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第2章 望まない繋がり
第14話 天長節
しおりを挟む薄雲たなびく払暁のころ、宮妓の雑居舎の片隅にて曄琳は麻袋に荷物をいそいそと詰めていた。その顔はいたく晴れやかである。
(少監から報酬もたんまり貰ったし、これで今日の天長節でうまく逃げられれば、私は晴れて自由の身。やったわ)
逃亡するための荷造りであれば、自然とにやけるというもの。なんなら鼻歌まで歌いたい気分だ。
曄琳はご機嫌に荷をまとめていたが、これからのことに何の心配もないかというと嘘になる。
もちろん、遺書のことだ。
知ってしまえばこうして外に出ようとすることもできなくなるので、想像することしかできないが。
呆気なく解放されたことも気がかりではある。曄琳としては、もっと詰められたり、下手をすれば口封じのために宮中から追い出されたりするかと思っていた。
いやむしろ追い出されることを密かに期待していた曄琳は、少なからずがっかりしたのだが、それはここだけの秘密である。
後日姚人経由で曄琳希望の報酬が届けられ、結局暁明には一度も会わぬまま、今日を迎えてしまった。
(ま、いいか。私はただの宮妓。ここから出れば貧しい一般庶民になるわけだし、一生会うことはないでしょう)
曄琳には私物がほとんどないため、荷造りもあっという間に終わる。報酬で貰った銭は紐で通し、甘味は半分だけ持っていくことにした。
三月しか内教坊で過ごしていないが、身一つで売られて来たときに比べれば物も増えた。思い出や名残惜しさもあるが、それよりも安心安全に暮らせる方が大事だ。
「小曄! 準備終わったのー?」
入り口から茗が叫ぶ。本来ならまだ皆寝ているはずの時間だが、もう雑居舎には人っ子一人いない。皆、天長節の支度のために早起きをしているのだ。
「終わりました。今行きます!」
今日が宮妓の曄琳としての、最初で最後の大仕事だ。
曄琳は琴を仕舞う箱に荷物を紛れ込ませると、抱えて外に出た。
◇◇◇
天長節の宴は、外朝の紫仁殿と皇城とを繋ぐ朱天門の間の大広場にて催される。最奥に組まれた高台の御簾に皇太后と皇帝陛下が、手前に各皇族がおわしまし、中央広場を取り囲む桟敷には高官数百名が観覧することになるという。
警備のため物々しく武装した禁軍が大広場をぐるりと取り囲み、煌々と燃える松明が彼らの鋼色の鎧をぬらりと照らす。
肌を刺すような緊張感と声を落とした人々のやりとりが、さざ波のように曄琳の鼓膜を揺らす。ここまで大勢の人間の声が一斉に聞こえるのは初めてだ。じとりと手に汗が滲むのを感じた。
「わーお、こりゃほんとに立派ねぇ!」
平時と変わりない緊張感の欠片もない茗が、唯一の救いだ。上品な臙脂色に身を包んだ茗はもとの化粧映えする顔立ちも相まって、人目を引く美女に化けていた。
宮妓の席は桟敷席の更に後ろ、末席に控えの場が設けられている。宮妓最高位の内人らを最前に、位が上の宮妓から順に腰を下ろす。
補填要員の下っ端曄琳はもちろん、一番端の一番後ろの、席とも呼べぬ布切れの上が居場所である。
「美人ねぇ、少曄!」
先輩宮妓らが通りすがりに曄琳の頬を突いていく。
茗の手により身なりを整えられた曄琳は、内人と見劣りしないほどに美しく仕上げられていた。吊り目がちな眦に朱を引き、ふっくらとした唇には薄紅を乗せている。しかしいくら身なりを整えても中身は変わらない。ふわぁと欠伸をもらす姿は、平素の曄琳そのままであった。
(ああ、胸元が心もとない)
欠伸をおさえた手で曄琳は大きく開いた胸元を押さえる。
裾子を胸まで上げて胸元を強調する着こなしは、女官の服装を見て知ってはいたが、実際に自分がやって、実感した。これは胸が豊かな女性がやらないと見栄えがしないのだと。
貧しい曄琳の胸では、色気もへったくれもなかった。
茗に抵抗して、暁明の女官姿のような首まで詰まったものにすればよかったのだと後悔する。
宴の開始までまだ時間があることもあり、ちらほらと冷やかしの官人が鼻の下を伸ばして宮妓の席を覗きに来る。すると、大概の男が曄琳の整った顔立ちを見て頬を染め、その眼帯と胸を見てがっかりした顔でため息をついていた。
余計なお世話である。
見世物小屋じゃないんだぞと曄琳が威嚇をして男共を追い返していたところ、今度は後ろから袖を引かれた。
また厄介な冷やかしが来たのだと仏頂面で振り返ると、そこには満面の笑みの姚人が立っていた。
「げ」
「ちょっと! その反応はさすがに私も傷つきますよ!?」
姚人のよく通る高めの声に周りの宮妓らが振り返った。曄琳は頭を抱える。同じ年頃の二人が並んでいるのを見て、意味ありげな視線を寄越してくるのがなんとも鬱陶しい。
わざわざ遠くからすっ飛んできた茗に脇腹を突かれる始末である。
「この子、最近教坊にちょくちょく来てる子でしょ? あんたの良い人だったの!?」
「違いますよ。成り行きで知り合いになっただけの人です」
「そんな力強く否定しなくてもいいじゃないですかぁ」
茗、曄琳、姚人がそれぞれ違う反応をする。
周りの好奇の目も気にせず、姚人が懐から小さな包みを取り出した。
「こちら宋少監からの預かりものです。宮妓さんに渡してほしいと言われまして」
「何よ今度は宋少監!? 小曄、どこで男を引っ掛けてんの!?」
「もー! こっちに来てください!」
曄琳は冷やかす声を背中に姚人とその場を離れた。
宮妓は皇帝所有の楽人のため、色事は御法度。建前上は、であるが。仕事柄多くの官人と宴席を共にする宮妓に、色恋の機会は多い。
駄目と言われるほど燃えるが恋、らしい。
大概は双方火遊び程度の関係で終わるが、時には本気で結ばれることを願って皇帝に願い出る者もいるそうで、その場合は皇帝から男へ宮妓が下賜されることにより、晴れて夫婦となることも可能であった。
つまるところ、禁じられつつもそういった男女の駆け引きを楽しんでいる宮妓は多いということだ。
先ほどの周りの反応を見るに納得せざるを得ない。変な勘違いだけは勘弁だ。曄琳は物陰に姚人を引っ張り込むと、眦を釣り上げた。
「なぜこんなところに来たんですか。私としては少監とのお仕事は終わったと認識していたんですが!」
「え、そうなんですか? 宋少監はそんな風には見えなかったですよ。今日は忙しすぎるので、直接渡せないのが残念だとおっしゃってました」
なんでまだ関わること前提なのか。
曄琳は吊り上げた目を覆った。
やはり秘密を知りすぎた人間は野放しにはしておかないのかもしれない――が、曄琳は今日逃亡する身。そのあたりのしがらみはもはやどうでもいい。目指せ宮門、目指せ外の世界、だ。
曄琳の心中など知らぬ姚人が無邪気に近づいてくる。
「少監から何を貰ったんですか? ずうっと包みからいい匂いがしていたので気になっていたんですよ!」
曄琳の手元を姚人が目を輝かせて覗いてくる。もらった本人より姚人の方が中身に興味ありそうだ。
曄琳は小包をおそるおそる開く。包みを僅かに解くだけで、良い香りが立ち上る。この匂いは――。
「桂花の香包……?」
「わお、素敵ですね!」
掌に収まる大きさの緋色の香包が入っていた。そういえば暁明が女官姿でも緋色の裾子を身に着けていたなと思い出す。
「なんでいきなりこんなものを」
「素敵じゃあないですか! 少監からの贈り物、私も欲しいなぁ」
「そういう話じゃなくて……って、ん……?」
握った香包から小さな紙の音がした気がした。更にぎゅっと握ると、手のひらに折り畳まれた紙の形も感じる。
(何か手紙でも入ってる?)
ならば香包は目くらましである可能性が高い。しかし、姚人がいる手前、堂々と開けて見るのも憚られる。
「どうかされました?」
「……いーえ、何も」
どうしたものかと悩んで、曄琳は香包を懐に仕舞った。
中身は後で確認しようと思ったのだ。どうせすぐに本番でその後は宮門からの脱出がある。急いで見ずとも暁明と関わることはもう無いのだから。
「さ、私も戻らないと」
暁明のもとに戻る姚人を見送り、曄琳も仲間のもとへ戻った。
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