリボンにしましょう」
鏡台の前の座布団に座ると直ぐに小蜜が髪を整えてくれる。
頭より大きいんじゃないかと思う位のリボンがつけられて、軽い化粧もされて準備は整った。
後はいらっしゃるのを待つだけ…と思っていたんだけど、家の外がざわついている。
もういらっしゃったようだ。
暫く外からお父様とお母様の声が聞こえて。
部屋の引き戸が開かれた。
そこにいたのは、とても大きな男性で。副色の私の身長はせいぜい150あるかないか。そんな私が二人分ありそうな程大きな男性で。
豪華な…一目見てお高いと解りそうなダブルボタンのコォトを着て中は軍服を着てらっしゃるんだろう。首元のネクタイだけが見える。
お父様も里の男性もここまで体格の良い副色姿の方はいらっしゃらず、ましてこんなに凛々しいお顔をしてらっしゃる方もいらっしゃらなかったから、ちょっと緊張してしまう。
「こんにちわ。白藤さん」
声も低くとっても男らしい…からか、解らないけど、ちょっと怖気づいてしまう。
「…ご機嫌うるわ」
「ストップ。待って、白藤さん」
挨拶を止められてしまった。膝をつく準備も出来ていたのだけれど?
近づいて来た彼は少し背をかがめながら、私の手を取って笑った。
「僕達はそんな畏まった話し方してなかったでしょう?普通に話して」
「…解ったですの」
こくりとしっかりと頷くと陛下はまた嬉しそうに笑った。
「じゃあ、早速行こうよ。案内してくれるって約束だったよね?【桜】の場所に」
「はいですのっ」
用意されたブゥツを履いて、家の外に出て、彼を案内する為に【桜】のある場所へ向かう。
彼は私の横に並んで、なんて事のない他愛のない話をしつつ歩いてくれる。
「そう言えば聞いた事なかったね。【桜】のある場所はここから遠いの?」
「そんなに遠くはないですの。元々、この地の御神木として崇められていた木ですの」
「御神木?聖樹とは違うのかい?」
「違うですの。聖樹は力を授けてくれる精霊の宿る樹。桜は木が私達をずっと見守って来てくれたから、この地の神様と私達が崇めているだけで、何かが宿っている訳ではないですの。でもとても立派な木なんですの」
「なるほど…あ、もしかしてあれかい?」
彼が指さした方向に桜はある。けれど身長差の所為で私には見えない。
「薄桃色の木でしたら、そうですの」
「うん。……すごいな。ここからでもあんなに綺麗に…」
「近くに行けばもっと綺麗ですのっ。行きましょうっ」
笑って彼の手を掴んで走りだす。ブゥツって走りやすいですの。
桜の木の側に辿り着いて。
そのまま私は上を見上げた。こうして副色の姿で見上げるのは久しぶりだけれど…。
「ふふっ。副色の姿でも手が届きませんですの。それでもとても圧倒される美しさですの」
「そうだね。…僕のこの副色姿ですら腕が回らない所か四分の一も回せないなんて。それに…花びらがまるで雨のように降り注ぐ。…こんなに美しい光景、僕は始めて見たよ…」
風で舞い降りる花びらを彼は手の平で受け止めて、その花びらを見てまた頬を緩めた。
「この綺麗な花が、君のお気に入りのイヤーカフにあった花なんだね」
「そうですのっ」
「これだけ綺麗ならばお気に入りにもなるね」
「解ってくれて嬉しいですのっ」
それから暫く、私と陛下はならんで桜の木を眺めていた。
「どれだけ見ていても飽きないね」
陛下がぼそりと口に出した。私も全くもってその通りだと思うので大きく頷く。
「でも、陛下。もっと楽しくも出来るですの」
「もっと楽しく?」
「はいですのっ。私達の里では皆で食べ物を持ちより、この木の下で食べるんですの。わいわい騒ぎながら。とてもとても楽しいんですの」
お団子やお饅頭、おにぎりに稲荷ずし。里の皆で持ち寄って桜の木の下で宴をする。そんな光景を思い出して思わず笑みが漏れる。
「……ッ、そう、なんだ…。いいな、僕も見たい」
?、陛下の視線を感じる?
と思って横を見たら、陛下は直ぐに視線を桜に戻してしまった。
…気に障った事でも言ってしまったですの?…でも陛下は気にした様子もない。
気にする事でもなかったかな?
私も桜に視線を戻して。
「では、またいらしたら宜しいんですのっ。その時は私も手造りのお団子をお持ちしますですのっ。その代わり」
「その代わり?」
「陛下も美味しいものお持ちになって下さいですの」
冗談のつもりで笑いながら言うと、陛下も少し驚いたように目を丸くして、けれど嬉しそうに微笑んで頷いた。
「解った。必ず持ってくるよ。何がいいかな?日持ちするものじゃないとね。ここに来るまで結構な距離があるから」
冗談ですのと伝えようと思ったけれど、陛下がとても楽しそうにするから。
「ふふっ。楽しみですの」
そう、素直に伝えると、陛下も、
「うん。僕も楽しみだ」
と、そう答えてくれた。
そして私達はまた約束をして、少し歩いては桜を眺めて。
飽きるまでそうして二人で眺めて、他愛ない会話をして笑い合い、陛下の家臣が現れるまで桜を堪能した。
「……じゃあ、また」
「はいですの」
別れ際。里の入り口で私達は陛下を見送ろうとしていた。
そんな陛下は私の前に立ち、そして。
「……僕の名前は、王林(おうりん)って言うんだ。…今度桜を見に来た時は、林(りん)って呼んでくれる?」
耳元でそっとそう言われて、私は少し照れながらも了承した。
「はいですのっ。では、私のことも次に来た時に、藤(ふじ)と呼んでくださいですの」
笑顔で言うと、陛下は今日何度も見た嬉しそうな顔で微笑んで…。
―――チュッ。
頬に…今…触れた、ような…?
そっと頬に触れるとふにっと柔らかい感触。自分の頬の感触があるのだけど、さっきはそれとは違う…。
「またね」
困惑した私を置いて、陛下は颯爽と家臣と共に帰って行った。
……えっと…これはどう捉えたらいいんですの?
去り際の口づけは、私の脳味噌を暫く混乱させた。
口づけの答えは、林様がまた里に来た時に問い質そう。そう決めて、私は月日が経つのを待った。
けれど、何度春が訪れても林様が現れる事はなく…。
きっとあれは友愛の印か何かだったのだろう。そう自分を納得させようとしたその年の春。
私の下へ一通の手紙が届く。
それは、後宮入りの勅令書だった。
「いやああああっ!!」
どうして私はこんな所にいるの?
こんな真っ暗な場所に来た覚えはない。
じゃあ、何故私はこんな森の中にいるの?
幾ら考えても答えは出ず、けれど今足を止めてしまえば私の命が消えてしまう事は解っていた。
皆は何処に行ったの?
どうして私は一人なの?
追って来ているのは一体何?
夜に光る目を持っていると言う事は肉食獣?
だとしたら、ウサギの私なんて敵う訳がない。
恐怖で必死に動かしていた足が震え出す。
駄目。
今ここで足を止めたら私は…。
解っていた。
ここで足を止めたら死んでしまうって事を。
「きゃっ!?」
木の根に足が引っかかった。
コロンコロンと体が前転する。
しまったと思った時には遅かった。
背後に迫る影。
「…グルル…」
重低音の唸り声。
怖くて、でも確認せずにもいられなくて。
振り返ったそこには、鋭い牙と赤い口内…。
「た、助けてぇっ!!」
誰もいないって解ってるのに、叫んでいた。
目をきつく閉じて、頭と【耳】を手で守る様にして身を縮ませた。
せめて一思いに齧らず丸のみしてくれることを祈る。だけど…。
…?
待てども待てども覚悟した衝撃が来ない。
どうして…?
恐る恐る目を開くと、私の目の前には茶色の壁。
体格差があり過ぎて解らない、けど…。
でも、恐らく私の目の前にいるのは、熊だ。
「……退きなさい。彼女が【琳五家】の令嬢と知っての狼藉ですか?」
「グルル…」
「…聞けないと言うのならば、僕の権限で拘束させて頂きますが、宜しいか?」
狼数体と熊一体。
本気で戦ったらいい勝負なのかもしれない。
けれど、目の前の熊は圧倒的な威圧感を放ち、狼達はその圧に尻尾と頭を垂れて行く。
「……キュゥ~ン…」
「…何故、この女性を狙うのかは知らないけれど、こんなか弱い女性を追い掛け回すのはいただけません。立ち去りなさい」
熊がそれを言い放つと、狼達はじりじりと後退し、距離がとれた段階で走って逃げて行った。
「…大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう…ですの」
熊は私を片手であっさりと持ちあげると、その大きな手で私を優しく撫でた。
「可愛い…」
「え?」
「僕の周りには【草色(くさいろ)】の【祝福】持ちはいないから尚更そう思ってしまうね」
「あ、あの…」
優しく撫でる熊の手とその暖かい言葉に私は何を言っていいのか解らなくて、口ごもってしまう。
「…そうだ。忘れていた。実は僕、君を追い掛けていたんだ」
「私を?」
「うん。はい、これ。落としたでしょう?」
熊が器用に爪の先に引っ掛けてるのは…私のイヤーカフ。走って逃げている間に落としたんだ。
「一つしか拾えてなかったから、両方とも落としていたら一つだけ戻って来ても迷惑かとも思ったんだけど」
言いながら熊は私の耳にそっと触れて優しく撫でた。
「もう一つは落としていなかったみたいだね。ホッとした」
「あ、ありがとうですの…。このイヤーカフは私のお気に入りですの」
うさぎの手では上手く付けられないから、そのイヤーカフを両手で受け取った。
「それ不思議な花の形してるね。見た事がない」
「これは、【桜】と言う花なんですの。私の暮らす里にしか咲かない花」
「へぇ…。君の白い毛並みにとっても似合う桃色の花なんだね」
珍しそうに眺めるその瞳は獰猛な熊とは違い柔らかい色をしていた。
「【桜】か。話には聞いたことがあるけど、実物を見たことなかった。ねぇ、君。もし良かったらその花のある場所に案内してくれない?」
「え?」
驚いて見上げてしまった。熊は駄目?と首を傾げる。
肉食獣を可愛いと思ったのは初めて。
あ、でも、案内は出来ても見せてあげる事は出来ないのだった。
「ごめんなさいですの。見せてあげたいのですが、今桜は咲いていないんですの」
「咲いていない?何故?」
「?、桜は春にしか咲かないんですの」
「あ、成程。そういうことですか。…なら、季節が春になったらまた君に会いに来ます。そうしたら案内してくれますか?」
「喜んでですのっ!」
ぴょんっと熊の手の上で飛ぶと、熊は少し驚いたように目を丸くしたけれど、また柔らかく瞳を細めた。
「約束ですよ?…それでは今日の所は君をご自宅へお送りするだけにしておきましょう」
熊は私をポンッと飛ばして四つん這いになった背中に乗せて歩き出す。
私は落ちない様にバランスを取りながらその大きな背中に縋りついた。
夜の真っ暗闇の中なのに。
夜行性でもない熊は迷いなく真っ直ぐ進んでいる。
なのに熊は急に足を止めた。
「……焦げ臭い…?」
「え?」
言われて私も鼻を動かすと、確かに何かが焼けてる匂いがする。
しかも、それは私の住む里の方から…。
嫌な予感が私と熊に過った。その所為か、熊は私にきちんと掴まる様に言うと駆け出した。
そうして焦って辿り着いた私の暮らす里は…。
「こんな…なんでですの…」
「こんな事って…」
愕然とした。こんな事が起こるなんて…。
「お父様っ、お母様っ!」
私は熊の上で全力で叫んで両親に呼びかけた。
「突発的な宴会は駄目だと再三申したはずですのっ!」
大きな火を囲み、我が里特産のもち米を臼と杵でついて、お雑煮にして、それをつまみに宴会をすると言う宴があるのだが…。
本来これは先祖代々月に一回、里で暮らす者への労いで伯爵家が主催する宴。だが何故か両親は週一で開催している。
「ば、バレたかっ!?」
「あなた、大変ですわっ。【白藤(しらふじ)】が家の中にいませんのっ!」
「な、なんだってぇっ!?」
…じゃあ目の前にいる私は誰ですの?
そもそも、お父様私を目の前にして「バレたかっ!?」と仰ってるではありませんか。
と突っ込みを入れたいのをぐっと堪えて、私は熊の上から飛び降りて両親の側へ走った。
「私、部屋で寝ている間に【野良(のら)】にやられたんですのっ。気付いたら森の中にいて、とてもとても怖かったんですの。必死で逃げたんですのっ!」
「なんと…」
「お父様が餅つきしてる間に、もしかしたら私死んでたかもしれないんですのっ!」
ダンダンと後ろ脚を叩きつけて訴える。
「彼が助けてくれなかったら、私【野狼(やろう)】に丸のみされてたのかもしれないんですのっ!」
私が前足でピッと熊の方を示すと、両親が熊の存在に気付いて二匹が震え出した。
ちょっと、熊が怖いのは解るけど助けてくれた恩人にその態度はっ。
「こ、皇帝陛下っ、何故、こちらにっ…」
両親どころか、その宴にいた里の皆も一斉に頭を下げて平伏す。
「……皇帝陛下…って」
そーっと背後を振り返ると、熊はふりふりと手を振った。
「気にしないで。僕は今お忍びで来ているんだ。それよりも、【野狼】が増えたみたいだね。近い内に兵を派遣しておくよ」
…否定し無い所か兵を派遣してくれると…本当に皇帝陛下のようだ。
だとしたら、私の態度は…。サーッと血の気が引いた。と、とにかく謝らなきゃ、ですの。
急いで平伏そうとしたけれど、何故か陛下の立派な熊の手で止められて、また持ちあげられた。
「無事で良かったね。今はこれで失礼するけれど、また会いに来るから」
「え…?」
「約束、しましたよね?」
言われて、【桜】の場所へ案内すると約束した事を思い出した。
「はいですの。是非、またいらしてくださいですの」
熊の大きな手に乗っている私はその大きな手に自分の手をポスっと重ねた。
「……ありがとう。それじゃあ、また」
長い耳に熊の鼻がちょんっとくっつけられる。驚いて顔を上げると、今度は鼻と鼻がくっつけられる。
呆然と受け入れてたら、熊の手からそっと降ろされて、熊はそのまま私達に背を向けて立ち去って行った。
「……色々と狡い殿方ですの…」
思わず触れあった鼻を両手で覆いながら呟いていた。
季節が過ぎて…春になった。
「白藤ー?白藤ー」
「はぁーい?お母様、呼びましたですのー?」
急いで自室から飛び出して、お母様のいる部屋まで向かう。
リビングでお父様とお団子を食べながらお茶を飲んでいる二人は私の姿に気付いて座る様に促した。
大人しく座って、お母様が用意してくれたお団子とお茶を貰う。
「今日の午後、皇帝陛下がお越しになる」
「成程ですの。………は?」
「白藤との約束を果たしに来る、と言っていたよ」
「…本当ですの?」
目の前に手紙が置かれた。そっと手に取って裏返すとしっかりと皇帝家の封蝋が。
「開けてもいいですの?」
二人がしっかりと頷くので、封筒の中から手紙を取り出して読むと。
【約束通り桜の花を見に行くよ。二人で一緒に行こう。その時は君の【副色(ふくいろ)】姿がみたいな】
要約するとそんな感じな事が書かれていた。
……【副色】姿…。里に生まれ育ち、ウサギの姿で過ごす事が当たり前になっていたから…思考が止まってしまう。
そもそもこのトゥーティス大陸は祝福の二重持ちが基本である。それを私達トゥーティスの民は【覆輪(ふくりん)】と表す。何故祝福ではなく【覆輪】と言うかというと一々第一の祝福がこれで第二の祝福がこれですと説明するのが面倒だから、何か一発で説明する方法がないかと昔の偉い人達が考えた結果、その時聖樹に咲いた花が二つの色をしていたから丁度良いと思い【覆輪】と名付けられたそうだ。
話を戻して祝福の二重持ちの私達は【獣型】と【人型】の二つの姿をとる事が出来る。自分の意志でどちらかに変化する事が出来るけれど、なれる獣の姿は生まれつき決まっている。私で例えるならば獣型は真っ白な垂れ耳のウサギ、人型になると女の子の姿になる。人によっては獣型で虎だったり鹿だったり、人型で女の子なのに男の子の成人の姿だったり、老婆が幼い女の子の姿だったりと人によりけりだ。
更にややこしいけれど、【獣型】の中には【草色(くさいろ)】と【肉色(にくいろ)】の二つに分かれる。これは草を主食にしている獣と肉を主食としている獣と大きく二つに分類されるからである。私の場合はウサギなので【草色】で、勿論家族も【草色】で、更に言うなら【草色】の人達は基本的に身を守る為に群れたがるので一つの里にいる事が多い。だから私達の里には様々な【草色】の人達がいる。
そして【獣型】とは反対に【人型】の事を【副色】と言い、これには大きく種別はないので人型の事を総じて【副色】と言う。祝福を返上して本来の姿を取り戻した人は、普通に【人】と呼ばれる。
と脳内で教科書の様に説明が流れて行ったけれど、我に返りもう一度読み返して、もう一度思考停止した。
「…お母様。私、副色姿で着られる服持ってたか覚えてないですの…」
「一応2着程もしもの時用に誂えたものがあるけれど…ちょっと待っていなさい。探してくるわ。小蜜(こみつ)、手伝って頂戴」
「畏まりました」
女中の小蜜と一緒にお母様はウサギ姿でぴょんぴょんと跳ねて行った。女中の小蜜はモルモットなので同じくらいの速度で駆けて行く。
「…お父様。皇帝陛下をどちらでお出迎えするんですの?我が家はウサギ仕様になってるですの。熊の皇帝陛下は入れませんですの」
「うむ…。一先ず里で一番の大きい宿を用意するつもりなんだが、…肉色の人達がこの里に来る事など殆どないからな。部屋数が足りるかどうか…」
「基本草色専用の里ですの。大型の草色の人もこの里を見ると大抵引き返して行くですの」
「そうなんだよなぁ…。だが皇帝陛下を追い返す訳にも行くまい。一先ず白藤は準備をしなさい」
「はいですの」
ウサギ仕様とは言えど、もしもの時の為に大きい部屋が無い訳ではない。…一つだけしかないけれど。
少なからず、その部屋は外へと繋がってもいるしお出迎えする分には申し分ない畳部屋だから問題ない…と思いたい。
「……取りあえず副色姿になるですの」
ポンッと変化の音を鳴らして、私は人型になった。
「…床が遠いのが久しぶり過ぎて落ち着かないですの…」
トストスと襖をノックする音が聞こえて、どうぞと返事を返す。
「白藤お嬢様。こちら装飾品で…うわぁっ!?」
「?、どうなさったんですの?」
くるっと振り返って、小蜜の兄である家来の幸徳(こうとく)を見ると、彼は何故か持って来た装飾品ごと外に出て行ってしまった。
「幸徳?」
「お、お嬢様っ。服、服を着て下さいっ」
「?、まだ持って来て貰ってないんですの」
「だ、だったらどうぞと答えないで下さいっ!こ、小蜜はっ!?」
「お母様と一緒に着物を取りに行ってますですの」
「あぁ、なるほど…じゃないっ。と、とにかく何か羽織るか草色に戻るかして下さいっ。お風邪を引かれますよっ」
「…確かに、ですの」
裸でいると風邪を引く。その通りだ。
…草色の姿でいる時は毛皮があるから裸でも問題ないから、つい草色の姿でいてしまう。
とは言え、元は人間。草色の姿でいる時も着れる着物もあるにはある。…ぬいぐるみの御着物みたいだけど。
「お嬢様っ、お待たせしましたっ」
小蜜が凄い速さで襖を開けて入って来た。
「ってお嬢様、何で裸ーっ!?」
「襦袢がなかったんですの」
「えーっ!?」
驚きながらもモルモットは駆け抜けて引き返して、数秒待たずに戻って来た。
「あるじゃないですかーっ!もうっ!いつも箪笥を開けて確認してくださいって言ってるのにーっ!」
「そう言えば言われてたですのっ!」
ハッと思い出す私。
でも、小蜜が持って来てくれるから、結局忘れるんだろうなぁ…。
「では、お着替えしましょうか。幸徳っ。そこに装飾置いてって」
「解った」
コトンと小物入れを置いて幸徳はトテテテッと走って行った。
その後、小蜜により私は素早く着せ替えられる。
「久しぶりに着物着ましたね~。お嬢様はレェスやフリルが似合いになられますから」
「この服、何かちょっと違うですの?」
何枚も着物を重ねて足などを見せたりしないのがトゥーティス大陸の着物なのに、これは他大陸で主流のドレスと言うモノに近い。
「これはワンピィスと言うモノらしいですよ。なんでもオーマ大陸の公爵家のご令嬢がトゥーティスの職人と一緒に開発したとか」
「じゃあこれは着物ワンピィスって事ですの?」
「んー、正式な名称は和風ワンピと言うらしいです」
「へぇ~」
今までドレスは着た事あったけれど、こんなのは始めてだ。普通は着物だし。合わせのレェスが可愛い。
「履物は?」
「ブゥツなるものを用意しております」
着慣れないもの、履き慣れないもの、聞き慣れないもの。慣れない物ばかりで、しかもこれからご立派な人が来られる。
「…落ち着かないですの…」
思わず呟いてしまった言葉に小蜜が苦笑した。多分同意してくれてるんだと思う。
「おリボンつけますよ~。お嬢様の真っ白くてふわふわした髪に似合う真っ赤なリボンにしましょう」
鏡台の前の座布団に座ると直ぐに小蜜が髪を整えてくれる。
頭より大きいんじゃないかと思う位のリボンがつけられて、軽い化粧もされて準備は整った。
後はいらっしゃるのを待つだけ…と思っていたんだけど、家の外がざわついている。
もういらっしゃったようだ。
暫く外からお父様とお母様の声が聞こえて。
部屋の引き戸が開かれた。
そこにいたのは、とても大きな男性で。副色の私の身長はせいぜい150あるかないか。そんな私が二人分ありそうな程大きな男性で。
豪華な…一目見てお高いと解りそうなダブルボタンのコォトを着て中は軍服を着てらっしゃるんだろう。首元のネクタイだけが見える。
お父様も里の男性もここまで体格の良い副色姿の方はいらっしゃらず、ましてこんなに凛々しいお顔をしてらっしゃる方もいらっしゃらなかったから、ちょっと緊張してしまう。
「こんにちわ。白藤さん」
声も低くとっても男らしい…からか、解らないけど、ちょっと怖気づいてしまう。
「…ご機嫌うるわ」
「ストップ。待って、白藤さん」
挨拶を止められてしまった。膝をつく準備も出来ていたのだけれど?
近づいて来た彼は少し背をかがめながら、私の手を取って笑った。
「僕達はそんな畏まった話し方してなかったでしょう?普通に話して」
「…解ったですの」
こくりとしっかりと頷くと陛下はまた嬉しそうに笑った。
「じゃあ、早速行こうよ。案内してくれるって約束だったよね?【桜】の場所に」
「はいですのっ」
用意されたブゥツを履いて、家の外に出て、彼を案内する為に【桜】のある場所へ向かう。
彼は私の横に並んで、なんて事のない他愛のない話をしつつ歩いてくれる。
「そう言えば聞いた事なかったね。【桜】のある場所はここから遠いの?」
「そんなに遠くはないですの。元々、この地の御神木として崇められていた木ですの」
「御神木?聖樹とは違うのかい?」
「違うですの。聖樹は力を授けてくれる精霊の宿る樹。桜は木が私達をずっと見守って来てくれたから、この地の神様と私達が崇めているだけで、何かが宿っている訳ではないですの。でもとても立派な木なんですの」
「なるほど…あ、もしかしてあれかい?」
彼が指さした方向に桜はある。けれど身長差の所為で私には見えない。
「薄桃色の木でしたら、そうですの」
「うん。……すごいな。ここからでもあんなに綺麗に…」
「近くに行けばもっと綺麗ですのっ。行きましょうっ」
笑って彼の手を掴んで走りだす。ブゥツって走りやすいですの。
桜の木の側に辿り着いて。
そのまま私は上を見上げた。こうして副色の姿で見上げるのは久しぶりだけれど…。
「ふふっ。副色の姿でも手が届きませんですの。それでもとても圧倒される美しさですの」
「そうだね。…僕のこの副色姿ですら腕が回らない所か四分の一も回せないなんて。それに…花びらがまるで雨のように降り注ぐ。…こんなに美しい光景、僕は始めて見たよ…」
風で舞い降りる花びらを彼は手の平で受け止めて、その花びらを見てまた頬を緩めた。
「この綺麗な花が、君のお気に入りのイヤーカフにあった花なんだね」
「そうですのっ」
「これだけ綺麗ならばお気に入りにもなるね」
「解ってくれて嬉しいですのっ」
それから暫く、私と陛下はならんで桜の木を眺めていた。
「どれだけ見ていても飽きないね」
陛下がぼそりと口に出した。私も全くもってその通りだと思うので大きく頷く。
「でも、陛下。もっと楽しくも出来るですの」
「もっと楽しく?」
「はいですのっ。私達の里では皆で食べ物を持ちより、この木の下で食べるんですの。わいわい騒ぎながら。とてもとても楽しいんですの」
お団子やお饅頭、おにぎりに稲荷ずし。里の皆で持ち寄って桜の木の下で宴をする。そんな光景を思い出して思わず笑みが漏れる。
「……ッ、そう、なんだ…。いいな、僕も見たい」
?、陛下の視線を感じる?
と思って横を見たら、陛下は直ぐに視線を桜に戻してしまった。
…気に障った事でも言ってしまったですの?…でも陛下は気にした様子もない。
気にする事でもなかったかな?
私も桜に視線を戻して。
「では、またいらしたら宜しいんですのっ。その時は私も手造りのお団子をお持ちしますですのっ。その代わり」
「その代わり?」
「陛下も美味しいものお持ちになって下さいですの」
冗談のつもりで笑いながら言うと、陛下も少し驚いたように目を丸くして、けれど嬉しそうに微笑んで頷いた。
「解った。必ず持ってくるよ。何がいいかな?日持ちするものじゃないとね。ここに来るまで結構な距離があるから」
冗談ですのと伝えようと思ったけれど、陛下がとても楽しそうにするから。
「ふふっ。楽しみですの」
そう、素直に伝えると、陛下も、
「うん。僕も楽しみだ」
と、そう答えてくれた。
そして私達はまた約束をして、少し歩いては桜を眺めて。
飽きるまでそうして二人で眺めて、他愛ない会話をして笑い合い、陛下の家臣が現れるまで桜を堪能した。
「……じゃあ、また」
「はいですの」
別れ際。里の入り口で私達は陛下を見送ろうとしていた。
そんな陛下は私の前に立ち、そして。
「……僕の名前は、王林(おうりん)って言うんだ。…今度桜を見に来た時は、林(りん)って呼んでくれる?」
耳元でそっとそう言われて、私は少し照れながらも了承した。
「はいですのっ。では、私のことも次に来た時に、藤(ふじ)と呼んでくださいですの」
笑顔で言うと、陛下は今日何度も見た嬉しそうな顔で微笑んで…。
―――チュッ。
頬に…今…触れた、ような…?
そっと頬に触れるとふにっと柔らかい感触。自分の頬の感触があるのだけど、さっきはそれとは違う…。
「またね」
困惑した私を置いて、陛下は颯爽と家臣と共に帰って行った。
……えっと…これはどう捉えたらいいんですの?
去り際の口づけは、私の脳味噌を暫く混乱させた。
口づけの答えは、林様がまた里に来た時に問い質そう。そう決めて、私は月日が経つのを待った。
けれど、何度春が訪れても林様が現れる事はなく…。
きっとあれは友愛の印か何かだったのだろう。そう自分を納得させようとしたその年の春。
私の下へ一通の手紙が届く。
それは、後宮入りの勅令書だった。
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