ミラクルガール

今年の目標は禁煙で

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第6章 世紀の対決 安藤妙子VS角田先生

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 ルンルン……シャワーだ、ルンルン……。
 脱衣場で、妙子はご機嫌で上下のジャージを脱いでいく。だけど、素っ裸になる前にもう一度、背後のドアを確認。うん、ちゃんと閉めてあるわ。
 それじゃ、一糸まとわぬ姿になりましょう……おっと、その前に一応保険をかけておかないと。脱衣場の壁に向かい、口をもごもごと動かした。
 「えーと、確かこうだったわね。『ちょっと気になるアイツ。相性99パーセントだって……メガネを取ったら意外とカッコよくてビックリ。私を守ってくれるなんて言ってさ、ハートはドキドキ……オカルトマニアのところがちょっとだけど、好きとか言われたらOKしちゃうかも……そんなアイツは、タチバナトオル―』……うん、これで力は解放されたはずね」
 不承不承ながら決まってしまった『力』を解放する掛け声を、妙子は顔を赤くしながら言った。これでもし橘がバカな真似をしてきても、思う存分返り討ちにしてやれるのだ。
 では、そういうことで……妙子は最後の衣服を脱ぎ捨て、風呂場に入っていった。
 
 掃除が行き届いていて、綺麗なお風呂場だった。小窓がきちんと閉まっていることを確認すると、備え付けのシャワーホースを手に取った。
 「うひょ、冷たい」
 手で温度を確かめながら、お湯の方の蛇口もひねる。適温にして頭からシャワーを浴びはじめた。
 「ううッ、生き返るうッ」
 火照っていた身体にシャワーの水流は心地よく、妙子は相好を崩した。ポニーテールに結っている輪ゴムもはずし、頭をゴシゴシと揉みこむと、いっそう爽快感が増す。
 「私は綺麗好き、ラララ……しっかり洗いましょう、ラララ……」
 適当な節をつけて鼻歌まじりにシャワーを浴びる妙子の耳に、とんでもない音が飛びこんできたのは数秒後のことであった。
 ピンポーン。
 え、なんの音?
 ピンポーン。
 うげえッ、まさか、橘の伯母さんが帰ってきたの……ううん、違う。だって、ここは自分の家じゃない。ふつう玄関のチャイムは鳴らさないわ。だったら、誰よ。
 シャワーをとめて耳をそばだてる。
 そこに二階から降りてくる橘の足音が聞こえてきた。
 「どちら様ですか?」
 お風呂場は玄関の近くだ。橘の声がはっきり聞こえた。
 「わしだ」
 え、鷲田さん?……うんにゃ、この声はまさか、あの人じゃ……聞き覚えのある男の声に、妙子の顔がひきつった。
 ガラガラと玄関の扉が横に引かれる音につづいて、
 「橘。ちょーとばかり話があるんで、寄らせてもらったぞ」
 ダミ声のその人は、やっぱり、担任の角田先生じゃあーりませんか。
 「か、角田先生……どうしたんです?」
 橘の声がうわずって、角田先生が突然の訪問であったことを告げている。
 「なあに、ちょっと気になることがあってのう」
 「気になることって、なんですか?」
 「橘、とぼけてもダメじゃ。安藤とのことに決まっておろう」
 「安藤さんとのこと……ですか?」
 「そうよ。お前たち付き合っておるのじゃろう」
 「えッ?」
 「えッ、じゃないぞ。わしの耳にはそういう情報がはいっておる」
 自信満々に角田先生が言った。
 「いえ、角田先生、僕と安藤さんはそういう関係ではありません」
 橘が冷静にかえした。
 「なに、そうとぼけるな。わしも教え子たちが付き合ってはいかんと言いに来たわけじゃない。ただ、安藤がここ毎日と橘の家に入り浸っていると噂に聞いて、それが本当か確かめに来たのじゃ……まあ、とんでもないことになる前に、担任教師として問いたださんといかんからのう」
 「とんでもないことって、なんですか?」
 「それはあれじゃ……橘のところは伯母さんが働きに出てて、この時間は家におらんのじゃろ。ならば、若い男女が同じ屋根の下で二人きり、とんでもないことが起こっても不思議ではなかろう」
 遠まわしに話す、角田先生の声がちょっとうわずっていた。
 「やめてください、角田先生。そんなことは絶対にありませんから」
 橘の声もかなりうわずってきた。
 「うむ。ちゃんとしている橘にかぎってはないだろうが、なにしろ、あの安藤が相手では、わしは心配でならんのじゃ」
 ウキーッ。
 なによ、先生、その言い草はッ……妙子はお風呂場でカッカした。
 「で、いるんだろう、安藤は。とぼけてもダメじゃ。この靴、安藤のものだろうて」
 角田先生に、玄関に置かれた妙子の革靴を指差され、橘も言い訳ができない。
 「ま、まあ……いますけど」
 「では、呼んできてくれ。ちょっと話そうじゃないか」
 「今ですか?」
 「なんだ、なにかまずいことでもあるのか」
 角田先生の目がギラリと光った―と、想像できそうな鋭い声音であった。
 「いえ、その、今はかなり都合が悪くて……」
 「橘、まさか、お前たちもう」
 角田先生がうなるように言った。
 そして、「ごめん、邪魔するぞ」と言うや、角田先生が玄関からあがってくるのが妙子にはわかった。
 あ、あああ、どうじよう……。
 妙子は焦った。やましいことなどなに一つしていない。だが、シャワーを浴びている今の自分を発見されたら、言い訳しても簡単には納得してもらえないだろう。
 ドスドスと熊のように歩く、角田先生の足音が遠のいては近づいてくる。
 「安藤、どこじゃ? 今出てきたら、先生も寛大な心で話を聞いてやるぞ」
 ウソだ。絶対に怒るくせに。と、とにかくお風呂場から出ないと……妙子は脱衣場に戻ったが、あまりに慌てていたので足もとの籠を蹴ってしまった。
 「おお、そこか、安藤」
 血も涙もないハンターのような角田先生の声が妙子の耳に届いた。うげえーッ、敵はすぐそこだあ。
 散らばった衣服を急いで拾いあげ、棚に置いてある別の籠に放りこむや、脱衣場の扉の外に人影が立つ気配が―
 うわッ、ヤバイ、ヤバすぎる……あ、ああ、そうよ、私、透明人間になれえッ。
 妙子がそう心に念じるとほぼ同時に、扉が開いた。ぬっと角田先生の顔が突きだしてくる。
 「先生、そこはお風呂場ですよッ」
 悲鳴じみた橘の声に、
 「なにいッ。こ、これは失敬した」
 慌てて角田先生の顔がひっこむが、すぐにまたのぞきこむ。
 「んん?……おかしいわい、ここから音が聞こえたはずなのに誰もおらんぞ」
 角刈りの角田先生の顔が、キョロキョロと室内をめぐる。妙子は壁際にぺったりと張りつき、その様子を眺めていた。
 ギリギリセーフだったみたい。透明人間バンザイ!
 「先生……その、これは……」
 橘も脱衣場に入ってきたが、すぐに小首をかしげた。いるはずの妙子の姿が見えないのだ。
 「わからん……確かに音がここからしたのじゃがのう……」
 角田先生はいぶかしげな顔で、開けっ放しの浴場の方をのぞきこむ。その隙に妙子は、お風呂場からの湯気で曇った脱衣場の鏡に、指先で文字を書いた。

 ワタシハココニイル

 それだけで橘はわかってくれるはず。
 その目論みどおり、橘は鏡を見て、うなずいた。
 そこに角田先生が顔を戻した。鏡の文字を見て、目玉を飛びださんばかりの顔をする。
 「なんじゃこの文字は……橘、おまえが書いたのか」
 「いえ、その、これは……」
 「違うのか。ならば安藤が書いたか。どこじゃ、どこにいる、安藤」
 角田先生は血眼になって、脱衣場を見渡すが、人一人が隠れられる場所などどこにもない。実際、妙子は脱衣場から逃げだしていたので気配すらない。
 「おかしい、おかしいわい」
 ブツブツと呟きだす角田先生だが、脱衣場からつづく廊下の上に濡れた足跡を見つけると、
 「安藤、どうやってわしの目を誤魔化したかしらんが、足跡を残すなど、まだまだだわい。ほれ、姿をあらわさんか」
 ほくそ笑みながら、廊下につづく濡れた足跡を追いかけていく。
 だが、途中でぷつりを途絶えているのを見て、顔をひきつらせた。
 「どうなっておるんじゃ。足跡がここで途切れておるぞ」
 あたふたと周りを見まわす角田先生の姿に、妙子は笑いを必死にこらえた。まるでキツネにつままれたような狼狽ぶりで、おかしくてたまらない。
 もっとも、素っ裸で階段の手すりにサルのように飛び乗っている妙子も、間抜けな姿であることこのうえないが。
 「……角田先生」
 背後から橘が声をかけると、油の切れた人形のように角田先生は振り向いた。
 「どうなっているんじゃ、これは」
 問いかけられた橘は頭をかき、それから声をひそめ、
 「ここだけの話ですよ、先生。じつはこの家にはオバケが棲みついているんです。それで時々、こんなイタズラを……」
 「なにいッ」
 角田先生の顔が一気に青褪めた。
 「バ、バカなことを言うな、橘。教師をからかうなど許さんぞ」
 橘は深々とため息をつくと、
 「角田先生も見たはずです。脱衣場の鏡に書かれた、ワタシハココニイル、という文字。それにこうして廊下に残されている足跡を」
 「本当なのか、橘……だったら、安藤はどうした?」
 「彼女には、買い物に行ってもらったんです。家のサンダルを履いてもらって。だって彼女にこんな怖い目に遭わせるわけにはいきませんから……」
 そう言って、橘が思わせぶりに顔を伏せてみせる。
 妙子は、橘と角田先生のやり取りに階段の手すりから落ちそうになった。今にも噴き出してしまうほどに、可笑しくて仕方がない。
 橘が当意即妙、機転を利かせ、妙子のしでかしたことの辻褄あわせをしているのだが、角田先生ときたら今や卒倒しそうなほどに顔色が悪い。どうやら、いかつい容貌に反して、このような心霊現象の類の話には弱いようだ。
 そうだ、私も橘に協力しないとね、ククク……。
 小悪魔的な笑みを浮かべ、イタズラ心がメラメラと燃えあがる妙子は、うんと声を低くすると、ウウウッ……と、うめくようにすすり泣いた。
 「な、なんじゃ、この声はッ」
 角田先生がうわずった声で叫んで、あたりを見まわす。その脇で、やってくれたという風に、橘が片手を顔にあてた。
 「ウウウッ……お風呂場を覗くなんて、ああ、なんてひどい人……ウウウッ……奥さんに言いつけてやるから……ウウウッ」
 そう言ってから、ひょいと手をのばして角田先生の角刈り頭を撫でると、
 「ひいいーッ」
 甲高い声で叫んで、哀れ角田先生が文字通り飛びあがった。
 「橘ッ、この家は呪われておるぞ。早く引っ越しをせいッ」
 そうわめくや踵をかえして玄関まで一直線、靴下のままで飛びだしていった。
 そんな先生の後を、先生の靴をつかんで橘が追いかけていく。
 「ギャハハハハッ」
 妙子は床に降り立つなり、腹を抱えて笑いころがった。そこに橘が戻ってきて、
 「安藤さん、やりすぎだよ」
 妙子がいると思われる場所に、怒った口調で言ってくる。
 「ゴメン、ゴメン……いやあ、でもおもしろかった。あの角田先生があそこまで取り乱すなんて」
 「いいかい、幽霊なんかを強く否定する人ほど超常現象をまのあたりしたら、ああいう風に取り乱すものなんだ。ヘタをしたら卒倒して、救急車騒ぎになっていたかもしれないよ」
 「……悪かったわよ、ちょっと調子にのりすぎちゃって。でも、橘だっていけないんだからね、この家にオバケがいるなんて言いだして」
 「それは仕方がないよ。角田先生に、安藤さんはただいま透明人間になっていると言ったところで、信じてくれるわけがないだろう」
 橘の言い分は正しいと思うが、怒られているようでご機嫌斜めになった妙子は、ついつい憎まれ口でこたえてしまう。
 「はいはい。正しいのは橘様で、悪いのはいつも私っすよ」
 「なんだい、その言い方は」
 眉根を寄せて、さすがの橘もムッとしてみせた。
 「あら、なにか気に障りましたか? どうせ、私は口のききかたもなっていませんから」
 姿が見えないことをいいことに、妙子はすっかり仏頂面だ。
 なによ、ちょっとしたイタズラしただけじゃない。それなのにブツブツと言ってさ……。
 「安藤さん、神様から授かった力を悪用したら、きっと罰があたるよ。そういうことも含めて僕は厳しく言っているんだ。聞いている、僕の話を」
 「聞いてるわよ、すぐそばで。そんなに大声をあげなくても……あれ、あれれ」
 激しいめまいが、もとい激しい眠気が妙子の身体に襲ってきた。思わずその場に膝をついてしまう。床がギシッと鳴った。
 「ま、まずい、副作用が出てきたわ」
 「副作用って……なんのこと、安藤さん」 
 橘が表情を一変させて、音がした床のあたりに手をのばしてきた。
 「キャアッ、へんなところ触るなッ、橘」
 「うわッ、ゴメン」
 後ずさる橘と交替に妙子は立ちあがった。
 すごい睡魔だ。
 今にも寝てしまいそうだが、急いで脱衣場に戻らないといけない。眠りにおちても力が持続すればいいが、もしそうでなかったら、真っ裸な姿を橘にさらすことになる。
 ま、まずいわ、絶対にそれは……妙子は脱衣場に入るなり身体を拭くひまもなく、下着をつけ、上下のジャージを着込んだ。
 「安藤さん、大丈夫?」
 廊下から、オロオロした様子で橘がのぞきこんでくる。
 「よ、よし、これなら、いいわ……か、解除……」
 そう言った途端、妙子の体がそこにあらわれた。もうどうにもならない睡魔でよろけると、橘が抱きかかえてくれた。
 「安藤さん、なにがどうなっているんだい」
 「ど、どうもしないわ……私、寝るから、しばらくしたら起こしてね……あんまり帰りが遅くなるとママが心配するから……頼んだわよ……それじゃ、おやすみ」
 そこまで言うと、妙子は橘に体をあずけたまま、スゥースゥーと早くも寝息をたてはじめていった。
 
 
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