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告解の章
◆桐原忍①
僕は、温かな家庭どころか、大人からのまともな扱いも知らずに育った人間だ。
母は老舗の呉服問屋、桐原家の女中として働いていたそうだ。
店の主人に手を付けられ子供を身籠ってしまい、そうして生まれたのが僕だった。
だが母は、幼い僕を残して早くに亡くなってしまう。
父は、僕を外には出さず桐原家に引き取ったが……温かい言葉を向けられたことは、これまでに一度もない。
多分、息子として見たことがないのだと思っている。
使用人の子供はあくまで使用人。それだけの事なのだろう。
そして家族とも――あれを家族と呼べるなら、だが――食事すら、一緒に取ったことがないような、そんな暮らしだった。
畳に上がって食事をすることも許されず、冷たい土間に正座して、そこで食べさせられる。使用人として……いや疎まれている分、それ以下のものとして扱われる。それが日常。
ひとつ屋根の下に住んでいる義兄弟の、足を舐めるような毎日。
それは決して例え話ではなく、野良犬と蔑まれ、足蹴にされたことは何度もあった。
ただ、その犬にも絵の才能があることだけは認めていて。
一生給金を出さなくても、自由に使える図案師が手に入るなら、という考えで、僕を美術学校に進学させたのだった。
学費と下宿の家賃だけは流石に出してくれたが、生活費は自分で稼がなければならなかった。自由になる時間は少なく、まともな労働だけでは到底金は足りない。
色んな女性と付き合っているのはその為で、彼女達に奉仕することで養ってもらっている……それが、僕の現実だった。
そんな自分を――
千種に知られるのは死んでも嫌だった。
同期の画学生達は、裕福な家庭や古い家柄、そんな出自の者が多かったから、僕の使い古されたみすぼらしい画材や道具を見れば、莫迦にしてくる者も多くいた。
勿論、それは僕が女と遊んでばかりいるという噂のせいでもあったのだろうが――
そんな中、華族である彼は、僕に差別的な感情を一切見せなかった。
ごく普通に接し、作品を見ればよく褒めてくれた。
特に親しくは無かったが、それでも、僕の使っている木炭鉛筆が余りにも短いのに気付いた時、「それでは腕前が充分発揮できないだろう」と笑って、自分のものを譲ってくれた事もあった。
普通に接してくれる。
それだけの事が、とても嬉しくて。
……だから、思わず声を掛けてしまったのだろう。
何か理由がないと話し掛けられなかったから。
モデルになってくれ、と。そんな強引な言葉で、彼の気を引こうとした。
――彼とは、対等でいたかった。
同情も憐れみも、欲しくはなかった。
彼の瞳にそんな色が浮かんでいるのを見たら、僕は。
自分を殺したくなったかもしれない。
彼と一緒にいる時だけは、惨めな自分を忘れることが出来たのだ。
美しく聡明で、誰にでも平等で、幸福な彼。
僕には望むべくもない、全てを彼は持っていた。
裕福で、由緒正しい家柄。
厳格で愛情深い家族。
美しい幼馴染……
その全て。
彼が「煩わしい事ばかりだ」と笑う、その全てが。
僕には喉から手が出るほど欲しかった。
彼を、特別に思っていたのだ。
特別に、愛しいと。初めて他人に感じる想いを、抱いていた。
それは確かだ。その気持ちに偽りはない。
が――それと同じくらい、もしかしたら……どこかで。
母は老舗の呉服問屋、桐原家の女中として働いていたそうだ。
店の主人に手を付けられ子供を身籠ってしまい、そうして生まれたのが僕だった。
だが母は、幼い僕を残して早くに亡くなってしまう。
父は、僕を外には出さず桐原家に引き取ったが……温かい言葉を向けられたことは、これまでに一度もない。
多分、息子として見たことがないのだと思っている。
使用人の子供はあくまで使用人。それだけの事なのだろう。
そして家族とも――あれを家族と呼べるなら、だが――食事すら、一緒に取ったことがないような、そんな暮らしだった。
畳に上がって食事をすることも許されず、冷たい土間に正座して、そこで食べさせられる。使用人として……いや疎まれている分、それ以下のものとして扱われる。それが日常。
ひとつ屋根の下に住んでいる義兄弟の、足を舐めるような毎日。
それは決して例え話ではなく、野良犬と蔑まれ、足蹴にされたことは何度もあった。
ただ、その犬にも絵の才能があることだけは認めていて。
一生給金を出さなくても、自由に使える図案師が手に入るなら、という考えで、僕を美術学校に進学させたのだった。
学費と下宿の家賃だけは流石に出してくれたが、生活費は自分で稼がなければならなかった。自由になる時間は少なく、まともな労働だけでは到底金は足りない。
色んな女性と付き合っているのはその為で、彼女達に奉仕することで養ってもらっている……それが、僕の現実だった。
そんな自分を――
千種に知られるのは死んでも嫌だった。
同期の画学生達は、裕福な家庭や古い家柄、そんな出自の者が多かったから、僕の使い古されたみすぼらしい画材や道具を見れば、莫迦にしてくる者も多くいた。
勿論、それは僕が女と遊んでばかりいるという噂のせいでもあったのだろうが――
そんな中、華族である彼は、僕に差別的な感情を一切見せなかった。
ごく普通に接し、作品を見ればよく褒めてくれた。
特に親しくは無かったが、それでも、僕の使っている木炭鉛筆が余りにも短いのに気付いた時、「それでは腕前が充分発揮できないだろう」と笑って、自分のものを譲ってくれた事もあった。
普通に接してくれる。
それだけの事が、とても嬉しくて。
……だから、思わず声を掛けてしまったのだろう。
何か理由がないと話し掛けられなかったから。
モデルになってくれ、と。そんな強引な言葉で、彼の気を引こうとした。
――彼とは、対等でいたかった。
同情も憐れみも、欲しくはなかった。
彼の瞳にそんな色が浮かんでいるのを見たら、僕は。
自分を殺したくなったかもしれない。
彼と一緒にいる時だけは、惨めな自分を忘れることが出来たのだ。
美しく聡明で、誰にでも平等で、幸福な彼。
僕には望むべくもない、全てを彼は持っていた。
裕福で、由緒正しい家柄。
厳格で愛情深い家族。
美しい幼馴染……
その全て。
彼が「煩わしい事ばかりだ」と笑う、その全てが。
僕には喉から手が出るほど欲しかった。
彼を、特別に思っていたのだ。
特別に、愛しいと。初めて他人に感じる想いを、抱いていた。
それは確かだ。その気持ちに偽りはない。
が――それと同じくらい、もしかしたら……どこかで。
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