カンテノ

よんそん

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第4章 ナターシャ

4-2 登山

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 ドドに連れられるようにして、僕は彼の後ろを歩く。街中を1時間くらい歩き、辺りには建物が少なくなる代わりに、木々が増えていき、田舎の風景が広がっている。

「想、まださっきの気にしてるのかー?」

  ドドは後ろをとぼとぼ歩く僕に声を掛ける。

「あ、うん。なんだか、気になっちゃって」

  先刻、謎の少女から受け取った紙袋に入っていたデニムシャツは間違いなく僕の物であり、それが綺麗に洗われていて畳んであった。
  そして、そのデニムシャツはあの時、一颯さんの遺体に被せた物だ。

「一颯さんに掛けてあげたシャツなんだ」

  ドドは立ち止まり、僕が追い付くのを待っていてくれた。

「そうかー。それじゃあ気になっちまうよな。でも、その女の子の手掛かりもないし、探しようがないよな。どんな子だったんだ?」

「紅い髪の子。ちょっと変わった服を着てた」

  追い付いた僕とドドは並んで歩き、歩調を合わせてくれる。彼は顎髭を触りながら考えている。

「うーん、心当たりはないなー。まぁ、今は考えても仕方ねぇさ」

  そうなんだよな。一旦頭の隅に置くしかない。

「ところで、今からどこに向かうの? このままだと、山に一直線だよ?」

  進路方向にはいくつかの山が連なっていた。

「あぁ、まだ言ってなかったな。俺の師匠の所に行く。今日1日では着けそうにないから、途中で野宿だが、大丈夫か?」

  そうだったのか。ドドの師匠か。どんな人なんだろう。

「野宿……だからキャンプ用品を買っていたんだね。なんだかちょっと楽しみだな」

  僕がそう言うと、ドドは快活に笑う。

「そうかそうか! ま、山の事なら任せてくれ。散々駆け回ったからさ」

  ドドはこんな時でも頼もしいな。彼がいてくれて本当によかったと思う。

  そして、いつの間にか周りはもう山だ。まだ国道のアスファルトを歩いているが、走る車は少ない。
  身体のそこら中に包帯を巻いていて、傷はまだまだ痛む。僕の左足は骨折していたため、松葉杖の代わりに登山用のステッキを左手に1本持ち歩いている。
  初めはぎこちなく歩いていたが、ずっと歩き続ければすぐに慣れてしまった。

  やがて、歩行者しか通れないような細い坂道に入って行く。舗装はされているが、昔から使われている古い道だ。

「こっからもう山道だ。急な斜面はないが、無理せずゆっくり行こうぜ」

  隣を歩くドドはそう言ってくれた。ずっと僕に気を遣ってくれている。あまりの優しさに、僕は自分の惨めさを呪いたくもなってしまう。しかし、それは彼の優しさに対して失礼だと、自分を抑制する。

  しばらく歩くと、舗装されたアスファルトは終わり、土の地面が進行方向に伸びている。それでも、人間が築き、通って来た地面はしっかり「道」としての機能を果たしており、それを踏みしめて僕は歩く。

「お、湧き水だ。飲んでくついでに補充してこうか」

  ドドの視線の先には、岩の隙間から流れている湧き水があった。人為的に作られた岩の水溜めもあり、古くから人々が利用しているようだった。

「お、おいしい。これが、水?」

  手で直接掬って飲んだ自然水は、今まで飲んだ水とは全く違っていた。冷えていて、ほんのり甘く、それでいて喉に通りやすい。

「美味いだろ? でも、あまり飲みすぎると腹に溜まって動けなくなるから、程々にな」

  僕はドドの注意を受け入れ、少し飲んだ後に空になったペットボトルにその湧き水を並々と補充した。

  ドドの言った通り、急な勾配はなく、緩やかな斜面が続いている。周囲に木々が立ち並び、その合間を通り抜けて来た風が、僕の傷ついた肌を撫でる。その風が木々の香りを運んで、鼻腔をくすぐる。
  車の騒音、街の喧騒、それらが一切ない静かな山の中。それでも時折、鳥のさえずりや葉が揺れる音が聞こえ、いつもとは全く違う環境に自分がいるんだと痛感する。
  峡峰でも樹海の中を歩いたが、あの時は自然そのものに浸る余裕がなかった。今は身体全体でその自然を感じている。

  しばらく歩くと、左側の視界が開け、広大に広がる山々の景色が見えた。それは緑色の絨毯が広がっているようで、雄大な自然の一部は美しかった。
  この景色を、一颯さんが見たらなんと言うだろう。彼女なら、目を輝かせながらはしゃいで、僕に同意を求めてくるのだろうな。どんなに歩いて疲れても、その疲れを顔に出さずに、純粋に笑いかけてくれるに違いない。
  駄目だ。彼女の事を考えないようにしていても、気付いたら考えてしまっている自分がいる。彼女とこの景色を見たかったと思ってしまう。彼女ともっといろんな場所に行って、もっといろんな世界を見たかったと思ってしまう。

「想、大丈夫かー?」

  気付けば、ドドとだいぶ距離が空いてしまっていた。

「すぐそこに休める場所があるから休むか。昼も過ぎてたしな」

  彼は僕の所まで戻ってきてくれて、そして指し示した場所まで一緒に歩く。程よい岩場があり、そこに2人で腰掛ける。

「ほれ! 基地でもらった米をおにぎりにしといたから食おう」

  ドドはいつの間にかおにぎりを作ってくれていたようだ。僕はそれを受け取る。

「ありがとう。いただきます」

  中にはちゃんとシーチキンが入っていた。彼が準備していた事を心の底からありがたく思う。

「今は無理しなくていい。ゆっくり行こう」

  水を飲んでからドドが静かに言ったその言葉は、今歩くこの道程の事を言っていると共に、僕の心境についても言ってくれているようで、思わず涙が出そうになってしまった。

「ありがとう、ドド。僕と一緒にいてくれて」

  そう言った僕に対して、彼は微笑む。

「俺ァさ、初めは『煉美さんの弟だから』なんて不純な理由で想と一緒にいたんだ。でもさ、今はお前が好きなんだ。お前という人間に強く惹かれたのさ。お前の事を見捨てたりは絶対しねぇ」

  ありがとう、ドド。僕はその感謝を言葉には出来ず、ただただ何度か頷くだけだった。口にしたら、溢れそうになった涙がもう出てきてしまうから。

  昼休憩を終え、再び僕らは歩き出した。不思議と疲れは感じていない所か、傷の痛みもさほど感じない。
  ドドの言葉や、周りを囲む自然や、何か目に見えない力が僕の背中を支えてくれているようだった。

「にしても、俺も煉美さんに会いたかったなー」

  道中ドドが口にしたが、基地にいた時から何度も言っていた。

「大丈夫、また会いに来てくれるよ。ドドには話してなかったけど、僕は時々不思議な部屋に行くんだ。そこで、姉さんとシクスに会ってる」

  僕は初めてドドにクアルトの事を打ち明けた。彼は、足を止め、ぽかんとしていたが、すぐに足早になり僕に追いついてきた。

「まーじか! なぁなぁ、煉美さん俺の事何か言ってたか!?」

  興奮している彼を見て僕は思わず笑みを零す。

「ドドは昔に比べて成長したって。相当鍛えたんだろなって。それから、僕に味方してくれたの喜んでたよ」

  そう言うと、少し間を置いて笑い出す。

「そんな……どうって事ねぇよ。生きてた頃は一度も褒めてくれなかったのにな。そっか……そっか……!」

  ドドは、とても嬉しそうにしていた。

「シクスってあの人だよな? 猫の幽霊って言ってたよな? 前に煉美さんが飼ってたのか?」

「うん、そうだよ。シクスは僕の弟のような存在。2人とも、1日1回10分だけならこっちの世界に来れるから、だからまた姉さんとも会えるよ」

  そう言うと、ドドは目を見開き喜んでいた。その後も、クアルトでの日常風景を彼に話して聞かせながら山道をゆっくり進んだ。こんな荒唐無稽な話を、ドドは一切疑う事なく信じて聞いてくれた。
 
 そして、気付けば日が落ち始めていた。ドドは予め念頭に置いていたのか、山を少し下り始め、開けた平地へと僕を導いてくれた。

「近くに川もあるから、今日はここにテントを張ろう。夜は冷えるから今のうちに温かくしろよ?」

  そう言って、ドドは荷物を下ろし、バッグの1つからテントを収納していたケースを取り出し、手際良くテントを組み立てていく。

「僕にも何か手伝える事ある?」

「あぁ、無理しなくていいって。でも、まぁそうだなー。手頃な石と、乾燥してる枯れ草とか枝、あと松ぼっくりがあったら持ってきて貰おうかな? 俺も集めるから、近くで見つけてくれ」

  僕は了承し、周辺を見回しながら探す。グラインドの力で掻き集める事もできるが、今は敢えてそれをせずに、自分の力で集めたい。

「こういうので大丈夫?」

  僕は掻き集めた枯れ草と枝をビニール袋に入れて、ドドに見せた。既にテントは完成していた。

「おう! オッケーオッケー。ちょっと水汲んで来るから後は休んでていいぞ」

  彼はそう言って、2Lペットボトルを持って川に向かった。休んでて良いものかと思いながらも、手頃な石や小さめな岩をもう少し集める。そしてその岩に座る事にした。

   川から戻ったドドは、地面を少し掘り、その周りに石を綺麗に積み上げ、竈を作った。そして、そこに着火剤を付けた新聞紙、枯葉、松ぼっくりを置き、炭と枝を積み立て、新聞紙にライターで火を付ける。残った新聞紙で小刻みに仰ぐと火は容易く広がった。

「簡単な物くらいしか作れないが、ゆっくり休んで待っててくれ」

  周囲が少しずつ暗くなり始め、ドドはランタンに明かりを灯して、それを近くの枝からぶら下げた。
  折り畳み式の小さいテーブルを置き、そこに米や、缶詰め、ビニールパックに入った食材などを取り出し、手際良くそれをナイフで捌いていく。流石イタリアンシェフだ。
 
 山の日が落ちるのは本当に早かった。辺りはすっかり真っ暗だが、焚き火のおかげで寒くない。僕はただドドが料理しているのを眺めているだけで申し訳なくなってしまうが、初めてのキャンプ体験で少しワクワクもしてしまう。
  ドドはスキレットと呼ばれる小さいフライパンを竈の火の上にある網の上に置いた。スキレットの中には具材を合わせた米とチーズが入っていた。
  そして、そのスキレットの隣に別の具材を包んだアルミホイルを置いた。次第にいい匂いが漂ってくる。

「うしっ。そろそろいいだろ!」

  数分後、ドドはスキレットに入ったご飯をアルミ製のお皿に装い、さらにその隣にアルミホイルのなかの具材を入れた。

「お待たせ! チーズリゾットとアクアパッツァだ」

  ドドから渡されたお皿を受け取る。目の前に来たイタリアン料理はさらに良い香りを出し、見るからに美味しそうだった。
  アクアパッツァと呼ばれた物には、缶詰の魚とパックに入っていた野菜が使われていた。簡単な食材でもここまで出来てしまうなんて。

「すごい……いただきます」

「おう、めしあがれ!」

  ドドはそう言って目を細めて笑顔になった。

「お、美味しい。 リゾットもアクアパッツァも」

「そいつぁよかった。多めに作ったからいくらでもおかわりしてくれ」

  僕の反応を見てからドドも食べ出し、彼に僕はお礼を言う。辺りは闇に包まれ、こんな山中のど真ん中で2人でご飯を食べているこの状況は、今までに味わった事のない体験で、なんと表現していいのか全くわからない。
  でも、きっと、ドドは僕の心を少しでも安らげようと、励ましてくれようと、ここに連れてきたんじゃないかと。そして、彼のその優しい配慮に感謝しながら僕は料理を味わった。
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