小説「穴」

有原野分

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 私は昔から「穴」が好きであった。好きと言っても、性癖やフェチズムでは無く、生まれた時から何故か「穴」を見ると気になっては仕方が無かった。洞窟から蟻の巣、先の見えないトンネルに台所の排水溝、酷い時には自分の耳の穴が気になって血が出るまでほじくっていたものだ。さすがに両親は心配したが、体面を気にし、中学になるまでは病院も連れて行かなかった。
 初めて病院に運ばれたのは、中学二年の初夏だったかな。てっきり私は精神科に行くものだと思っていたのだが、待っていたのは外科だった。それもそうだ。私はあの時、顔は腫れ上がり、腕も折れていたのだから。…酷いイジメにあっていたのだ。
 彼らにとっては私の奇行は恰好の遊び道具に過ぎなかった。当時は随分、恨んだものだった。何度やり返そうと思った事か。穴という穴を潰してやろうか、と。しかし、私の両親は敬虔なクリスチャンであり私も幼い時分から叩き込まれていた。――隣人を愛せよ、汝の敵を愛せよ。そうさ、私は天国に行き、あいつらは地獄に堕ちるのさ!ただ、耐える事が、彼らを憐れむ事が、私の唯一の仕返しだった。しかし、それも今の私にとっては笑い話さ。仕返しだって、単に私が非力で意気地無しだったのだ。
 私はある日、ついに糸がプツンと切れてしまった。しかしながらどうする事も出来ない私は神に祈りを捧げてしまったのである。――主よ、どうか私を憐れみ給え。私を嘲り、暴力を振るう者にどうか苦しみを与え給え。奴らを地獄に落とし、私の靴の紐を結ばし給え。どうか、どうか、罪人共を業火で焼き尽くし給え、と。ふと、その時(いや、きっと気のせいだろうが)声が聞こえたのだ。風が窓を叩くかの声が耳元で聞こえたのだ!
 ――お前は何と、恥知らずな人間なのだ。お前も所詮彼らと同じなのだ。恥を知れ!

 私は気が付くと、家を飛び出し、裏山の中腹でうなだれていた。分厚い雲が、まるで天の国を遮るかの様に狂気を孕んでいた。私は己を恥じた。嫌悪し、この醜態を消してしまいたかった。ふと、何故かは分からないが、手には強固なスコップが握られていた。私は掘って、掘って、掘りまくった。――私は穴があったら入りたかったのだ。
 明け方になると、穴はゆうに二メートル近くになり、私をすっぽり隠してしまった。穴の中で、私は土の匂いを嗅ぎながら腰を掛けた。静かだった。こんなにも落ち着く場所はやはり穴の中だ、などと考えるほど、閑静で心が安らいだ。
 ふと、目の前の土壁の一部分がもぞもぞと動き、野球ボールぐらいの大きさがこちらにせり出てきたのだ。土がボロっと下に落ち、ヒョイと何かが飛び出して来た。…もぐらだ!私は多少驚いたが、暫く様子を見ることにした。もぐらは盲人の様に目を閉ざしていた。こちらに顔を向け何やらひくひくと鼻を動かしている。なるほど、腹が減っているんだな、と私は直感で気が付いた。そう言えば私も随分腹が減っていた。ポケットを探り、泥だらけの饅頭を一つ取りだした(何故こんなモノが入っていたのかは、その時は気にも留めなかったのである)。もぐらはその饅頭に気が付いたのか、乞う様に余計に鼻をひくひくさせた。私は少し考えた後で、その饅頭を地面に叩きつけた。自分の中で、気分が晴れたのが分かった。優位に立つ気持ち良さ、支配する心地良さ、強者になった様な錯覚に私の口元はニヤリと歪んでしまった。突然、またあの声が聞こえてきたのだった!
――汝は救えない人間だ。悔い改めよ!
 そう聞こえたと同時に、私の座っていた穴の底が崩れ落ちていったのである!私は悲鳴にならない声をだし、必死で壁にしがみ付こうとしたが、突起も無く、爪が剥がれ肉が削がれるのが分かった。ふいに上を見てみると、先ほどのもぐらがこちらを憐れみの目でじっと見つめていたのである…。
 
 気が付くと、私は真っ暗な空間に横たわっていた。周りには数人の人の気配がした。私は飛び上がり、「助けてくれ!」と言おうと思った矢先に、心臓が止まる程の顔をそこに見たのだ。…イジメっ子だ。私をイジメた奴らがニヤニヤしながら私を見つめていたのだ。しかも誰一人、目が無かったのだ。顔に二つの穴が開いていたのだ。こいつらは私を取巻くと、どこからともなく声を出した。
 「よく来たな。所詮お前も、同じ穴の狢だって訳さ…。」
 私はゆっくりと上を向いた。針の穴の空を見上げた。しかし、それももう見えはしなかった。私は今でもここから出られる事を、せめて、この両手の血が止まる様にと、神に祈っているのである。
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