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向日葵
しおりを挟む夏。蝉の声。私がこの世で一番嫌いな音だ。なぜあんな虫っけらにこんな思いさせられないといけないのだ。愛おしく、切ない。甘ったるいこの感覚。この季節になると、当時の彼女への気持ちを思い出す。好きだった。すごく。今でも忘れない。向日葵みたいなあの笑顔。悪戯っぽい喋り方。真っ直ぐ見つめてくるあの瞳。思い出すのがそれだけならどれだけ良かっただろう。
数年前
1学期最後の日。明日から高校最後の夏休みが始まる。終業式の放課後、気の抜けたクラスメイト達は、いつもよりも帰るのが早かった。教室には私と、小鷹ヒマリの2人だけだった。ヒマリとは仲が良いわけではない。なんて言ったって、彼女は今をときめく有名アイドルなのだから。私みたいな平凡極まりない地味な芋女と仲が良いわけがない。むしろ欠席や早退の多いヒマリが、教室の空気である私の存在を認識しているのかすら怪しい。
ヒマリは、私と机を二つ挟んで右隣に座っている。教室には、蝉の声だけが響いていた。2人とも席を立たず、言葉を発することなく、ただ時間だけが過ぎていった。帰るのだる、ヒマリちゃんは今日仕事ないのかな、というか、今ゲーノージンと2人きりなんだよな、なんて。3秒前に考えていたことすら忘れてしまうくらい無意味に思考していた。
「帰らないの?」
と、突然、透き通った、美しい声が聞こえてきた。学校でしっかり声聞いたの初めてかも、めっちゃ可愛いな、などと考えてしまったので反応が遅れた。
「え、あ、うん。帰っても暇だし。面倒だし、もう少しここにいようかなって…」
…ぜっったい引かれた、無駄に早口だし、目あわせらんないし。…最悪。
「あー、わかる。あたしも帰りたくなくてさ、ていうかこんな時間に外出たら日焼けするもん。怒られたくないもーん。」
ヒマリは、うな垂れた様子で言った。確かに、今は昼の一時を回っている。丁度日差しが強い時間だろう。思ったよりも普通に会話が続いている。
「怒られる?日焼けして?芸能人は大変だね…。」
私は緊張しながらも応えた。日焼けか、私は自分のくるぶしに目をやる。私なんてまだ8月にすらなっていないのにくるぶし辺りに境界線ができている。
「そうだよ、ちょっと怪我しただけでも、大事な体に傷つけるなんて!!ってお母さんに怒られる。あたしの体なのに、まるで自分の物みたいに。」
芸能人も大変なんだな。あたしは平凡で良かった。と自分の幸せを噛みしめた。
「ねえ、夏休み中遊ぼーよ。」
ヒマリが言った。
思考停止。遊ぶ?誰と?私?ヒマリちゃんが?
「…え゛」変な声出た。
「ダメ…?」上目遣いでヒマリが言う。
いやいやいやいや、それがダメだって、反則だって、可愛すぎるって。全”ひまりん”ファンの皆様申し訳ございません。
「ダメ…じゃ、ない」オッケーしてしまったよ。どうするんだよ受験生。
「やった…!」
めっっっちゃ可愛い。
こうして、ヒマリと過ごす、今思えばほんの一瞬の夏が始まった。
ヒマリとは、その日、連絡先を交換して家に帰った。自分のベッドに横たわりながら、ケータイを見つめる。私の数少ない友達欄に《himari》と追加されている。これは夢なのかもしれない。信じられない。
その後ヒマリとは、何度も何度も会って遊んだ。私は進学なので勉強もしなければならない。その事をヒマリに告げると、「じゃあ教えてあげよっか」という。ヒマリは頭も良かった。そしてわかりやすい。神様は不公平だ。ヒマリは高校を卒業したら、アイドル活動に専念すると言う。
「そういえば、仕事は?忙しくないの?私と遊んでる暇ある?」あまりにも会う頻度が高いので気になった。
「ああ、今お休みしてるんだ。知らないの?」私は、ヒマリのこのからかうような笑顔が好きだった。あいにく私はそういった情報に疎いので活動休止中な事は知らなかった。
「知らなかった。どうして?」
「秘密。っていうか、ほんとに知らないんだ、結構有名な話だよ」ヒマリはそう言って笑った。
ヒマリは、たくさんの話を聞かせてくれた。お気に入りの衣装の事とか、同じ事務所のあの俳優がかっこいいとか、あの時のライブが忘れられないとか。そんな話を聞いて、私がライブのDVDを見たいと言った。そしたら次に遊ぶ時に持ってきてくれた。そこに映ってるヒマリは、まるで向日葵のような笑顔で、黄色のサイリウムに照らされていた。すごく可愛い。イメージカラーは黄色らしい。ヒマリにぴったりな色だ。その日は、”ひまりん”の生写真ももらった。私が見せてもらった中で1番気に入ったやつ。サインまで書いてくれた。
「こんなことしてもらったらファンに怒られちゃうね」私は嬉しかった。
「そうね」2人で笑いあった。
8月に入って、一週間と少し経った頃、初めてヒマリの家に行くことになった。今までは、近くの図書館か、私の家で遊んでいた。
『明後日の土曜、あたしの家に来ない?親いないからさ。』
ある日、そう連絡が来た。私なんかがみんなのアイドル”ひまりん”の家に???少しの罪悪感と、友達の家に行くというワクワク感で、不思議な感覚になった。
『いいの!?行きたいです👍』
と返信した。なんだか、すごく嬉しくて、いつも遊んでるのに、嬉しくて。思えばこの頃からヒマリのことがすごく好きだった。
当日。ヒマリの家は、私の家から、バスで15分といった距離にある。ヒマリはバス停まで私を迎えに来てくれた。普段と立場が逆なので新鮮だ。私は、ヒマリの服装を見て、驚いた。いつもは、薄手の長袖に、つばの大きい帽子といった格好だったけれど、この日は違った。白い、綺麗なワンピースを着ていた。ヒマリに似合っていて、すごく可愛い。
「可愛い、似合ってる。でも、焼けちゃうんじゃない?」
「ふふ、ありがとう。良いのよ、歩く距離少ないし、良いの。お気に入りだから、見せたくて」また、からかうように笑った。
今日も今日とて、蝉がうるさい。バスを降りて少し歩くと、住宅街に入った。
「ここ。」ヒマリが立ち止まって言った。
そこは、普通の一軒家だった。私はてっきりお金持ちだと思っていたので、豪邸を想像していた。庭には、土だけの花壇があった。
「お邪魔します。」 家に入ると、小型犬が出迎えてくれた。シーズーだ。小さいしっぽを振って、寄ってきてくれた。
「ただいま、すず。」名前は、すずというらしい。ヒマリは、すずを撫でながら、愛おしそうにしていた。こんな優しい顔、初めて見た。
ヒマリの部屋は、白を基調とした。女の子らしい部屋だった。ベッドの上には、ぬいぐるみがたくさん置いてある。「ファンの人がくれるの」見ていたら、そう教えてくれた。部屋に入って一番最初に目に入ったのは、壁に飾ってある、1枚の絵だった。向日葵の花束の絵だ。見た瞬間、心を掴まれ、目が釘付けになった。「これね、あたしが描いたの。」と言われ、驚いた。その絵は、額装もされていて、随分と本格的だったから。なによりも、プロの画家の絵って凄いんだな、と先程思ったばかりだったから。「え、絵、上手いんだね。」驚きのあまり、薄っぺらい事しか言えない自分を心底恨んだ。ヒマリは、絵を見つめ、口を開いた。
「あたしね、絵を描くことがすごく好きなの。歌うのと同じくらい。ううん、それ以上かもしれない。絵は、最初から最後まで自由だもの。」
ヒマリは、美大に行きたいとずっと思っていたらしい。ヒマリの母は「あなたの将来のためにならない事にお金をかける必要は無い」と反対したそうだ。
「お母さんは、オーディションに応募してくれて、今までもたくさんサポートしてくれた。アイドル活動に関しては。それはすごく感謝してるの。お母さんは『私はあなたの向日葵みたいな笑顔を見て、オーディションに応募したの。あなたはアイドルが天職なの。アイドルしかないのよ。』って言う。昔は、絵画コンクールで賞を取ったら、褒めてくれたの。でもだんだんアイドルとして人気が出てきて、絵を描いたら怒られるようになった。そして、絵の具を捨てられた。」
あたしは、アイドルになりたいなんて一言も言ったこと無かったのに。そう、ヒマリは呟いた。
私は、なんて言ったらいいのかわからず、ただ、見つめることしか出来なかった。自分の絵を見つめるヒマリの瞳はすごく綺麗だった。
帰り際。バス停まで歩いていると、ヒマリはこんな話をした。「向日葵って、太陽の方を向いて咲くじゃない。家の庭にね、向日葵が咲いてたの、全部同じ方向を向いてるのが気持ち悪くて、1輪、西向きにして植えてみたの。そしたら、すぐに弱っちゃった。でも、花束になると、自由に、太陽以外も見ることができる。」
ひまりの家の花壇には、向日葵が咲いていたらしい。その時のヒマリは、なんだか様子が違った。そして、こう言った。
「あたしは向日葵だから、死ななきゃ自由になれない。」
その瞬間の事を私はきっと忘れない。忘れることができない。その言葉の乗った声も、鳴いていた蝉の声も、綺麗な表情も、吹いていた風の温度も、靡いたワンピースの裾も、夏の匂いも。とても、とても綺麗だった。
家に帰り、ネットで、ヒマリの事を調べていた。
<小鷹日葵 体調不良により活動休止を発表>
あぁ、これか、体調不良?学校にも来ていたし、夏休み中もそんな様子は見せなかった。
疑問に思ったが、どこか悪いの?とか、今さら心配した言葉をかけても意味ないような気がして、見なかったことにした。何か理由があるだろう。そう思った。
けれど、とある事が気になったので、それは聞いた。
ーヒマリちゃんは、なんで私に声掛けたの?
ーあなたは、何も知らなそうだったから。
知らなそう、確かに、私はヒマリの事は何も知らなかった。それが理由?また疑問が残った。
どんな理由であれ、私はヒマリと仲良くなれた事がとても嬉しかった。ヒマリは理想の女の子だった。仲良くなるにつれ、私はヒマリに惹かれていった。友達が少ない私に心から好きと言える相手ができて、満たされた気持ちだ。
ヒマリの家に行った日から、4日が経った。ヒマリからの連絡は無い。私から連絡をしてみたが、返事がない。
朝、テレビを見ていたら、ニュース速報が鳴った。
<小鷹日葵 死去 自殺とみられる>
夏。蝉の声。私がこの世で一番嫌いな音だ。なぜあんな虫っけらにこんな思いさせられないといけないのだ。この季節になると、当時の彼女への気持ちを思い出す。好きだった。すごく。今でも忘れない。あの日の朝の、心に隕石が落ちたような重さと衝撃。目の前が真っ白になるあの感覚。積み上げてきた希望が、一瞬にして崩れ落ちたあの日。
それでも”ひまりん”のサインが書いてある生写真を見る度に胸が締めつけられる。
大好きだった。
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