陛下を捨てた理由

甘糖むい

文字の大きさ
34 / 79

33

しおりを挟む
「セオドール!」

何の前触れもなく、場違いなほど明るい声が静まり返った廊下に響いた。
それはまるで、凍てついた空気を打ち砕く鈴の音のように無邪気で、無防備で、けれどあまりにも無神経だった。

セオドールが従者に人払いを命じていたその廊下の奥、静寂を守るべき空間に、まるで自分が歓迎されているかのような足取りで入ってきたのはオリヴィアだった。
彼女はジェニエルの存在など最初から見えていないかのように、何の躊躇いもなく彼女の脇をすり抜け、そのまま一直線にセオドールの胸に飛び込んだ。

「……オリヴィア。今は来るなと、言っておいただろう」

呆れたように吐き出されたセオドールの低い声には、かすかな苛立ちが混じっていた。
だが、それは本気で拒む色ではなかった。
むしろ諦め混じりの優しさすら滲んでいた。
オリヴィアはセオドールの態度を気にする様子もなく、ふわりとした笑顔を浮かべたまま彼の袖にしがみつき、小さく頬を寄せた。
その貴族女性にはない無邪気さがジェニエルには眩しく見えた。

「でも、どうしても伝えたかったの!とってもいい知らせがあるのよ!」

そう言いながら、オリヴィアはセオドールの耳元に口を寄せた。

「あのね……」

数歩離れた距離のジェニエルには聞こえない二人の仲睦まじい様子にジェニエルの胸が、すうっと冷えていった。
セオドールがこれほどまでに喜んだ表情を見たのは、いつ以来だろうかと感動にも似た事を考えて居る間も二人の距離はますます縮まるばかりで離れようとしない。
先ほどまで面倒くさそうにしていたセオドールの様子も言葉を交わすにつれて喜色を浮かべ、どこか興奮したようにオリヴィアを抱きしめる。

――ああ、こんな顔もするのね。

ジェニエルはその表情を、あたかも他人のように見つめていた。
こんなにも自然に、こんなにも心を許した相手に向ける笑顔を、セオドールはもう自分には見せてくれないのだと、まざまざと突きつけられた。

オリヴィアの腕が彼の首にまわされ、二人の距離はさらに縮まる。
もはや人目もはばからず、セオドールはその腰を軽く抱き寄せた。
彼女の耳元で何か囁いたのだろう。
オリヴィアが嬉しそうに目を細め、声を立てずに笑っていた。
その光景が、ジェニエルの胸の奥を冷たく蝕んでいく。

先ほどまでセオドールが見せていた苛立ちも、困惑も、今では跡形もなく消え去っていた。
彼はまるで、別人のように柔らかな表情を浮かべていた。
それはジェニエルがかつて知っていた頃の、心の内を見せてくれたセオドールだった。

「……っ」

目の前で繰り広げられるわざとらしいほどの距離の近さに、ジェニエルは視線をそらすしかなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私たちの離婚幸福論

桔梗
ファンタジー
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。

しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。 友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。 『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。 取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。 彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

悪役令嬢は永眠しました

詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」 長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。 だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。 ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」 *思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

処理中です...