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ライバルは最強兄ちゃん

7.兄ちゃんの想い

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 俺の胸の上で、鈴子という女がずっと泣いている。

 薄々気付いていたけれど、この女は修治の事が好きなようだ。

「……馬鹿な奴だな。俺に協力すりゃ、あいつはフリーになったってのに」

 仰向けに転がったまま、波打つ彼女の髪の上から頭をポンポン叩いてやった。いい加減、泣きやんでくれないと俺のシャツがずぶ濡れになってしまう。

 鈴子の涙と溶けた化粧が俺のシャツを染める頃、ようやく顔を上げた彼女は、フルフル唇を震わせながら髪を掴んできた。

「ふ、フリーになったって……修治の気持ちは……ひっく、か、変わらないもん!」

「そうかよ。つか引っ張んな」

「あんた大嫌い!」

「嫌いで結構。おら、化粧はげてえらいことになってんぞ」

 体を起こして膝に乗せてやった。相変わらず涙を流す鈴子を自分の胸に押し付けながら、黙って見守っている純を振り返る。

「お前の役目じゃねぇのか?」

「俺と鈴子は性別を越えた熱い友情で結ばれてるだけだから」

「だったら代われ」

「やだ。泣かせたのは大介でしょ。ちゃんと泣き止むまで抱いてやんな」

「……ちっ」

 髪を掻き回し、ポンポン、ポンポン、背中を叩いてやった。

 重苦しい空気が、家族に流れている。鈴子を抱き付かせたまま、眉根を寄せた俺の目の前に、母さんが座った。俺よりも小さな手で、頭を撫でてきた。

「大介。もう分かったでしょう? 二人とも真剣なの。世間体なんて、母さんは気にしないわ」

 にこりと笑った母さんに、唇を噛み締めた。鈴子を引き離し、母さんに預けると立ち上がる。

「ちょい、頭冷やしくるから」

「大介。ここで待ちなさい」

「待って、あいつ等が戻ってきたら、また殴っちまうよ。俺はそれしか知らねぇからさ」

 くたびれたスニーカーを履いて外へ出た。少し寒かったけれど丁度良い。カンカンと音が鳴る階段を下りていった。

 暗い道を歩いていく。時折照らす街灯の明かりを見上げながら、通い慣れた道を歩いた。

 方向音痴の俺でも、この辺は知っている。素喜や美雪を迎えに行っては、歩いた道だから。

 皆、俺の兄弟だ。一緒になって歩いていた。

 守ってやりたい。

 ただ、それだけで。

 空回りしていることは、自分でも良く分かっていた。

 それでも、皆に嫌われたとしても、男同士を許すことなんてできなくて。

「……迷ってんじゃねぇよ」

 吐き捨てた言葉が風に流れた。

 近くの公園まで足を伸ばすと、寂れてしまったベンチに腰掛けた。切れかけた街灯が点滅している。もう、ここで遊ぶ子供は少なくなったのだろう。手入れをされていなかった。

 俺がまだ小さい頃は、素喜と遊びに来ていた。あいつは奥手で、感情表現が下手だったせいか、すぐに虐められていた。泣いて俺の背中に隠れていた。

 虐めた奴は全員ぶっとばした。上級生だって関係なかった。俺の兄弟を泣かす奴は、絶対に許さなかった。



 今、素喜を泣かせているのは俺だ。



 軋むベンチに横になる。はみ出した足を投げ出した。

 素喜には強くなって欲しかった。喧嘩の仕方も教えたし、体も鍛えさせた。身長は伸びなかったけれど、その辺の男に遅れを取るような奴じゃなくなった。

 だから家を出た。あいつに預けて外で食えばその分、食費が浮くし、でかい俺が居なければ家の中はずいぶん広くなると思って。

 美春は小さいし、心配は多かった。

 でも素喜がいれば大丈夫だと、任せて出たのに。

「……くそっ!」

 男の恋人を作るなんて、誰が思うだろうか?

 素喜があんな風に、附抜けて笑っているなんて見ているだけで鳥肌が立つ。あいつは男だ。俺が鍛えた男なのに。

 前を遮るように両腕で覆った。真っ暗になった視界に、少しだけ安堵する。



 まだ、間に合うはずだ。



 あいつは迷っている。



 俺が止めてやる。素喜を元の男に戻してやる。

 気合いを入れて腕を外したその視界に、逆さまに映る純が居た。俺の顔を覗き込み、少し長い髪を垂らしている。

「……んだよ」

「いや、泣いてるかと思ってさ」

「泣くかよ」

「可愛くないね~」

 ペシッと額を叩かれる。起き上がろうとした俺の腹に、ドサリと座っている。

「おもてーよ」

「なあ、大介。やっぱ、修治は駄目か?」

 降りる気は無いらしい。足止めのつもりだろうか。人の腹に遠慮なく座った彼は、足まで組んでいる。

「……駄目だ」

「良い奴だよ。素喜君がちゃんと大人の仲間入りするまで待ってるし、お前を説得するまで待つって言ってた」

「知るか。んなの関係ねぇよ」

「俺さ、初めて見たんだ、修治がすっげー嬉しそうに素喜君のこと話してた時のふにゃけ顔」

 組んでいた足を解き、本格的に俺の腹に跨っている。チカチカと点滅する街灯の明かりに、純の顔が見えたり隠れたりした。

 全体重を人の腹に掛け、ベンチに横になっていた俺の顔の横に手をついてきた。

「あいつもあんな風に、人を好きになるんだなって、思ってさ」

「……んだよ、そりゃよ」

「修治ってさ、分け隔てなく優しい奴なんだ。だから鈴子も、諦めきれなかったんだよ。恋人としては見てくれなくても、優しい修治の側に居たかったんだね」

 真正面に見える純の顔が、だんだん、近付いてくる。

「素喜君の言葉に一喜一憂して、ふにゃけて笑って。生活が苦しいのもお互い分かってるから気兼ねもしてないし、二人で居るだけで楽しいんだよ」

 唇が触れそうなほど近付いてくる。俺の顔の横に両腕を付いた純は、コツッと額を合わせてきた。

「素喜君が一番になってる。親友の俺が焼けちゃうくらいね」

「……お前も修治かよ」

「最高の友達だと思ってる。恋人にするなら、困ったさんの方が好きだから……」

 重なった唇に目を見開いた。肩を押そうとした俺よりも強い力でしがみ付かれる。

 入り込もうとした変な物を押し退けるように、渾身の力で突き飛ばす。ベンチから転げ落ちた純は、苦笑しながら俺を見上げている。
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