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犬と田舎
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帰ってきたのは、飼っていた犬の三回忌だと連絡を受けたからだと自分に言い聞かせていたが、本当は違うのかもしれない。
確かに田舎だったから、僕はあまり家には帰らなかった。いや、だからこそ上京したのだ。家に帰らないでいいように。家が嫌いだった。そこには都会に溢れている情報も選択も皆無で、庭に生えているけだるい雑草のような時間が永遠と流れているようにしか見えず、希望はこの町の外にしかないと本気で思っていた。今でもそう思っている。ここにいたらきっと何者にもなれずに人生が終わってしまう。そんな恐怖を小学生の頃から感じていた。そんな家に来たのが、一匹の犬だった。この犬は田舎らしく雑種だった。野良というより、野生に近かった。それでもこの町の空気には合っていたのか、犬はすくすくと育っていった。
ある日から近所に住んでいる野良猫が庭に来るようになった。偵察だろうか、塀の上から犬を小馬鹿にするようにじっと座り込む。犬は鎖があるから吠えるだけだった。そんな日が続いた。何年も。僕はいつのまにか町を出て、予定通り都会で目まぐるしい生活を送っていたから、そんなことはすっかりと忘れていたはずなのに、こうして久しぶりに家に帰ってきて親と犬の思い出話をしているとふと思い出したのだった。
「あのときの猫、まだ来てるん?」
「それがね、ここ何年も来ていなかったからもうとっくの昔に亡くなったのかなぁなんて思っていたんだけど、うちの子が亡くなった次の日に久しぶりに庭にやってきたんよ」
きっとなにか通ずるものがあったのかもね、と母は会話を結んだ。僕は声を出す度に咳き込みそうな母を見つめながら、母の老けた顔に驚きを隠せない自分がいることにひどく泣きそうになっていた。犬もそうだが、親もそうだ。僕たちはそういう世界で生きている。
「そういえば、あんたも小さいときはヤンチャだったわよね」
気がつけば話は犬から僕に変わっていった。そのヤンチャだった頃の僕からもう何十年も経っている。体が重たい気がした。この空気はあれだ。子供の頃によく感じた田舎特有のねばねばと纏わりついてくるような嫌な空気だった。その感覚を流そうと、僕は久しぶりに実家の風呂に向かった。風呂には僕が子供の頃から使っていたアニメのキャラクターが描かれているコップが今でも置いてあった。
その夜、だから子供の頃の夢を見た。楽しいような、楽しくないような、特に中身のない夢だった。そのとき、懐かしい音が鳴り響いた。それは目覚まし時計だった。僕が子供の頃にとあるチョコレート菓子の懸賞で当てた時計で、なぜか目覚ましの音楽がリストの「愛の夢」だった。それで起きた。どうやらその目覚まし時計は僕が家を出てからは親が現役として使っているらしく、その心地いいメロディと懐かしさも相まって、僕は再び夢の世界に落ち込んでいった。
そこで会えた。飼っていた犬は本当に人間臭くて、僕の一番の親友だったはずなのに、いつのまにか僕は一緒に遊ばなくなっていき、しまいには散歩をしている姿を誰かに見られるのすら恥ずかしくなってしまい、ただ頭をなでるだけの存在になっていた。そして今、僕は夢の中で激しく後悔している。あのとき、どうしてもっと遊んでやらなかったんだろう。
昼前、もぞもぞと起きた僕に母は一言だけおはようと言い、そのまま買い物に出かけて行った。父はとっくに仕事に行っていた。一人残った家で、僕はぼんやりとしたまま台所でさっきまで見ていた夢の余韻を味わっていた。昼前だというのに薄暗い台所と、外から聞こえてくる小鳥の声に、僕は今過去の世界にいるような気がして、また涙があふれてきそうだった。ふと、外から猫の泣き声がした気がした。
帰ってきた母にそのことを言うと、大げさに笑われた。
「そんな訳ないじゃない。この辺にはもうそんな野良猫はいないって話よ。それにもしあのときの猫だとしたら、いったい何年生きているのよ」
確かにそれはそうなんだけど、と言いかけたとき、母が買い物袋から懐かしいお菓子を取り出した。それはあの目覚まし時計が当たった例のチョコ菓子だった。
「もうそんな子供じゃないよ」
と言いながら一口食べてみる。そうだ、僕はこの家で育ったんだ。そんな当たり前のことを思い知らされたようで、僕は洗面台に行って思いっきり顔を洗った。僕はここで生まれて、ここで育った。その逃げられない過去が、ようやく僕を捕まえた気がした。あのとき、犬が亡くなりそうだと連絡を受け、急いで家に帰ったつもりだったが、それでも間に合わなかったのは心のどこかでずっと逃げていたからだろうか。僕は、ずっと謝りたかったのかもしれない。
次の日、再び犬の墓に寄ってから、その足でバスに乗り込んだ。遠ざかっていく町を後ろに感じながら、そこで僕の心はようやく家に帰れた気がした。
確かに田舎だったから、僕はあまり家には帰らなかった。いや、だからこそ上京したのだ。家に帰らないでいいように。家が嫌いだった。そこには都会に溢れている情報も選択も皆無で、庭に生えているけだるい雑草のような時間が永遠と流れているようにしか見えず、希望はこの町の外にしかないと本気で思っていた。今でもそう思っている。ここにいたらきっと何者にもなれずに人生が終わってしまう。そんな恐怖を小学生の頃から感じていた。そんな家に来たのが、一匹の犬だった。この犬は田舎らしく雑種だった。野良というより、野生に近かった。それでもこの町の空気には合っていたのか、犬はすくすくと育っていった。
ある日から近所に住んでいる野良猫が庭に来るようになった。偵察だろうか、塀の上から犬を小馬鹿にするようにじっと座り込む。犬は鎖があるから吠えるだけだった。そんな日が続いた。何年も。僕はいつのまにか町を出て、予定通り都会で目まぐるしい生活を送っていたから、そんなことはすっかりと忘れていたはずなのに、こうして久しぶりに家に帰ってきて親と犬の思い出話をしているとふと思い出したのだった。
「あのときの猫、まだ来てるん?」
「それがね、ここ何年も来ていなかったからもうとっくの昔に亡くなったのかなぁなんて思っていたんだけど、うちの子が亡くなった次の日に久しぶりに庭にやってきたんよ」
きっとなにか通ずるものがあったのかもね、と母は会話を結んだ。僕は声を出す度に咳き込みそうな母を見つめながら、母の老けた顔に驚きを隠せない自分がいることにひどく泣きそうになっていた。犬もそうだが、親もそうだ。僕たちはそういう世界で生きている。
「そういえば、あんたも小さいときはヤンチャだったわよね」
気がつけば話は犬から僕に変わっていった。そのヤンチャだった頃の僕からもう何十年も経っている。体が重たい気がした。この空気はあれだ。子供の頃によく感じた田舎特有のねばねばと纏わりついてくるような嫌な空気だった。その感覚を流そうと、僕は久しぶりに実家の風呂に向かった。風呂には僕が子供の頃から使っていたアニメのキャラクターが描かれているコップが今でも置いてあった。
その夜、だから子供の頃の夢を見た。楽しいような、楽しくないような、特に中身のない夢だった。そのとき、懐かしい音が鳴り響いた。それは目覚まし時計だった。僕が子供の頃にとあるチョコレート菓子の懸賞で当てた時計で、なぜか目覚ましの音楽がリストの「愛の夢」だった。それで起きた。どうやらその目覚まし時計は僕が家を出てからは親が現役として使っているらしく、その心地いいメロディと懐かしさも相まって、僕は再び夢の世界に落ち込んでいった。
そこで会えた。飼っていた犬は本当に人間臭くて、僕の一番の親友だったはずなのに、いつのまにか僕は一緒に遊ばなくなっていき、しまいには散歩をしている姿を誰かに見られるのすら恥ずかしくなってしまい、ただ頭をなでるだけの存在になっていた。そして今、僕は夢の中で激しく後悔している。あのとき、どうしてもっと遊んでやらなかったんだろう。
昼前、もぞもぞと起きた僕に母は一言だけおはようと言い、そのまま買い物に出かけて行った。父はとっくに仕事に行っていた。一人残った家で、僕はぼんやりとしたまま台所でさっきまで見ていた夢の余韻を味わっていた。昼前だというのに薄暗い台所と、外から聞こえてくる小鳥の声に、僕は今過去の世界にいるような気がして、また涙があふれてきそうだった。ふと、外から猫の泣き声がした気がした。
帰ってきた母にそのことを言うと、大げさに笑われた。
「そんな訳ないじゃない。この辺にはもうそんな野良猫はいないって話よ。それにもしあのときの猫だとしたら、いったい何年生きているのよ」
確かにそれはそうなんだけど、と言いかけたとき、母が買い物袋から懐かしいお菓子を取り出した。それはあの目覚まし時計が当たった例のチョコ菓子だった。
「もうそんな子供じゃないよ」
と言いながら一口食べてみる。そうだ、僕はこの家で育ったんだ。そんな当たり前のことを思い知らされたようで、僕は洗面台に行って思いっきり顔を洗った。僕はここで生まれて、ここで育った。その逃げられない過去が、ようやく僕を捕まえた気がした。あのとき、犬が亡くなりそうだと連絡を受け、急いで家に帰ったつもりだったが、それでも間に合わなかったのは心のどこかでずっと逃げていたからだろうか。僕は、ずっと謝りたかったのかもしれない。
次の日、再び犬の墓に寄ってから、その足でバスに乗り込んだ。遠ざかっていく町を後ろに感じながら、そこで僕の心はようやく家に帰れた気がした。
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