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三吉は悩んでいた。
齢7つにして人生の岐路に立っていた。
「ねえ清さん、おれはどうしたらいいんだろう」
清さんは、寺子屋の所謂師範である。
ただ、誰も師範とか師匠とか先生とは呼ばない。
若いというのもある。寺の一室で行われている寺子屋とはいえ、清さん自身が習いにきている子供たちの多くと同じ長屋に住んでいるというのもある。
そして何より本人があまり呼ばれ方にこだわりがないということもある。
それでも、しゃんとした姿勢とよく通る声に武家の血を感じる、というのが三吉の幼馴染のおそのの意見だ。
まあ、武家といっても親の時代に主家が没落、清さん本人は一度も仕官したことはないという。
そんなことを三吉が知っているくらいには周りに馴染んでいる人だった。
この辺りの長屋にあまり武家(浪人)はいない。
そのせいか、清さんの一家はちょっと特別な感じがした。
その上寺子屋の師範である。
だからこそ、三吉は清さんに相談を持ちかけたのだ。
「そうだねえ」
清さんは少し考え込んで、また箒を動かす。
もう今日の手習は終わって、三吉以外の子供は帰っていった。
机が並んだ部屋はがらんとしていて、廊下との境の障子を開けて清さんが外に向かって掃き掃除をしている。
手は休めないが、清さんは考えてくれているようだ。
うーんうーんと小さくうなっていた。
二間続きの向こうまで掃いて、障子を占めながら戻ってきた。
「ちょっと待っていなさい」
そういうと廊下の戸棚を漁り始めた。
教本や忘れ物、季節の行事の品など、この寺子屋の物品が納められている棚。
普段は開けられることはなく、三吉は何が入っているのかはしかとは知らない。
なんとなく、期待して清さんを見る。
三吉は悩んでいた。
きっかけは、兄の一太の帰宅だった。
三吉は、名前の通り3番目の子供だ。
一太、おふねの兄姉と弟の留吉がいる。
父親の六太は下請けの職人、母親のおみつは惣菜屋で働いている。
住み込みで奉公に出ていた一太が帰ってきた。
店の主人が亡くなって、店は畳まれてしまい仕事と住むところを一度に失ったのだ。
それが3日前のこと。
帰ってきた夜、一太は泣いていた。
三吉と一太は年が離れているから、一太は18だ。
これからのことを思って不安になったのだ。
三吉は一太の涙を初めてみた。
そして自分も不安になった。
長屋住まいで、親から引き継ぐようなものはなく、いずれは兄姉のように奉公に出るのだとなんとなく思っていた。
それでいいのかと思い始めたのだ。
あったあったと何かを取り出した清さんがそれを三吉の前に置いた。
密かに菓子でも出てくるのではないかという思いは裏切られた。
それは一冊の本だった。
「三吉の今の悩みに、答えをあげることは誰にもできないだろう。親でも、ましてや私自身が仕官したことも働きに出たこともないのだから。だけど三吉、仕事について考えるということは、とても大切なことだ。参考になるといいのだが」
清さんが祓ってくれたが、少し埃っぽい青い表紙の本。
三吉は寺子屋の教本以外で本など持ったことはない。
三吉の家にも本はない。
三吉の悩みを聞いたのに、具体的にどうこうと教えてくれることもなく本を渡されて、三吉はちょっと肩透かしを食らった気分だった。
同時に清さんは清さんだなあなどと考えていた。
やはりお武家さんは自分たち町人とはちょっと違うんじゃないだろうか。
どこかのほほんとした清さんを三吉は好きだけど。
そんなことを考えて、礼を言って本を借りて帰ったのだった。
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