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ライバルは最強兄ちゃん

エピローグ

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 山本大介という大きな台風は過ぎ去った。

 僕と素喜君のアルバイト先に、きっちり男らしく詫びを入れた大介。

 本当に彼は、山本家の兄であり、父だった。

 駅まで見送りに行った時、彼は最後、僕に頭を下げた。



『弟を頼む』



 と。

 慌てて頭を上げさせた僕に、もう一言付け加えて。



『泣かせてみろ、ぶっとばすだけじゃ済まねぇからな』



 その辺のヤクザ映画より迫力ある声で凄まれた僕は、しっかりと頷いた。

 僕の目を見つめた大介は、一つ頷くと帰っていった。





 倉庫の中に飛び込んだ僕は、先ほどまで手にしていた温もりにドキドキしている。アルバイト中だと分かっていても、あまりに素喜君が可愛くて。

 新しく入ったパンダのぬいぐるみを見せてあげようと、倉庫から一つ取り出して持っていったのだが。

 予想以上に素喜君が反応した。ふわっふわのパンダのぬいぐるみを見た素喜君は、とてもとても嬉しそうに笑って抱き締めた。

 一つ欲しい、そう言って。

 そんな彼を僕も欲しくなってしまった。

 アルバイトを忘れて思わず抱き締めてしまった。

 人の視線を感じて慌てて離れた後、倉庫に飛び込んだ。あのまま可愛い素喜君を見ていると、キスまでしてしまいそうで。冷静になるため、倉庫で深呼吸を繰り返した。

「可愛いな~ふわっふわだ~」

 素喜君が抱っこしたパンダのぬいぐるみも、彼自身も。ちょっとだけ、このぬいぐるみに焼き餅をやいてしまう。僕もあんな風に、抱き締めて欲しい。

 そんなことを思いながら、素喜君のために一つ棚に残すと、いざ陳列するためカートに乗せた。段ボールの中には、たくさんのふわっふわのパンダのぬいぐるみが詰まっている。

 重たいドアを押し開け売場に戻った僕は、まだ赤味を残す肌のまま、ディスプレイをしていた素喜君をそっと見上げた。彼も僕が出てきたと顔を向けている。

 その顔が、愛おしそうに緩んでいく。

「……超可愛い……!」

「すげー可愛い……!」

 お互いに叫び、笑い合った。僕はぬいぐるみの棚までカートを押していく。すぐに脚立から降りてきた素喜君が続いた。このぬいぐるみのためのディスプレイに入るためだ。

「……でかいのもあるんだ」

「今の内に触っておく?」

「うん」

 五歳児ほどの大きさがあるふわっふわのパンダのぬいぐるみを持ち上げた素喜君は、たまらなく嬉しそうだ。その大きなぬいぐるみは一番上に置き、目立つようにする。上から順に、下へ行くほど小さなぬいぐるみにしていく。

 ふわっふわのパンダがひしめく棚に、素喜君の頬はバラ色だ。

「……可愛い~~!!」

 叫び声が上がる。僕でも素喜君でもなく、来店していた奥様達だった。棚の隙間からこちらを窺い、叫んでいる。

「可愛いですよね。お勧めです! お一ついかがですか?」

 ふわっふわのぬいぐるみを勧めれば、奥様三人が飛び出してきた。

「買います!」

「私も!」

「私も~!」

 僕と素喜君が棚からふわっふわのぬいぐるみを出していると、他の奥様達も群がってくる。置いたばかりのふわっふわのパンダのぬいぐるみは、どんどん数を減らしていった。

「やっぱりパンダは人気あるんだね」

「うん。可愛いもんな」

「素喜君も可愛いよ」

 奥様達には聞こえないよう、そっと囁いた。

 耳まで真っ赤になった素喜君。

 その手を握りたいのをグッと堪えた。

「「「……可愛い~~!!」」」

 奥様達の大合唱に、僕も素喜君もちょっと驚いた。

 そんなにパンダが人気があるなんて。もっと補充してもらうよう、発注しておこう。

 群がる奥様達から逃げるように売場から離れた僕と素喜君は、目を見つめながら笑い合うと、それぞれの持ち場に戻った。

 僕は新しい商品の補充へ。

 素喜君はディスプレイへ。

 店内を動く僕達の後には、何故か奥様達の黄色い声援が飛んでいた。


***


 アルバイトが終わると、素喜君と一緒に僕のアパートへと戻った。今日はお泊まりの日だ。

 ご家族にも、そしてずっと反対していた大介にも、認めてもらった僕達は、誰に遠慮することもなく一緒の時間を過ごしている。

 素喜君の腕には、避けていたふわっふわのパンダのぬいぐるみが抱かれている。帰ってからもずっと手にしている素喜君は、ご飯を食べている時は膝の上に、テレビを見ている時は胸に、抱き締めていた。

 じっとその姿を見守っていた僕は、限界にきた。

「素喜君」

「……何?」

 テレビの画面に魅入っていた素喜君は、CMになって呼んだ僕を振り返る。胸に抱いたふわっふわのパンダのぬいぐるみが一緒になって振り返る。

 そそっと隣に移動した。不思議そうに見上げる彼の背後に素早く回り込む。そのまま腰を持ち上げると膝に乗せた。

「素喜君がぬいぐるみを抱っこするなら、僕が素喜君を抱っこするね」

「…………!」

「ふわっふわ~」

 柔らかい髪に鼻先を押し付けた。身を竦めるように丸まっている。

「は、恥ずかしいし……!」

「僕達しかいないよ」

「で、でも……!」

 逃げようとした体をがっしり捕まえた。僕の大好きな人を。

「……素喜君」

 囁きながら耳にキスをした。赤く染まったそこは、熱を持っているかのように温かい。

 頬にもキスをした。バラ色のそこに、もう一度キスをした。

「大好き」

 抱き締めた温もりを確かめる。一度は友達ても良いからと、彼の側に居ることを願ったけれど。

 友達に、キスはできない。

 こうして、温め合えない。



 何より、自分の気持ちに嘘はつけない。



「君が大好き」

 抱き込んだ体は力を抜いている。僕の頬に手を伸ばした素喜君は、小さく笑った。

「ぬいぐるみに焼き餅やかないでくれよ」

「だって、ず~~と素喜君と一緒だから。焼いちゃうよ」

「……そっか」

 小さく頷いた素喜君は、ふわっふわのパンダのぬいぐるみをテーブルに置いている。僕達を見ないように、背中を向けて。

 そうして顔を振り向かせた素喜君が、僕の頬にキスをしてくれた。

「……修治さんが……好きだよ」

「うん」

「一番、好きだ」

「僕も。君が一番大好き」

 鼻先を触れ合わせながら笑った。

 笑いながらキスをした。

 細いけれど引き締まった腕が伸びてくる。

 ギュッと抱き締めてもらった僕は、背中を向けているふわっふわのパンダのぬいぐるみにゴメンと心の中で謝ると、愛しい恋人に抱き付いた。

 独り占めした恋人は、僕を見つめて笑った。
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