モノクロカメレオン

望月おと

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26、【接触】

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「退屈だね、塩ノ谷くん」

 遼のベッドで寝そべりながら、勉強机に向かっている遼の背に澄貴は声を掛けた。しかし、遼の耳には届いていない。耳にはめているイヤフォンが外部の音を遮断しているからだ。少しでも勉強に集中したい。大学受験の日程は確実に近づいている。どんな私情があろうと大学側には関係のない話だ。

「……ごめん、邪魔したね。散歩に行ってくるよ」

 夢を追う遼の邪魔はできない。澄貴は静かに部屋を出ていった。一人になった部屋で遼は大きく伸びをした。いつまでこの生活が続くのだろう。できることなら明日にでも学校へ行き、授業に出たい。窓の外に広がる青い空がやけに遠く見える。囚われの鳥は、こんな窮屈な思いで外の景色を見ているのだろうか。考えても仕方ない。気を使ってくれた澄貴の手前もある。遼は再び机に向かい、大学受験対策の問題集に取り掛かった。

 問題集には響子との思い出も詰まっている。抑えておくべき問題に響子はマークを付けてくれていた。文字だらけの問題集を彼女が描いた花が彩る。確かに響子は生きていた。同じ時間を彼女と遼は共有していた。しかし、もう彼女には会えない。どこを探しても、この世にはいないのだから。思い出だけが響子が生きていた証だ。

「先生……」

 響子に伝えたい気持ちは山ほどある。だが、そのどれも彼女に届けることは叶わない。響子が書いたマークを指でなぞりながら、「……ごめん」全部を集約した三文字を遼は涙と一緒に何度も溢した。

*************

 どこからか音楽が聞こえてくる。聞き覚えのあるメロディ……着信音だ。机から顔を上げると、スマートフォンが鳴っていた。いつの間にか寝てしまっていたようだ。すっかり陽は傾いている。遼は眠い目を擦りながら、電話に出た。

「塩ノ谷くん、息抜きに出ておいで」
「……田部井、か」
「あれ? もしかして、寝てた?」
「あぁ……」
「近所のファミレスに集合ね」
「……分かった」

 由衣が働いているファミレスか。家の戸締りをして遼はファミレスを目指した。学生たちの下校時間と重なっていたこともあり、様々な制服を着た学生が家路を目指していた。

 「塩ノ谷?」ふいに呼ばれた声に振り返ると、新居が立っていた。制服にリュックを背負っている。学校の帰りだろうか。その疑問を新居にぶつけると、彼は首を横に振った。

「え? 学校行ってないのか!?」
「行ったよ。……午前中だけ」
「午後は、どうしたんだ?」
「取り調べ」

 新居からの意外な返答に遼は言葉を詰まらせた。警察は新居の犯行も視野に入れて捜査を始めたということか。それとも、森と同じように情報をたくさん持っている新居に話を聞いただけか。どちらにしろ、「取り調べ」と発した新居の顔を見る限り、警察でこってりと絞られたことが分かる。

「お疲れ」
「なんだよ、皮肉か?」
「いや、本心だよ。取り調べしたのは、青宮さん?」
「あぁ。赤いスカジャン着たスキンヘッドの柄が悪いオジサン。俺の顔見るなり、『お前か?』ってさ。この間も家に来るし。……迷惑なんだよ。探偵ごっこで人の名前出されると」
「でも、先生に嫌がらせしてたって噂が──」

 「あぁ。事実だよ」あっさり新居は認めた。情報源が森だと察したのだろう。観念したように真相を話し始めた。

「好きでやったわけじゃない。本当は、嫌がらせなんかしたくなかった」
「だったら、やめればよかっただろ! そうすれば、疑われなくて済んだのに」
「できてたら、とっくにやめてた。──あの人……先生はさ、そのことを最初から見抜いていたんだ。誰かに言われてやらされてるだけだって。そう分かっていながら、嫌がらせを受け続けていたんだよ。俺なんかのために……本当、馬鹿だよ。あの人は」
「……ちょっと、待て! それじゃ、お前は──誰に頼まれたんだ? 誰に頼まれて先生に嫌がらせを」

 新居は犯人を知っている。遼の直感が告げていた。もう少しで犯人に辿り着ける。詰め寄る遼に新居は静かに首を横に振った。

「どうして言わないんだよ!! ……俺は犯人が誰であろうと許さない。知りたいんだ。なんで、犯人は先生を殺さなくちゃいけなかったのか」
「塩ノ谷ってさ、結局は自分のことしか見えてないよな」
「え?」
「【恋は盲目】ってやつなのか、もともと視野が狭いのか。……いいか? 殺さなくちゃいけない理由があって犯罪を犯す奴なんて、ほんの一握りなんだよ。残りは何だと思う? 【私利私欲】だ。お前みたいなやつが一番犯罪に近いところにいるんだよ、塩ノ谷」

 真っ直ぐな新居の視線は遼の奥底にある黒い感情を見抜いているようだった。

「何も言い返さないってことは図星か……。でも、お前に人は殺せない」
「どうして?」
「だって、お前は優しいから。俺に言っただろ? 『お疲れ』って。自分で体験して辛かったから、労いの言葉を俺にかけたんだろ? 人の痛みが分かる奴に人をあやめるなんて無理な話だよ」

 どうだろう。本当に無理な話なのだろうか。響子のことを考えると、犯人に対して憎悪が膨らむばかりだ。彼女には未来があった。この先も教師として教壇に立ち続けいたはずだ。それなのに、それなのに……。いつかこの黒い感情が爆発して取り返しのつかないことをしてしまうんじゃないかと不安になる。犯人を突き止め、その人物を前にしたら──冷静でいられる自信などない。人の痛みが分かるからこその犯罪も世の中には少なからずあるのではないか。遼は首を縦にも横にも振ることができず、ただ黙って新居の話を聞いていた。

「塩ノ谷は、どこか行く予定だったのか?」
「そこのファミレスに」
「貝塚がバイトしてるファミレスか……。アイツには気をつけたほうがいい。とんだ【ダークホース】だから」
「森も前に似たようなことを言ってたな」
「貝塚もだけど、柴崎もここ最近変なんだ」
「変って?」
「いや、大したことじゃない。用事があったのに、引き留めて悪かったな」

 紗奈のことが気になったが、深く聞いても新居は答えてくれなかった。遼は新居に「またな」と告げ、待ち合わせのファミレスへ急いだ。
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