【完結】◆胡蝶の夢◆

凍星

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◆2 耽溺

「何度見ても、君の顔立ちは日本的で美しいと思うね」

授業の終わった美術室の中。
窓から差し込んだ夕陽の光が、世界を斜めに切り取っている。
ここに居るのは私達二人だけだ。

小さな椅子に腰かけて、お互い向かい合っていた。
桐原は素描用の木炭鉛筆を手にして画帖に向かい、私の姿を熱心に写し取りながら、時折、思い出したようにそんな事を言う。

「揶揄うのはよせと言っただろう」
「揶揄ってなんかいない」

大真面目にそう言って、よく私を困らせる。
人を褒めることに何の照れも感じない男なのだと、付き合い始めてすぐに分かった。

彼は日本画専攻のくせに洋画を好んでいて、私の肖像画は油絵で描くんだと息巻いていた。どうして日本画科に来たんだと訊くと、実家が呉服屋だから、着物の図案師にならなければいけないんだ、と答える。
でも本当は人物画を描くのが好きでね、と静かに笑う。

「では君は、絵を仕事に出来るのか」
「………そういう事になるね」
「羨ましいな」

ふとそう呟くと、彼の手の動きが止まった。

「君は、ここを出たらどうするつもりなんだ?」
「父が輸入業をやっていて、その跡を継がなくてはならない。自由に絵を描くのはここにいる5年だけと約束した」
「――そうか」

彼は一言だけそう反応し、また手を動かし始める。部屋の中には紙を擦る音だけが響いた。
少し付き合えばきっと気が済むだろうと思っていたのに、彼は飽くことなく描き続けるので、私はモデルを辞められなくなっていた。
ただ、いつまで経っても素描ばかりに取り組んでいて、本当に油絵を完成させる気があるのだろうかと、疑問に思うこともある。

――何を話すでもなく、夕暮れの陽射しの移り変わりを眺めたりしながら、自分だけを見詰めて一心に絵を描く男を観察する行為は、どういう訳か、私の心を穏やかにした。それが、この付き合いを止められない理由なのかと漠然と思う。

こうして週に一度、彼のモデルとして遅くまで教室に居残り、その後は、夜の街へ一緒に出かける――自然と、そんなことを繰り返すようになっていった。

想像通り、彼は自由奔放で、夜の街に自然に溶け込むような男だった。
馴染みの店も、馴染みの女性も沢山紹介されて、私は生まれて初めて親の言いつけも家のことも忘れ、桐原と共に悪い遊びを覚えた。
酒も、煙草も、女も――
彼と一緒にいると、自分まで自由になれる気がした。

真面目で退屈だった私の人生を、彼は、すっかり塗り替えてしまったのだ。

少しずつ私の心に侵入して、気が付けばすっかり離れられない――彼無しではいられない――そんな日常になっていく。
自分の心が、彼にすっかり依存していることなど、自覚もないままに。


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