カンテノ

よんそん

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第5章 ファイナイト

5-27 皮肉

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 依然と雨は降り続いている。その雨足はさらに強くなった気さえする。

「ちょ、ちょっと待て! そんな、なんであんたまでいるんだ!?」

  トロイが後退りながら言ったが、目の前の男はそれに答える素振りもなく、足元のアーキテクツに視線を下ろす。

「約束の時間になっても現れないから来てみればなんだこのザマは? アーキテクツよ」

  男の冷ややかな言葉にアーキテクツは舌打ちしながら起き上がる。
  細身の男の身長はさほど高くない。僕と同じくらいかそれより低い。165cmくらいだろうか。黒い短髪をツンと跳ねさせ、口の上と顎に少し髭を生やしている。七分袖の黒いシャツ、そしてストレートのデニムパンツを履いている。年齢は40代くらいだろうか。

「つーっ! なんだったんだ今の?」

  先程吹き飛ばされた姉が起き上がって僕達の方に来る。あの姉を吹き飛ばした程の力だ。余程の手練だろう。

「トロイ、あいつは何者なんだ?」

  まだ驚愕しているトロイに僕は問い掛ける。

「奴は、『シニック』だ。俺がゼブルムに来るずっと前からいると聞いてる。奴は滅多に表舞台に出て来ない。自ら手を下すタイプじゃないんだ」

  トロイがそう話すと、その「シニック」という男は再びこちらに視線を向け、その隣にアーキテクツが立つ。

「フォールン・トロイ。任務上、そちら側に付くのは構わない。だが、我々はもうこの地球を諦めている。人がどう足掻こうが、あのオリジンには勝てない」

  シニックは冷静にそう語った。

「勝つさ。あたし達は、絶対に勝つ」

  姉が僕の隣に立って力強くそう言った。

「果敢に挑む人間を止めるような事は私もしない。アーキテクツが君達に挑んだのは飽くまで彼個人の行動だ。だが、彼は私達の仲間だ。その彼を傷つけられて、私も黙っている訳にはいかないんだ。ゼブルムの名に懸けて」

  シニックの言葉が終わると同時に、先程の姉と同じように僕達全員は吹き飛ばされた。風とは違う。何か目に見えない物で激しく押されたように。

「そーくん、大丈夫かい?」

  姉は僕の身体を後ろから受け止めて一緒に飛ばされていた。

「姉さん、ありがとう。どうなってるんだ? あれが、あいつのグラインドなの?」

  姉は僕の身体を支えながら立たせてくれる。

「恐らくね。あたしでも辛うじてタイミングを見極める事ができるが、正体は全くわからない」

  そう言って姉は前方のシニックを見据える。他の皆も飛ばされ、破壊された街の中で散り散りになりながらも、皆立ち上がる。

「くそっ。何が何だかわからねぇが、戦うっつーなら容赦しねー!」

  そう言ってドドがシニックの右側から走り出す。だが、そのドドは再び見えない力で弾き飛ばされ、傾いたビルの窓を突き破ってその内部にまで飛ばされる。

「堂島さん!? よくも!」

  ドルティエさんはシニックを、キッと睨み全速力で走り出した。だが、ドルティエさんも弾き飛ばされるように近くに転がる軍事車両に激突した。

「ライトニング・ボルト。君でさえも私のグラインド、『シニック』の前では無力だ」

  シニックは無表情で冷ややかにそう言った。

「調子に乗りやがって」

  レグネッタさんがシニックに向かって、2挺の拳銃を撃つ。だが、その銃弾はシニックの前で静止し、地に落ちた。

「なっ!? これじゃあ、まるでファイナイトのガキじゃないか!」

「あのオリジンの少年とは同じにしないでもらいたい」

  シニックがそう言った直後、レグネッタさんの身体は宙に浮き、地面に叩き付けられた。

「レグ! お前、よくも!」

  姉が怒りの表情を浮かべ、駆け出す。その姉に向けてシニックは手を伸ばす。
  だが、その時姉は走りながらも、空《くう》を切るように拳を放った。その直後、突風が巻き起こり、僕達は飛ばされそうになる。

「やはり……そういう事か」

  呟いた姉はそのまま走り、シニックの腹に拳を叩き込んだ。
  だが、驚くべき事に、姉の拳はシニックの身体をすり抜けていた。それは、まるで先日戦った幽霊のように、姉の拳はシニックの身体に当たらずそのまま貫通し、その腹部は少し透けていたのだ。

「やはり、空気か」

「そうだ。君こそ、生きた人間ではないな? 死人か?」

  囁くようにそう問いたシニックの身体は空気に溶け込むように薄くなっていく。だが、その刹那、奴の表情が曇る。

「死人さ。空気だと解ればこっちのもんだ」

  そう言って笑みを浮かべた姉はもう一方の空いてる左手を、横から斜め上に突き上げるようにシニックに放つ。今度はその拳がすり抜ける事はなく、シニックのあばら骨の横にクリーンヒットする。

「くっ! 重力で固定したか。だが、その程度の攻撃で私は倒れない」

  シニックがそう言うと、姉の身体は空中に飛ばされる。

「くっ! なんて力だ!」

「後ろだ」

  宙に飛ばされた姉の背後にシニックはいた。そして背後から姉に向かって拳を放つ。その拳は、目に見えないエネルギーを纏っている事が遠目からでもわかった。圧縮した空気を蓄えているのか?

「あぁ、わかってるさ!」

  そう言って姉は空中で身体にひねり回転を加え、背後から放たれたシニックの拳に対し、重力を込めた蹴りで受け止めた。

「くっ!」

  姉とシニックの力は反発し、両者は互いに弾かれるように吹き飛んだ。

「レンビー、大丈夫か?」

  吹き飛ばされビルに激突する寸前、姉の身体をレグネッタさんは黄光の鞭で掴んで引き寄せた。

「ありがとう、レグ。あたしは死んでるからなんともないさ。でも、ごめん。もう時間だ。あいつは強い。お願いだから、無理せず生きて帰ってほしい」

  そう言って姉はレグネッタさんに微笑みながら消えていった。

「あぁ、必ず生きて帰るさ。お前が死んだあの日から、私はお前の思いを抱えて生きて行くと誓ったんだ」

  独り言のように呟いたレグネッタさんは銃を構え、眼鏡の奥からシニックを睨む。そして走りながらその2挺の拳銃を撃つ。

「あの女は消えたのか? 銃は無駄だ。私には効かない」

  シニックの前で再び銃弾が地に落ちる。だが、そのシニックの身体が崩れる。奴の足首には黄光の鞭が巻かれていた。レグネッタさんは銃を撃ちながら、黄光の鞭を素早く伸ばしていたのだ。

「なにっ!?」

  シニックの身体は黄光の鞭によってレグネッタさんのもとに引き寄せられていた。

「チンチラァー! 気合いいれろ!」

  レグネッタさんは引き寄せたシニックの腹に向けて白い拳銃から緑光の弾丸を膨れ上がらせた。激しいドライブスピンをかけながら巨大な弾丸はシニックを襲った。

「くっ! だが、やられはせん」

  シニックの言葉と同時に緑光の弾丸は上空に弾き飛ばされ、レグネッタさんの身体に蹴りを当てて突き飛ばした。

「もう許しませんわ! わたくしの大切な仲間を、これ以上傷つけるのは、許しません!」

  シニックの左側に現れたミルは釘バットで横殴りする。シニックと言えど、不意の攻撃には対処できず、それを腰に受ける。だが、シニックは踏み止まる。

「私は、倒れない」

  静かにそう言い放つと、奴の身体は空気に溶け込み、ミルの横側から彼女の手を掴み、容赦なく投げ飛ばした。

「お嬢様! 貴様ぁー!」

  ドルティエさんが再び起き上がって走り出す。シニックの空気によって吹き飛ばされそうになりながらも、彼女は瞬足でそれを突き破って進んだ。

「グラインドも持たぬ人間がここまでやるとは恐れ入った。だが、それでも私には届かぬ」

  ドルティエさんのスティックを腹に受け、一瞬苦痛の表情を浮かべたシニックだったが、ドルティエさんを宙に浮かせると、空気を圧縮して纏った蹴りを浴びせて彼女を吹き飛ばした。

「ちっくしょうが! 例えあんただろうと! ここまでやられちゃ、黙ってらんねぇ!」

  トロイはサイドワインダーに乗ってシニックの目の前に飛び出し、右手のマニピュレーターを振り下ろしていた。

「フォールン・トロイよ。もう少し賢明になれ」

  シニックの言葉と共に、トロイの身体は宙で固められ、彼が乗っていたサイドワインダーだけが動いて、それは反転してトロイに激突した。

「そ、そんな……みんな……」

  後に残された僕は身体を震わせながら立ち竦んでいた。

「わかったか? 貴様らの無力さを。私に勝てないのならあのファイナイトにも勝てない」

  そう言ってシニックは僕に向かって歩み出す。

「でもっ! このままじゃ、みんなあいつに殺されるんだ! あなただって、ファイナイトに殺されてしまうんだ! それでもいいのか?」

  僕がそう言うと、シニックはぴたりと足を止める。

「何か勘違いしているな。そうか、知らなかったのか。私達ゼブルムのスペースコロニー『インテグラル・バース』はつい先日最終調整を終えて完成した。急ピッチで作業したのでな」

  その言葉に僕は絶句する。先日のトロイの話では間に合わなかったとエイシストが言っていたらしいが、それをこの数日で完成させてしまったのか。

「そのスペースコロニーに、あなた達だけが乗って生き延びようというのか?」

  僕の言葉にシニックは無言で手を向け、そして僕を吹き飛ばした。

「本当はもっと時間をかけ、優れた人間を選別するつもりだったがな。時間がない。君のような力のない人間が、我々に意見する資格などないのだよ」

  そう冷ややかに言い、ビルの壁に打ち付けられた僕にさらに空気の刃を浴びせた。

「ごはっ! くっ、力があろうがなかろうが関係ない。僕は、決めているんだ。必ず、みんなでこの地球で生きると。もう誰1人、死なせはしない!」

  そう言って、背後の壊れたビルを動かす。巨大なビルがシニックに向かって飛んでいく。
  だが、その大きなビルでさえもシニックは空中で止めた。

「この程度の力では地球を救う事はできない」

  そう言ったシニックの背後からまた別のビルを突撃させる。だが、シニックは後ろを振り向かずにそれを止め、自身は空気になって消える。そして再びビルが動き出して、2つのビルは激突した。

「弖寅衣 想と言ったか? 幾つもの報告は受けている。あのエイシストが一目置いている事も知っている。だが、あまりにも愚かで浅はかで、そして何よりも弱い。現実を受け止めろ」

  僕の目の前に現れたシニックはそう言い、僕の身体を宙に浮かせた。

「現実は、これから変えてみせる。僕には、あの姉さんがついていてくれる。姉さんが、『絶対に負けない』と言った以上、僕達は絶対に負けはしない!」

  僕は宙で身体を固定されながらも反論した。その時、シニックは心底不快そうな表情を浮かべた。

「そんなものは子供の精神論にすぎん! 現実を受け入れろ! 考えが甘いのだ!」

  今までになく声を張り上げたシニックは、僕に向かって空気の刃を飛ばした。

  その時、確かにその空気の刃が見えた。雨粒を弾いていたからかもしれない。
  僕は全神経をその刃に注ぎ、シニックが放ったその空気の刃を動かした。

「なっ!?」

  僕に向けて放った筈の刃が自身の腕を傷つけ、シニックは目を見開いてその傷口を見ていた。
  僕を拘束していた力は解け、僕は地面に倒れ込む。


「……わかった。いいだろう。精々あのファイナイトを相手に足掻いてみせろ」

  今まであれ程に頑なだったシニックは、そこであっさりと僕の意見を聞き、離れた所にいたアーキテクツと共に去って行った。
  残された僕達を、10月の冷たい雨が包んでいた。
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