妖艶幽玄奇譚

樹々

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第一幕

奇ノ二十八『大きな人』

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「明日より四日、紫藤様と俺は、悪霊退治に出向くことになった」

 夕飯を食べ終え、デザートのアイスを食べていた俺と七海は、突然、そう切り出した清次郎に驚いた。彼の隣に座っていた紫藤が一つ、頷いて見せている。

「なるべくはよう、終わらせる。四日以上、長引かぬようにするでな」

「……ちょ、待ってくれよ。四日も俺達二人だけになるのか!?」

 七海が俺の袖を握り、俺は俺で、握っていたスプーンを落とした。



 正直に言えば、怖い。



 紫藤は憎たらしいし、偉そうだし、すぐに焼き餅をやいてうざいけれど。

 彼が側を離れる、それだけは無いと思っていた。どんなに喧嘩をしても、側に居てくれたから。俺の中の悪鬼を抑え込めるのは、紫藤しか居ないのだから。

 前に特別機関に行くからと、彼が離れたことがあったけれど。それは半日ほどの時間だったし、すぐに戻ってくると分かっていたから不安は無かった。

 でも、四日は長い。一日だって長く感じるだろう。

 体が微かに震えた。また、あれが出てくるかもしれないと思うと、七海に握られている袖まで震えて揺れてしまう。

「……案ずるな、達也。特別機関から一人、来て下さることになっている。その方はとても冷静で、強い方だ」

 俺の前にしゃがみ込んだ清次郎が、手を握りながらそう、言ってくれたけれど。体の震えは取れなかった。



 悪鬼が出てくる。



 俺の中の悪鬼が……また、出てきたら……?



 止めることができなかったら?



 封印の珠を操る力だって、まだ完全じゃない。意識が逸れたら、すぐに珠の力を失ってしまうだろう。

 七海に止めてもらおうにも、言霊で止まるかどうか、実験はしていないのだから分からない。最悪、七海を巻き込んでしまうかもしれない。

 外に出る練習さえもしていないうちに、紫藤が家を空けることになるなんて。買い物だって清次郎が一人車で行って、紫藤はいつも家に居てくれた。清次郎にべったりの紫藤が、俺達の側から離れないでいてくれた。

 四日も、四日も彼が居なくなる。その間に悪鬼が暴れないという保証がどこにあるだろう?



 今度悪鬼が出てきたら俺は、俺は……!



「私が信じられぬか?」

 震えていた俺の頭をパシッと叩いたのは紫藤だった。ふんぞり返って見下ろしている。

「策を講じぬまま、家を空けたりはせぬ。そう、震えずとも良い」

「……ふ、震えてなんかねぇ……!」

「達也。案ずるな」

 紫藤がもう一度、俺の頭を叩いた。叩いて、そっと頭に手を乗せている。

「案ずるな。良いな?」

 不器用な手が、俺の金髪を撫でている。カタカタ、カタカタ、震えてしまった手を誤魔化すように、彼の手を弾いた。

「……くたばるなよ」

「ふんっ。私を誰だと思うておる。最高の霊媒師ぞ!」

「一人だけしかいねぇっつってたぞ?」

「昔から一番なのだ!」

 偉そうに胸を反らせた紫藤は、もう一度俺の頭をくしゃっと撫でると、清次郎を呼んでいる。

「準備は整っておるな?」

「はい。しかと」

「うむ。達也、七海。土産を楽しみにしておくが良いぞ」

 紫藤の特等席である真ん中のソファーにどっかりと座った彼は、強く頷いた。

「案ずるな」

 何度も繰り返した紫藤に、俺の体の震えはいつの間にか止まっていた。

 袖を引いていた七海の手を握り、自分に言い聞かせる。



 大丈夫だ。



 きっと大丈夫。



 ふかふかしたソファーに体を埋め、目を閉じた。

 そんな俺の手を握り返した七海は。

「……僕も居るからね」

 小さな、とても小さな声で囁いた。



***



 昨日の晩は、良く眠れなかった。妙に心臓がドキドキしていた。

 何度も目を覚ましては、紫藤の存在を確かめてしまう。清次郎にくっついて眠る彼が、この家から居なくなる。

 紫藤を頼るなんてと思う自分が居る一方、彼が居なければ俺が俺ではなくなるという恐怖は、どうしても拭えなかった。

 いつの間にか眠りに落ち、清次郎に起こされた頃には、眩しい太陽が昇っていた。

「すぐに出るでな。さ、朝食を食べてくれ」

「……分かってる」

「何も心配はいらぬ。ほんに頼りになる方が来て下さる故な」

 七海も起こした清次郎はにこりと笑い、布団にくるまっていた紫藤も起こしている。眠たい目を擦った紫藤はフラフラしながらも起き上がった。

 三人で顔を洗い、用意されていた朝食を食べるけれど、あまり食欲は無かった。隣の七海が心配そうに俺を見ていたけれど、大丈夫だとも言えなかった。

 特別機関から来る奴は、どんな奴なのか。俺の悪鬼を抑え込めるのか?

 食後のコーヒーを飲んでいた時、インターフォンが鳴った。席を立った清次郎が、インターフォンの画面を確かめている。

「紫藤様、北条一希様がいらっしゃいました」

「うむ」

 紫藤も席を立ち、二人揃って玄関へと向かった。そのまま外に出たようだ。門の所まで歩いて行くのが窓ガラス越しに見える。

 席を立った七海が背伸びをしながら門を見つめ、俺を呼んだ。

「大きな人だよ。清兄さんより大きいみたい」

「……でかけりゃ良いってもんじゃねぇし」

「達也君……」

「お前まで巻き込んじまったら……!」

 頭を抱えた俺の側に戻ってきた七海は、小さな手で背中を撫でてきた。

「僕は大丈夫だよ」

「ほんとに……危ねぇんだって!」

「でも大丈夫だよ。蘭兄さんが、何か考えてくれているみたいだし。きっと大丈夫」

 何度も背中を撫でられ、年下に慰められていることに恥ずかしくなってきた。抱えていた頭を離し、ふんっとそっぽを向いてやる。飲みかけのコーヒーカップを手にすると、ソファーの方に歩いていく。

「……うっせーよ!」

「達也君」

「おら、座ってようぜ」

 何か話しているのだろう。紫藤も清次郎も、なかなか戻ってこなかった。俺の定位置にどっかり座り、残っていたコーヒーを一気に飲み干してしまう。クスクス笑いながら、七海も俺の隣に座った。

 テレビを点け、ぼんやり見ていても戻ってこない。じりじりと時間が流れていく。

 これ以上、七海に心配されたくなくて、平気な顔をしていたけれど。時間が長くなれば長くなるほど、心臓が苦しくなる気がする。

 息苦しさに堪えかねた頃、玄関のドアが開く音がした。複数の足跡が近付いてくる。

 リビングに続くドアを清次郎が開けた。通された人物が少しかがみながら入ってくる。

「達也、七海。特別機関副隊長の北条一希様だ。さ、ご挨拶を」

 七海が慌てて立ち上がり、俺はのんびり立ち上がった。

 見れば、確かに大きな男だった。スーツ姿に、きっちりネクタイまでしている。短い黒髪と、広い肩幅のせいか、清次郎を一回り大きくした感じだった。

「北条一希だ。宜しく、達也君、七海君」

「よ、宜しくお願いします」

「……おっす」

 頭を下げる七海の隣で、軽く頭を下げた。鋭い目が怖いのか、七海がそっと俺の背中に隠れている。

 俺も、少し腰が引けた。でかい上に、目つきが怖い。普通に立っているだけでも威圧感がある。

「……そう、怖がられると困るな」

 大股で歩いてきた一希は、俺達の目の前でしゃがみ込んだ。七海がますます俺の背中にしがみつく。引っ張られるつなぎを意識しながら、低くなった一希と視線が合った。

「紫藤様のようにはいかないが、君達を守る。約束する」

「……お、おう」

「七海君の力の事も聞いている。力が出ても、問題はない。気楽にしてくれ」

「……は、はい」

 目元は鋭いけれど、それほど怖い人間ではないようだ。七海が恐る恐る、顔を出している。

 その瞬間。

「おわっ!?」

「…………!」

 俺も、七海も、一希の腕にそれぞれ抱え上げられていた。俺は一希の左腕に、七海は右腕に、それぞれぶら下がっている。

「宜しく」

「わ、分かったから降ろせって!」

 何て男だろう。まだ成長段階で細いけれど、そこそこ体重はあるのに。腕一本で抱え上げるなんて。

 七海が必死に一希の腕に掴まっている。ブラブラ揺らされた俺達は、そのままソファーに降ろされた。大きな体が目の前に立つと笑っている。

「北条は柔道選手として優秀だった故な。妙な事をすれば投げられると思え!」

「昔の話です。今はもう、腕が鈍っています」

「謙遜せずとも良い。特別機関の中でこ度のこと、任せられるのはお主しかおらぬ」

 紫藤の言葉に、ほんの少し、一希の頬が赤らんだように見えた。軽く咳払いをし、呼吸を整えている。

「くれぐれも二人を頼む」

「はい、命に代えても」

 紫藤に対して畏まる一希。一つ頷いた紫藤は、清次郎を呼んだ。その時にはもう、四日分の荷物を詰め込んだカートを押す清次郎が待ち構えていた。

「準備は整っております」

「うむ。では行ってくる。達也、七海、北条の言うことを聞くのだぞ?」

「……分かってるよ」

「行ってらっしゃい、蘭兄さん、清兄さん」

 玄関まで見送りに行った俺と七海は、それ以上、そこからは出られなかった。リビングに戻り、窓から外を見れば、一希が乗ってきたのだろう、大きなワゴン車が停まっていた。それに乗り込んでいる姿が見える。

 清次郎が運転し、ワゴン車は遠ざかっていった。雨雲に溜まっていた雨が、パラパラと降り始めている。すぐに庭が雨に濡れていく。

「行っちゃったね……」

「ああ……」

「……少し、寂しいね」

 二人で見送っていたら、ポンッと大きな手が肩に乗った。ぬっと出てきた顔にビクッとなってしまう。悪気はないのだろうが、鋭い目元はやっぱり威圧感がある。

「まあ、座ってくれ」

 一希に促され、七海と視線を合わせながら頷き合った。いつもの定位置であるソファーに座ると、向かい合わせに一希が座っている。

 俺や七海以外の人間が、この家に入ることは滅多にないと言っていたはずだから、紫藤はよほど、この大きな男を信頼しているのだろう。四日間、家に置いても良いと思うほどに。

 落ち着いている一希は、鋭い目を細めて笑っている。

「まずは私の自己紹介からしておこうと思う。北条一希、特別機関の副隊長を務めている。歳は三十二、霊の姿ははっきりと見える」

「……見えるんだ」

「ああ。悪霊の姿も見ることはできる。紫藤様のように払うことはできないがな。現代では、悪霊になる前の段階で、成仏させることができるようになったため、江戸の頃よりはずいぶん減っているはずだ」

 きっちりと締められたネクタイを気にしながら、話を聞いた。

「悪鬼の影響で、突発的に悪霊に変わってしまう者が増えていると、紫藤様は話されていた。君たちのこともあるし、なるべく依頼をしなくて良いよう、こちらで処理していたのだが……それも限界がきてしまってな」

「俺の……せいだよな」

「それは違う。君が望んで宿した訳ではない」

 強い口調で訂正された。一希の顔を見れば、じっと俺を見ている。

「達也君の中に居る悪鬼は、確かに危険だ。私では頼りないかもしれないが、どうかあまり不安にならないで欲しい。全力で君を守る」

 軽く開いた膝の上に置かれた手に、力を込めている。鋭い目元が、何だか頼りがいがあるように見える。

 本当にこの人なら、守ってくれるような気がしてきた。ずっと俺のつなぎのズボンを握っていた七海も感じたのか、緊張していた手から力が抜けている。

 目元の鋭さに似合わず、礼儀正しく、優しい男のようだった。

「さ、いつものように過ごしてくれ。炊事や洗濯は私が……」

 携帯の呼び出し音が鳴った。一希の上着から鳴っている。

「……あの、どうかしましたか?」

 思わず七海が聞いてしまうほど、先ほどまで温和に話していた一希の眉間に深い皺が寄る。鳴っている携帯に出ようともしない。

「……気にしないでくれ」

「携帯、出なくて良いのか?」

「出る必要はない」

 きっぱり言い切った一希。ずっと鳴っていた携帯は、やがて切れた。

 けれどまた、鳴り始める。一希はそれでも出ようとしない。鋭い目元がますます鋭くなり、不快感を露わにしている。

「……なあ、気になるんだけど。誰?」

「…………知らない人だ」

「知らない人だってのに、そんなに不機嫌になんのか?」

「……すまないな」

 一希はやっぱり、携帯に出なかった。携帯の呼び出し音は切れてしまう。

 すると今度は家の電話が鳴った。七海が電話の方へ歩いて行こうとしたのを一希が止める。大きな体を立たせ、大股で歩いた一希は、何も言わずに受話器を取り上げた。

〔あ、もしもし、私……〕

 ガチャン。

 相手が話している間に受話器を戻した一希は、深い溜息をついている。俺も七海も、何が何だか分からない。

 また、家の電話が鳴っている。後ろから覗き見ると、一希は深い深い溜息をついて、勢い良く受話器を持ち上げた。

〔酷いよ、一希〕

「……何の用ですか、隊長」

〔分かっていて切るなんて、い・け・ず……ちゅっ〕

 ガチャン。

 乱暴に受話器を置いた一希は、電話線を抜き取ってしまった。苛立ったように、顔に大きな手を当てている。

 隊長、確かそう言った。

 隊長ということは。

「……もしかして、蘭兄が苦手だっつってた人か?」

「知っているのか?」

「ああ。なんか、すげー人なんだろ? 色々と」

「ねじ曲がった方向で、凄い人だ。霊感はずば抜けて……」

 話している間に、また携帯が鳴っている。上着のポケットに入れているのか、ずっと鳴りっぱなしだ。

「出るまで終わんねぇと思うぜ?」

「……そのようだ。少し、話してくる」

「いいって、ここで話しなよ。どんな人なのか、俺達も気になるし」

「子供の教育には最悪に悪い方なんだがな」

「いいっていいって!」

 渋る一希の上着に飛び掛かり、鳴っている携帯の通話ボタンを押してやった。七海も興味があるのか、顔を寄せてくる。

 何を話す気なのだろう、耳を傾けた。

〔……ぁ……一希……! ん……一希……!〕

「何だ? よく聞こえねぇな」

「声が震えてない?」

 俺と七海で耳を傾けるからか、一希もしゃがみ込みながら顔を寄せてくる。

〔……ん……ぅん……いけず……! そこが……感じる……!〕

「…………!!」

〔もっと……声を聞かせて……! 一希……かず……〕

 ブッと切られた通話。俺の手からもぎ取るように携帯が離される。

「んだよ。どうしたんだよ?」

「北条さん?」

「な、な、何でもない!! 君たちはここに居てくれ! すぐに戻る!」

 携帯を握り締めた一希は、大股でリビングを出ていってしまった。首を傾げた俺達は、何故、あんなに動揺したのか分からないままだった。

「変なおっさんだな」

「達也君、清兄さんが言ってたでしょう? おっさんは駄目だって」

「んだよ。三十超えたらおっさんだろう?」

「駄目だよ」

「わーったよ!」

 北条さんと呼びなさい、と清次郎から言われている。仕方がないのでそう呼ぶことにしよう。

 廊下で何か揉めている声が聞こえてきたけれど、良く聞き取れなかった。盗み聞きに行こうとしてもきっと、七海に止められてしまうだろう。

 一希が戻ってくるまで待っていた俺達は、ようやく話を終えた彼の顔を見て驚いた。

「すんげー老けたぜ、おっさん!」

「達也君」

「……北条さん」

 言い直した俺を見つめ、心なしか髪まで乱れたように見える一希は、力無い笑みを浮かべた。

「……気にしないでくれ」

 ますます気になることを言う一希の手に握られていた携帯電話は、電源が落とされていた。

 ドサリとソファーに腰を下ろし、深い、深い溜息をついた大きな人は、俺達を見ると鋭い目元を緩めて笑った。

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