可愛いっていわないで

まめつぶ文珠

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第一章

第四話

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 その夜は瑞樹は疲労感から、悠は泣き疲れてそのまま眠ってしまったようだ。
 瑞樹が朝目覚めると、悠がハイテンションで朝ごはんを作っていた。ハムとたまごのサンドイッチ、昨日の残りのスープ、皮の剥かれたぶどうが少し。
「昨日はパンとカップラーメンなんて言ってたけど、朝はいつも何食べるの?」
「食パン」
「それから?」
「それだけ」
「昼は?」
「カップラーメン」
「夜は?」
「食べない」
 顔が引き攣っている悠に、激安スーパーで買う食パンのコスパを教えた方がいいだろうか。
「今日はバイトは休み?」
「うん」
 何かを決意した悠は、ガツガツとサンドイッチを食べ始めた。不穏な予感がしたが、とりあえず瑞樹も食べることにする。久しぶりだから最後に食べようと取っておいた、ぶどうを取ろうとすると悠の手が伸びてきた。
「あーん」
「前にもこんなことあったよな?」
「オレは瑞樹に食べさせる係だから」
 フォークだって用意してあるのに、わざわざ指でつまみ口に持ってくる。
 少し恥ずかしく思いながら口を開けると、指ごと口に入ってきた。
「ちょっ……!」
 ちゃんと口には入ったのに、指は中々出ていかない。口内をぐるりと掻き回して、やっと出ていった。
「ふふっ。よだれたれちゃった。可愛い」
 べろん、と顎を舐められ恥ずかしさがピークに達した。
「か、可愛いって言うな!」
 赤い顔で睨んでも効果はなく、悠はうっとりと瑞樹を見つめるのだった。
 軽く掃除を済ませると、悠が号令を発した。
「さて、出掛けるよ」
「どこに」
「我が家です!」
 悠はリュックを背負い両手に荷物を持ち、瑞樹から奪い取った鍵をガチャリと掛けた。

「ただいま。お母さん、瑞樹連れてきた」
 エプロン姿の遥子がニコニコしながら出迎えてくれる。
「瑞樹くん久しぶり。全然来ないから心配してたのよ」
「お母さん、瑞樹ね、食パンとカップラーメンしか食べてないんだって。栄養取らせなきゃと思って連れてきちゃった」
 ニコニコ笑顔は鉄槌が落ちた般若顔になった。
「瑞樹くん、約束が違うわね?」
 以前お世話になり帰宅を引き止められた際に、食事はちゃんと取る、とも約束していたのだ。まさかあの約束がまだ有効だとは思わなかった。
「ちゃんと栄養を取るということがどういうことなのか理解出来るまで、ゆ~っくり我が家で過ごしてね?」
 こうして遥子は、そして夜に帰宅した太郎は人間を拾ってきた息子(二人目)をあっさりと受け入れてしまった。

 今度も客間に通されるのだろうと思っていたが、悠は手を離さず自室へ瑞樹を押し込んだ。
 しばらくぶりに来た悠の部屋は、ベッドだけがやたら大きいサイズに変わっていた。
「寝返り打つと落ちちゃうって言ったら、大きいの買ってくれたんだ」
「そんなに寝相悪いのか」
「本当は瑞樹とエッチなことする為なんだけどね」
 瑞樹は無言で睨みつけ、プイっと顔を逸らした。
「ねぇ、こっち見て」
 ぐいっと顔を戻され、キスされる。今日はもう何度目だろうか。瑞樹が悠の告白に是と応えない可能性だってあったのに、一体いつから画策していたのか。お茶持ってくる、と言って悠は階下に降りて行った。
 手持ち無沙汰になって、ベッドに腰掛けてみる。
 きちんとベッドメイキングされたモデルルームみたいな部屋だった。そういえば、この部屋が散らかっている所は子供の頃から見たことがない。
『几帳面なんだよな』
 食事を用意したり食べさせたり。そういえば勉強を見てやっていた頃も、ノートはきちっと整理されていた。何か意見がぶつかった時も論理的に返すような子どもだった。
 それなのに。
 告白してきた時の必至さはどうだろう。
 泣いてしまった顔が甘く瑞樹の心を締め付けた。
 今日、するのかなと思う。ここまで連れて来て、こんなベッドも用意していて、何もしないとは思えない。そう思うとそわそわしてしまって、瑞樹は意味もなく立ち上がった。
「座ってて良かったのに」
 麦茶を手に戻ってきた悠は呆れた声を出した。
「お茶飲んだらさ、散歩行こう。家には荷物置きに来ただけなんだ」
「う、うん」
「疲れてる?」
「いや、大丈夫。行こう」
 少し拍子抜けした自分が恥ずかしくなり、平静を取り繕う。けれど性懲りも無く、夜かな、と想像してしまった。

 昔よく遊んだ公園を通り過ぎ、あそこから落ちてケガしたなとか、ここの家の犬は怖かったとか、とりとめない会話をしながら、のんびり歩いた。
 人気のない道で悠は手を繋いでくる。そんな時は言葉はなくて、静かな沈黙に身を任せる。
 こんなに心穏やかな気持ちは、以前はいつ感じただろうか。
「瑞樹、オレ今すごい幸せ」
「うん……俺も」
 それきり会話は途切れたけれど、人とすれ違うまで手は離さなかった。
 あちらこちらを回って帰宅すると、遥子が夕飯の支度を手伝ってと指示してきた。瑞樹にしては珍しく明るく「はいっ」と答えた。
 遥子は栄養の必要性を教える、と宣言しテーブルに置く所がない程料理を作った。雅人は数日後に出発だが、出発ぎりぎりまで佳乃と国内旅行に出掛けているらしい。雅人の分も食べなさいと言われ、瑞樹は笑ってしまった。

「お母さん、ちょっと作り過ぎだよね」
 満腹になり、部屋に引き上げると悠はベッドに倒れ込んだ。
「すごくおいしかった。作り方も教えてもらったんだ」
「じゃあ今度は瑞樹が作ってね」
 悠はベッド端に座った瑞樹の手を取りキスをする。昼間に想像して感じた緊張が戻ってくる。
「瑞樹、明日はバイト何時から?」
「明日はカフェからだから五時には出るよ」
「早いなぁ。オレ起きられるかな」
「寝てていいって」
「そうはいかないよ。オレが見てなかったら食パン咥えて出て行くんでしょう?」
「ははっ。アニメみたいだな」
 可笑しくなって笑うと、悠はじっと瑞樹を見つめた。
「悠?」
「今日はたくさん笑ってるね。そういう顔が見たかった」
「そうか?」
「うん、楽しいって顔してる」
「恥ずかしいから見んな」
 ひとしきり戯れあい、キスをして、また笑った。瑞樹は今日の自分は完全に浮かれていると自覚していた。
「もうこんな時間だね。明日早いからもう寝なくちゃ」
「……うん」
「お風呂入ってくるね。瑞樹のパジャマはこれ」
 渡されたのは、洗濯はしてあるが悠が時々着ていたTシャツとスウェットだった。瑞樹の衣類は持ってきたのに、それを着せる気はないらしい。
 昨日の服交換といい、雅人に張り合っているのだろうか。
『ヤキモチ?』
 とんでもない単語が頭に浮かび、瑞樹は顔を真っ赤して呻き声をもらした。

 瑞樹も風呂を借りて戻ってくると、部屋の明かりは落とされていた。
「遅かったね。おいで」
 布団を捲られ、おずおずと近づく。身体を横たえると悠はすぐにくっついてきた。
「夢みたい。瑞樹がオレのベッドに寝てる」
「……くっついたら暑いだろ」
「暑くてもいい」
 悠はゴロゴロと猫が甘えるように、瑞樹の胸元に頭を押し付けたあと、上目遣いで瑞樹の顔を覗き込む。
「今日は最後までしなくていい?」
「……?」
「お母さんもお父さんも雅人も居ない、二人きりの時にちゃんとしたいんだ」
「途中まではするのかよ」
「うん。だって瑞樹、我慢出来ないでしょ?」
 膝で股の間を押され瑞樹の身体は逃げを打つ。悠は照れたような表情をして、小さく呟いた。
「オレさ……恥ずかしいんだけど童貞なの」
「!?」
「初めてオナった時のオカズが瑞樹で、それから瑞樹じゃないとイケない。女の人の写真とか動画みても顔が瑞樹だって思わないとイケない。ゲイのなのかと思って、そういうのも見たけどやっぱり瑞樹だって思い込まないと勃たない」
「そ、そうか。高一で童貞は普通だから気にするな」
「昨日は無我夢中だったよ。やっと瑞樹に触れて、体温とか匂いとかたまらなかった。想像してたより肌がしっとりしてて、なめらかだったんだ」
 瑞樹の髪を弄びながらうっとり遠くを見つめ、悠は(主に瑞樹が)恥ずかしい告白をやめない。
「瑞樹が気持ちいいって言ってくれて、オレもイくかと思った。だから今日はどうしようってずっとエロいこと考えてた。この部屋に居たら我慢出来そうになくてさ」
 やっと視線が瑞樹に戻ってきた。
「オレ、多分下手くそだけど、上手になるからね……雅人より」
 強引で恥ずかしい奴だけれど、胸の内には不安もあるのだと気付く。自分と同じように。
「俺も……俺も一日中エロいこと考えてたよ……」
「瑞樹も?」
「うん。大体、男子高校生の頭ん中なんて皆そんなもんだ」
「瑞樹、格好良い……」
 唇同士を軽く触れ合わせ、チュッチュと啄まれる。
「今日は一緒にしよ……」
「……ぁっ」
 さっきからゆるゆると押し付け合っていた下半身は熱を持って熱い。下着をずらされ、纏めて握らされる。その手をさらに悠の手で包まれる。
「瑞樹……ゆっくり、して?すぐ出ちゃうから……」
「……ん」
「あっ、瑞樹っ……これやばい」
 ゆっくり、と言ったのは自分なのにすぐに夢中になってしまったようだ。瑞樹もすごく興奮しているけれど、どこか冷静に悠がどれ位気持ち良くなっているか観察していた。性器のくびれのあたりが擦れるとたまらないようだ。
「あっ……んん……もう出る、瑞樹っ瑞樹っ」
「ん……いいよ」
 悠は握りしめる手にぎゅうっと力を入れ、そのまま達した。ハァハァと荒い呼吸のまま、瑞樹の上から退く。
「ごめん……もう出ちゃった」
「気持ちよかったか?」
「……すごく。瑞樹まだだよね?オレ、口でするから」
 悠の言葉に驚き、瑞樹は反射的に飛び起きた。
「いい、要らない!しなくていい!」
「瑞樹?」
「今日は途中までって言っただろ。今日はここまででいい!」
「口でされるのは嫌?」
「あ、ああ……」
「手ならいい?」
「手も明日にしよう。ほら、今日はもう遅い。寝るぞ」
 瑞樹は慌ててティッシュを引き寄せ、濡れたところを拭う。
「……オレが先にイっちゃったから?つまらない?」
 ハッとなった。悠は初めてだったのだ。拒否するようなことを言えば不安になるのは当たり前だった。
「違う。悠が気持ち良かったならいいんだ。俺、これ以上したら本当に我慢効かなくなるから。ちゃんとしたいんだろ?俺もしたい。その時まで待つから」
「じゃあ、今ちゃんとしよう?」
「親御さん居るから出来ないだろ。バレたら会えなくなる。いいのか?」
 自分はずるいと思う。
 本当はもうとっくに我慢出来なくて、風呂とトイレで三回も抜いたのだ。後孔だってトロトロになっていて、何回指を入れてしまったか分からない。そうしないと、自分の性欲が抑えられなかった。淫らな自分が存在することは話したけれど、それを実際に悠に見せるのはまだ怖かった。
 それに悠の「ちゃんと」を叶えてやりたかった。それはきっと自分もすごく気持ちいいだろう。この身体の渇きが、もしかしたら永遠に満たされるかもしれない。

 悠は寝付くまで不貞腐れていたが、瑞樹からおやすみのキスすると、少し機嫌を直した。
「瑞樹から初めてのキスだね」
 キスは何十倍にもなって返ってきた。

 翌朝からは柳家からバイトに通った。
 朝早く起きて、簡単だけれども皆に朝ご飯を用意する。悠も頑張って早起きしていたが、何故かいつも瑞樹の方が早いので、寝てないの?と疑われた。バイトに行き、合間にアパートへ帰る。
 休みなしの朝昼晩は働き過ぎと叱られバイトを減らしたので、見ないふりをしていた性欲がまたも暴走し始めていた。
 悠に内緒で自慰に耽り、落ち着いたら悠の腕の中に帰る。悠は瑞樹が我慢するなら自分もすると言った。誰も居ない日まであと何日だね、なんて指を折って数える。
 心は本当に楽しみにしていた。
 身体はもう限界を超えていた。
 心と身体がバラバラだった。

 出発を翌日に控えた日、ようやく雅人は帰ってきた。今日はお互い家族水入らずで過ごそうとなったからと、一人で帰って来た。
 瑞樹は、家族水入らずならばと遠慮してアパートに戻ってきた。悠と遥子には「水くさい」と散々詰られた。図々しい程、昔から柳家に入り浸っている瑞樹だが、守らなければいけない一線くらい分かっているつもりだ。
 でもそんなことは表向きの言い訳だった。
 雅人に会うのが怖かった。雅人に会ったら、今の自分がどうなるのか薄々気付いていたように思う。
 雅人は遠くへ行ってしまう。
 ――やっと俺から解放される
 遠くで彼女と幸せになる。
 ――心から雅人の幸せを祈ってる
 もう助けてはくれない。
 ――抱いてほしい。深く挿れてほしい。

 ノックもなしに鍵は開いた。
 敷きっぱなしの布団に転がった瑞樹は誰何することもない。よれた雅人の服を着て、その下から覗く二本のしなやかな白い足はだらしなく開かれている。
 部屋中に散らかした雅人の服に顔を埋めて、あるいは腰を押し付け何度も何度も精液を吐き出したのだろう。シミだらけになっている部分が見える。
「全然変わってねぇなあ」
 むせかえる汗と精液の匂い。瑞樹はあらぬ方向を見たまま、性器を握りしめている。いつかのシーンと二重に見える。
「まさとぉ……」
「生きてんのか?合鍵返しに来たぞ」
「ダメぇ……こっち来ない……で」
「じゃあ、ちゃんと起きろ。こっち見ろ」
「無理ぃぃ……あっ……ああ……イく、イっちゃう」
 もう何も出ないようなのにドライで達しては、擦り続ける。
 ペシンと頬を叩かれて、ようやくその目にす雅人の姿を映す。
「まず風呂に入れ」
 担ぎ上げられ、風呂に放り込まれる。しばらくはぼうっと水を浴びていたが、突然その冷たさに気づいた。
「うわっ」
 濡れたシャツを何とか脱ぐ。
 急いでお湯を出し、ようやく何故風呂に入っているのか理解する。濡れ鼠のまま風呂を飛び出すと「ちゃんと拭け」とタオルを投げられた。
 雅人は汚れた服を片っ端からゴミ袋に突っ込んでいる。
 「雅人、なんでここに……今日は家族水入らずって」
「飯は食ったからもういいだろ。そんなことより、お前なぁ」
「そんなことって……」
「全然、病気治ってねえ。悠はどうした?あいつ何やってんだよ」
「知ってるのか……?」
「アイツは尻尾振りながら、瑞樹と付き合うことになったって言ってきたぞ。アイツの妄想か?ヤってねえのか?」
 いつになく怒っている気配にオロオロしてしまう。雅人は無口だしぶっきらぼうだし、短気でイライラもするけれど、瑞樹に対して怒りをぶつけたことはないのだ。
「付き合う……ことにはなった」
「さっさとヤれよ」
「色々あるんだよ!」
「どうせ悠のくっだらねえ夢に付き合ってんだろ」
「どこまで知ってるんだよ!」
 仲良し兄弟すぎるだろ、と思う。
「どこまでって、オレたちがやってんの覗いてたことか?瑞樹の写真でシコってたことか?ハジメテは優しくしてやるんだ、とかか?言っとくけどな、あいつが全部自分から言ってくんだからな」
 恥ずかしさの極地に達し、もはや反撃も出来なかった。脱力感を感じ、ヘナヘナと座り込んでしまう。
 雅人はふうっとため息を吐くと、しゃがんで瑞樹の頭を撫でた。
「悠はお前に優しいだろ?」
「優しいけど……」
「これからは悠に頼れ。アイツはお前のことが大好きだから、エロエロでも引かねえよ」
 久しぶりの大きな手、暖かい手のひら。いつもいつも瑞樹を救ってきた。
「俺も悠のことは……好きだ。まだこれが恋愛感情なのか分からないけど。一緒に居ると楽しい。あったかい気持ちになって、ふわふわする」
 それを恋愛感情って言うんだろうが、と雅人は心の中で毒付く。
「でも、俺……本当はずっと雅人と比べてる。雅人だったらもっと気持ちいいとか、すぐ挿れてくれるとか、もっとシテくれる……とか……」
 瑞樹の目がどろりと濁り、呂律が回らなくなる。下半身をもじもじと動かし、脱ぎ始める。
「瑞樹?」
「ちんこ……勃ったぁ……。んぅ……」
「おい、しっかりしろ」

 雅人は瑞樹に対して自分がやってきたことは、その場凌ぎでしかなかったことを痛感する。根本治療にはなっていなくて、瑞樹はまだあの日に囚われたままだ。
 恋愛感情で愛してやりたかった。
 そうしたら瑞樹はこんなにも狂ったように人肌を求めなかっただろう。
 けれど自分には佳乃が居て、身体は付き合ってやれても、恋愛感情に昇華することは出来なかった。恋愛感情になる前に、家族への愛情になった。
 あの日、今日と同じように人肌を求め泣いていた瑞樹。何としても助けたいと思った。どうしても見捨てることが出来なかった。
 悠が瑞樹を好きになったのは計算外だったが、行幸だった。自分が佳乃の元へ行く時、悠になら託すことが出来る。だから早い内に、瑞樹のあられもない姿を見せた。瑞樹が男無しでは生きられない身体であることを言外に教えてきた。
 予想外に時間がかかりギリギリになってしまったが、間に合ったかと安心した矢先だった。
 全然間に合っていなかったことに焦燥感を覚える。雅人にはもう時間がなかった。
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