ショートショート「おばあちゃんの秘密」

有原野分

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おばあちゃんの秘密

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 私はおばあちゃん子だった。
 お母さんは小さい頃に亡くなった。父も祖父も優しかったけれど、それでもときどき、どうしようもなく寂しくなる。だから私は、いつもおばあちゃんに甘えていた。
 ある日、洗面所の鏡の前でシクシクと泣いていたら、おばあちゃんが私の頭をなでて、そっと抱きしめてくれた。
「秘密のおまじない」
 おばあちゃんはいつも微笑んでいる。
「辛いときや悲しいとき、鏡の前で目をつぶって、頭の中で幸せなことをたくさん考えてごらん。きっと笑顔になれるから」
 私は目を閉じて、大好きだったお母さんのことや、優しいおばあちゃんのこと、父と祖父、将来の夢、学校の友達、大好きな焼き芋、とにかくたくさんの幸せなことを考えて、そっと目を開けた。
 鏡には笑顔の私が映っていた。おばあちゃんがお日様のように微笑んでいる。鏡越しに目が合うと、それがなんだか可笑しくて、私たちは大きく笑い合った。
 しばらくして、おばあちゃんが亡くなった。私は声を上げて泣いた。泣いて泣いて、何日も何日も塞ぎ込んで、お母さんが亡くなったときと同じぐらいの涙を流して、私はきっと一生分の涙を流したと思う。
 ある朝、また悲しくなって泣いているとき、ふと、おばあちゃんが教えてくれたおまじないを思い出して、私は鏡の前で目を閉じた。
「笑ってごらん」
 おばあちゃんの声が聞こえた気がした。ゆっくりと目を開ける。驚いたことに、鏡におばあちゃんが映っていた。
「おばあちゃん!」
 おばあちゃんが優しく微笑んでいる。私は嬉しくなって、涙を流しながらおばあちゃんが亡くなってからのこと、学校のこと、お父さんとかおじいちゃんのこと、将来のこと、とにかくたくさんしゃべった。おばあちゃんはただ頷きながら、私の話を聞いてくれた。
 それから、私は目が覚めるとまず洗面所でおばあちゃんに挨拶をするようになった。時間さえあればいつまでも鏡の前にいた。
「おばあちゃん、おはよう」
「またお母さんの夢を見たんだ」
 何気ない会話だったけれど、それが私の心の支えだった。
「昨日ね、席替えがあったんだよ」
「今日は雨だね」
「あ、セミが鳴いているよ」
「この前、紅葉狩りしたんだ」
「見て、息が白い」
「おばあちゃん、今日はね、卒業式なんだ」
「男の人ってなにを考えているのかしら」
「大人って不思議」
「お母さんって大変なんだね」
「また、帰ってきてもいい?」
「私、おばあちゃんのようなおばあちゃんになりたいわ」
「なんだか最近、頭が痛いの」
「最近ね、みんなの様子がおかしい気がする」
「おじいちゃんが私を悲しい目で見るの」
「お母さんに会いたい」
「私、一日でこんなに年をとっちゃった」
「ねえ、おばあちゃん。私、いま何歳なの?」
 頭がズキン、と痛くなった。そのとき、おばあちゃんがふっと消えた。目を凝らす。鏡には私が映っている。頭が痛い。ああ、そうか。思い出した。
 おばあちゃんは、私だったんだ。
 最近、目が覚めると記憶がこんがらがって、自分のことも、夫のことも、子供のことすらも忘れて、昔に戻ってしまうのだ。私はそれを毎日繰り返している。ああ、めまいがする。涙が次から次へと溢れて、家族に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになって、どうしようもなく悲しくなる。ふと、声が聞こえた。
「笑ってごらん」
 おばあちゃんの声。おばあちゃんに優しく抱きしめられた気がした。頭の痛みが消えていった。目を閉じる。そうして、開けると、鏡には笑顔の私が映っていた。その横でおばあちゃんが笑っている。
「おばあちゃん、いつもありがとう」
 私は鏡に向かってお礼を言うと、洗面所を後にした。
 早く家族に会いたかった。謝りたかった。お礼を言いたかった。許してくれるだろうか。怖くて、不安だった。けど、夫はそんな私を笑顔で迎えてくれた。うれしくてうれしくて、私は泣きながら、思い出の中のおばあちゃんのように優しく微笑んだ。
 月明かりがきれいな夜。夫が眠っている横で、私は人生の思い出をゆっくりとなぞっていく。夢のようなひととき。例え、毎朝記憶がなくなっても、私はとても幸せだと思う。今夜もきっと、あたたかい夢を見る。そうして、朝、鏡の前でおまじないをする。それは、私とおばあちゃんだけの秘密。
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