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第2章 公爵夫人の魔力相談室
29:予言魔術師の死
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賢者の塔での日常は様々な事件を経て、今や予測不可能な驚きに満ちている。だが今日、騎士団長アレクシス様がもたらした報せは、これまでのどんな厄介事とも次元が違う、王国の根幹を揺るがしかねないものだった。
「――宮廷大予言魔術師、マスター・レオニダスが、死んだ」
書斎の空気が、一瞬にして凍りついた。
黒猫のファントムでさえ、異変を感じて背中の毛を逆立てている。
マスター・レオニダス。その人の言葉は神託にも等しいとされ、国王陛下さえもが一目置く、この国で最も影響力のある人物の一人。彼が昨夜、自らの執務室で遺体となって発見されたというのだ。
「状況が、あまりに奇怪なんだ」
アレクシスは声を潜めて続けた。その顔にはいつもの快活さがない。事件の異常さに戸惑っている色がありありと浮かんでいる。
「レオニダスは死ぬ直前、国王陛下と彼の三人の高弟の前でこう予言したらしい。『今宵月の涙が落ちる刻、私はこの部屋で我が弟子の一人に裏切られ、命を落とすだろう。その者の名は――』と。彼は三人の弟子、ゼノン、エリアーラ、カシウスの名を挙げて『この中の誰かだ』と告げたそうだ」
そして予言は成就した。
月の涙――深夜に降り注ぐ、霧のような雨――が占星術の塔の窓を濡らす時刻。レオニダスは内側から鍵のかかった自室で、心臓を止めていた。
予言の後、名指しされた三人の弟子たちは互いが犯人ではないことを証明するため、師を守るため、レオニダスの部屋の前の間に詰めていた。一歩も外に出ず、互いを監視し合っていたという。部屋は完全な密室。誰も出入りしていない。
それなのに、予言は寸分違わず現実のものとなった。
「自らの死を予言し、それが成就した、か。まるで、聖人の殉教のようだな」
セオドア様が、皮肉っぽく呟く。
「ああ。だが聖人にしては、最近の予言は少しばかり物騒でな」
アレクシスは眉を寄せた。
「『偽りの救世主が大陸の命脈を啜り、神を名乗る』だとか、『聖域より生まれし災厄は、調律の乙女によってのみ鎮められる』だとか……。いくら解釈の難しい予言とはいえ、不吉で意味のわからないことばかりで、王宮では気味が悪いと噂されていた矢先だったんだ」
瞬間。私の胸を、冷たい氷の指が撫でたような気がした。
調律の乙女。
それはまるで、私のことを……。
「……わかりました、アレクシス様。私たちが行きましょう」
私が言えば、隣でセオドアが頷いた。
「その聖人様の茶番か、あるいは本物の殉教か。この目で見届けてやろうじゃないか」
マスター・レオニダスの執務室は、しんと静まり返っていた。まるで空間そのものが主の死を悼むように。
天井には巨大な天球儀が吊るされて、壁には無数の星図が貼られている。部屋に満ちるのは古い羊皮紙と、どこか宇宙の塵を思わせる、冷たく乾いた匂い。
その中央でレオニダスは、豪奢な安楽椅子に深く身を沈めたまま、永遠の眠りについていた。
だが死に顔は、安らかではなかった。
見開かれた目は、何か信じられないものでも見たかのよう。純粋な驚愕の色に染まって、固まっていた。
「……死因は、心臓への魔力衝撃。即死だったろう。術式痕跡は極めて巧妙に消されているが、この程度の衝撃なら、熟練の魔術師ならば壁越しにでも可能だ。隣の間にいた弟子三人は、全員が容疑者たり得る。物理的には、な」
セオドアは遺体を検分し、淡々とした声で言った。
物理的に。では、心理的にはどうだろう。
私はそっと目を閉じた。私の出番だ。「調律」の力を解放する。この空間と、彼の魂が肉体を離れた瞬間に残した魔力の残穢を探った。
(……おかしい。これは、おかしいわ)
予言された死。ならばここには、死を待つ者の「恐怖」や「諦め」の感情が残っているはずだ。
だが私が感じ取ったレオニダスの最後の感情は、まったく違うものだった。
予期せぬ出来事に対する、純粋な「驚き」。
それから自らの描いた完璧な脚本が、根底から覆されたことへの激しい「焦り」。
彼は、死ぬこと自体に驚いたのではない。**「こんな死に方をするはずではなかった」**と、その魂が叫んでいた。
「――宮廷大予言魔術師、マスター・レオニダスが、死んだ」
書斎の空気が、一瞬にして凍りついた。
黒猫のファントムでさえ、異変を感じて背中の毛を逆立てている。
マスター・レオニダス。その人の言葉は神託にも等しいとされ、国王陛下さえもが一目置く、この国で最も影響力のある人物の一人。彼が昨夜、自らの執務室で遺体となって発見されたというのだ。
「状況が、あまりに奇怪なんだ」
アレクシスは声を潜めて続けた。その顔にはいつもの快活さがない。事件の異常さに戸惑っている色がありありと浮かんでいる。
「レオニダスは死ぬ直前、国王陛下と彼の三人の高弟の前でこう予言したらしい。『今宵月の涙が落ちる刻、私はこの部屋で我が弟子の一人に裏切られ、命を落とすだろう。その者の名は――』と。彼は三人の弟子、ゼノン、エリアーラ、カシウスの名を挙げて『この中の誰かだ』と告げたそうだ」
そして予言は成就した。
月の涙――深夜に降り注ぐ、霧のような雨――が占星術の塔の窓を濡らす時刻。レオニダスは内側から鍵のかかった自室で、心臓を止めていた。
予言の後、名指しされた三人の弟子たちは互いが犯人ではないことを証明するため、師を守るため、レオニダスの部屋の前の間に詰めていた。一歩も外に出ず、互いを監視し合っていたという。部屋は完全な密室。誰も出入りしていない。
それなのに、予言は寸分違わず現実のものとなった。
「自らの死を予言し、それが成就した、か。まるで、聖人の殉教のようだな」
セオドア様が、皮肉っぽく呟く。
「ああ。だが聖人にしては、最近の予言は少しばかり物騒でな」
アレクシスは眉を寄せた。
「『偽りの救世主が大陸の命脈を啜り、神を名乗る』だとか、『聖域より生まれし災厄は、調律の乙女によってのみ鎮められる』だとか……。いくら解釈の難しい予言とはいえ、不吉で意味のわからないことばかりで、王宮では気味が悪いと噂されていた矢先だったんだ」
瞬間。私の胸を、冷たい氷の指が撫でたような気がした。
調律の乙女。
それはまるで、私のことを……。
「……わかりました、アレクシス様。私たちが行きましょう」
私が言えば、隣でセオドアが頷いた。
「その聖人様の茶番か、あるいは本物の殉教か。この目で見届けてやろうじゃないか」
マスター・レオニダスの執務室は、しんと静まり返っていた。まるで空間そのものが主の死を悼むように。
天井には巨大な天球儀が吊るされて、壁には無数の星図が貼られている。部屋に満ちるのは古い羊皮紙と、どこか宇宙の塵を思わせる、冷たく乾いた匂い。
その中央でレオニダスは、豪奢な安楽椅子に深く身を沈めたまま、永遠の眠りについていた。
だが死に顔は、安らかではなかった。
見開かれた目は、何か信じられないものでも見たかのよう。純粋な驚愕の色に染まって、固まっていた。
「……死因は、心臓への魔力衝撃。即死だったろう。術式痕跡は極めて巧妙に消されているが、この程度の衝撃なら、熟練の魔術師ならば壁越しにでも可能だ。隣の間にいた弟子三人は、全員が容疑者たり得る。物理的には、な」
セオドアは遺体を検分し、淡々とした声で言った。
物理的に。では、心理的にはどうだろう。
私はそっと目を閉じた。私の出番だ。「調律」の力を解放する。この空間と、彼の魂が肉体を離れた瞬間に残した魔力の残穢を探った。
(……おかしい。これは、おかしいわ)
予言された死。ならばここには、死を待つ者の「恐怖」や「諦め」の感情が残っているはずだ。
だが私が感じ取ったレオニダスの最後の感情は、まったく違うものだった。
予期せぬ出来事に対する、純粋な「驚き」。
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